西洋と東洋の狭間

何かにつけ軌道修正の遅い国で有るが一端方向転換すると、凄い勢いで走り出し今までの良き所まで修正してしまう日本文明

中田・英選手は引退なのか!

2006-07-04 19:17:28 | スポーツ
中田英選手の突然の引退は、驚きました。
※以後の記載は素人で中田英寿選手の事も知らないのですが、個人的に好き勝手な素人考えを申させて頂きました。間違った事も多々あるとは思いますがその点はご容赦願います。

努力はしたと想像しますが、日本代表のW杯での、あの結果は、いくら中田選手が「頑張りぬいた」姿を見せたとしても、全てが結果のプロですから、厳しい事と思います。
だからこそ、今後の海外移籍や現所属チームへのアピールには、少し威力がない様にも思え、現状より良い条件の移籍の可能性も少なくなる様にも考えられます。(29日の報道には、チャールトンからのオファーがあったらしいのだが)
又次のW杯を含め、その他の国際試合を戦ってゆく過程において、一つの理由として年齢や、それに伴う体力の低下も考慮しなければならないが、もう一つの理由としては、それ以上に日本代表選手の世界レベルの限界も本大会で感じたのでは、ないだろうか。
厳しい、言い方をあえてするならば、確かに日本は強くなっている事は事実ではありますが、世界レベルでの試合で「ここぞ」の時に決められない、護れない、と課題が持病の様に指摘されている点(そこは世界の強豪チームではやり遂げている事であって)で解消されていない事を推察するに、第一には絶対世界レベルでの学習能力が無いものなのか(キツイ言い方で勘違いされては困るのだが、実力が各自持ち合わせているのに対し、特に大事な世界大会での試合において、相手の実力を考えての一歩先のプレーの組み立てをしない事、或いは我武者羅に挑む心。これは、あの中田英選手がW杯予選の試合にも意思表示した様な姿にも感じられた事ではないでしょうか。又それと同時に残る選手への身をもってのスピリッツを見せた姿にも思えたのは私だけでしょうか。)、第二に、果たして技術的体力的に今が限界なのか、次の世代も未だ国際試合の経験不足である現状からも、左程多くを望めない。それはチームで戦うサッカーでは試合をコントロールする役割りを担うもの(指令塔として「トップ下」や「ボランチ」昔で言う、ディフェンシブ・ハーフ)には、辛い結果が見えてくる。
ならば、中田選手自身、選手以前に、頭の良い人間でもある訳ですので、今までのヨーロッパでの太いパイプや、言葉の障害が無い点、そして国内や国外のネームバリュー、最後は何といってもサッカーを知っている事から、ビジネスチャンスを先にまわすより今が旬なのかもしれないのではないでしょうか。
いずれにしましても、わが国スポーツ界では稀有な存在であるのは確かな事ですので、あっさりと彼の今後を期待し、応援しようではないか。
また、応援するサッカーファンの願いからも、旧日本代表の選手達、次世代の選手達の本当の意味での奮起を望みたい。

狂ったバカンス 「イタリア映画、キュートなC・スパーク」

2006-07-04 00:04:13 | 映画
狂ったバカンス  La Voglia Matta
制作:イタリア・1962年
協賛:イエナ
監督、製作:ルチアーノ・サルチェ
撮影: エリコ・メンツェル
原作:エンリコ・ステッラ「フランチェスカという名の少女」
脚本:エンリコ・シエッラ
音楽:名匠エンニオ・モリコーネ
出演:カトリーヌ・スパーク/ウーゴ・トニャッツィ/ジャンニ・ガルコ/ファブリツィオ・カプッチ


紹介:(カトリーヌ・スパークの魅力が満載の映画です)
ルチアーノ・サルチェ(Luciano Salce)1922年9月25日・イタリア・ローマ生まれ、本作品以後に、1966年・監督・脚本「エル・グレコ」、同年・監督「イタリア式愛のテクニック」、1968年・監督・脚本「女と男と金」、1970年・監督・脚本「ゆかいな結婚」、1975年・監督「ギャグ王世界一/ファントッツィ」等がある。

エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)1928年11月1日・イタリア・ローマ生まれ、演出家エットーレ・スコラに気に入られ、1960年頃から彼が担当するテレビ・ショーの音楽を書くようになります。この番組を通じて演出家ルチアーノ・サルチェとも知り合い、彼の劇場ショー (「Il Lieto Fine」 (1959) など) に音楽を提供します。そのサルチェが映画製作を始めた時、モリコーネにもオリジナルの映画音楽を書くチャンスが回ってきたのです。
当時イタリアでは映画音楽はクラシック作曲家すら注目する話題のメディアでした。一番の売れっ子はニーノ・ロータで、戦時下の1942年から映画音楽を書き始め、1946年以降はかなりの本数を担当しています。
その他にも、アレッサンドロ・チコニーニ、カルロ・ルスティケリ、マリオ・ナシンベーネ、フランチェスコ・アンジェロ・ラヴァニーノ、ピエロ・ピッチオーニ、ジョヴァンニ・フスコといった人々が大量の映画音楽を生み出していました。
モリコーネ自身が映画音楽という分野に興味を抱いたのは、ハリウッドの大御所アルフレッド・ニューマンが担当した「聖衣 (The Robe)」(1953) を観てからです。

