まだ動くのがままならないので、2作目を仕上げた。仙石原長安寺の羅漢さんたちの写真である。
BGMを代えてもう一度挑戦!
https://www.youtube.com/watch?v=KT1oGI3xNNk&feature=youtu.be
まだ動くのがままならないので、2作目を仕上げた。仙石原長安寺の羅漢さんたちの写真である。
BGMを代えてもう一度挑戦!
https://www.youtube.com/watch?v=KT1oGI3xNNk&feature=youtu.be
歯医者に行ったついでにMOA美術館に寄ってきた。この時期、お馴染みの紅白梅図屏風が展示されているからだ。最近は毎年は行かないが、2,3年に一度はあいに行く。この紅白梅図、心の在り方なんだろうけど、とても感激する時とそうでないときがある。今回はそんなに感動しなかった、どうしてだろう。
午後10時から放映される「コズミック フロント」をたのしみに見ているのだが、ちょうど木曜日はファースト スターを追う人々を紹介していた。First Starとは138億年前に起こったとされるビッグバンの後、初めて誕生した星、恒星のことである。ビッグバン直後の宇宙は光にあふれていた。8000℃でヘリウムが、3000℃で水素が出来た。やがて宇宙は冷え、暗黒の宇宙になった。それがどれほど続いたのか、その暗黒を破った最初の光がファーストスターというわけだ。宇宙空間に散らばっていたヘリウムと水素に濃淡が出来、それがガスの塊となり、ファーストスターが生まれた。ファーストスターを発見すれば、暗黒宇宙の終わりがわかる。宇宙には水素とヘリウムしか存在していなかったから、初期の星は水素とヘリウムで出来た星ということになる。やがてファーストスターは超新星爆発を起こし、核融合でヘリウムと水素はぶつかり合い、結合して窒素、酸素、鉄などなど、いろいろな元素を作りだしていった、という。超新星爆発はガンマバーストと言ってガンマ線を放出する。そこでガンマ線を追って、ファーストスターを見つけようとしている。
後半、居眠りをして聞きそびれてしまって、再放映を見ようと待っていた。その再放映が今日、11:45pmなのである。そこへ136億年前の星の存在が見つかった、という報道。136億年前と言ったら、ビッグバンに一番近い。ファーストスターなのだろうか。
宇宙生成の研究は凄い速度で進んでいる。神の領域とされていたこの世の始まり、宇宙生成の謎が、次々に解明されていく。宇宙生成は、言ってみれば私たちのルーツだ。近いうちにこの136億年前の星も詳しく紹介されるだろう。こういう報道を見るとわくわくする。
難しくて理解できなかった「相対性理論」もどうやら理解出来たが、ホーキング博士の言う、ビッグバン以前の、偶然から出来たという宇宙論はまだ理解できない。
AFP=時事】(写真追加)観測史上最古の恒星を発見したとするオーストラリアの研究報告が9日、英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。この星は鉄含有量がこれまで知られている恒星の60分の1未満で、宇宙の始まりであるビッグバン(Big Bang)から間もない136億年前に誕生したとみられるという。
DAYSフォローアップを見ていると、下の方に「うん?」と感じる写真があるのに気がついた。説明の字は小さくて見えないが、この雰囲気、アンセル アダムスだ。眼鏡をかけてみると、アンセル アダムス(ANSEL ADAMS)の写真展のお知らせだった。2月2日まで。ちょっと行かれないな、一月に二度東京へ行くのはきつい。早くわかっていたら、三井記念美術館へ行った時、寄ってきたものを、と残念がっている。
アンセル アダムスの写真は、湯河原駅前のナガタ眼科の待合室に、山の稜線を写した、モノクロの大きな写真が飾ってある。いい写真だ。行くたびにじっくりと眺めさせてもらっている。アンセル アダムスらしく、静謐な写真である。待合室にはピカソの陶板画もある。
写真を始めたばかりのころ、もう30年以上前のことだが、(写真は和美さんから基本的な手ほどきを受けた。その後、NHK学園の通信講座を受けていた)、親しくなった写大出の写真家が、数冊ずつ写真集を貸してくれた。その一番初めの写真集がアンセル アダムスのものだった。写真はもちろん説明文もしっかり読んだ。あの有名な一枚を取るために1ケ月待った、という記述も読んだ。もっとも入江泰吉は一枚の写真のために十数年は通っていたとその後知った。
写真集を貸してくれた人は、写真は数多くとること、良い写真をたくさん見ること、と教えてくれた。たしかに、写真に限らず、良い作品をたくさん見ることは必要だ。絵や工芸は若い時から、いいものを見てきたが、写真はあんまり縁がなかった。ただ、偶然入った画廊で、ヒマラヤの写真展が開かれていた。山は好きだったから、興味を持ってみたのだが、写真にヒマラヤのピント張りつめた冷たい空気を感じた。いや、空気まで写し取るとは、写真も素晴らしいものだ、とはその時感じはしたけれど。
それからは写真展を見て歩いた。アダムス、ブレッソン、アジェ、マン・レイ、キャパ・・・20世紀を代表する錚々たる写真家たちの展覧会を見歩いた。写真の歴史も学んだ。もちろん日本の写真家たちの作品も。土門拳は酒田まで尋ねて行った。日本の写真家たちも大勢、お気に入りはいる。写真美術館はよく通ったが最近はご無沙汰。
「シューベルト貸して」「そこに積んであるよ」CDの細かい文字をじっと見ているpapasan。「表見せて、あ~、それは違う」見せられる表を見て、どれも的確にこたえる。「そこにあるの、ほとんど私が買ったCDだからね」お目当てのシューベルトの即興曲を手に、「それにしてもずいぶんあるね」と、他のCDも物色している。「それはユンディリ。ユンディリは発売するとお知らせが来るから全部買っているよ」「ベートーベンがあるよ」「まだベートーベンは弾いていないのじゃないかな。プロコフエフなら小沢征爾と共演したのがあるよ」「ほら、これベートーベンでしょ」と言って目の前に置いていったCD。確かにベートーベンだ、しかも演奏者はユンディリ。はて、いつ買ったんだろう??覚えていないってことは演奏が気に入らなかったのかも。
そこで、かけてみた。初めは悲愴ソナタだ。出だしの音を聞いて、なるほど、これじゃ気に入らない。でも悲愴だけは全部聞いてみた。なんの感動もない。耳直しだと、ケンプの同じ曲をかけた。出だしだけで、こちらの気持ちをわしづかみにされた。間の取り方も、曲想も、堂々として、ピアノが生き生きとうたっている。感動もある。ユンディリには可哀そうだが、まだまだだねぇ~、雲泥の差だ。やはり大家は大家だ。続いてブレンデル。これまた違う。そこへグルダのベートーベンが届いた。CD12枚で4000円ちょっと。グルダも好きなピアニスト。だからこの安さに飛び付いたのだ。グルダはいかにもグルダらしい。みんなそれぞれに音が違う。もちろん曲想も違う。一日、ベートーベン三昧、おかげで、頭の中はベートーベンのソナタとコンチェルトが鳴り響いている。