韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

韓国旅行にもおすすめ!元気いっぱい巨済ガールが、巨済の魅力をお届けします!

韓国 巨済県官衙

2010年10月26日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
巨済旅行二日目の日。巨済面一帯を見回す事にした。南部面一帯で私たちが美しい景色に酔って余裕が無ければ、今日は巨済の歴史と伝統に対して知りたかった。その中でも巨済面地域に優秀な文化財があると聞いて訪れた場所が巨済県官衙だった。鶴洞モンドル浜辺から出発して巨済自然芸術ランドを過ぎて、巨済面所在地に到着した。普通は文化財と言うのは都市のいろんな所に隠れているものだが巨済県官衙も訪れるのがそう難しくなかった。面所在の奥に入って巨済村役場を見つければ、巨済小学校の間に石垣で垣根を張った巨済県官衙が見えた。




入口に書かれた巨済県官衙の案内板を見たら朝鮮時代に巨済地域では倭寇の侵略が頻繁で、これを防ごうと玉浦、助羅、嘉俳、長木など7ヶ所に軍事基地を設置したという。以後、成宗元年の1470年に巨済県が部に昇格されて、一般行政課と共に軍事業務を統べる目的で古賢城にこの建物を建てたということが巨済県官衙の生成背景である。
巨済県官衙は、建立当時この地域の行政、軍事を責任を負う巨済部官衙の中心建物で先祖26年目の1593年に閑山島で三道水軍統制営が設置され、この使い道が客舎に変更になってから壬辰の乱当時、古賢城の陷落で燃えてしまうが燎宗4年1663年に現在の場所である巨済面に移したという。建物の外形は正面9間、側面3間の四方が開けた床を取り揃えた規模で、一般的な樓閣のような構造で規模的な面で見れば統営の洗兵館、密陽の嶺南樓、晋州の矗石樓らと共に慶尚南道4大樓閣として知られるほどの重要な財産である。1974年に慶南有形文化財も指定され、1976年に建物を完全解体、修復した後、2007年7月30日に国家指定文化財である史蹟第484号に登録され、地方自治体ではなく国が管理を行っていると言う。入口の左側の門を進むと広い芝生と杞城館の建物まで石畳が続いていた。左側の垣根の下には10個を超える碑石が一列に並んでいて、この碑石は当時赴任した県令を祀った碑石で頌徳行蹟婢と言われ、この中の6個が鉄でできている。



杞城館の建物を規模や完成図を見ると偉大なものだと言うことがわかる。この前、密陽の嶺南樓を訪問したが杞城館が嶺南樓に劣ると言う気はしなかった。



また、外に出て杞城館の向かい側の秩庁に行って見た。巨済面所在地入口に位置した大きなけやきの下で子供達と町の住民が休んでいる姿が人情味溢れて見えた。



秩庁は門が閉まっていて中に入って見ることは出来なかったが垣根から充分に鑑賞することができた。秩庁と言うのは、巨済県官衙の部属建物で地方官庁の六房を含めた下級役人が事務室や書斎として利用した建物と言う。



天気は蒸し暑かったが巨済海水浴場と巨済で一番有名な文化財を見た感じは一言で巨済のすべてのものを圧縮して見たのではないかと言う気がした。巨済県官衙は、建立当時巨済部の行政課軍事を統括する国家中心建物だったと言う。そんな意味であろうか巨済県官衙は今も巨済の中心文化財と同時に昔の先祖の魂がまだ残っているようだった。

アクセス方法
新巨済大橋-国道14号線 沙等面方面-サゴク十字路 南部方面 右折-巨済面-巨済面所在地

巨済県官衙情報
住所:巨済市 巨済面 東上里 546
(거제시 거제면 동상리 546)
(コジェシ コジェミョン トンサンリ 546)
史蹟:第484号 (2007年7月31日指定)
面積:7,941平方メートル 朝鮮時代官衙建築
杞城館内に頌徳行蹟婢14基(鉄製碑石6基)


にほんブログ村 海外生活ブログへ