goo blog サービス終了のお知らせ 

日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

死屍累々は新型コロナウィルスの所為ばかりではないメディア状況

2020年05月01日 07時29分24秒 | コロナウィルス
 「新聞労連や民放労連などでつくる『日本マスコミ文化情報労組会議』」(MIC)が報道関係者に『報道の危機』に関するアンケートを実施したところ、新型コロナ報道について①『感染防止のため現場取材ができず、当局発表に流されていく』、②『政府から〈医療崩壊〉と書くなと要請された』、③『政府や自治体首長の表現を検証もせず垂れ流している』、④『記者会見が入場制限されている』、などと現状を懸念する回答が23日までに多数寄せられた」(2020/04/23共同通信 ここに番号は筆者が付けた)
 解答①の「現場取材ができず、当局発表に流されていく」という「回答」はそれ自体がすでにしてマスコミ業界の敗北を表しているのではないか?「当局発表」の裏を丹念に取材して歩くというのが記者の仕事であるはずで、それによって「当局発表」の裏が取れたのであれば徒労とはいえ、読者にとってはそれでよし、虚偽である事実が暴ければ、それこそが「マスコミ」の存在意義であろう。果敢にその欠落を筆法鋭く突けばよい。
 解答の②、「『医療崩壊』という記事を書くな」とはとんでもないことだ。アルベール・カミユの小説「ペスト」のテーマはまさに医療崩壊後の人々の生きざまを描いて成功した。パンデミックにとって「医療」の存続こそが主題であり最大の関心事である。マスメディアが伝えるべき一丁目一番地がまさに「医療」の現在の確認である。「書くな」と言われて「はい」と答えたとはここには無いが、もしそういう行政機関があればそれをメディアとして批判するのが彼ジャーナリストの存在理由であったはずだ。
 ③『政府や自治体首長の表現を検証もせず垂れ流している』とは、自己批判か謙遜ではあろうが、NHKを筆頭にTV業界がおしなべて「垂れ流し」の「広報機関」に堕していると言われるようになって久しい。これでは、立法・司法・行政につづく「第四の権力」と言われるマスコミの存在意義は壊滅する。もっとも、立法も司法もいまやこの国ではすべて行政の配下に押し込められている。安倍首相が、自分は森羅万象を担当していると口ばしったのはある意味正鵠を射ているのである。
 ④「記者会見が制限される」ことに不満が有るのは、そもそも役所の一室を借りて「記者クラブ」という同業組合に甘んじている現実がその根源であろう。権力に近い記者クラブメンバー社が他を排除するシステムこそが「制限」の出発点だったのではないだろうか?
 批判力を失ったメディアの存在、市民にとっては、まるで死んだカナリアを籠に入れて地底にもぐる炭鉱夫である。毒ガスを検知する社会的仕組みはもはや無い。
関係者は、自分たちのこんなアンケート結果から厳しく自己批判すべきである。MICは「大本営発表に染まった戦前の報道の過ちを繰り返してはならない」とまとめている(同上)という。むべなるかなである。
 (明日より6日まで「日々是好日日記」を休載します。安寧の「Home Stay」となりますように)
 


