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歴史写景 大塚古墳

2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには古代の遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

大勢の中高年の男女がやってきた。
古墳めぐりの一行のようだ。
一向は、古墳の後円部にあがり、
引率者らしき男性が、この古墳の概要を説明していた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)



福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

国道202号線今宿バイパスの北に接しており、整った古墳の側面を見ることができる。
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歴史写景 大塚古墳

2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには古代の遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

大勢の中高年の男女がやってきた。
古墳めぐりの一行のようだ。
一向は、古墳の後円部にあがり、
引率者らしき男性が、この古墳の概要を説明していた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)



福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

国道202号線今宿バイパスの北に接しており、整った古墳の側面を見ることができる。
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古墳写景 大塚古墳

2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには古代の遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

大勢の中高年の男女がやってきた。
古墳めぐりの一行のようだ。
一向は、古墳の後円部にあがり、
引率者らしき男性が、この古墳の概要を説明していた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)



福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

国道202号線今宿バイパスの北に接しており、整った古墳の側面を見ることができる。
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古墳写景 大塚古墳

2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)



福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

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2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)


福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

国道202号線今宿バイパスの北に接しており、整った古墳の側面を見ることができる。
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古墳写景 大塚古墳

2009-09-26 | 歴史(古墳時代)
国道202号線沿いには遺跡が多い。
特に、
唐津から博多にかけて
弥生時代や古墳時代の遺跡が数多くある。

福岡市西区今宿にある大塚古墳を訪ねた。

(2009.09.19 大塚古墳にて 福岡市西区今宿)


福岡市HPより

高祖山北麓の低台地上(標高15m)につくられた、古墳時代後期の前方後円墳(6世紀前半の築造)である。
1977年に保存整備のため確認調査を実施した。
主体部は墳丘主軸を東西におき、前方部を西に向ける。
墳丘全長64m、後円部の高さ約6mの二段築成である。
墳丘のまわりに幅8~12mの堀があり、その外方を幅5mの外堤がめぐる。
さらに、その南半部側に幅5メートルの浅い堀があり、
それを加えた全長は約100mの規模となる。

墳丘の下段斜面に花崗岩河原石をつかった葺石がめぐるが、上段斜面には認められない。
また、墳丘の段テラス、外堤上、外堀外線に円筒埴輪列が立て並べられ、
外堤の南西部の埴輪列部には、人物、馬形などの形象埴輪も加えられていた。

古墳の埋葬施設は未確認であるが、後円部の南側に入口をもつ横穴式石室と推定されている。

現在の古墳の姿は、確認調査の結果にもとづいて、堀、外堤を復元したものである(ただし復元部分は、全体に0.5mの盛り土を行っている)。

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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が自分の足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。
少々興奮した。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕一人締め遺跡である。

朽ちかけた貝塚の看板が畑に立っていた。
その畑を歩く。
もちろん作物があるので踏まぬよう気を付けてである。

事前に持ち主の方の許可を取るのが本当だろうが・・・・。
僕は勝手に大きな野良猫の散歩と思って貰うことにした。

地面のあちこちに黒曜石のかけらがある。
ここは黒曜石の産地ではない。
縄文の人々が、黒曜石を道具(製品)に加工したときに出た屑だろう。

一番近い産地である針尾島は、ここから西へ7km程度。
橋が無い時代。
船に乗り採りに行ったのだろうか?
朝鮮半島からやってきた人々だから船は日常道具に違いない。

地面を見つめていると沢山の貝殻や黒曜石のかけらがある。
10分ほどで集めたもの。
貝殻は一面にある。

4cm程度の小さな貝殻だ。
これでは100個食べても満腹にはならない。
主食でなくおやつだろうか?
食料のない冬に向け、湯がいて干して保存食にしていたのだろうか?
僕の好奇心は結論のないまま廻り回る。

ここは海岸から近いところではあるが、海抜50mほどのところだ。
ここまで大量の貝を運び上げるのは一苦労だったろう。
でもそうしなければならなかった理由があったに違いない。
自然から身を守る?
他人から身を守る?
何のためだろう?
小高い台地なので近くに川もない。
水はどうしたのだろう?
彼等に尋ねてみたいものである。

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )
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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が自分の足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。
少々興奮した。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕一人締め遺跡である。

朽ちかけた貝塚の看板が畑に立っていた。
その畑を歩く。
もちろん作物があるので踏まぬよう気を付けてである。

事前に持ち主の方の許可を取るのが本当だろうが・・・・。
僕は勝手に大きな野良猫の散歩と思って貰うことにした。

地面のあちこちに黒曜石のかけらがある。
ここは黒曜石の産地ではない。
縄文の人々が、黒曜石を道具(製品)に加工したときに出た屑だろう。

一番近い産地である針尾島は、ここから西へ7km程度。
橋が無い時代。
船に乗り採りに行ったのだろうか?
朝鮮半島からやってきた人々だから船は日常道具に違いない。

地面を見つめていると沢山の貝殻や黒曜石のかけらがある。
10分ほどで集めたもの。
貝殻は一面にある。
ここは海岸の側ではあるが、海抜50mほどのところだ。
ここまで運び上げるのは一苦労だったろう。
でもそうしなければならなかった理由があったに違いない。
自然から身を守る?
他人から身を守る?
何のためだろう?
彼等に尋ねてみたいものである。

