失われた時を求めて

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給食 その1  主食編

2010-03-14 22:14:07 | 懐かしのお菓子・飲み物・食べ物
 「給食」について語ったサイトやネット掲示板は既にたくさんあるのですが(^^ゞ、敢えて『失われた時を求めて』流に扱ってみたいと思います。

‥‥あれ? 記憶を辿ってみると、中学校の給食の記憶がすっぽりと抜けています‥‥。あまり印象に残らなかったのかな? 給食当番をやったような記憶もないし‥‥。いや、たしかに給食だったのですが‥‥(^^ゞ 変だなぁ‥‥。

‥‥というわけで、この記事は昭和46('71)~53('78)年3月の記憶が中心になります。


 まずは主食です。

 まだあの頃は「パン」か「ソフト麺」、または「焼きそば」しかありませんでした。
「パン」は、ほとんどが8枚切りくらいの厚さの食パンが2枚。トーストはされていませんでした。これにマーガリンや、たまにサクラ印のハツミツ、チョコマーガリン、さまざまなジャム、ピーナッツクリームなどを塗って食べました。私はジャムはちょっと苦手なので、チョコマーガリンが出た時が嬉しかったぁ~。

 そのチョコマーガリンは森永製で、銀紙に包まれた四角い形でした。銀紙にはフォークとスプーン、●と▲を組み合わせた人型が象徴的にデザインされたマークとともに、「織女星が突然消えても、あと○年は見える」とか、「ノミは体の○倍跳べる」とかの豆知識が印刷されていましたネ(細かい数字部分は失念‥‥)。
このチョコマーガリンは固形だったので、冬には先割れスプーンで塗り広げているとパンに穴が空いてしまったり、塊になってしまう部分があったりで、その点は不満でした。

 ハチミツは透明のチューブ型の容器に入っていました。先端が中空の球になっていて、そこをねじ切って開けるようになっていました。

 ジャムやピーナッツクリームは、透明ビニールに入っていました。小さい穴を開けると細くチョロチョロ出て来るのがおもしろかったです。このチョロチョロが流行って、かなり多くの友だちがそうやって出していました。ある日、私の同じ班の友だちがこのチョロチョロをやっていて、あまりにいきなり強く絞ったために、反対側が破裂して中身が飛び散った事件がありました。
この透明ビニール入りのスプレッドに白いミルク風味のものがあって、それがかなりお気に入りでした。あまり出された回数が無くて、幻のスプレッドです。

 食パンそのものは、私の通っていた柳原小学校のものは市販のヤマザキやフジパンの製品よりも塩気があって、味があったように記憶しています。あまったやつはわら半紙に包んで、持ち帰ってもOKでした。今はいろいろな理由でNGですネ。
ブドウパンはちょっと苦手でした‥‥。時々出て来る黒パンは薄っすらと甘い味があって、私は好きでした。あとは焼きそばパンやホットドッグなどのコッペパンのサンドイッチ。
 最近の給食ではあまりパンは出ず、出される時はトーストしてあったり、既にチョコレートやピーナッツクリームが塗ってあったり、サンドイッチになっていたりします。トーストされる場合は、4枚切りくらいの厚さがあります。

 よく「懐かしの給食」として「揚げパン」が採り上げられますが、私はあまり好きではありませんでした。私の通っていた小学校のが美味しくなかったのか‥‥。


 麺類はほとんどが「ソフト麺」でした。ビニールの袋に入れられたまま加熱されて、自分で袋を破いて汁に入れました。「うどん」として食べる場合が多かったです。同じような感じで「ラーメン」も出ました。具の種類と栄養価の関係か、「味噌ラーメン」が多かったと記憶しています。
この「ソフト麺」は、学校の食器では1回では入りきらない量なので、2回に分けて入れます。汁をおかわりせずに、「替え玉」感覚で追加しました。2回に分けるには、私は袋の中でグニグニと半分に切ってから入れましたヨ。
それにしても、麺を先割れスプーンで食べるのはどうかと思いました‥‥。
この「ソフト麺」、最近はビニール袋がアレルゲンになるとのことで、袋から出されて配膳されます。

