韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

韓国旅行にもおすすめ!元気いっぱい巨済ガールが、巨済の魅力をお届けします!

韓国 烏良城、観光案内所

2010年10月21日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
家族と巨済旅行をする事にしてガイドブックを持って巨済島を訪れた。巨済島には、よく知られた観光地と観光資原があるが、簡単に接することができなかったり、逃してしまいやすい観光地もある。確かに巨済で風変りな観光地を経験するために一番簡単な方法で巨済大橋を過ぎると見える観光案内所に寄った。
広い駐車場と駐車場の前にはカモメが飛んでいる丸い塔模様の造形物が目に入った。そして、観光案内所に立ち入ったら入口には巨済観光関連のパンフレットがあった。




観光地の情報を持っていなかったり、行きたい目的地の情報を得たければ文化解説案内人に聞くことが出来て、観光案内所内に用意されたコンピューターを通して無料で情報を検索することができた。
文化解説案内人に巨済島の隠れた観光地を知りたくて訪問したと言ったら、私たちを外に出して観光案内所のすぐ側を示しながら、慶尚南道記念物109号に指定された烏良城を紹介してくれた。観光案内所だけに気を捕られて見逃してしまいそうだが、綺麗に保存された城跡を見ると巨済歴史の観光名所というのがわかる。多くの人々は、巨済が自然景観を中心に成り立った自然観光地と言うことだけ知っているが、入口からこんな城跡に接したらここは歴史の深い場所だと感じさせてくれる烏良城である。




文化解説案内人の方を通して簡単な烏良城に対する情報を聞くことができた。烏良城は朝鮮燕山君6年(1500年)に建てられた城で周囲は1172mで、高さは約2.6m、幅は5m程度で北側と西側が昔のまま残っていると言う。そして、観光案内所を中心にきれいに修復して観光案内所に訪れる観光客は、必ずここで写真を撮ると言う。



また、ここでは城の上に上がることができるように階段を作っていて、城に上がれば頂上から周囲を見渡すことが出来る。
現在、烏良城はほとんど崩れているが南側と北側の一部が保全されて残っていて、城の形態や構造は大きい石を下に積んでその上に小さな石を積んで上げた方式で朝鮮初期以後の設城術変遷を察するのに重要な役目をしていたと言う。

烏良城を全景を見るために烏良城の周辺から見て回ることにした。烏良城を基準として城内は鳥良村という村があり、城の外は畑として使われていた。



過去の姿とは違うが今の城内部が気になって烏良村の中に入った。烏良村に入ると村の名前に関する来由がわかった。烏良という村の名前は、元々カラスが来る広くてきれいな土地と言って、烏壌だったが善良で御真統制使造景を称える善政碑が立てられた後、烏良に変わって現在に至ると言う。
村の入口に入ると先ず初めに目に入るのは、周囲3.4m、高さ約15mになる樹齢300年の大きなけやきの保護樹だった。




村は何にもない田舍の村風景だったが城壁で囲まれていているその姿は、見る人の目を楽しませるのには十分だった。村の人々はこの城壁が自分の生命と財産を守ってくれるという信頼で暮らしているのではないかと思い、城壁は蔓が伸びて緑の風景を見せていた。村の裏手には白岩山のそびえている。

アクセス方法
新巨済大橋-沙等面方向 国道14号線-烏良村-観光案内所、烏良城

烏良城
朝鮮前期邑城形態
築城時期1500年(燕山君6年)
周囲:1172m、高さ2.6m、幅5m

巨済観光案内所
住所:巨済市 沙等面 烏良里
(거제시 사등면 오량리)
(コジェシ サドゥンミョン オリャンリ)


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韓国 新光寺、烏良石造如来座像

2010年10月14日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
新光寺を訪れるのはそう難しくなかった。統営を超えて新巨済大橋を過ぎれば沙等面 烏良村が現れる。この烏良村の裏手に白岩山が位置しているのにこの裾に新光寺がある。




烏良里 白岩山の裾は、昔から折骨と呼ばれて仏教の聖地として知られている。烏良村の裏手にあるお寺の入口から上ると白岩山の山勢が険しく、ここを訪れた人々が積んだように見える石塔が目に付いた。




