日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

ニッポンのシュツルム&ドランク時代の終焉を見る思い

2024年01月31日 07時23分47秒 | 政治
 「1974〜75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で死亡した。捜査関係者への取材で分かった。末期の胃がんで、重篤な状態だった。 警視庁公安部はDNA型鑑定で男の身元確認を急いでいる。男が本人と確認されれば容疑者死亡のまま書類送検する方針で、50年近い逃亡生活の全容解明は難しくなる」(2024/01/29 東京新聞)
まだ昭和という年号で言えば49年8月30日のこと、東京丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発し、死者8人・重軽傷者380人ほどを出すという凄惨な事件が勃発した。それから2週間後の9月14日には、オランダのハーグで日本赤軍によるフランス大使館立て籠もり・人質事件が発生。これらはいずれも「日本赤軍」による犯行とされ、その首謀者とされる重信房子らが関与しているとメディアは報道していた。上記新聞記事の「桐島聡」もその主要メンバーであった。
時代は「高度経済成長」という日本史上良くも悪しくも疾風怒濤の時代が終焉を迎える頃であり、その象徴としてこの年の11月26日には、さしもの時代の寵児田中角栄内閣が金脈問題で総辞職するという国政政治において画期であった。
戦後ベビーブームの1946年から3、4年の間に、日本史上最高の260万人という空前絶後の同世代を持つ若者たちが、折から大衆化された大学に進学してきて、見ると聞くとでは大違いの大講義室でのよく聞き取れないよう粗悪な講義を聞かされ、にも拘らずインフレ経済に連動して学費はうなぎのぼりに上がる理不尽に学生たちの不満は一気に燃え上がって学園紛争は全国の国公立大学に燃え広がっていった。そういう中で、次々鎮圧されていった果てに鬼子のように異常進化したのが「日本赤軍」などの暴力革命を叫ぶ鬼っ子「過激派学生」たちであった。
今思えば、この国の豊かさは、これらの暴れん坊たちの言うことをふんわりと包み込んでしまえるほどの厚みには無かった。その基盤の浅さがあれから半世紀たった今、なんとも魅力のない国になってしまった歴史の必然のように筆者には思えてならない。冒頭の記事が、本当にあの「革命派」学生運動の残党の一人であったかどうかは分からないが、本音を言えば、先に重信房子逮捕の話題と同様に人知れず終わっていて欲しいと思いつつ読んだニュースであった。合掌