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )
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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が自分の足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。
少々興奮した。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕一人締め遺跡である。

朽ちかけた貝塚の看板が畑に立っていた。
その畑を歩く。
もちろん作物があるので踏まぬよう気を付けてである。

事前に持ち主の方の許可を取るのが本当だろうが・・・・。
僕は勝手に大きな野良猫の散歩と思って貰うことにした。

地面のあちこちに黒曜石のかけらがある。
ここは黒曜石の産地ではない。
縄文の人々が、黒曜石を道具(製品)に加工したときに出た屑だろう。

一番近い産地である針尾島は、ここから西へ7km程度。
橋が無い時代。
船に乗り採りに行ったのだろうか?
朝鮮半島からやってきた人々だから船は日常道具に違いない。

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )

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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が自分の足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。
少々興奮した。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕一人締め遺跡である。

朽ちかけた貝塚の看板が畑に立っていた。
その畑を歩く。
もちろん作物があるので踏まぬよう気を付けてである。

事前に持ち主の方の許可を取るのが本当だろうが・・・・。
僕は勝手に大きな野良猫の散歩と思って貰うことにした。

地面のあちこちに黒曜石のかけらがある。
ここは黒曜石の産地ではない。
縄文の人々が、黒曜石を道具(製品)に加工したときに出た屑だろう。

「遺跡にあった説明版」


(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )






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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
僕は遺跡めぐりが好きである。

「人はどこから来て、そしてどこへ行こうとしているのか?」

ほんの少しだが遺跡にその答えが隠れている。

文字のなかった時代。
それでも人の暮らしや心の豊かさなど想像することもできる。

今回は、
西彼杵半島の西海岸にある天久保遺跡西海市)を訪ねた。

ここには縄文晩期から弥生時代にかけての貝塚と支石墓がある。
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?


生まれて初めて貝塚を体験した。
東京での勤務時代に大森貝塚を訪ねたが、看板とレプリカがあるだけで具体的な体験ができなかった。

ここは、貝塚が足元で体験できる。
嬉しいし楽しい。

周りには地元消防団の練習している団員だけだ。
僕の一人締め遺跡である。



(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )







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長崎歴史写景 縄文貝塚

2009-06-21 | 歴史(古墳時代)
僕は遺跡めぐりが好きである。

「人はどこから来て、そしてどこへ行こうとしているのか?」

ほんの少しだが遺跡にその答えが隠れている。

文字のなかった時代。
それでも人の暮らしや心の豊かさなど想像することもできる。

今回は、
西彼杵半島の西海岸にある天久保遺跡西海市)を訪ねた。

ここには縄文晩期から弥生時代にかけての貝塚と支石墓がある。
長崎は、国内でも支石墓が多い地域である。

この墓制は、朝鮮半島由来のものだ。

朝鮮半島との結びつきを感じる。

もちろん国境や日本人、朝鮮人の区分もなかった時代のことだ。
人々は自由にどこにでも移動し、そして暮らすことができた時代。

現代もこうでありたい。

EU(欧州連合)が一つの解だろうか?

(2009.05.24 天久保遺跡にて 西海市 )







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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 13

2009-03-13 | 歴史(古墳時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

土製の小さな男女の人形である。
その小さな形の中に男女の性器が大きく作られている?
子供が作ったのだろうか?
大人が造ったような気がする。
何のために?
次々と世代を越えて生きていくことへの感謝だろうか?


伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 12

2009-03-13 | 歴史(古墳時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

騎馬民族が持つような皮製の水筒である。
上手にその質感までが再現されていた。
日本でも騎馬民族が使ったように利用していたのだろうか?

伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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歴史写景 伊都国歴博  古代の美 11

2009-03-12 | 歴史(古墳時代)
伊都国歴史博物館では、
冬の企画展「いにしえびとの造形 土器」開催されていた。

ここで見た古代人の美への感性を紹介する。

長さが60Cmを超える大型の横瓶。
中には何を入れたのだろう。
水であれば重たくて持てない。

4つの取っ手でどこからか吊るして使ったのだろうか?
巨大な蛸壺?




伊都国歴史博物館HP

伊都国歴史書博物館HPより

いとはく冬の企画展 「いにしえびとの造形 土器」

古代から人々の飲食や食糧貯蔵に欠かせなかったのが土器。
この土器が生まれたのは、今から1万2千年ほど前のこと。
以後、現代に至るまで人々の生活を支えつづけてきました。
糸島地方でも数多くの土器が出土していますが、今回の企画展では、その中でも造形的に注目を集める20点を厳選し、展示します。

 日時:平成21年2月3日(火)から3月29日(日)まで
 場所:伊都国歴史博物館 1階企画展示室

(2009.02.22 伊都国歴史博物館にて 前原市)
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