韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

韓国旅行にもおすすめ!元気いっぱい巨済ガールが、巨済の魅力をお届けします!

韓国 沙等城

2010年10月27日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
久しぶりに遊びに来た甥に巨済見物をさせようと休日に時間を合わせて巨済島に向かった。目的地は風の丘。
巨済大橋を過ぎて国道14号線に沿って進むと沙等面を経って、巨済市ヨット場に入る前に沙等城という観光案内板が見えた。



巨済島の文化財と言う言葉に通り過ぎることができず、甥にも好きな歴史体験教育になると立ち寄ることにした。巨済島は美しい自然観光地としてのイメージが強かったが、巨済島が意外に文化財や遺物が多い文化観光地という事実を今回の巨済訪問だけではなく、これまで紹介した多くの文化財を見れば分かる。沙等城入口に入れば城内村と言う場所が現れる。この城内村周辺に沙等城が位置していたが名前だけ聞いても城内村の「城内」と言う言葉が城の中を意味するようだった。



村の道端に伸びる城壁に沿って周りを見渡すと、沙等城の説明された表示板が見えた。歴史知識が不足しているので注意深く読んだ後に甥に説明した。



案内文を読んで新しい知識を得る事が出来たが邑城と山城の違いだった。戦争で有利な高知を作るために山頂に城を作ったのが山城で、高地ではない一般村に城壁を作ってその中に村がある城の形態が邑城という。
歴史知識が不足して分からなかった事実を得る事が出来、沙等城とその中に位置した城内村は、昔の沙等城の姿をそのまま受け継いだものではないかと思った。



沙等城は、世宗8年の1426年に巨済県の官衙が水月里から沙等里に移され城を作り始め、世宗30年の1448に完成されたと言う。以後、沙等城は巨済県の官衙を古賢に移すまで巨済邑城で使われたと言う。沙等城は一時期、巨済を代表する城だったことがわかる。沙等城のまわりは986mで高さは5m、幅も5m程度の規模で城の全体的な模様は卍模様と言う。模様や形態がよく保全されていて、慶尚南道記念物第9号と指定保護になっている。



城内部に位置した城内村は、一般的な田舍村とは変わりなかったが村の内側に位置した城壁が現在でも民家の垣根などに使われ、その堅固さを失わずに役目を果たしていると言うことは驚くべきことである。昔の城跡の跡が保存されているので、村の人々は沙等城に愛着と関心が高いことがわかる。



今度、幼稚園に入学する甥にここにある石垣は、先祖が直接積み上げたものと言ったら、少し顔を歪めながらも沙等城の歴史を共感するかのように頷いた。

アクセス方法
新巨済大橋-国道14号線-沙等面-城内村

沙等城情報
住所:慶南 巨済市 沙等面 沙等里 2300
(경남 거제시 사등면 사등리 2300)
(キョンナム コジェシ サドゥンミョン サドゥンリ 2300)
慶南記念物第9号 (1974年2月16日指定)
種類:都市邑城
大きさ:周囲 986m、高さ 5~6.1m、幅 5~6m


にほんブログ村 海外生活ブログへ