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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

東京都のコロナ感染者数調査の不信用

2020年07月14日 07時47分11秒 | コロナウィルス
 この格言「由らしむべし知らしむべからず」は「論語」の「泰伯」扁にある。その意味は、「人々を為政者に従わせることはできても、その道理を分からせるのは難しい」と辞書には書いてある。しかし、実際に巷で通用するのはこの解釈とは逆に読んで、「民衆はいくら易しく説いてやっても分からないから、何も聞かせないで程よく手なずけておけばよい」というように使われる。まあ、現実の政治や行政と、民衆の間はこの「正統」でない解釈の方が実態をよく表しているのかもしれない。
 コロナ感染者数が再び急増している。もはや「第二次感染」といってほぼ間違いないのではないだろうか? その時にあたってなんのカンバセあってか「Go Toキャンペーン」だそうである。安倍首相が衆院本会議場でこの「Go Toキャンペーン」を「強盗」「強盗」と二度まで読み上げただけの悪い因縁があるためだろうか?、コロナ第二次感染と共に1兆7千億円の大事業が来月早々にも出発進行という。
 ところで、この数日東京都の感染者数の動向が注目を集めている。都知事選挙前日の7月4日からの新規感染者数を羅列してみると、131、102、75、224、243、206、206、そして昨日が119人・・・と乱数のような数列が並ぶ。感染症の感染現象が人手を介した作為や犯罪でなく自然現象であるのであれば、この数列は一定の規則性を持っている筈である。しかし見るように全くと言っていい程に「規則性」は無い。
 動的に変化する現象であれば、時間的な変化がはあるのだが、それでいて微分の連続性が保たれる。7月4日から3日間は131,102,75と単調減少していて一定の法則=収束(終息)へ向かって変化しているように見えたかと思えば、6日になって突如224人へと急増し時間微分が巨大となる。しかも大きな微分値をとっているだけでなく、翌日7日は243人と単調増加で極大値となって以降減少に転じる。
 全体として、この期間に限ってだけでも東京都の検査体制というのは相当にずさんで、検査方針が体系化されておらず、そのために出てきた数値相互の連関性が殆んど存在しないらしいということが見て取れる。それぞれ毎日行われているデータの間に本来あるべきコヒーレンス(coherence)が存在しない。個々には意味が無いわけではない数値が、相互には意味を持って論ずるに耐えられる数値ではないということである。おそらく、調査地域や調査対象者が意図的に選ばれて、しかも散発的に移動してしまい、時間的・空間的連続性が保持されていない為ではないだろうか?
 小池都知事が都知事選に再出馬を発表した前三日間の感染データはその数が多かったために後日にその数値の一部を転嫁していたらしいと「赤旗日曜版」(2020/07/12)が伝えている。ことほど左様、残念ながら折角の調査が科学的考究に耐えられるものになっていない。まして、都知事の「やってる感」を大いにアピールするための「祭事(提灯行事)」に堕しているとすればもはや何をか況やである。
 この結果を使って専門家が政策を立案するというのであれば、実に危うい所業というべきであろう。
 

コロナ戦争「秋の陣」 一難去ってまた・・・

2020年05月20日 07時37分52秒 | コロナウィルス
 「米外交誌フォーリン・ポリシー(電子版)は14日、東京発の論評記事で、日本の新型コロナウイルス感染対策はことごとく見当違いに見えるが、結果的には世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つであり『(対応は)奇妙にもうまくいっているようだ』と伝えた。(2020/05/15共同通信)
 褒められたのか?くさされたのか?よく分からないが、こう書かれてみれば「それはそうかな?」と思わせる記事ではある。
 5月17日現在のデータを見ると、クルーズ船を除く国内感染者総数16,112人、全人口1億2616万1000人に対する感染率は0.013%、そのうち死亡者数744人で感染者の中での死亡率は4.62%。片や世界を同じ日で調べてみると感染者数は約471万人、死亡者数31.5万人、同死亡率は6.7%と日本よりはるかに高い。また、アメリカのそれと比べても感染者数152万人、感染率2.74%、死亡者総数は89,908人でその死亡率は5.91%と日本よりもはるかに高い。
 同上の記事は上に続けて「日本は中国からの観光客が多く、ソーシャル・ディスタンスの確保も中途半端と指摘。感染防止に有効とされるウイルス検査率も国際社会と比べ低いが『死者数が奇跡的に少ない』と評した。さらに『結果は敬服すべきもの』とする一方、『単に幸運だったのか、政策が良かったのかは分からない』と述べた」(同上)ともある。
 どうもこれは褒めてくれようというのでもなさそうで、大してうれしがる必要のない記事だ。
 日本における新型コロナウィルス感染者総数は、感染検査まで「4日待機」という「国民が勘違いした」(加藤厚労大臣発言)とする初期対応のまずさから政府への信用度が低くて不明の感もぬぐえないものの、さりながら感染者数を隠しきれずにもいて最終的に出てきたその数値は正しいとみてよいのではないだろうか?。だとすれば、この国のコロナ対策状況で特筆すべきは死者の少なさではなくて、国際比較で感染率の圧倒的な低さにあるのではないか?。多少の誤魔化しがあっても圧倒的な低さだ。
 この低さの因はなんだったのか?? 特に証拠もないが、筆者はこれは「マスクが消えた」という頻々と伝えられた報道にあったのではないかと推量している。マスクの大好きな日本人にとって、とりわけ需要期にこつぜんと消えたマスク、その無防備への恐怖が逆にマスクなどしたこともない人々にまで着用が徹底して、これが結果的に感染抑制に寄与したのではないか?
 と言っても、マスクなどコロナ予防にそれ程役立つわけは無いが、マスク報道の効果としてマスクを付けることとともに、感染への恐怖を扇動したこと、このインセンティブこそが結果として3蜜忌避の感染率低下に寄与したのではなかったか??
 しかし、感染率の低さは「コロナ戦争春の陣」で国内に抗体を持つ人口を極小化してしまったこと。次なる「秋の陣」にまたやり直しの対策を講じなければならないということを意味する。良かったのか悪かったのか? 一難去ってまた一難、やっぱり、この米紙記事は我ら日本人を褒めてくれたのではなかったのだろう!?

