韓国・巨済(コジェ)市 公式ブログ

韓国旅行にもおすすめ!元気いっぱい巨済ガールが、巨済の魅力をお届けします!

韓国 外看里椿

2010年10月21日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
巨済南部面一帯の旅行を終えて、海岸に沿って続く地方1018号線で屯徳面方面に向かった。巨済面を超えて、見事な海岸絶景に浸っている時だった。巨済農業開発院を過ぎた位に観光案内板に外看里椿-道記念物第111号と書かれた観光案内表が見えた。
慶尚南道記念物という言葉をそのまま水伍すことが出来ずに、外看椿を見て行く事にした。
外看村入口から外看小学校を過ぎる道には観光案内表示板が残りmなのかを表示している。



大きい椿を始め、このような木が二つもあり、周辺は綺麗に整理されて公園のようだった。風の丘を連想させるが規模は風の丘に比べて小さいがここで感じることが出来る饗宴は風の丘に劣らない。





大きい二本に木の中で先に見える木を見た。木の幹は一つなのに三つの幹があるようで、それが見事に調和して大きな椿のように見えた。
椿の側に暮らす老人が天気が良いと言って出てきて、運良く外看里椿の情報を聞くことができた。木の前には案内版があったが村の人々からもう少し具体的な情報を得ることは出来ないのかと思っていたからである。
高さ7mに達する二本の椿が東西に伸びていて、村の人々は外看里椿と言うよりも夫婦木と呼んでいる言う。



この椿の由来は、全州の李氏 寧大君9代の孫であるイ・ドゥジンという人が朝鮮時代に里子記念で植えたと伝えられ、樹齢300年で村の人々は300年前からこの木と一緒に生活して来たと言う。毎年、大みそかにはこの木の下で堂山祭を行なうと言う。村の人々はこの椿を村の守護木としていて、昔から竹と共に婚礼上で夫婦が一生を約束する兆候で使われていたが、その為か恋人、夫婦がここをよく尋ねると言う。そして、椿花が咲き始めれば良い時代が来て、北に花がたくさん咲けば雨がたくさん降って、南側は凶年があり、東と西の方にたくさん咲けば豊年になるという言い伝えがあると言う。
また、椿は3月末から4月初間に赤い花が満開になって、風が吹く日に花びらが散る光景は哀れさと美しさを与えるという。
外看里椿に魅力が二つあり、一つは椿の周りで設置されたベンチに座って巨済面一帯とその側の海辺が見える絶景で、日ごとのストレスを癒してくれる。もう、一つは椿の周辺に芝が植えられていてそこにベンチが設置されいて、訪れる人々に休憩する空間を提供している。




椿の木の下にテーブルが設置されていて、そこでお茶などを楽しむことが出来る。周囲には城壁を形象化したような石垣が構えられていて、菜園とトウモロコシ畑があって田舍の風景を感じることが出来る。

付き合い始めの恋人から長年の歳月を共にした夫婦まで、巨済を訪問する事があったらこの夫婦木に必ず立ち寄って見ると良いでしょう。

アクセス案内
巨済大橋-巨済面方向 地方1018号線-青馬記念館-巨済市農業開発院 外看村-入口から500m

椿情報
指定番号:慶南記念物第111号
指定年度:1991年12月23日
所在地:慶南 巨済市 巨済面 外看里 444
(경남 거제시 거제면 외간리 444)
(キョンナム コジェシ コジェミョン ウェガンリ 444)
時代:朝鮮時代
大きさ:高さ7m


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韓国 玉山錦城

2010年10月21日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
巨済島は美しい自然景観を誇る観光地なのは誰もが知っている事実ですが、巨済島にはそれに劣らない多くの文化財があるが、特に巨済面には多様な文化財を多く見ることができる。旧巨済大橋、屯徳面を経って巨済面に向かう地方1018号線に沿って巨済面に到着し、巨済女高等学校の入口に到着すれば巨済女高等学校裏側にある水晶峰頂上から城跡を見ることが出来る。

巨済女高等学校を過ぎて裏側に位置した洗塵庵というお寺の入口から右側に進むと坂道が現れるがこれが玉山錦城へ進む道である。それ程険しい道ではない上に、道が綺麗に舗装されていて車でも移動することができるが、運動を兼ねて歩いて行く事にした。20~30分程歩くと玉山錦城が見えてきた。城跡入口に設置された案内板から玉山錦城の情報を知ることができた。



慶尚南道 巨済市 巨済面 東上里と西上里を結ぶ朝鮮時代の聖地で慶南記念物第10号に指定されている。面積は10,572平方メートル、周囲は778m、高さは4.7m、幅3mで直径40~80cm程度の自然石を積んだ城の屈曲に付いて卵円形で積み上げた韓国の典型的な山城の形態である。また、東西南北に門を置いて城の中には井があり、保全状態が良好で韓国の歴史及び山城研究の良い資料となっている。玉山錦城または水晶峰城とも呼ばれていると言う。玉山錦城の来由は、高宗10年 1873年の時に当時の巨済副使だったソン・ヒスンによって建てられ、城の外には「玉山錦城」と言う文字が刻まれた大きい岩壁があり、城内の東側にはこの城を積んだ年歴を知らせる碑石がある。
険しい坂道に沿って城の入口に入る前に城の外壁を見ると、石が細密に積もられて保全状態が良好ということがわかる。城に入ると昔の城跡が所々に見え、入口で読んだ案内版と似たような小い碑石が立っていた。

