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サンクト ペテルブルク

2008-02-11 00:03:22 | アート・文化

「サンクト・ペテルブルク よみがえった幻想都市」

小町文雄著 中公新書

サンクト・ペテルブルグのガイドブックといった方がいい。ネフスキー大通りから丁寧な紹介が続いている。そこで、「地球の歩き方」のロシア・ペテルブルグのネフスキー通の地図をあけ、確認しながら読んだ。おかげでかなりがっちりと地理が頭に入った。ちょうど2週続けてTBSの世界遺産がサンクト・ペテルブルグを取り上げていた。地理もさることながら、芸術遺産の建築物群を映像で見られたのは、好都合だった。映像を見ながら、あそこはああとか、これはなにとか、説明のつかないものをさらに、覚えたばかりの薀蓄を披露していた。こうするとなお記憶に残る。

サンクト・ペテルブルクは愛称としてピーテルと呼ばれている。だから私も親しみを込めてピーテルと呼ぼう、長い正式名を書くのが面倒だから。

ピーテルはご存知のとおり、バルト海のどんづまり、ネヴァ川の三角州にある。モスクワに次ぐロシア第二の都市である。人口470万。都市の中をネヴァ川蛾流れている。ネヴァ川はヨーロッパ最大の湖、ラドガ湖から流れる短いが水量豊かな川だ。水運の利もある。

この湿地にピョートル大帝がヨーロッパを見据えて、またロシア的でなくヨーロッパ的に都市を建設したのがピ-テルである。時は1703年。湿地だったので、都市建設には多大な犠牲が払われたと伝えられている。労働条件も劣悪で、人骨の上に建つ町とも言われている。ネヴァ川は水量も多く、川が注ぐヘルシンキ湾は水深が浅いので、風によって水が逆流し、いまなおピーテルは大洪水に悩まされているという。

ピョートル大帝の本も読んだこともあるし、あそこにはエルミタージュもある。エルミタージュの収蔵品には展覧会でお目にかかったことはあるが、建築そのものが芸術だといわれているので、ピーテルに行ってみようと計画したことがある。それが運悪く2003年だったので、建市300年祭で混雑が予想され、中止してしまったことがある。行きそびれると、なかなか行かれないものだ。

ピーテルは1713年から1917年まで約200年、ロシア帝国の首都であった。歴史的には大いに脚光を浴びてきた都市だった。ロシア革命はここに端を発し、革命後は首都はふたたびモスクワに移り、社会主義体制では捨て置かれ、多くの教会が破壊されたそうだが、ソ連崩壊後再びよみがえり、修復されているようである。名前もペテログラード、スターリングラード、レニングラード、と変遷したが、ソ連崩壊後はもとのサンクトペテルブルグにもどった。ピーテル嫌いのスターリンに粛正されたり、第二次世界大戦ではドイツ軍に900日も包囲され、6万にも餓死者を出した。それでも市民はこの町を守ったのだ。2003年に行かれなかったのはあるいはツイていたのかもしれない。ピーテルはプーチンの出身地であったこも幸いしているのかも。

ピーテルといえば文学には事かかない。ゴーゴリの著書には「ネフスキー大通り」というのがあり、その名のとおり、ネフスキー大通りを主題にした作品がある。読んでみようと図書館を探したがなかった。今では全集かなにか探さないとないみたいだ。ピーテルを題材にした作家といえば、ドストエフスキーを思い出す。もっとも私はドストエフスキーの作品をひとつも読んだことがない。食わず嫌いだといえば言えなくはない。全集が身近にそろっているにもかかわらずだから、そうなのかもしれない。「罪と罰」に登場している場所の確認はほとんど取れているそうだから、これを機に読んでみようかと思ったが、食指が今ひとつ動かない。ドストエフスキーはご縁がないみたいだ。ドストエフスキーといえば、今若者の間で「カラマーゾフの兄弟」が人気だとは聞いているが。

後尾にたくさんの参考文献が載っている。それを眺めていると、ロマノフ王朝関連の中に、アンリ・トロワイヤの「恐るべき女帝たち」を見つけた。訳者は福住誠さん(新読書社、2002年)この本は持っている。この翻訳者福住先生から、翻訳が出版されたとき購入したのである。

福住先生は相洋高校の先生である。まだ教えていられるかどうかは知らないが、たぶん英語の先生だったのだろう。以前(いまもやっているのだろうか)相洋高校が一般市民向けに公開講座を開いていた。高校の先生方が、さまざまな分野の講座を受け持っていた。福住先生はフランス語とロシア語を担当していた。そのフランス語に私も出席していたのである。一週間に一度、山の上の高校まで上っていった。歩いて上るのがいやなのでよくタクシーで行った。帰りは歩いてきたけど。

初めのテキストは「Le Petit Princ 星の王子さま」だった。星の王子さまは大学でもテキストで使ったし、自分でも読んだし、英語版も読んだことがある。だからよく覚えているのだが、そのあと何をテキストにしたかは忘れてしまった。そのときも先生はトロワイヤの作品を翻訳していた。たしか他の本も買ったように覚えている。

トロワイヤといえば、漫画家の池田理代子も参考文献に彼の作品を使っている。彼女も「エカテリーナ大帝」がある。福住先生はトロワイヤは史実に比較的正確だと言っていたが、エカテリーナ二世に関してはトロワイヤは誇張しすぎていると、他の研究者から異論も出ている。一応、目は通しているのだが、忘れてしまっている、手元にあるのだから、もう一度「恐るべき女帝たち」を読み返してみよう。


