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Cogito

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ゴーギャン展

2009-09-03 21:27:00 | アート・文化

竹橋の国立近代美術館で開催されている「ゴーギャン展」へ行ってきた。9月23日が最終とあって、人の出は多い。

                                              ゴーギャンの作品は数多く見ている。しかし「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々がどこへ行くのか」はまだ見たことがない。ゴーギャンはどちらかというとあまり好きではないが、この作品を見にボストンまでは行かれないと、出かけたのだった。さすがに東京、何時も美術展は混雑している。私のお目当てはこの一点なのだが、この絵の前には人だかりが出来、垣根状態で合間から覗き込まなければ、しかも部分的にしか見えない。よほど動いてくださいと声を出そうと思ったが、ままよ、と我慢していた。でも頑張った甲斐あって一番前に出ることが出来た。じっくりと見た。隅から隅まで、脳裏に刻み付けた。そう、表題となってるフランス語もちゃんと読んで暗記した。

                                            絵は本や映像で見るよりずっと落ち着いた色彩で、肉体などは立体感も描き込まれていて、実に美しかった。特に中央の林檎を取るイブとも象徴されている女性の肌は美しかった。以前からこの絵の説明されている、哲学的な説明よりも、絵そのものが美しいというのが私には感銘だった。

                                            いつも北の丸公園の駐車場に車を置いて歩いて美術館へ行く。工芸館のリーチや浜田庄司たちの展覧会の紹介が目に付いた。ついでだから見ていこう、と思ったら、工芸館は今日は休館という。なんのことはない、展示会は明日からだった。まぁいいや、会期は長いから、まだ来よう。


記事から

2009-07-28 22:45:30 | アート・文化

こんな記事を見つけた。フィルムは画像がきれいなだけでなく保存にも重要なのだ。私のような素人が趣味でやっているのはそんなに保存がきかなくても納得できるが、貴重な文化的資料の保存が利かなくては大変だ。なんとかならないものかねぇ。たしかに営業的に見れば少生産ではコストがかかる。とはいえ、文化財保存には不可欠、となれば、こういうものは、国家がバックアップしてもいいのではないだろうか。 便利さと簡便さだけで世の中はすすんでいく。消費者は毎度のことながらのせられていくだけ。やだねぇ。

そうなんだ、便利さは意外と落とし穴がある。長期保存がきくだろうと、ワープロ時代、原稿はすべてフローッピーに保存した。ところが再生するとほとんどに欠落が出て、使い物にならなくなってしまった。ワープロ用のカードは機種がなくなり使えなくなり、フランス旅行の記録は失われてしまった。一台ワープロは残してはあるがもう役には立たないだろう。

7月26日1時34分配信 産経新聞

 デジタルカメラ全盛時代にもかかわらず、古代遺跡の発掘現場ではいまだに、フィルムカメラが活躍している。デジタルカメラで撮影した画像データを保存するCDなどは湿気や熱でデータが消える危険性があるためだ。しかし、昨年のフィルム出荷量は、10年前の1割近くに激減し、遺跡写真に最適なフィルムの入手にひと苦労の状態で、半永久的な保存が不可欠な文化財写真が危機にさらされている。

 ■危機感

 デジタルカメラは今ではフィルムカメラを圧倒。写真感光材料工業会や写真出版社「フォトマーケット」の統計によると、35ミリなどのロール式フィルムの出荷量(推計)は、平成9年の約4億8283万本をピークに、10年は約4億5788万本、20年は約5583万本にまで落ち込んだ。

 「フィルムはあと数十枚分しかない。一(ひと)現場撮れればいいほうだ」。奈良文化財研究所(奈良市)で遺跡撮影を30年以上続ける井上直夫さん(59)はため息をついた。

 撮影現場では、遺跡や遺物を実物と同じような質感で写すために、専用の大型フィルムを何種類も使い分けているが、生産縮小によって代替用フィルムも容易に見つからないという。

 ■保存性

 坂本龍馬や近藤勇といった幕末の英雄たちを撮影した写真は、色あせながらも現在に伝わっている。「(電子データではなく)写真なら150年以上保存できることは歴史が証明している」と井上さんは強調する。

 一方、デジタルカメラの画質はフィルムとほとんど変わらないものの、画像データを保存するCDやDVDは割れるなどすると再生は不可能になる。さらに、デジタル技術の進歩がかえって保存の壁になっている。