 学校の給食の「焼きそば」は、あまり美味しくなかったように思います。味が薄いし、具に玉ねぎが入っていて、食感があまり良くなかったような‥‥。でも、人気メニューだったのですが^^; 私は屋台の焼きそばが基準にあるので、気に入らなかっただけかもしれません(^^ゞ


 「米飯」は私が小学5年生の時に初めて出されました。試験的に月に1回くらい、それから徐々に増えていったと思います。
白いご飯のままで出される時は、決まって「カレーライス」でした。このカレーがあまり美味しくなかったように記憶しています。あとはチキンライスや五目ご飯が多かったです。最近は焼き魚や煮物と白いご飯、ちらし寿司なども出て、週に2~3日が米飯給食ですネ。


 主食で驚くのは、小学2~3年生頃に、森永の「ナイスクラッカー」が何度か出たことです。12枚くらい入ったアルミ包装1つが1人分。その包装に「学校給食用」と印刷されていたように覚えています。塩味のクラッカーを牛乳で流し込むのは、ちょっと気持ち悪く感じました。それよりも、おやつのような給食に、子どもながらに非常に違和感を覚えました。それならコーンフレークを出してくれたら嬉しかったのに‥‥。


 けっこう長くなったので、続きはまた後日m(_ _)m
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9 コメント

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ソフト麺 (南 うなみ)
2010-03-14 22:59:10
ソフト麺って自分であけるんですかぁ?
うなみの通っていた小学校は自校調理の給食だったので自分で袋を開けることはなかったですね。
うどんはいつものびのびでした。
ラーメンは一度もなかったですね。チョコマーガリンやはちみつも知らないです。雪印のマーガリンかチョコクリーム、ジャムが定番でしたね。
パンと言えばうどんの日も焼きそばの日もパンは必ず出てましたよ。主食はパンそれ以外のは主菜あつかいでした。
地域が変われば事情も変わる。
米飯給食は6年からでしたよ。赤飯、かやく飯、白飯が交代で月一回出ました。
運動会の日の簡易給食がきらいでしたね。菓子パン、ソーセージ、パック牛乳、みかん。書き出していても花も実もない給食です。低学年の頃は弁当やったんやけど変な平等、差別教育のつけで簡易給食になったんやね。
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ソフト麺 (自由人大佐)
2010-03-15 00:01:32
 はい、自分で開封させられました。でも記事に書いた通り、その方が半分に分けるのに便利でした。私の小学校も自校調理でしたヨ。

 うどんにパンが主食とは! 私は食べきれるかな‥‥。

 簡易給食は、運動会が雨天順延になったりする時に食材の保管ができないなど、いろいろな要因でああいう形になってしまうんです。
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Unknown (yig)
2010-03-15 23:50:28
どうも、ごぶさたです。

いやあ、給食ですかあ。

こちらも主食は「パン」「ご飯」「ソフト麺」とありましたね。(但し、ご飯は5、6年の頃からだったかな?)

「パン」は食パン、ロールパンのときはあまり好きではなかったですね。(マーガリンやジャムが付くときは別、チョコスプレッドはうれしい)ただ、レーズンパンや揚げパン(大抵、おかずは焼きそば)はうれしかったですね。

「ご飯」は「個別のアルミパック」の場合と「お皿に盛る」場合とありましたね。
白いご飯の場合が多いですが、たまに「さくらごはん」(醤油とお酒で炊いたごはん、具は一切無い)の場合がありましたね。
(炊き込みごはんは記憶になかったような?)

「ソフト麺」はやはり袋入りでしたね。やはり大佐殿と同様に「半分のところで分けて」から「真ん中の部分を開ける」ことをしてましたね。ただソースは余っていたら真っ先におかわりしていましたが(ソースがすぐに無くなってしまう!)(苦笑)
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ソフト麺の作法 (自由人大佐)
2010-03-17 21:06:41
 記事自体が久しぶりなので、yigさんが久しぶりのような気がしません‥‥(苦笑)。