碑石を超えてもう少し行くと右側に小さい井が見える。この井には木が水中深くにあり、珍しい光景を見ることが出来る。



この井の反対側には山の岩から流れる湧き水があってここを訪れる人々の喉を潤す場所である。水晶峰の頂上で味わう水なので体の芯まで染渡るようである。もう少し城跡のほうに向かうと八角屋根の形態の小い木造期と樓閣がある。




優雅で淡白な樓閣と山頂の景観がよく調和していたが、玉山錦城の魅力はこの樓閣にあった。静かな海と海を背景として群れている島々、平野とその巨済面の景色。人と自然が作った作品を鑑賞するように、心の奥深くを癒してくれるような気持ちになった。
巨大だった城の跡は長年の歳月にさらされて、今では昔の姿を失ってしまった玉山錦城だが、自然と人間がもたらした美しい風景と広大な景観が一望することの出来る最高の展望台である。

ちょうど村の人たちがここを訪れて休んでいた。ここは村の人々が良く訪れる場所である。



玉山錦城は城の神秘感とそこから眺める海岸と巨済面一帯の絶景も素晴らしいが、これに負けず劣らず春になるとアカシアの花と秋には紅葉が壮観だと言う。また、ここからスタートする渓竜山の登山コースも登山家から人気が高いと言う。見物を済まして城の入口に戻ったら外国人のカップルがここを訪れていた。



玉山錦城には昔の山城を見物する一次的な観光で終わる場所ではない。確かにここへ来れば弾性を催すしかないので必ず一度訪問して欲しい。

アクセス方法
旧巨済大橋-地方1018号線-屯徳面-巨済面-巨済女高等学校-洗塵庵前 右折

玉山錦城情報
位置:巨済市 巨済面 東上里 28
(거제시 거제면 동상리 28)
(コジェシ コジェミョン トンサンリ 28)
指定番号:慶南記念物第10号
指定年度:1974年2月16日
時代:朝鮮時代
規模:面積 10.572平方メートル、周囲 778.5m、高さ 4.7m、幅 3m


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韓国 烏良城、観光案内所

2010年10月21日 | 一緒に行く巨済オススメ旅行
家族と巨済旅行をする事にしてガイドブックを持って巨済島を訪れた。巨済島には、よく知られた観光地と観光資原があるが、簡単に接することができなかったり、逃してしまいやすい観光地もある。確かに巨済で風変りな観光地を経験するために一番簡単な方法で巨済大橋を過ぎると見える観光案内所に寄った。
広い駐車場と駐車場の前にはカモメが飛んでいる丸い塔模様の造形物が目に入った。そして、観光案内所に立ち入ったら入口には巨済観光関連のパンフレットがあった。




観光地の情報を持っていなかったり、行きたい目的地の情報を得たければ文化解説案内人に聞くことが出来て、観光案内所内に用意されたコンピューターを通して無料で情報を検索することができた。
文化解説案内人に巨済島の隠れた観光地を知りたくて訪問したと言ったら、私たちを外に出して観光案内所のすぐ側を示しながら、慶尚南道記念物109号に指定された烏良城を紹介してくれた。観光案内所だけに気を捕られて見逃してしまいそうだが、綺麗に保存された城跡を見ると巨済歴史の観光名所というのがわかる。多くの人々は、巨済が自然景観を中心に成り立った自然観光地と言うことだけ知っているが、入口からこんな城跡に接したらここは歴史の深い場所だと感じさせてくれる烏良城である。




文化解説案内人の方を通して簡単な烏良城に対する情報を聞くことができた。烏良城は朝鮮燕山君6年(1500年)に建てられた城で周囲は1172mで、高さは約2.6m、幅は5m程度で北側と西側が昔のまま残っていると言う。そして、観光案内所を中心にきれいに修復して観光案内所に訪れる観光客は、必ずここで写真を撮ると言う。



また、ここでは城の上に上がることができるように階段を作っていて、城に上がれば頂上から周囲を見渡すことが出来る。
現在、烏良城はほとんど崩れているが南側と北側の一部が保全されて残っていて、城の形態や構造は大きい石を下に積んでその上に小さな石を積んで上げた方式で朝鮮初期以後の設城術変遷を察するのに重要な役目をしていたと言う。

烏良城を全景を見るために烏良城の周辺から見て回ることにした。烏良城を基準として城内は鳥良村という村があり、城の外は畑として使われていた。



過去の姿とは違うが今の城内部が気になって烏良村の中に入った。烏良村に入ると村の名前に関する来由がわかった。烏良という村の名前は、元々カラスが来る広くてきれいな土地と言って、烏壌だったが善良で御真統制使造景を称える善政碑が立てられた後、烏良に変わって現在に至ると言う。
村の入口に入ると先ず初めに目に入るのは、周囲3.4m、高さ約15mになる樹齢300年の大きなけやきの保護樹だった。




村は何にもない田舍の村風景だったが城壁で囲まれていているその姿は、見る人の目を楽しませるのには十分だった。村の人々はこの城壁が自分の生命と財産を守ってくれるという信頼で暮らしているのではないかと思い、城壁は蔓が伸びて緑の風景を見せていた。村の裏手には白岩山のそびえている。

アクセス方法
新巨済大橋-沙等面方向 国道14号線-烏良村-観光案内所、烏良城

烏良城
朝鮮前期邑城形態
築城時期1500年(燕山君6年)
周囲:1172m、高さ2.6m、幅5m

巨済観光案内所
住所:巨済市 沙等面 烏良里
(거제시 사등면 오량리)
(コジェシ サドゥンミョン オリャンリ)


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