もう少ししたら卒業で社会人として新しい人生のスタートを切ると言うことでストレスが溜まっていた。何でも良いので私の心を落ち着かせることができるターニングポイントを見つけたかった。ちょうど、巨済島にいる友達から青馬生家を一度訪れてみれば心が落ち着くとかもしれないとそこを勧めてくれた。
心も落ち着かせ、友達の言葉に騙されたと思って行って見る事にした。旧巨済大橋を通過して屯徳面方向に入ると直ぐに青馬記念館、生家という大きな看板が見えた。ここは巨済島でも有名な場所ということを今更感じ、約10分程進むと青馬生家に到着することができた。通りに中間中間に道標が設置されていて探すのにそう苦労しなかった。
青馬生家の入口には芳下村という名前が大きい石に刻まれていた。その横にこの村を守るような 350年という月日を過ごした榎木が村の入り口に位置していた。
その横に青馬記念館が見え、この日は月曜日だったので惜しくも青馬記念館内には入ることができなかった。青馬記念館は月曜日が休館日で、ここを訪問する観光客は必ず注意しないといけない。しかし、青馬生家と墓地はいつでも見物することができるので月曜日しか時間がない観光客にもむだ足ではない。青馬ユ・チファンと言えば高校の教科書で見たことがある。たとえ今は7~8年という時間が経ったが、「旗」という詩を連想したらユ・チファンという作家が浮び上がった。ここが彼が生まれて一生を終えた後に眠った場所である。青馬記念館の横に位置した青馬生家に行って見た。可愛らしい石垣を過ぎて草屋根が見えた。生家に入ることができる小さな門があった。庭先の右側には青馬先生に対する略歴が書かれた案内版があり、家屋構造は寝室と居間の二つからなっていた。
通常と違わない昔の伝統家屋と思えるが暑さで流れる汗を冷やすことを兼ねて、床に腰かけて思索に浸っていると青馬ユ・チファン先生の気運が感じられるようだった。田舍の静かな雰囲気と清い空、後方へ見える山房山の精気がユ・チファン先生を作ったようで、筆者もそれに染まっていることだけだけで同じ気持ちだった。
行き交うことがすべて共存する場所が青馬生家ではないかと思い、台所と生家の隅々まで見渡した。窓も開けてみて青馬先生が勉強した雰囲気を感じたりした。友達が青馬先生の墓地も必ず訪問して見なさいと言ったが生家から墓地までの一本道が素晴らしいと言うので、車は駐車したまま徒歩で向かった。生家から2Km程進んだ場所に青馬墓地があった。青馬墓地まで向かう一本道の美しい。墓地に行く道には観光案内の表示板が設置されていて、車で行くこともできるがこちらは歩いて行くほうが良さそうである。一本道の美しさに引き込まれ、進んでいくと広い芝広場が見えた。その周りでは青馬先生の詩が石に刻まれて展示されていた。総5つの墓地があったが真ん中にあるのが青馬先生の墓地で両側に青馬先生の両親と親戚の墓地というのを後で住民の方から聞いた。
今日が青馬先生との初対面だったが、ここまで来たついでに線香を上げて再び村の方に向かった。青馬墓地を訪問して墓参りをする方々は、食べ物をそのまま捨てると山の獣が下りてきて墓地を荒らすというので必ず後片付けをすること。再び一本道に戻るくらいのところにザクロの花が咲く頃という桃色のペンションが見えた。そこのオーナーはペンションの手入れをしていた。
青馬記念館も見物して生家と墓地、山房山の美しさも見て、青馬先生の気を一日位は授かりたい方はここで宿泊するのが良いと思う。
山と一団とした静かな田舍村だが時代を代表する文学家が生まれた観光と教育が調和した場所ではないかと思う。確かなのはここへ来れば心が落ち着いて平穏になるということを感じることができた。
就業を控えた若者だけなく、育ち盛りの子供を育てる両親らもここを訪問して教育と観光を同時に兼ねて見てほしい。単純に目で見て楽しむことで終わるわけではなく、五感を刺激する場所という事を言いたい。
住所:巨済市 屯徳面 芳下里 507-5
(거제시 둔덕면 방하리 507-5)
(コジェシ トゥンドクミョン パンハリ 507-5)
アクセス方法
旧巨済大橋-屯徳面方面 1018道路-芳下村
青馬生家
総面積:645平方メートル、面積:64.4平方メートル
2000年5月 復元
青馬墓地
生家から裏側の山房山方向:約2Km(2~30分所要)
宿泊情報
ザクロの花が咲く頃
住所:巨済市 屯徳面 芳下里 401
(거제시 둔덕면 방하리 401)