 他のおかわりをする人のことを考えて、ソースや汁を取り過ぎないように言われました。

 私の小学校では、ご飯は器に盛られる様式だけでした。当時はアルミの食器でした。
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私の町では (北国の人)
2010-03-18 21:55:59
 月曜日が麺類、その他は一日おきにごはんとパンが出ていました。
(A校では火・木がごはん、水・金がパン。
 B校では火・木がパン、水・金がごはんというように地区によってローテーションが異なっていた)
 パンはバターロールがメインで、たまに角食(食パンです)やコッペパンが出ていましたね。ただ、パンを全部食べきったことは一度もありませんでした。
 バターロールは市販のもの2個分ぐらいの大きさがあり、角食(食パンです)も6枚切り(たぶん。8枚切りほど薄くなかったと思う)2枚分の量はあったので、全部食べきるのは個人的にきつかったです。(おかずや牛乳なども考慮すれば)
 ごはんは透明なプラスチックのパックに入っていました。たまに「わかめごはん」が出ることもありましたが、これまたおいしくなかった・・・。パサパサのごはんに味気のないわかめ・・・。今みたいに「混ぜ込みわかめ」や「おむすび山」の類はなかったし。
 白飯のときはふりかけ、海苔の佃煮(「アラ!」だったかな)のほかにカップ入りの納豆も出ました。もちろん、カレーの日も月1回ありました。
 麺は低学年のころは本文にもある「ソフト麺」でした。ミートソースに白いソフト麺、なんか不思議な気分でした。
 その後ちゃんとした(?)うどん、ラーメン、スパゲティに変わったと記憶しています。
 麺類はやはりビニールのパックに入っていたので、真四角に固まった麺をほぐしながら食べるのがこれまた妙な感じでした。
 ちなみに初めて食べた給食が焼きそばでした。私は結構好きでした。
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ソフト麺 ()
2010-03-18 22:22:46
自校式だったけど、自分であけてました。
べちゃべちゃしてるし、おいしくなくてキライでした。
パンは、コッペパンの時代が長かったなぁ。
米飯とか、食パンは、ずいぶん後になってからでした。
米飯は、混ぜ御飯が多かったかな?
たま~に、食パンに生クリームのせてもらうというメニュー、あれは好きだったけど、トーストしてない冷たいパンって、今でもあんまり好きじゃないかも。
サンドイッチも、トーストサンドが好きなくらいだし。
メロンパンも焼いちゃう。
そういえば、千歳市の給食のパンは、“もりもと”らしい。
いいな~
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Unknown (自由人大佐)
2010-03-18 23:20:56
>北国の人さん

 『ケンミンショー』で見たので、北海道の人が「食パン」を「角食」と呼ぶのは知っていましたが、ホントにそう言うんですネ(笑)。
 それにしても、パンの大きさが、バターロールにしても食パンにしてもハンパじゃないですネ。さすがに小麦の産地北海道! イイなぁ~。私、パン好きなもので。
 「ソフト麺」でミートソースってことは、器にソースだけが入っていて、そこに袋から出したソフト麺を入れる、という感じでしょうか。


>桃さん

 桃さんのコメントを読んで、そういえば「カスタードクリーム」が時々出ていたことを思い出しました。そうか、パンに乗せて食べろ、ということだったんだ‥‥。私は、というか、私のクラスメートたちは、デザートとしてクリームだけを食べていました‥‥。
 私はトーストしていない食パンもけっこう好きなので、給食のパンに違和感はありませんでしたヨ。
 先ほどの『ケンミンショー』で見たのですが、大阪の人は「ソフト麺」を知らないんですネ。「ソフト麺」って、けっこう不人気なんですネ。麺類も好きな私‥‥。(炭水化物の過剰摂取気味‥‥(苦笑)。)
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基本的に (南 うなみ)
2010-03-19 03:41:42
その後、知人にも聞いたのですが基本ソフト麺は個食パックされたのを配布していたんですね。
関西地区の他府県の人は知らん人とうなみのようにソフト麺は使てたけど開封されていた人が両パターンでしたね。袋まんまでていたと言う人にはお目にかかれませんでした。
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ソフト麺 (自由人大佐)
2010-03-20 10:31:43
 袋に入った状態のまま加熱でき、1人分の量が配膳しやすいので、袋入りのまま出されることが多かったようなのですが、関西圏は事情が違っていたようですネ。大阪の人は「ソフト麺」という名称も知らず、袋入りの状態も見たことが無いようですし。
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