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Cogito

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カマンベールチーズケーキ

2014-07-27 14:03:33 | 

じめじめの梅雨が、梅雨明け宣言と共に、むしむしの夏に変わった。暑い。セミもにぎやかだ。癪だが、こういう気候の変化にすぐに適応できない。気力はあるのだが、体が付いていかない。

海の日のパーティで忙しく立ち働いたその疲れが取れるのに、1週間かかった。

 

昨日、カマンベールチーズケーキを作った。上高地帝国ホテルの十八番のケーキである。昭和62年、中央公論社発行の「帝国ホテル 加藤信のデザート菓子」という本を持っている。その中にカマンベールチーズケーキが載っていたのは記憶していた。そこで、本を引っ張り出して、つくってみた。5月、帝国ホテルで食べたので、レシピに忠実にやってみたのである。

上高地で食べた時は気がつかなかったが、中身のチーズクリームには砂糖が一切入っていなかった。酒類も使ってない。  

 

型の底とまわりにスポンジをはり、クリームチーズ、カマンベールと牛乳を入れて溶かし、ゼラチンと白ワインを入れてスポンジに流し固め、スポンジでふたをする。冷えたら、クレーム オー ブール(イタリアン メレンゲを加えたバタークリーム)を表面、側面に塗り、余ったスポンジを細かいクラムにして貼り付ける。粉砂糖を振りかけて出来上がり。

できたては、クレームオーブールのバターの味が強くて、失敗だったかとがっかりしたが、一晩おいてみると、バターの脂肪っぽい味は姿を消し、上品なケーキが出来上がっていた。これは美味しい、いける、と喜んでいる。だれかこないかな、ごちそうするのに。

 

加藤信さんのHPに載っていた。作り方は本と同じ

http://grand-patissier.info/MakotoKato/recette/0024/index.html

 

加藤信さんて、大谷直吉さんの弟子だったんだ。へ~。

 

 

今朝、猫がヘビを捕まえてきた。タカチホぐらいの大きさだが、白っぽい。手にしてみると、この模様、アオダイショウの幼蛇だ。幼蛇がいるってことはここで孵っていることになる。姿を見かけなくなったから、いなくなってしまったかと案じていた。よかった、と安心する。

写真をとりそこなった。


パレスチナ オリーブ

2014-07-11 13:39:43 | 

毎年この時期、パレスチナ オリーブからオリーブオイルをとる。といっても使用量が少ないので、ほんとにささやかな協力である。ここのオリーブオイルは、パレスチナ北部、ガリラヤのシンディアナの製品である。一粒一粒手摘みしたオリーブを圧縮し、ろ過せずに沈殿物の沈むのを待って、上澄みを瓶詰した純粋な オイルだ。さっぱりした、美味しいオイルだ。私は今、オリーブオイルはこのオイルしか使っていない。オイルに、皮を剥いたニンニクと赤トウガラシを丸のまま入れて、使いきるまで入れたままにしている。もちろん油漬けしたニンニクやトウガラシはカレーやミートソースを煮込むのに使っている。

ずいぶん昔のことだが、ギリシャのクレタ島で、遊び半分にオリーブの収穫を手伝ったことがある。その時はたたき落としたオリーブを拾い集めたのだが、どこまでも続くオリーブの林、気の遠くなるような作業だった。手摘みがどんなに大変な作業か、想像できる。                                    

 

イスラエル国内のパレスチナ人は2級市民として、政治活動、教育などすべての面でさまざまな差別がある。農業面でも水の配分に不公平がある。以前読んだところによると、水の配分が少ないから、あまり水を必要としないオリーブの栽培を続けている、とあった。オリーブを育て、オイルを生産することで、パレスチナ人の自立をたかめ、すべての人々が共存できる社会をつくっていきたい、というのが願いであり、目的である。

 

パレスチナ オリーブ:http://paleoli.org

 

 

私がパレスチナに関心を持ったのは30年位前のことだ。広川隆一さんの「パレスチナ」という新書を読んだのがきっかけだった。学生の頃、雑誌で、イスラエルのキブツの紹介があり、その試みを買っていただけに、イスラエルがパレスチナにやっていることはまさに驚きだった。無知であったことを恥じた。無知は罪悪でもある。それはまさに理不尽そのものだった。広川さんから写真を借りて、パレスチナの写真展を開いたり、古居みずえさんを講師のよんだりもした。

 

 

パレスチナオリーブの活動をしったのは「パレスチナ子どものキャペーン」に紹介されていたからだった。そこでオリーブオイルは国府津の「ちえのわハウス」においてもらった。その方が多くの人の目にとまるだろうと考えて。そこから私も買っていた。しかし、高齢になって、国府津まで買いに行くのが億劫になったので、自宅に送ってくれるように頼んだ。その「ちえのわ」も長い活動を終えた。