コロナウィルス、何と言っても五里霧中というのがうっ積である

2020年05月15日 07時22分56秒 | コロナウィルス
 クラスター探しという幻想に凝っている間に感染者の実数を捕えそこねるという政府が犯したへまのために、世の中には想像以上のコロナウィルス感染症既往者がいるのではないか? しかし、それでもここ数日、新たな感染者数は目に見えて減少し始めてはいるようだ。これは、民が真剣に「3蜜」回避に精を出した、あるいは精出させられたことによる「成果」であったのだろうか?、それとも?
 この「成果」が非常に大きかったからだというのであれば、ここで「やれやれ」といってそのままに緊張をほどいてしまえば元の木阿弥、ふたたび再感染ということになるだろう。
 というわけで簡単には緊張を緩めるわけにはいかない。しかしさりながら、この上「緊張」ばかりしていてはウィルス感染で死ななくても収入源を失って「経済的死」を迎えてしまう。(昨日の39県緊急事態宣言解除はこういう迷いの中で発したものであろう)
 他方、本当言えば国民も今日までそう大して「犠牲」など払ってはいなかったというのであれば、この発生数の減少は有難いことになる。というのもそれが免疫を獲得した人々が増えてきたためにコロナウィルスにとって飛び石伝いに人から人へ彼らがすみかを開発していくことが難しくなってきたことを証拠づけるからである。
 つまり、そろそろ住民の中では免疫獲得者がマジョリティになってきて、ウィルスにとって飛び石が遠くなって、それによってかれはより取り見取りに犠牲者を捕獲できなくなる。かくて、集団感染という状況が起したくても起こせなくなる。伝染病の予防注射の効能は必ずしも自分が接種を受けずとも多くの他人が受けてくれていれば、ウィルスにとって生きづらく集団感染は起せなくなる。ウィルスは自らが発展するとそのことによって衰退するという宿命を帯びているところが彼らの最大の弱点であるはずだ。
 感染拡張期に感染予防に失敗して感染拡大を果たしてしまった政府としては、ここらで新たに出口側の戦略、国民の抗体獲得統計の調査を開始してはどうだろう。その比率と新規感染者の現象がはっきりと対照関係を形成していれば「勝利」が見えてくることになる。この時初めて「パンデミック」状態から決別できる。
 特に、学校再開についてはその教育環境の濃密さゆえに、児童生徒ら少年少女の免疫率調査こそ学校再開のもっとも重要なデータではないだろうか? まして、工場や商店の再開にとっても重要なインデックスになる。
 こうして少しでも暗闇に曙光が射してきたように思えれば、このやりきれなさから解放されるのだろうが・・・。何と言っても、五里霧中というのがなによりのうっ積である。
 