 5~10年前まで使われていたフロッピーディスクやMOディスクはすでに「時代遅れ」となり、最新のデジタル機器に付属しておらず画像の読み込みは困難。井上さんは「デジタルは万能に見えても、数十年後に画像を再現できる保証はない」と話す。

 ■包囲網

 全国各地から出土した木簡などの赤外線撮影を行う奈良文化財研究所では、赤外線専用フィルムの生産が打ち切られたため、数年前からデジタルカメラに切り替えた。

 飛鳥美人など国宝壁画の描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体や壁画調査にも、デジタルカメラを使用。フィルム交換時にカメラが接触して壁画損傷を招く危険があり、画像のコンピューター処理が必要なためだ。画像はCDなどではなく、データの破損を防ぐため2台のハードディスクで保存している。

 文化財写真の保存問題に詳しい岩崎仁・京都工芸繊維大環境科学センター准教授(画像情報)は「発掘された遺跡は2度と元には戻らない。現状を正確に記録した写真は後世に伝える手だてとして不可欠。写真データの保存は緊急的課題」と話している。


コンサート

2009-07-06 12:50:58 | アート・文化

小田原楽友協会の「白井英治還暦記念コンサート」へ行ってきた。骨折してから初めて、10ケ月ぶりに駅まで歩いていった。1km弱なので、普段なら余裕をもって15分前に家を出るのだが、今回はどのくらいかかるか不安なので30分前に家を出た。駅まで16分かかった。途中足が痛くなったが、それでもこれからは20分を見ておけばよかろう。

電車に乗り小田原駅から市民会館大ホールまで、これもかれこれ1kmはある。まぁ段差がないから歩きやすい。

ヴァイオリンの白井さんは以前からよく存じ上げている。人柄のとってもいい人だ。演奏会だけでなく、身近でも演奏をよく聴いている。

第一部はバッハのシャコンヌとブラームスのヴァイオリンソナタ1番の「雨の歌」そして小田原在住の作曲家青英権さんの「海に通う道」シャコンヌは大好きな曲、聴きながらゴシック建築の教会の内部を連想していた。

第二部は小田原楽友協会管弦楽団の弦楽合奏で、ヴィヴァルディの四季から夏、ベートーベンのロマンス、マスネーのタイスノ瞑想、サラサーテのチゴイネルワイゼンとおなじみのもの。

独奏もよかったけど、合奏もとても生き生きして、たのしそうでいてよかった。10年前のバッハのパルティータを組んだ演奏のCDを買ってきた。さっそくかけているが、音も澄んでいて、とってもいい。

ビストロローヤルに寄って食事をし、休んだのだが、帰りは歩けなくてタクシーで帰った。いきなりじゃ、ちょっときつかったのかも。


コダクローム

2009-06-23 23:41:03 | アート・文化

コダック社がコダクロームの製造を中止した、というニュースを読んだ。コダクローム64は以前使っていた。コダクロームはコダ社のフィルム製造でも1%に満たないので、生産中止にしたとあった。国内ではもう販売していないそう。デジカメに押されてフィルム部門は減退傾向にある。私が普通使っているのはエクタクロームだが、いずれはコダクロームと同じ憂き目をみることになるだろう。時代の趨勢といえばそれまでだが、もっとも私が生きている間に、フィルムがなくなることはないと楽観している。昔はおもしろがっていろんなフィルムを使ったが、いまはほとんど同じもの。以前使っていた50とか25はまだ残っているのだろうか??                                                            

最近フジを使い始めた。かつてはどうしてもFujiの色が好きになれなかったのだが、最近のコダックも好きでなくなった。バラにはFujiが合うように思えてここ数年、FujiとコダックE100VSをあわせて使っている。Fujiも一時、ヴェルビア50は販売を中止していた。銀の価格が高くなったというような理由だった。バラを撮るにはおもしろい効果が出て良かったから残念がっていたら、また復活した。           

                                          たしかにヨドバシでもフィルム売り場が減少している。かつてはひろい売り場にフィルムがたくさん並んでいたものだが、いまや片隅に追いやられているとしか思えない。先週もフィルム売り場を聞いて探したくらい。                                    