すこし上がると新光寺のお坊さんが畑仕事をしている珍しい風景を見ることが出来た。
新光寺に入ると新鮮な気運があり、のどかな天気と平穏な新光寺の風景が一団となって周辺をより一層美しくしているようだった。また、これほど整備されたお寺があるのかと思うほどに自然と一つになった新光寺の風景が見事だった。



新光寺は、60年前ほどある農歌開墾をしている途中に地中に埋めている石仏を見つけたが巨済島でこんなに大きい石仏が出たことは極めて珍しい事だから発掘当時話題になった。この石仏が現在慶尚南道有形文化財第48号に指定された烏良石造如来坐像である。
統一新羅または高麗時代の仏像に推定されるこの石仏は、現在の位置に木造3間の家を建てて石仏を祀り、石仏庵と言ったと言う。これを始まりに新光寺の歴史は始まったと言う。お坊さんの案内に従ってお寺を見回すことができるが、一番初めに目に入って来た大雄殿には、木造の仏像が祀っていて、他のお寺と違う所がなかった。




大雄殿の側には、小い池があったしそこには海水観音像が立っていた。池には大きな絹鯉が数十匹が泳いでいた。この大きな海水観音像は、山裾の下を眺めて新光寺を守っているように見えた。

海水観音像後では、お坊さんの遂行空間と見える寮舎があり、大雄殿を過ぎると烏良石造如来座像が祀られた石穴が見えた。




三千仏祖五十三仏殿と書かれた奥に入ってみると外の蒸暑さを忘れさせるほどの凉しい冷気と烏良石造如来座像が見えた。お坊さんがこの石仏に対して詳しく説明してくれたがこの仏像を眺めて祈願をすれば霊験するという噂が広がると巨済地域だけでなく韓国全国から参拜客が集まって来て、今に至るという。



新光寺を全部見回すのに時間はかからなかったが仏教の悟りを感じて自然を感じてみるといつのまにか二時間が過ぎていた。

アクセス方法
新巨済大橋-巨済観光案内所、烏良村-烏良村 裏側 白岩山


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韓国 洗塵庵、木造如来三尊仏座像、盤谷書院

2010年10月13日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
巨済に暮す叔母の家に遊びに行った。幼い時は良く叔母家に遊びに行った記憶があった。その時はどうしてそうだったのか巨済に行くと言うよりは、祖母家に行くという考えだけがあった。
しかし、今回は巨済の姿を焼き付けたくて叔母をガイドとして巨済観光を行った。
叔母は巨済市巨済面に暮していて、巨済面一帯だけを回っても一日では足りないとのことと言いながら、私を連れて向かった場所は、巨済女高等学校の裏側にある洗塵庵という小ささ庵だった。





洗塵庵入口を入ると2階建ての梵鐘樓が見え、2階に大きな梵鍾が濾過されていた。1階の入口を過ぎると左側に西房と北方を守る天王が、右側には東房と南方を守る天王が威厳した姿態をしていた。
入口を過ぎて砂利の庭先と正面には大雄殿があった。渓竜山の精気を受けたように外形的な姿は異なる大雄殿と違ってなかったが威厳することは他の大雄殿と比較にならなかった。





叔母はここを管理する方と挨拶を交わしたが叔母がよくここを訪れることが分かった。叔母が管理者と話を交わす間、 洗塵庵の周囲を回ってカメラのシャッターを押した。大雄殿入口の右側で巨済洗塵庵木造如来三尊仏座像という文化財案内板を見た。慶尚南道文化財資料に登録され、この大雄殿の中には他とは違い重要な仏像があるような気配を見せてくれた。
私の関心と興味に気が付いたのか管理者は、大雄殿の中に案内をしては洗塵庵と木造如来三尊仏座像の説明をしてくださった。
洗塵庵は、渓竜山岸に位置して巨済市では唯一、伝統寺に指定されたお寺で曹渓宗寺の巨済本山だという。創建時期は1902年で巨済島で現存するお寺の中で一番古く、現在の洗塵庵は大雄殿と、竜王閣、梵鍾閣、寮舎で構成されていると言った。




