横浜地球物理学研究所

地震予知・地震予測の検証など

御嶽火山について

2014年10月01日 | 火山情報
2014年9月27日に噴火を起こした御嶽火山について、ご参考までに概要を掲載しておきます。

下の図は、御嶽山の南方上空からの鳥瞰図です(国土地理院標準地図より作成)。図中のが、今回最も激しく噴煙を上げた火孔がある地獄谷です。



図のが、新期御嶽火山の成層火山をなす、主な4つの山体です。これらが、主に約10万年前から約2万年前まで活動し、相当な量の溶岩を噴出していました。約9万年前の大爆発では、テフラを関東にまで降り積もらせたということです。

 一ノ池山体
 摩利支天(まりしてん)山体
 三ノ池山体
 四ノ池(しのいけ)山体

最も標高が高い剣ヶ峰(3063m)があるのは一ノ池山体()で、今回の噴火も一ノ池山体の南側斜面にある地獄谷で発生しました。

ただし、山体として最も新しい山体は、三ノ池山体()だと思われています。三ノ池山体や四ノ池山体の東側(図右側)に、溶岩が流れた跡のような地形が確認できます。噴出量がかなり大きかったことが推定できます。

逆に最も古いのは摩利支天山体()で、その南側は崩壊してサイノ河原と呼ばれる凹地となっています。

一部報道では、御嶽火山は2万年前に活動を休止し、1979年に突然噴火した、という記事などがありますが、最新の研究では、この2万年の間にもマグマ噴出を伴う噴火が数回あったのではないかと思われています。

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また、図右下ののあたり、多くの登山者の登山口となる田の原登山口付近に、道路が三笠山(2256m)をぐるっと迂回している様子がわかります。この三笠山は、古期御嶽火山の噴出物である溶岩によって形成されたもので、約40万年前のものと推定されています。

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なお、図中のに、1984年の長野県西部地震(王滝村直下の地下2km、M6.8)によって生じた崩壊跡(御岳崩れ)があります。崩壊による土砂が麓を襲い、15人の犠牲者を出しています。

この地震に先立つ御嶽山の噴火が1979年ですので、何らかの関係があるようにも疑われています。

ただし、1961年の北美濃地震(M7.0)や1969年の岐阜県中部地震(M6.9)など、時間的地理的に接近した地震がいくつか、御嶽山の噴火前にも起こっています。したがって、御嶽山の噴火が地震の原因なのか結果なのか、あるいは地震とは全く無関係なのか、といったことは分かりません。

日本では、内陸地震も火山噴火も相当の頻度で起こっていますので、たまたま2つの事象が時間的地理的に近接して起こると、因果関係がなくても関連性があるように思えてしまうことが多々ありそうです。特に、長野県西部は噴火とは無関係に小さな地震が多い場所でもありますので、御嶽山が噴火した5年後に長野県西部地震が起こったことは、単なる偶然かもしれず、これらを安易に結びつける風潮は少々早計にも思われます。


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