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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

この国の宗教教育の不在が招く「邪宗門」

2022年08月23日 08時07分26秒 | 政治
 さて、9月27日予定されている安倍晋三元首相の国葬のことだ。すでに7月12日、1991年に亡くなった父・晋太郎氏と同じ東京・芝の増上寺で「家族葬」として本葬は営まれたというから、宗教的行事としての「送りの儀式」はすでに終わっているのであろう。
増上寺は浄土宗のお寺だ。安倍氏は浄土宗信徒の国会議員で組織する「浄光会」という集まりの世話人を務めていたというから、どうやら宗教的には仏教徒であったらしい。その「仏教徒」の安倍氏がなにやら「旧約聖書」を下敷きにしたようなカルト教団「旧統一教会」と関係していたことを快く思わなかった、その教団信徒を母に持つ「仏教徒」の子息から射殺されるという事件が起こってしまった。安倍氏は浄土宗信徒であったのだから、氏の射殺犯は重大な誤りを犯したことになる。
「浄土宗」は法然によって鎌倉仏教の尖端を開いた宗派だ。もはや人々の心を救済する能力を持ち得なくなっていた旧平安仏教を棄教した法然は叡山を下って、7世紀中国の宗教家善導が著した「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうそ)」に依拠して、そこから人々の救済を、「自力」によるのではなく「佛」自らが発する「48の本願(ほんがん)」によって叶う「他力救済」を説いた。中でも第18番目の摂取不捨の「念仏往生の願」を仏陀の「本願」とし、「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽往生が遂げられると説いた。
その簡明な教義は佛の救済から常に漏れていた民衆の心に強い印象を与えずにはおかなかった。法然が著した「選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」はこの国の仏教シーンを一気に拡大する革命となったのは言うまでもない。僧法然と「浄土宗」は、鎌倉仏教の先駆であり、その思想は彼の弟子親鸞によって社会階層の深奥部にまで拡張され思想的な境界を一気に拡大させることとなったのである。
安倍氏の家族葬はこんな鎌倉仏教の一大宗派の寺である東京タワーの真下に位置する港区芝の増上寺で行われたのだが、この寺の創建時は弘法大師開基の真言密教だったといい、浄土宗への改宗は1385年の南北朝時代のことだというから、いささか法然上人草創期の精神は失われてしまった後であったようである。後に江戸時代に入ると徳川家の庇護を受け庶民救済の精神はこの寺からは失われていき、今に至る伽藍仏教寺院に堕していったものであろう。
この浄土宗門徒の安倍氏は、朝鮮半島生まれの新興教団統一教会に接近し、それとの間に有ったか無かった分明ではない「親密性」が疑われて一命を落とすこととなった。宗教に政治が紛れ込むとなんとも不可解な模様を描くことになる。宗教教育を避けてきた戦後の学校教育の欠陥が、数多い「邪宗門」を俗界にはびこらせてきた原因ではないだろうか! 洋菓子屋より和菓子屋が良いという類の道徳教育に熱心だった安倍氏だが、この国の初等教育には普遍的宗教教育が必要だと筆者はいつも思っていた。安倍氏の悲劇はそのことを裏書きしていたと、筆者は一人合点しているのであるが・・・
 
 

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