大雄殿の中に仕えられている三つの仏像の中で木造如来三尊仏座像は、中央にある仏像で慶尚南道文化財資料第325に指定されている。頭、身、腕、足などを区分して彫刻された香木で作った組み立て式仏像である。この仏像は朝鮮後期の典型的様式を取り揃えた作品で高さが約50Cmの大きさで当時時代仏像の特徴をよく反映すると言う。
大雄殿の中には幾多の人々が来て行ったことを暗示する多くの跡が見えた。管理人の話では、大型観光バス6台程のバスがいっぺんに入って来るほどに参拜客に人気がある場所だという。
大雄殿上側には、竜王閣という建物が用意されていたがここが竜王様を仕える席と言った。大雄殿と竜王閣の間には渓竜山からの水が小い溝に沿って流れている。




また、洗塵庵の側には昔の伝統様式の姿をした建物が見えた。これが巨済市で唯一の書院である盤谷書院と言う。

1679年に楡林によって創建されて1868年大院君の書院撤廃領によって廃止される時まで、名実共に巨済の代表書院であった。数日前に復元工事を着工してこの時は慌しい状態だったが管理人の話によると復元が完了すれば洗塵庵と盤谷書院が巨済面一帯で一番人気ある観光地になるのではないかと言っていた。そして、復元工事完了以後には尤庵学術大会なども開催して先祖の精神を受け継いで発展させる歴史的に価値のある場所で作ると言っていた。
また、今度叔母の家を訪れた時には復元された盤谷書院の姿と洗塵庵を見れるように願って次の目的地に向かった。

アクセス方法
旧巨済大橋-屯徳方面 1018号線-青馬記念館-巨済面-巨済女高等学校 裏側

洗塵庵情報
住所:巨済市 巨済面 東上里 270-1
(거제시 거제면 동상리 270-1)
(コジェシ コジェミョン トンサンリ 270-1)
大韓仏教曹渓宗
1902創建
大雄殿、梵鍾閣、竜王閣、寮舎で構成

木造如来三尊仏座像
慶尚南道文化財資料第352号
香木で彫刻された組み立て式仏像
大きさ約50Cm
1703(肅宗29年)臥竜山 深寂庵で制作

盤谷書院
1679年 巨済楡林によって創建
1868年 大院君の書院撤廃領によって廃止
1906年 祭壇と碑石建立
1974年 巨済楡林総会決意で復元
2010年 7月最終復元工事
2012年 6月復元工事完了


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韓国 廃王聖地

2010年10月12日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
この前、巨済を訪問して巨済観光案内所に寄った時、裏側にある烏良城を見た。烏良城の内容の中には、高麗時代毅宗が武臣の乱によって烏良城から廃王城に避身をしたという内容を見たことがあるが、今回再び巨済島に行く機会になり、廃王城に立ち寄って見る事にした。
烏良城と廃王城の通りはそれ程大きくは無かったが烏良城に行くための早い経路が、新巨済大橋を利用して国道14号線で行くことで、廃王城は旧巨済大橋を利用して地方1018号線を利用するのが早いという。




また、烏良城が都市邑城の形態を帯びていたら廃王城は典型的な山城の形態だ。青馬記念館を経って案内板通りに向かった。巨済 屯徳面と沙等面の境界地点に位置した牛峰山の海抜326mに位置した廃王城は、青馬記念館を基準にして山頂に向けて4Km程進むと伽揶廃王聖地を訪ねることが出来る。山勢が険しくて大変そうに思えるが、幸いに道が整備されていて車でも廃王城まで行くことが出来る。今回は、他の日程があって仕方なく車を利用したが時間に余裕がある人は、山登りも兼ねるかけ上るのもいいと思う。



廃王城に行く途中には、登山客が休めるように小いベンチも用意されているのを見ると、ここを訪れる人々が多いことを意味する。

廃王城入口に到着したら一番先に目にするのは、雄大な城の外壁だった。その形態や規模面では烏良城をしのぐようだった。
城内部に入る前に入口に設置された烏良城に対する説明を簡単に読んで城に上がった。



先に廃王城の対して理解して、高麗毅宗がここで3年間留まり、王位から追い出され作った城と言って廃王城と呼ぶという言い伝えがある。周囲は約550mで城郭の高さは最高4.58mに達すると言う。今は慶尚南道記念物第11号に指定されて管理を受けていると言う。




城内部に上って城壁に立って眺めていると山頂に立っているような感じがする。正面の山房山の姿が手の中に納まるような感じだった。城壁を経って中側に入っていくと集水地という所が現れた。周辺にはフェンスでここを保護していて、歴史的に重要な場所であると言う。