 

パレスチナ子どものキャンペーン:http://ccp-ngo.jp/

 

納品書に自筆のコメントが付いていた。

「パレスチナは、この1週間でどんどん状況が悪くなっていて、ガザ地区では、この3日間で80人が空爆で亡くなり、ヨルダン川西岸地区やガリラヤ地方でも、イスラエル軍、警察のに侵攻が続いています。みんな普通に暮らしたいだけなのですが!」

 

ガザ地区への空爆のニュースは見ている。100人余りが死傷したという報道も読んで心を痛めている。私が生きている間に、パレスチナ問題は解決しないだろう、と悲観しているが、人間のすること、突然、光が洩れることがあるかもしれない。いまはただ、それを願うのみ。

 

「普通に暮らしたいだけ」

いつも聞く言葉だが、この言葉は重い。誰もがそれを願っているはずだ。紛争地域はもとより、紛争のない、私たちだって、そう願っている。なのに、それを奪っているのは。

紛争地域だけのことだとうそぶかないで、他人事ではないことを知っておいてほしい。


パンこね機

2014-07-11 10:53:07 | 

年だとは言いたくないがやはり年

 

体調のせいもあるだろうが、先回、パンをこねた時、息切れがしてちょっときつかった。そこでず~っと渋っていたパンこね機を思い切って購入した。大正電気のL-Neader1000という機種である。パンこねとうどんと餅はできるらしいが、要するにこねるだけの機械である。

使ったこともなければ、使っているのをみたこともない。周りに使っている人もいない。だから予備知識は全くない。自分で使って、使いこなしていく以外ない。

 

まずは置き場所をつくった。長いこと習慣づいている置き場所を変えるのはかなり後に影響する。電子レンジを動かして、そこにパンこね機を置いた。初めは毎日使うものではないから、キャスター式のワゴンに乗せて移動させようと考えていたのだが、電子レンジを動かすだけでなんとかおさまった。で、ついでに「とれる」をかけて掃除をした。こんなことの方が労力がいる。

 

昨日、初めて使ってみた。一応マニュアルを読んで、作業は頭に叩き込んだが、使ってみるのが一番。楽天的なので、家庭用だから、そんなに難しいことはないだろうと、始めたのである。ロールパンを作ろう。参考レシピも載ってはいるが、それこそ長年作りなれた自分のレシピのままで、やってみた。

 

マニュアル通りにポットを入れ、しめ、羽をつけた。強力粉を計って入れ、鍋に生イースト、砂糖、卵、牛乳を入れ温め、回転させながら少しずつ注いだ。塩を溶かした牛乳も入れた。バターも入れた。内ふたをして、回転を15分にした。勝手に回ってくれている。15分経つと、チーンと鳴って、回転は止まった。これから40分、発酵に入るようだ。ここで止め、生地の状態をみた。自分でこね、たたきつけている方がきめが細かいような気がする。あと5分回転させた。発酵は、いつもオーブン、45℃で50分。しかし勝手に40分発酵するというので、やらせてみた。40分経つと、ポットいっぱいに膨らんでいる。ポットから生地を出すのに回転させ、ポットから生地をはなして取り出すようだが、そこは忘れて、ゴムべらでかき出した。生地はすこぶる柔らかい、べたべたと手について扱いにくい。ここが一番苦労した。手粉をつけるのはいやだし、どうしたらいいんだろう。後の作業はいつもとかわりなし。味もかわりなし。こねて100回たたきつける作業がはぶけたことになる。腰に負担がかからない分だけ、ラクって言えば、ラクかな。


トマト

2014-07-07 23:41:37 | 

トマトってかわいい名前だね、上から読んでもトマト、下から読んでもトマト・・なんて子どもが小さいころ、歌っていた。

 

トマト、今では世界中で食べられているトマト。たいていの言葉がトマトという音に近い。トマトをいっぱい食べる国、イタリア語はポモドーロとちょっと変わっているが。

 

トマトの原産地はアンデス高原、ということはかなり知られている。原種のトマトを見たこともある。だからトマトといえば、アンデス、と反射的に思い浮かべる。ところがトマトの語源は、メキシコ先住民アステカの「トマトゥル」。「トマトゥル」とは「ふくらむ果実」という意味だそうだ。ジャガイモもそうだが、原種のなかには食用に適さないものがある。実際には、適さないものの方が多いのだが、食用に適した種を見つけ、改良して今私達が食べている野菜にしてくれた、人間のご先祖さまたちの努力には感謝している。

 

