親が造ってくれた実家。
熟考して解体することにしました。
公務員の父母としては、よくぞここまでのモノを造ったな、と尊敬に値する家でした。借金しての買い物がいやな私にはとても建てられません。
小3のときに引っ越してきて、大学に入るまでの約10年。いろいろな想い出がある家です。
解体すると決断して、今に至っても本当に解体して良いのか葛藤があります…。
ある意味、究極の断舎利です。
一昨日(10/12)、お坊さんに、と言っても私の従兄(そうです。私の本家はお寺です)になるのですが、仏像に念仏を唱えていただきました。
本日、仏壇屋さんに仏壇だけ引き取っていただきました。
ご本尊は私のマンションにおいで頂きます。マンション事情としては大きな仏壇は置けませんで、小さいのに買い換えようと思っております。
この辺のこと、無礼のないように注意を払いました。
南無阿弥陀仏
本家がお寺なんて、ゲルさん職業つながりがあるんぢゃね。
ワタシも松山からちょいと離れたトコロに実家があるんですが、もう既に両親とも鬼籍に入っているので空き家になったまま惰性で維持してます。
思い出の詰まった家、どうするかホント悩みますよね。
今は昔のように子供が親の地元で就職して定着するというコトはあまりないので、結局は持ち家は負債にしかならないような気がして、ワタシもいまだに借家住まいです。
確かに植木は破壊するのが心苦しいです。
私のお客さんの中に植木屋さんがいるので相談したのですが、移植は枯れることが多く、いったん植木屋さんの土地に移植しても次にホントの建て替えなどしてもう一度移植することになるので、まず無理だとのこと。
植物も生き物といえば生き物ではありますが、それも含めて“断捨離”なのです。結構苦しいものがあります。ホント、やってみれば分かりますが、“勇気”がいります。
ご無沙汰しています。いつも愛媛へ行くチャンスをうかがっています(^.^)。いつか行きますよ!
おっしゃる通り「思い出の詰まった家」です。壊すのは苦しいです。幸いなことに、当家は、私が迷っているときは、女房が背中を押してくれるのです。
「今壊さなくてもどうせいつか壊すんでしょ」。この“どうせいつか”という言葉が私の心のスイッチを入れてくれました(^^;)。
よしっ!やっちゃれぇっ!“使わないものが建っていると負の遺産じゃが、壊して好きなように土地が使えるなら正の遺産”。