全般的な形態と構造は、同根欄模様の石で積んだ大きい淀みであったが集水地に対する説明もフェンス側の説明案内板によく現われていた。
集水地と言うのは…
雨水を集めておく場所を意味してこの雨水を保存して城内の用水を供給する用途で使用された。発見当時には毀損状態がひどかったが2008年9月頃復元工事を完了して昔の姿をそのまま捜した。



発見当時、集水家内から各種土器と農機具、矢先など数百店の文化財が発見されて当時ここ廃王城の生活ぶりを反映する良い資料になったと言う。烏良城の場合は、都市邑城の特性上、村と似合った城の姿が魅力的だったとしたら、廃王城の姿はこれとは反対に広い山勢の鑑賞と共に集水地という場所の追加的な見どころを提供、清い空気と自然景観が共存する場所だった。いつか時間があったら烏良城と廃王城を同時に訪問して、歴史の流れとその歴史の中心を訪問してそれぞれの誠意特徴を比べて観光をすると楽しいと思う。

アクセス方法
旧巨済大橋-屯徳面方向 地方1018号線-青馬記念館-廃王聖地方向 約4Km

廃王城
慶尚南道記念物第11号(1974年2月16日指定)
周囲 550m、高さ 4.8m、広さ 約18,000平方メートル

集水地
サイズ:幅 12.5m、1段石垣高さ 1.28m
用途:城内用水供給
発見遺物:青磁梅瓶、粉青沙器、木器類、青銅器、矢先 など


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韓国 菱浦養芝庵彫刻公園

2010年10月07日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
長承浦を過ぎて菱浦洞の方面に行ってみると公園があるという情報があり、一度訪問して見る事にした。ゴングゴッイでの観光を終えて国道14号線に沿って麻田洞を経て長承浦洞から養芝庵灯台方面に行ったら菱浦港に到着する時、大宇造船社員アパートの右側に菱浦養芝庵彫刻公園という看板が見えた。




彫刻公園入口から公園までは500m程あったがそう大変ではなかった。上り坂の左側に菱浦港の美しい風景が開けて、美しい海の風景が私の心を捕らえた。
彫刻公園に到着すると多くの彫刻作品とよく整理された芝生、静けさが漂う雰囲気、そして散歩をしている人々の姿がまるで一つの絵のようだった。

公園内を見て回っていた時、目立つ公衆トイレが目を奪った。遊び場を連想させる外見は子供にアッピールするための細心な思いやりで、衛生的で綺麗なトイレだった。



彫刻公園内には数十種の彫刻作品が展示されていたが市民のための一般的な公園から脱して、多くの作品が展示されていて屋根ない一つの展示場ではないかと思うほどである。入場料もないので負担なく観覧して公園で楽しい時間を過ごすことができるので良いと思う。



各作品の前には作品名と材質、作家名、制作年度と作品に対する紹介が書かれていた。一作品一作品鑑賞するのがこの公園の一つの魅力だった。
毎年、春になるとここ彫刻公園にはきれいな花が咲き、ここ菱浦養芝庵彫刻公園のもう一つの見所だとも言える。
公園内にある彫刻芸術品は一つ一つ作家の魂と熱情を感じることができ、このような作品を背景にしていろんなコンセプトで写真を撮れば一生記憶に残る思い出になる。この日は家族で散歩に来ている人が多かったが恋人らのデートコースでも最高だと思う。



普通、巨済の代表料理はホヤビビンパ、刺身が有名だが現地の人たちは長承浦海岸道路の端に位置した埋め立て地の彌助ウナギというウナギ専門店と長承浦遊覧船ターミナル側にある「メットル」というスンドゥブチゲが有名な食堂があると言ってそこを勧めしてくださった。養芝庵彫刻公園から距離はあるが乗用車を利用したらそれ程、遠い距離ではない。悩んだ末にメットルでスンドゥブチゲを食べたが沸騰しているチゲに生卵を入れて食べると味が一品だった。
菱浦市内に行けば多くの宿泊施設があって長承浦側まで行くと長承浦ビーチホテル、ホテルアートなどの高級宿泊施設もある。

アクセス案内
巨済大橋-国道14号線 長承浦方面-長承浦洞-菱浦洞-菱浦港方面 大宇造船社員アパートの向かい側

彫刻作品
パク・ジヒョン作家の「明日に向かって」、ヨムサンウク作家の「海から」など数十種の彫刻作品が展示


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