骨になっちゃったけど、papasanが帰ってきてほっと。息子がちょっとした祭壇を作ってくれたので骨壺はそこの安置、お寺さんには連絡してないから、mamaが死ぬまでここに置いておくよ。以前のように、大きな声で話しかけている。
骨って言えば、papasanの骨、太くて、真っ白でつややかだった。骨は健康だったんだね。牛乳効果なんだろうね、とみんなで話し合った。2日に一度1ℓ入りの牛乳3~4本、買いに小田百まで、ガラガラを引っ張って、mamasanが買いに行っていた。それでも足りないくらいだったから、水代わりだったんだ。mamaが重い思いして持ってくるんだから、出迎えるくらいしろと言ったので、石段の上で待っていた。来てもらってもガラガラを持つわけでもないから役には立たなかったけど、歩かせる意味もあって来てもらっていた。一日に1本以上飲んでいたんだから、牛乳効果はあたんだろうね。
さてお葬式。
9時集合。出かける前に喪服、というか黒いスーツを着てみたが、上着はいいとして、すらっくしがどれもぶかぶか。黒のスラックスならなんでもいいや、と引っ張り出して落ちてこないものをはいた。
9時会場へ行くと棺に入ったpapasanが寝ていた。「papasan、会いたかったよ~」と言ってやたらと触った。お化粧してもらったせいかきれいな顔だった。顔に赤みすら出てきた。冷凍が溶けて来たんだろうか。papasanに白布がかけられ、印刷した六文銭などが入れられた。三途の川の船賃だと子供のころ教わった気がするけど、由来はどこからなんだろうな。私はこういうことはまったく無知。
お別れの会はつつがなく終わった、と言ってもマイクを通しても進行の語りなので、私には何にも聞き問えない。娘たちがケーナを吹いてくれ、その前に説明があったのだが、それも聞きとれなかった。私の耳のせいだから文句は言わない。ひたすら時間が過ぎるのをぼ~と待っていた。隣に座っている息子、が立って、と合図すれば立ち、座ってと言えば座るそんな調子。謝意は私。しめやかどころか元気いっぱいに、papasanの知られざる町への貢献度を紹介した。
火葬場で、きくやさんの長女さんに、先日は。もうここは利用しないって言ったけど、あなたの丁寧な仕事ぶりを見ていたら気が変わった。今回は急だったからだけど、おばさんが死ぬまで時間があるから事前に、こうしてくれって言ったら、やってくれる?はい、やります。それなら、お宅に頼むよ、近いしね、といううと聞いていた息子もほっとしたようだった。
火葬場で同窓会のような雰囲気でおしゃべりをしながらお弁当を開け、待っていると、50分程度で、お呼びがかかった。炉の性能がいいのでもっと早く焼けるのだそうだが、それではお弁当を食べたりする時間が無くなってしまうので、伸ばしてるんだとか。