メキシコで発見されているトマトの野生種は、アンデスと同じく実は小さいが、熟すと赤くなるタイプのものだけ。遺伝子的にもメキシコの野生種の方が、現在のトマトに近い。ということから、トマトの生まれ故郷はアンデス、栽培種に改良した育ての親はメキシコ、というのが定説になっている。アンデスからメキシコにどうして運ばれたのかは、いまだに謎だそうだ。

 

トマトもジャガイモもピーマンも唐辛子も、もちろんナスもナス科の植物。子どもの頃、ジャガイモの茎にトマトの芽を継いで、地下ではジャガイモ、地上ではトマトがなる、といった実験をした人は多いだろう。ナスの原産地はインドだが、ナスの仲間の多くはアンデスが原産地である。どうして同じ仲間が遠く離れたのかもわかっていないらしい。大陸移動説をあげる人もいるようだ。そういえばキュウリも北インドが原産地だった。世界を制覇した野菜と言ったら、ナス科の仲間がいちばんだろう。

 

以前、ジャガイモの歴史でも触れたとは思うが、トマトやジャガイモがヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀、アステカを征服したコルテスやコンキスタドールたちによってだった。新大陸から持ち込まれたジャガイモもトマトも、今思えば、バカなことと笑えるが、聖書に載っていない「悪魔の食べ物」として、迫害された。だからトマトもながいこと観賞用にされてきた。たしかに緑の果実が膨らみ、赤くなる様は観賞に値する。

 

トマトが記されたヨーロッパの古い文献は、1544年、イタリアのマッティオーリの「博物誌」で、彼は「マンドラゴラの異種がイタリアにもたらされた・・はじめ緑色で、熟すると黄金色になる」と書いた。それがイタリア語のトマト、ポモドーロ(黄金のリンゴ)の語源になった。マンドラゴラとは、旧約聖書に登場するナス科の植物で、毒草である。この毒草は媚薬効果があるともいわれていた。

 

毒のある実を食べた勇気ある人の初めて物語、エピソードはたくさん残っている。もちろん何でもなかった。でも毒と信じる人は多く、当時、この毒を消すために、最低2時間は煮込むといい、と言った噂もあった。で、トマトをソースに使い始めたようだ。18世紀になると、シェフたちから、何ににもあう、こんなおいしい調味料はないと絶賛されるようになる。彩りも華やかだ。トマトには酸と甘みに加えてグルタミン酸が多く含まれる。鰹節より多いそうだ。

 

そうそう、トマトは野菜に入る。アメリカだったかな、野菜か果物かで裁判まで行われた。それは税金のためだったようだが。結果、トマトはデザートにならないという理由で野菜になったのだそうである。

 

日本にもたらされたのはオランダからではないかといわれている。唐ナス、赤ナスとか言われていた。

戦後、何もない時代、畑で赤くなったトマトをもいで、丸かじりし、おいしかった記憶がある。当時のトマトは大きくて、扁平で、襞がよっていた。ミニトマトが現れたのは、とずっと後のことだ。

 

私もトマトは生食よりソースとして使うことの方が多い。水煮の缶詰や瓶詰、トマトジュースは常備してある。よく使う。

いま、ミニトマトに塩とオリーブオイルをかけて、低温のオーブンでじっくり焼いて付け合わせにしている。

 


マーマレード

2014-04-20 09:36:03 | 

我が家の甘夏は、今年は生り年でないらしく、8個しかなっていない。先週、それを2個とって、マーマレードにした。日当たりが悪いので、熟れがいまいち、もう少しおこう。去年のブログを見ると、最初が26日となっている。今年は寒かったので、早かったのかもしれない。

                                                   

去年、友人の家を訪ねた時、日当たりのいい庭先に甘夏がたくさん成っているのに気がついた。ただ時期が過ぎていたので、頂戴とは言わなかったが、今年は覚えていて、一回分が2個だから4個頂戴と頼んだ。友人宅は今年は生り年で、100個ちかく成ったと言っていた。

2個の甘夏で、ジャムの中瓶、2本出来る、で、偶数で頼んだのである。6個もらった。さっそくマーマレードを作った。糖分60%で同じ作り方をしているのだが、(もちろん十分手と時間をかけている)、出来あがったマーマレードは家のより美味しい。鮮度は同じだから、熟れていたのだろう。

3回目。今朝、最後の2個を刻んだ。こういう手作業はやり始めるとくせになる。そこで来週はベタで予定が入っているが、土曜日からは空くからと、また甘夏を頂戴と頼んだ。今度は10個くらいと、欲張った。友人は「腱鞘炎にならないように」と言った。うん、こういう作業は意外と大丈夫みたい。

いまならストーブを使っているので、火が無駄にならないんだ。それにしても、毎日寒いなぁ、4月も下旬だと言うのに。