                                          デジカメでもいいのだが、実際にクモなど撮るときには一眼レフのデジカメを使っている。しかしいまいちデジカメの写真の出来上がりが好きになれない。たぶん一眼レフと言っても、たいしたデジカメでないから、気に入った写真が撮れないのかもしれない。デジカメのいいのを買ってみたいとも思うのだが、確か40万ぐらいしたな、それだけ出して発展途上のものを買っても、と躊躇してしまうのだ。素人の趣味だからね、やっぱり気に入ったカメラでいいにしておこう。


島唄

2009-06-23 00:01:56 | アート・文化

623日は沖縄の日。

ちょうど朝日新聞のbeに「島唄」のことが載っていた。

島唄っていえば奄美・沖縄・八重山民謡を思い浮かべる。

でもこの島唄は宮沢和史という人が作詞作曲した唄だと知った。もちろん宮沢和史なる人がどんな人か、どんなグループで、どんな歌を作って歌っているかなどまったく知らない。

この島唄は以前、女性が歌っているのを聞いたことがある。その女性歌手の名前は忘れてしまったが、胸に響く歌い方をしていた。いい歌だと思った。琉球音階を使っているから、てっきり沖縄の唄だと思っていた。内容も「さとうきび畑で」を連想させる

                                                                                                                                       Beによると、宮沢さんは内地の人間でしかも40代、沖縄戦などまったく知らない世代。沖縄に行ったとき、沖縄戦の史実を、ガマでのいたましい出来事を語り部に聞いて、胸を痛め、何も知らなかったことを悔いた、そこでこの曲を作り沖縄限定で発売したのだそうだ。若い世代がこういう唄を作り、人々に歌われていることはうれしい。いまではこの曲は海外にまで歌われているそう。「さとうきび畑で」は覚えているから、島唄も覚えよう。音階がちょっと難しいな。

島唄の歌詞と曲は以下の通り。Webに歌詞の訳を付けてくれたものがあったので、お借りしてきた。それも下につけておく。

   島唄 作詞作曲  宮沢和史

でいごの花が咲き 風を呼び嵐がきた

  でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐がきた
  繰り返す悲しみは 島渡る波の様
  ウージの森で あなたと出逢い (※ウージはさとうきび)
  ウージの下で 千代(チヨ)にさよなら
  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ
  私の涙

  でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
  ささやかな幸せは うたかたの波の花
  ウージの森で 歌った友よ
  ウージの下で 八千代(ヤチヨ)の別れ
  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ
  私の愛を

  海よ宇宙よ 神よ命よ
  このまま永久(トワ)に 夕凪を

  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ
  私の涙

  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ
  私の愛を

  ララ ララララ ラララララ ・・・・・

                                 ◇唄はここ:

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=PRv--a6dTvs

                                    

「島唄」(歌詞の意味)

でいごの花が咲き  (1945年4月1日 春が訪れ
風を呼び 嵐が来た (沖縄本島に米軍が上陸した
でいごが咲き乱れ  (4月から6月
風を呼び 嵐が来た (米軍の侵攻が続いた
繰り返す 哀しみは (米軍の残酷な殺戮は
島わたる 波のよう (寄せては引く波の様に繰り返された
 
ウージの森で    (サトウキビ畑で
あなたと出会い   (出会った、あなた
ウージの下で    ガマ=鍾乳穴=防空壕の中で
千代にさよなら    永遠のお別れをした
 
島唄よ 風にのり  (島唄よ 海の向こうの本土まで届けておくれ
鳥と共に 海を渡れ 亡くなった人々の魂を、沖縄の悲しみを
島唄よ 風にのり届けておくれ
          (島唄よ 海の向こうのニライカナイまで届けておくれ
わたしぬ涙     (亡くなった人々の魂を、私の思いを
 
でいごの花も散り  (1945年夏 たくさんの尊い命が散った
さざ波がゆれるだけ (今はあの悪夢が嘘のように静かだ
ささやかな幸せは  (幸せな日々の生活は
うたかたぬ波の花  (はかなく消え去った
 
ウージの森で    (サトウキビ畑で
歌った友よ     一緒に歌い遊んだ、あなた
ウージの下で    (防空壕で自決する前に
八千代に別れ    (泣きながら故郷を歌った
 
島唄よ 風に乗り  (島唄よ 風に乗って
鳥とともに 海を渡れ(魂と共に 海を越えて
島唄よ 風に乗り  (あの人の居るニライカナイへ
届けておくれ    (私の愛を届けておくれ
私の愛を
 
海よ、宇宙よ、神よ、命よ、
このまま永遠に夕凪を(今、あなたを思い、永遠の平和を祈る