五島列島(中通島)の赤尾漁港の夕陽。
懐かしい。
仲が良かった近所の家族と、
僕たち夫婦も、この島で産まれたばかりの次男も連れて、この漁港へ来て遊んだ。
子供たちをあやしながらイカ釣りを楽しんだ覚えがある。
もちろん水イカは釣れた。
(2009.09.03 赤尾漁港にて 新上五島町)
懐かしい。
仲が良かった近所の家族と、
僕たち夫婦も、この島で産まれたばかりの次男も連れて、この漁港へ来て遊んだ。
子供たちをあやしながらイカ釣りを楽しんだ覚えがある。
もちろん水イカは釣れた。
(2009.09.03 赤尾漁港にて 新上五島町)
五島列島(中通島)の赤尾漁港の夕陽。
懐かしい。
仲が良かった近所の家族と、
僕たち夫婦も、この島で産まれたばかりの次男も連れて、この漁港へ来て遊んだ。
子供たちをあやしながらイカ釣りを楽しんだ覚えがある。
もちろん水イカは釣れた。
(2009.09.03 赤尾漁港にて 新上五島町)
懐かしい。
仲が良かった近所の家族と、
僕たち夫婦も、この島で産まれたばかりの次男も連れて、この漁港へ来て遊んだ。
子供たちをあやしながらイカ釣りを楽しんだ覚えがある。
もちろん水イカは釣れた。
(2009.09.03 赤尾漁港にて 新上五島町)
長崎駅近くにある中町教会。
金屋町の坂を大黒市場に向かって下っていくと、
小さなビルの暗い谷間に朝陽を浴びた教会の塔が見える。
初めてこの光景を見たとき、とても感激した。
(2009.09.03 大黒市場近くにて 長崎市)
金屋町の坂を大黒市場に向かって下っていくと、
小さなビルの暗い谷間に朝陽を浴びた教会の塔が見える。
初めてこの光景を見たとき、とても感激した。
(2009.09.03 大黒市場近くにて 長崎市)
長崎駅近くにある中町教会。
金屋町の坂を大黒市場に向かって下っていくと、
小さなビルの暗い谷間に朝陽を浴びた教会の塔が見える。
初めてこの光景を見たとき、とても感激した。
(2009.09.03 大黒市場近くにて 長崎市)
金屋町の坂を大黒市場に向かって下っていくと、
小さなビルの暗い谷間に朝陽を浴びた教会の塔が見える。
初めてこの光景を見たとき、とても感激した。
(2009.09.03 大黒市場近くにて 長崎市)
ここは五島列島の仲通島。
蛤浜。
白い砂浜。青い海。広がる空。
すばらしい景色だ。
しかし、ここの浜はひどい遠浅だ。
波打ち際から百m以上行かないと胸まで浸かって泳ぐことはできない。
子供にとっては、この上もなく安全なのだが・・・。
9月。
海の家は開いていたが、浜では誰も泳いでいなかった。
若い女性が2人やって来た。
一人が海の写真を撮りはじめた。
(2009.09.03 蛤浜にて 新上五島町)
蛤浜。
白い砂浜。青い海。広がる空。
すばらしい景色だ。
しかし、ここの浜はひどい遠浅だ。
波打ち際から百m以上行かないと胸まで浸かって泳ぐことはできない。
子供にとっては、この上もなく安全なのだが・・・。
9月。
海の家は開いていたが、浜では誰も泳いでいなかった。
若い女性が2人やって来た。
一人が海の写真を撮りはじめた。
(2009.09.03 蛤浜にて 新上五島町)
ここは五島列島の仲通島。
蛤浜。
白い砂浜。青い海。広がる空。
すばらしい景色だ。
しかし、ここの浜はひどい遠浅だ。
波打ち際から百m以上行かないと胸まで浸かって泳ぐことはできない。
子供にとっては、この上もなく安全なのだが・・・。
家族で何度も来たことを思い出す。
泳ぎ、貝を探し、地引網も引いた。
(2009.09.03 蛤浜にて 新上五島町)
蛤浜。
白い砂浜。青い海。広がる空。
すばらしい景色だ。
しかし、ここの浜はひどい遠浅だ。
波打ち際から百m以上行かないと胸まで浸かって泳ぐことはできない。
子供にとっては、この上もなく安全なのだが・・・。
家族で何度も来たことを思い出す。
泳ぎ、貝を探し、地引網も引いた。
(2009.09.03 蛤浜にて 新上五島町)
僕は教会のある高台から降り、海沿いに青方の街へと向かった。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
僕は教会のある高台から降り、海沿いに青方の街へと向かった。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
僕は教会のある高台から降り、海沿いに青方の街へと向かった。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
僕は教会のある高台から降り、海沿いに青方の街へと向かった。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
僕は教会のある高台から降り、海沿いに青方の街へと向かった。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。
漁船が停泊した小さな湾の奥に教会が見える。
教会を訪ねたときには、真っ暗で何も見えなかったのだが、
教会は、
地域の風景にどっしりと溶け込んでいた。
(2009.09.04 新上五島町にて)
僕は教会の中へ入った。
彼女は既に祈りを終え帰っていた。僕一人だ。
少し空気が冷たい。
思っていたより天井が高く、神々しく感じた。
まだ朝の陽光が弱いせいかステンドグラスの輝きも弱く内(なか)は薄暗い。
この教会でも入り口のドアの鍵は開いていた。
誰も自由に出入りできる自由な空間だ。
どのような罪人も神の前では等しい存在だ。
鍵をかけ拒む理由は何もない。
僕が教会の外の写真を撮っていると、
一人の女性が僕に挨拶して、そして教会の中へと入っていった。
朝のお祈りに来たのだろう。
ここでは、
迫害を受け海を渡り五島までやってきた隠れキリシタンの頃から
世代を超え、
深い信仰が連綿と続いていた。
この教会も鉄川与助が造っていた。
長崎の教会を訪ねると彼によく出会う。
どんな男(建築家)だったのだろうと興味が湧いてくる。
どんな環境で育ち、
教会建築を覚え、匠になっていたのだろう?
クリスチャンだろうか?
世界遺産登録への道のり(長崎県庁HP)
大曾教会〈おおそ きょうかい〉
[1916年竣工 / 県指定有形文化財 / 煉瓦造]
新上五島町青方郷2151-2 / TEL 0959-52-214
鉄川与助の煉瓦造教会建築において、特徴的な八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外観は、数段おきに色違いの煉瓦を積んで帯状の層をみせるなど、装飾的な変化を持たせている。鉄川与助の作品系譜の上では、円熟期に位置づけられ、造形的にも施工的にも優れた作品である。
1879年、木造教会が建設されたものの、煉瓦造教会建設の気運が高まり、大崎八重神父指導、鉄川与助設計・施工のもと現聖堂を建設。
木造教会は若松島の土井ノ浦教会として移築された。
大曾教会の八角ドーム屋根は、鉄川の設計としては、最初のものであり、煉瓦による凸凹の装飾や複数の色の煉瓦を使うなど彼独特の意匠が見られる。