プラグマティズムと「美しい国」=日本政治の不作為

2020年04月30日 07時55分03秒 | コロナウィルス
 「プラグマティズム」について辞典で調べてみると、一例として次のように解説してあった;――
 「19世紀末に米国で生まれ、現代のアメリカ哲学にも影響を与えている思想。語源は『行為』や『実行』を意味するギリシャ語の『プラグマ』にある。この考え方は、反省や思考を重視する近代哲学に対して、その反省や思考が行為と結びつかねばならないことを強調する。プラグマティズムの創始者であるチャールズ・パースは、観念の意味は行為を抜きにしては考えられないとした。プラグマティズムの名を世に広めたウィリアム・ジェームズは、真理の基礎を生の「有用性」に置き、宗教や科学の意義をそこに求めた。(「知恵蔵」より抜粋)」
 要するに観念的な知識や道徳に関する知識などは、人間が問題を解決するための「道具」であって、その「道具」を使って何が出来るかを問う考え方をプラグマティズムと言い、それゆえにこの考え方を『道具主義』などともいう、ともある。
つまり、「観念」とか、時として「哲学」なども、それが説く考え方が現実的に実行できて始めてなんぼのものだというのである。頭の中で観念的に認識していてもそれが現実社会の中で実現されなければ、それはそれだけのものに過ぎないというのである。
 そもそもヨーロッパ的な価値観からすれば哲学不在のアメリカで、はじめて生まれた哲学「的」思想、それが「プラグマティズム」であった。良くも悪しくも、近代の機械文明を作り上げたアメリカ人たちを鼓舞した思想、それこそがこの「プラグマティズム」であったのであり、戦後の日本が最もこれに影響を受け、これを借りものとしてきたのもこのアメリカ生まれの「道具主義思想」だったのである。ついでに言えば、それでいてちっとも自家薬籠中のものとしたという訳でもないのがこの国ニッポンの思想界でもあったのだが。
 加えて、どうもここへきてその借りもの「思想」も所詮借り物であてみれば、心底身に付いていないために、ここ何年もの間どうも一向に国土全般においてはかばかしい成果が上がらない。その極まった状況がコロナ対策でのちぐはぐさに現れているように思われるのである。その証拠に、たかがマスクの「需要と供給」という経済活動ですら制御できていない。
 「新型コロナウイルスの感染拡大の中、政府がマスクの品薄解消に手を焼いている。店頭での品薄が始まって3カ月以上たつが、今も品薄は続き、世界的な『争奪戦』のあおりで価格高騰も始まった。官邸幹部は『マスクがどこに消えているのか分からない』と困惑する。今後も需要は高止まりすると予想されるが、安倍政権が起死回生を狙った全戸配布の布製『アベノマスク』も不評。それだけでなく汚れが見つかり未配布分が回収される騒ぎまで起きており、品薄解消は見通せない」(2020/04/25毎日新聞)。
 「美しい国」とか、「独自憲法」「ニッポンを取り戻す」「瑞穂の国」などと、過剰な形容詞と副詞を添付した名詞を使った観念的なキャッチフレーズは次々と発せられるものの、そこに現実的な行動や成果が付いてこない。プラグマティズムどころか相も変わらず「無常観」のみが際立つ。
 鳥辺山の煙ばかりが立ち上る昨日今日。もはや、現政府に任せて我らの生存は可能なのや否や? サバイバルゲームに打って出るしかなくなってきたこの国の昨日・今日だ。
 


もう一度原点に立ち返って、「福祉国家」について再論を

2020年04月24日 07時28分10秒 | コロナウィルス
 「全国の警察が4月中旬までの約1カ月間に取り扱った変死体のうち、埼玉、東京、神奈川、三重、兵庫5都県の計11人が、新型コロナウイルス感染を確認されていたことが20日、警察庁への取材で分かった。 警察庁によると、警視庁が最多の6人で、兵庫県警が2人、埼玉、神奈川、三重の各県警が1人。警察庁は年齢や性別など詳細は公表していない。捜査関係者によると、11人は自宅で死亡した人や、路上で倒れていた人など」(2020/04/20共同通信)。
 埼玉県では、保健所の「指導」によって自宅療養を指示されていた50代のコロナウィルス感染症の独居男性が、訪ねてきた老父によってその死を看取られたと聞く。どうみても「先進国」では起こるはずの無い、「らしからぬ事態」が日本国内で現実に発生しているのである。あのアルベール・カミユの小説「ペスト」の時代、時の植民宗主国フランスから見放されてしまった植民地アルジェリアの「オラン市」と同程度の劣悪な福祉状況を21世紀のいま実現しているニッポン。われら国民は大いに恥じ入らなければならない。こんな状況にある粗い網目の福利厚生システムしか持ち得ない堕落した国家体制を作ってしまった「国と地方」政府の無能さをである。
 かくなる上は、上からの指示に従ってパンデミックに立ち向かうのではなく、小説「ペスト」の登場人物たちのように民衆レベルでウィルスとたたかう自治の決意が必要だ。
 この8年近く安倍晋三氏率いる日本政府は、「1億総活躍社会」、「世界の中心で輝くニッポン」、「世界一企業が活躍しやすい国」、「待機児童ゼロ・介護離職ゼロを目指す社会」、「働き方改革」、「基礎的財政収支20年度黒字化」、「物価上昇率2%でデフレ脱却」等々・・「美しい国」実現を掲げたキャッチコピーは多彩で満杯だったが、何一つ実現していないという現実。
 そこへ泣きっ面にハチの新型コロナウィルスの登場ときた。容赦のない脆弱性チェックを強要するコロナウィルスは、上記記事のように誰に看取られることなく夜陰の往来で、独居の個室で死んでいく孤独死者をつくっていたのである。
 緊急事態宣言発布から2週間、そこで定めた期限の5月6日まで半道に至ってこのていたらくだ。「他人」任せでこの先「生と死の亀裂」を越えて行くのは容易なことではあるまい。
 この国の民は、自らの死を政府に任せるのではなく、もう一度原点に立ち返って自らの生の問題に引きつけて、「福祉国家」について根本から再論を画していく必要が有りそうだ。
 上記カミユの小説「ペスト」がこの期に及んで100万部売れたという。この100万人の読者たちは、そこから何を学んだのだろうか? 死はそれほど遠くない距離に居るのだが・・・。
 我が家にはまだ日本国政府肝煎りの「マスク」が届かない。