この格言「由らしむべし知らしむべからず」は「論語」の「泰伯」扁にある。その意味は、「人々を為政者に従わせることはできても、その道理を分からせるのは難しい」と辞書には書いてある。しかし、実際に巷で通用するのはこの解釈とは逆に読んで、「民衆はいくら易しく説いてやっても分からないから、何も聞かせないで程よく手なずけておけばよい」というように使われる。まあ、現実の政治や行政と、民衆の間はこの「正統」でない解釈の方が実態をよく表しているのかもしれない。
コロナ感染者数が再び急増している。もはや「第二次感染」といってほぼ間違いないのではないだろうか? その時にあたってなんのカンバセあってか「Go Toキャンペーン」だそうである。安倍首相が衆院本会議場でこの「Go Toキャンペーン」を「強盗」「強盗」と二度まで読み上げただけの悪い因縁があるためだろうか?、コロナ第二次感染と共に1兆7千億円の大事業が来月早々にも出発進行という。
ところで、この数日東京都の感染者数の動向が注目を集めている。都知事選挙前日の7月4日からの新規感染者数を羅列してみると、131、102、75、224、243、206、206、そして昨日が119人・・・と乱数のような数列が並ぶ。感染症の感染現象が人手を介した作為や犯罪でなく自然現象であるのであれば、この数列は一定の規則性を持っている筈である。しかし見るように全くと言っていい程に「規則性」は無い。
動的に変化する現象であれば、時間的な変化がはあるのだが、それでいて微分の連続性が保たれる。7月4日から3日間は131,102,75と単調減少していて一定の法則=収束(終息)へ向かって変化しているように見えたかと思えば、6日になって突如224人へと急増し時間微分が巨大となる。しかも大きな微分値をとっているだけでなく、翌日7日は243人と単調増加で極大値となって以降減少に転じる。
全体として、この期間に限ってだけでも東京都の検査体制というのは相当にずさんで、検査方針が体系化されておらず、そのために出てきた数値相互の連関性が殆んど存在しないらしいということが見て取れる。それぞれ毎日行われているデータの間に本来あるべきコヒーレンス(coherence)が存在しない。個々には意味が無いわけではない数値が、相互には意味を持って論ずるに耐えられる数値ではないということである。おそらく、調査地域や調査対象者が意図的に選ばれて、しかも散発的に移動してしまい、時間的・空間的連続性が保持されていない為ではないだろうか?
小池都知事が都知事選に再出馬を発表した前三日間の感染データはその数が多かったために後日にその数値の一部を転嫁していたらしいと「赤旗日曜版」(2020/07/12)が伝えている。ことほど左様、残念ながら折角の調査が科学的考究に耐えられるものになっていない。まして、都知事の「やってる感」を大いにアピールするための「祭事(提灯行事)」に堕しているとすればもはや何をか況やである。
この結果を使って専門家が政策を立案するというのであれば、実に危うい所業というべきであろう。