餃子

2008-02-01 12:55:26 | 

ちょうど、中国餃子の報道がされた日、冷凍餃子を食べた。と言っても、自分で手作りした餃子を冷凍したものである。家族が多かったときの名残で、いつも一回に作る分量が多い。そこでやっと覚えたのが、多い分を冷凍保存することだった。ばらばらに広げて冷凍し、凍ったら袋に入れて冷凍しておくのである。作りたてのほうが美味しいが、それでも冷蔵しておいたものより美味しい。

材料はひき肉は肉屋さんで買う。ここの豚肉は金目のフリーデンのものである。野菜はネギとニラは確か千葉産だった。しょうがとキャベツも国産だったと思うが覚えていない。調味料は塩(天塩)、酒(神月)、胡麻油(四日市)、醤油(茨城)と素性はわかっている。餃子の皮は作ることはないが、肉屋さんから買っている。焼き上げて、つけるたれも、酢は玉姫酢と醤油、ラー油だし、これまた素性はわかっている。

20年前に私達が制作した「食べる」の一節にこういうセリフがあった。手作りパーティに招かれて行ったら、餃子があったので、「餃子の皮をつくったの?と聞いたら違うと言う。皮を手作りする人は少ないから、じゃ~、中身?って聞いたら、これまら違うという返事。では何を手作りしたの?って聞いたら、焼いただけだって。冷凍餃子を買ってきて、焼いただけで 手作りとは恐れ入った・・」というものだった。20年前でこういう状態だったから、いまや「手作り」とは誰かの手作りと言う意味になってしまったのだろう。

食は、問題が起こると表面化してくる。表面化したとき、将来も見据えて、日本の食をどうするか基本的なことから考えなければいけないのだが、問題だけをクローズアップして、基本的なことは曖昧にし、責任の所在を原因者だけにおしつて終わってしまっている。

中国の野菜が農薬漬けなのは承知している。もっともこの農薬を中国に持ち込んで使わせたのは日本の商社である。いまでこそ日本の食を中国に任せてしまっているが、それ以前、商社が入り込む前の中国製品は安全性はむしろ国産より高かった。日中国交回復後すぐ訪れた中国代表団たちは日本の野菜や卵が不味いと言っていたものだ。当時の中国では肥料だって緑肥、有機肥料を使っていた。それが、あれよあれよと言う間に、日本のニーズに合うような規格サイズの農産物を作らされてしまったわけである。それには農薬は不可欠になる。これには日本が食を依存している他の国々にも同じことが言えるだろう。

農家は中国のみならずどこでもそうだが、どちらかと言えば、化学的知識は少ない。これを使えと言えば、やたらと使ってしまう。いまでこそ、日本人消費者も安全性を考える人が増えてきたが、いや実はCMの安全広告にたぶんに踊らされている部分も多いが、それでも気にするようになってきた。だからこそ、有機栽培野菜とか、無農薬がもてはやされるようになってきた。とはいえ、まだまだ生態系は知らないから、きれいな物をほしがるし、虫がいたと言って騒ぐ人たちも多い。それに季節以外の農産物もほしがる。

さて、農薬を使用量以上に散布し、基準以上に残留農薬があったとしても、数個の餃子を食べたぐらいで急性毒性を引き起こしたというのは納得がいかない。よしんば野菜を洗わずに調理したとしてもである。農薬を摂取し続けてことによる慢性毒性は十分起こりうるとは思うが。とすると、今回の騒動はどこかに故意か、不作為か、何らかで農薬そのものがかなりの濃度で混入したのではないだろうか。そういう農薬が野放しにされていることが一番の問題だと思うのだが。

テレビで見た限りだから、真偽のほどはわからないが、中国の女性たちが、農薬が怖いからと消毒して使っていると言っていた。消毒とは何をさしているのだろうか、洗剤で野菜をあらったら、農薬に負けないくらいの害があることを知っているのだろうか。そうそう、虫がいるのは農薬が多いからだと言っているのも、え~無知だ~、と気になった。とはいえ、日本の女性たちだって、大して違わないかも。

もういちど見直してみよう、日本国内だって農産物に農薬を散布されている。どんな種類がどのくらい散布されているか、毒性はどうなのか、大学教授の西岡一さんが食品添加物や農薬、化粧品の「毒性テーブル」をつくって、売っているから購入してみてもらいたいものだ。身近にも毒物はたくさんある。

願うのは、食を他国に依存するのではなく、自国で生産、加工、消費をしていけるように政策として、やってほしいことだ。日本の食料自給率は40%、穀物自給率にいたっては30%を割っている。先進国でこんな低い国は他にない。食料を他国に依存すれば、いかにチェックが厳しいと口では言っても、状況は見えなくなる。怖いことになる。正月のインドの農薬の話もそうだ。人件費が安いから安い商品が出来る、 と他国の労働力を搾取するのは間違っている。ましてや日本のように、基本の食を、外国に依存し、日本の農業を、加工を、ダメにしているのはもっと間違っている。消費者も、確かに物価高で生活は大変だが、国産を支えて、国産でも安全なものを作らせるようにしなければいけない。

福田首相が消費庁を設置すると言っていたな。あれはどうなったのだろう。消費者行政がオレオレ詐欺みたいな被害事件ばかりに対応して、消費者教育を撤退させてしまったことは失敗だったと思うよ。