かいま見えてきた収縮するこの社会のすがた

2020年05月12日 07時17分19秒 | コロナウィルス
 「JR東海とJR西日本、JR九州は、新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言の期間延長と、現在の利用状況を踏まえ、11日(月)以降の東海道・山陽・九州新幹線の運転計画を見直すと発表しました。東海道新幹線は、「のぞみ」の本数を平日と土曜は約4割、日曜・休日は約3割減らし、いずれの日も1日あたり101本とします。1時間あたり3本程度です。「ひかり」「こだま」は引き続きすべての定期列車が運転されます。(2020/05/07乗り物ニュース)
 もとより異常事態である。新型コロナウィルスという世界大の異変勃発の異常事態である。しかし、ここに時代を先取りしている「予兆」も暗示されているのではないだろうか? 記事文中「『のぞみ』の本数を平日と土曜は約4割、日曜・休日は約3割減らし」とビジネス需要の多いはずの「のぞみ」に対して平日側を多く削減しているのが注目点である。
 そもそも東海道新幹線の性格はビジネス目的利用を核として構想され経営されてきたはずである。事実、新幹線の運行実績をみれば景気の上下と連動し、好景気で乗車「人キロ」が伸び、不況で縮小する。しかるに、ここではウィークデー側の月~土側を多く減便している。つまり、新型コロナウィルス発生による出張等のビジネスユースの目減りが大きく響いていて、こういう判断になっていることが推察される。
これは、このパンデミック騒ぎで在宅勤務が増えたために、殊のほかビジネスユースによる新幹線利用が削減されているのであろう。それが特に「のぞみ」利用に大きく影響していることを物語っているのでもあろう。
 ということは、在宅勤務の経験の積み重ねを端緒にして、ビジネスマンの出張業務が相当程度フェースツーフェースの対面型でなくてもネットでのやり取りに変容していく可能性を暗示しているのではないか? だとすれば、対面出張の効率向上を謳い文句にして建設中のJR東海リニアエクスプレスの前途に深刻な赤信号が点滅され始めたことを意味しているのではないだろうか?
 JR東海は、リニア中央新幹線の東京・大阪間全線貫通で、ビジネス交流が盛んになることによって首都圏と中京・関西経済圏を結ぶ7000万人のビジネス空間ができ上るとPRに余念がない。江戸から大坂まで陸路で2週間を要した江戸時代の時間距離がたった1時間で結ばれるのは大事件に違いない。しかし、逆にそうまでして行き来する重要性は、けた違いの即時性を要求することとなってしまうのではないか? その答えがネットワークであり、その究極が集中から分散であり、在宅勤務や分散勤務へと変質していくことだろう。今起こっている三蜜禁止のウィルス騒ぎは、一気にこの変革を強制していくトリガーとなるだろう。世界に遅れたが、ようやく日本でも5Gネットワークが動き始める。
 COVID-19パンデミックの終わった世界は、時速500キロの超高速技術を嗤って無視する時代へとつながっていくのではないか?と、筆者は考えている。そんなことを下記のYouTubeで話しているので視聴されたい。
 「リニアホント通信」: https://www.youtube.com/watch?v=THMGaZ4yFF0&t=75s

日暮れて道遠し、科学的に判断できない指導層

2020年05月07日 07時15分54秒 | コロナウィルス
 先の大戦後に流行したキャッチフレーズ「一億総懺悔」。しかし、当時の人口は一億人はいなかったのだからすでにしてこのフレーズそのものが間違ってはいるが、「馬鹿なことをしたものだ!」という慙愧の念は全国民にほぼ共有されていたのであろうから、その意味内容は当たらずとも遠からずではあったのである。そして、その「総懺悔」の行動変容としては「科学的」に考えるということ、行動を起こすについて常にその行為が「科学的」判断の裏付けを持っているかという要請があったのである。
 戦後に始まった新制大学では「一般教養」科目がこの「科学的思考」のために必須の教科として「人文・社会・自然」の三つの系列から12単位ずつ最低合計36単位を必修させた。これら三系列には「人文科学」、「社会科学」、「自然科学」とすべて「科学」を付して呼称していたほどであった。今では「人文科学」は「人文学」であり、「社会」は監督官庁文科省に嫌われて「社会」そのものが消えてしまって消息不明に陥ってさえいる。
 それより、この時代を画した教養主義の「一般教育」そのものが今では大学教育から事実上消えてしまった。小中高など初等中等教育においても、少なくとも「社会科」という科目はもう見当たらない。
 こういう「科学的」に物事を判断するという「反省」が完膚なきまでに消滅したなと思わせられたのがこの度のパンデミック、新型コロナウィルス対策に係るこの国の行政全般の対応である。その中核である内閣の周章狼狽ぶり、百戦して百敗して今日を迎えている。しかも恐るべきは、連休中の4日に行われた総理大臣記者会見を聞いていても未だに標的の新型ウィルスの正体を認識できていないことはもちろん、この国における「敵」の居所やその勢力さえ把握できていないらしいことである。
 ここにおける「科学」の一丁目一番地はウィルスが何処にどういう量でどんな顔つきをして潜んでいるかを知ること、つまり感染率の把握である。これすら不明のままにやみくもに空襲警報のサイレンを鳴らし続けるという。あの、大戦末期の周章狼狽ぶりを彷彿とさせる状況であって、安倍氏の会見を聞きながら、筆者はあの暑い夏の日の「玉音放送」を真っ直ぐに思い出していた。
 物事を冷静に「科学的」に思考する知性、あれから75年してもなお一国の指導者にすら備わっていない現実、その彼が「戒厳令」を欲っするとして、その前日に開かれていた「改憲団体」の「ネット集会」にビデオメッセージを寄せていたと新聞は報じている。緊急事態宣言を「戒厳令」と置き換えたとて、「科学的」に判断できない指導者がどのように国民を指導していこうというのであろうか?
 「出口」の見えない緊急事態宣言延長、「5月末まで」に科学的根拠はあるのか、などとメディアも報道している。今さらのように、<すべての問題を常に「科学的」に判断すること>、という戦後の反省を思い出す必要があるという、日暮れて道遠しの今日この頃である。