(コジェシ トゥンドクミョン パンハリ 401)
Tel:+82-10-9326-5334
Hp: http://www.myungsun.kr/
心も落ち着かせ、友達の言葉に騙されたと思って行って見る事にした。旧巨済大橋を通過して屯徳面方向に入ると直ぐに青馬記念館、生家という大きな看板が見えた。ここは巨済島でも有名な場所ということを今更感じ、約10分程進むと青馬生家に到着することができた。通りに中間中間に道標が設置されていて探すのにそう苦労しなかった。
青馬生家の入口には芳下村という名前が大きい石に刻まれていた。その横にこの村を守るような 350年という月日を過ごした榎木が村の入り口に位置していた。
その横に青馬記念館が見え、この日は月曜日だったので惜しくも青馬記念館内には入ることができなかった。青馬記念館は月曜日が休館日で、ここを訪問する観光客は必ず注意しないといけない。しかし、青馬生家と墓地はいつでも見物することができるので月曜日しか時間がない観光客にもむだ足ではない。青馬ユ・チファンと言えば高校の教科書で見たことがある。たとえ今は7~8年という時間が経ったが、「旗」という詩を連想したらユ・チファンという作家が浮び上がった。ここが彼が生まれて一生を終えた後に眠った場所である。青馬記念館の横に位置した青馬生家に行って見た。可愛らしい石垣を過ぎて草屋根が見えた。生家に入ることができる小さな門があった。庭先の右側には青馬先生に対する略歴が書かれた案内版があり、家屋構造は寝室と居間の二つからなっていた。
通常と違わない昔の伝統家屋と思えるが暑さで流れる汗を冷やすことを兼ねて、床に腰かけて思索に浸っていると青馬ユ・チファン先生の気運が感じられるようだった。田舍の静かな雰囲気と清い空、後方へ見える山房山の精気がユ・チファン先生を作ったようで、筆者もそれに染まっていることだけだけで同じ気持ちだった。
行き交うことがすべて共存する場所が青馬生家ではないかと思い、台所と生家の隅々まで見渡した。窓も開けてみて青馬先生が勉強した雰囲気を感じたりした。友達が青馬先生の墓地も必ず訪問して見なさいと言ったが生家から墓地までの一本道が素晴らしいと言うので、車は駐車したまま徒歩で向かった。生家から2Km程進んだ場所に青馬墓地があった。青馬墓地まで向かう一本道の美しい。墓地に行く道には観光案内の表示板が設置されていて、車で行くこともできるがこちらは歩いて行くほうが良さそうである。一本道の美しさに引き込まれ、進んでいくと広い芝広場が見えた。その周りでは青馬先生の詩が石に刻まれて展示されていた。総5つの墓地があったが真ん中にあるのが青馬先生の墓地で両側に青馬先生の両親と親戚の墓地というのを後で住民の方から聞いた。
今日が青馬先生との初対面だったが、ここまで来たついでに線香を上げて再び村の方に向かった。青馬墓地を訪問して墓参りをする方々は、食べ物をそのまま捨てると山の獣が下りてきて墓地を荒らすというので必ず後片付けをすること。再び一本道に戻るくらいのところにザクロの花が咲く頃という桃色のペンションが見えた。そこのオーナーはペンションの手入れをしていた。
青馬記念館も見物して生家と墓地、山房山の美しさも見て、青馬先生の気を一日位は授かりたい方はここで宿泊するのが良いと思う。
山と一団とした静かな田舍村だが時代を代表する文学家が生まれた観光と教育が調和した場所ではないかと思う。確かなのはここへ来れば心が落ち着いて平穏になるということを感じることができた。
就業を控えた若者だけなく、育ち盛りの子供を育てる両親らもここを訪問して教育と観光を同時に兼ねて見てほしい。単純に目で見て楽しむことで終わるわけではなく、五感を刺激する場所という事を言いたい。
住所:巨済市 屯徳面 芳下里 507-5
(거제시 둔덕면 방하리 507-5)
(コジェシ トゥンドクミョン パンハリ 507-5)
アクセス方法
旧巨済大橋-屯徳面方面 1018道路-芳下村
青馬生家
総面積:645平方メートル、面積:64.4平方メートル
2000年5月 復元
青馬墓地
生家から裏側の山房山方向:約2Km(2~30分所要)
宿泊情報
ザクロの花が咲く頃
住所:巨済市 屯徳面 芳下里 401
(거제시 둔덕면 방하리 401)
(コジェシ トゥンドクミョン パンハリ 401)
Tel:+82-10-9326-5334
Hp: http://www.myungsun.kr/