カトリーヌ・スパーク(Catherine Spaak) 1945年4月3日・フランス・パリ生まれ、父は脚本家のシャルル・スパーク、祖父はベルギーの外務大臣。
幼いころから映画界の空気に触れ、映画業界入りを切望し、親の反対を押し切って59年にジャック・ベッケルの「穴」でワンシーンながら映画初出演。
翌年にソフィア・ローレンの助言を受け、アルベルト・ラットゥアーダ監督のイタリア映画「17歳よさようなら」で本格的にデビュー。この作品でアイドルとなり、成長に合わせた形で「太陽の下の18才」「狂ったバカンス」と次々に主演し、ティーン・スターとして幅広い人気を得た。「太陽の下の18才」で共演したファブリッツィオ・カプッチと1963年に結婚。一児をもうけたが、同年に離婚。姉のアニエスも女優。
奔放で小悪魔的なキャラクターを得意とし、「女性上位時代」では気の多い未亡人役も演じた。それらの映画で見せたファッションは今なお支持されている。
代表作は上記紹介作以外には「輪舞」「禁じられた抱擁」「ホテル」「ダンケルク」「夜は盗みのために」等。

ウーゴ・トニャッツィ(Ugo Tognazzi)は1922年3月23イタリア・クレモナ(allcinema)生まれ、(没年1990年10月27日)、代表作1981年カンヌ国際映画祭・男優賞「ある愚か者の悲劇」その他本作品以外に、1964年クラウディア・カルディナーレとの共演作「気ままな情事」、1967年「ヨーロッパ式クライマックス」、1968年「ハーレム」、1986年「ウエディングベル」「Mr.レディMr.マダム3」、1988年「グルメ・アカデミー」等。



ストーリー
妻とは別居し、独身のプレイボーイを気取る中年電気技師で経営者のアントニオ(トニャッツイ)、そして女には目がない39才の男。離婚して数年、恋人をローマに住まわせている。
夏の終わり、LA VOGLIA MATTA ローマで恋人とのデートをして野外劇場の帰り、彼はひとり新車のアルファロメオ スパイダーを操り、ピサの寄宿舎に入れてある息子に会いに行く道中、海岸添いのハイウェイで、ヴァカンスに向かう自由奔放なハイティーンたちの2台の車に止められ、ガソリンを取られたあげく、彼らのバンガローに連れ込まれる。何度もそこを逃げ様とするが、彼等はブルジョアである彼を利用する為に、妨げ引き戻すのである。
だが、一団の中心的な存在である美しい娘フランチェスカ(スパーク)16才、に何故か内心強く惹かれ、曲折の末彼らと一夜を共にする。そんな中で、彼女のドライで女の子の様な子供っぽい気紛れと、男性を意識した女性としての媚態が奇妙に同居している事から、益々目が離せないでいくのであり、息子との再会を気にしながらも、浮気心が、彼女への執着を徐々につのらせ、いつのまにか真の愛に変っていき、彼らにつきあわざるをえなくなる。
彼は一生懸命、彼女を口説こうとするのだが、彼女の方は自身の魅力を巧みに使いながら彼をからかい半分でいる。若者にからかわれても、彼女の「ごめんなさい」の一言でフランチェスカを愛しいと思う。車での同乗の場面、アルファのアクセルを踏んで「150kmはジェームス・ディーンが死んだ速度よ!」と笑うフランチェスカ。アルファのスパイダーは185km出せる。しかし今までの彼は75km以上で運転しないでいたのであるが、暴走する、彼女にアクセルを踏ませたまま。
自制と自問を繰り返しながらも若者たちの勢いと娘の魅力にずるずると巻き込まれてゆく中年アントニオが可笑しくもあり、また切なくもある。
ある夜、彼は遊び疲れてフランチェスカと共に眠るのだが、目を覚ました時には、若者たちの姿は何処にもなかった。
彼は青春の持つ、素晴らしさと残酷さをかみしめながら、一定の満足感と傷心からか、疲れた姿で車を息子の待つピサに向けていった。
息子と愛人のいる暮しは、何事もなかったように続くのだろうか。


当時の私は「アイドルを探せ」・シルヴィ・ヴァルタンの大のファンでしたが、ある日曜日の午前中に放映されていたのが、カトリーヌ・スパークの美しさが一際映える、この作品でした。まだ中学生であった私でも、作中のアントニオの気持ちと一体のなった程、美しい小悪魔的美女で、こんな美少女なら、どんな青年、いや、男だって翻弄されるでしょう。嫌みな棘のない、お洒落な映画で、当時としては型破りな彼女の全裸着替えシーンや刺激的な水着姿がふんだんに盛り込まれ、カトリーヌ・スパークの時代の先駆者としての魅力が弾け、アントニオ共々見る人も夢のひとときを過ごすことができる作品と言えるでしょう。
カトリーヌ・スパークのキュートな笑顔・シュールに描かれた若さ・抜群なスタイルは、勿論なのですが、それら以外でもファッション、ヘアスタイル(ボブヘア)、エンニオ・モリコーネのツイストも健在であり、この60年代の作品を観るのは色々な角度からも面白いものです。
ヨーロッパではカトリーヌ・ドヌーヴ・クラウディア・カルディナーレやモニカ・ヴィッティ、マリー・ラフォレ等と同時代の女優だが、70年代から、今ひとつメジャーになれなかったのは、良い作品、良い監督に恵まれなかった為なのでしょうか。
その後の作品でも印象残ったのは、1964年「ダンケルク」・1940年6月、ドーバー海峡に面した北フランスの港町ダンケルクにドイツ軍によって追い詰められた英仏連合軍36万人の兵士の脱出作戦を題材にした、ロバート・メルルの小説「ズイドコートの週末」をアンリ・ヴェルヌイユが演出した戦争映画。
主演のジャン=ポール・ベルモンド扮するマーヤ曹長のズイドコートでの週末の2日間を通した、反戦映画の傑作に出演したカトリーヌ・スパークは町に居残って自分の家を守る健気な娘ジャンヌの役なのですが、物語の本質とは関係なく、戦時下にも関わらず、コスチュームもキュートで文句なしの19歳の美女!をお披露目しました。