西洋と東洋の狭間

何かにつけ軌道修正の遅い国で有るが一端方向転換すると、凄い勢いで走り出し今までの良き所まで修正してしまう日本文明

感激!ヨーロッパ ローテンブルグ昔にタイム「スリー」ップ  

2006-04-29 04:19:35 | 海外の旅行
次の日、昨日迄の雨が嘘の様に空は快晴だ!これからの訪問地への期待も膨らんで素晴らしい朝を向かえる。
ハッキリと目に入るハイデルベルグの街並が、ヨーロッパと言う実感をあえて味わわせてくれている。

このツアーは2グループA班とB班に分かれており、私はA班で最長老、(なんてね。単に年を食っているだけだ)約15組のカップル内、大阪(関西)は3組私を入れて6名とにかく少ない割に賑やかしい(私を筆頭に)ちなみに、B班は年配の人が多い。

朝食もウキウキ済ませ、さあバスで行ったろかア
その意気込みは良かったが、昨日までの強行軍の為すぐに寝る。周囲のざわめきで二度目の朝をむかえる。街道沿いの古城巡りであり、頭に直接輸血をしないと目が覚めない思いであったが、見るもの聞くものが、趣があり歴史を感じ、何より新鮮味が在る事から好奇心と言う血液が注入されたか様に絶好調である。
次の古城までのバスからの景色は、牧草地に大きな造園かの如く木々が点在し小さな町はそれら風景に溶け込む様に可愛いアクセントとなっている。
日本ではまず、見られない保養だ。(大体この街道沿いの景色は全てが土地の形状に合わせて目を楽しませてくれる)
三回目の古城を見学する時には、妻はバスを降りない、つまり見学をしないと言う。他の親しくなった人に誘われても行く気がない様だ。「何で行かない」聞くと「古城が何か気持ち悪い」と言う。「お前が一人バスに居る方が気持ち悪いやろ」冗談交じりに怒られる覚悟で言ったが、以外と素直に見学をした。これもヨーロッパのおかげ、かな。

前記した様な道中を終え、バスはローテンブルグヘ着き、女性が喜ぶ様な、ペンションに案内される。
荷物を置き、部屋の探索と言っても小さい部屋であり可愛い調度品等を見ながら、バスルームで考えさされる物をみたのです。
絨毯上にバスタブがありそのやや上にシャワーの口、しかも固定なのだ。自分の日本人的な風呂の利用方法をこのバスタブで実行した場合の無様な様子が頭に浮かび悩んで入れば、親しい大阪の一組の訪問があり、部屋を見に来たのである。奥さんが「いやー、こっちの方がええわ」妻が「うそ、本当?」彼らのバスルームはシャワーではなく蛇口だけとの事、「私ら良かったね」と妻は言ってきた。何と言うレベルの低い慰めか。ま、しかし最悪なバスルームもある事で、低いなりの納得。

食事までの空いた時間、街の探索とショッピング、彼女達はほぼ買い物目的?しかし石畳の道を挟む様に作り物の様な家々が、それぞれの個性を披露している。又この小さな街に郊外があるかの様に田舎風な一角もあり、そこに建つ民家も先に紹介した家々とは異なり丸みのある又暖か味を感じさせる。
路地を抜ければ広場が現れ、人々に優しく時を告げる時計台が広場を見つめている。
折々買い物をするが、男はあまり買う物がない。ふと気がつくと妻はあまり大きな買い物をしていない(ははーん、読めたフランスで爆発するな





旧国鉄周遊券の旅(さん・萩へ)

2006-04-28 04:16:02 | 国内の旅

萩までの列車は、一部蒸気機関車であったと思う。

その頃の記憶でも、初めての経験だ。この時は先発隊と一緒で四人で向かい合って座っているが横の席には女の子のグループな為、自然と意識するが切欠がない。
そんな、妄想をしている間に汽車は、トンネルの中へ入ったのだが窓が開いていた為、煙がいきなり混入したから大騒ぎだ、他のやはり同じ旅行客はどうしていたか今でも分からないが、とにかく煙い、あわててみんなで横の女の子の窓を閉める。(あわてる中にもみんな冷静だった)次にその辺の窓を手分けして閉めたが、閉め終わったらトンネルから出ていた。なんの為に閉めたのか逆にコモッテしまっている。(たぶん対処の遅れた自分達の周りがひどかったんだろう)「意味、あるんか」と友人に尋ねても後のまつりで、夏の事であるから暑い、おまけに煙い、あわてて窓を開けると清々しい風が入って来る。結局女の子には「ありがとう すいません」で終わって今度は心の中が煙でコモッタ様な。

そんなこんなで、萩駅に着いたのは、同じく日が暮れており、今から旅館捜しに行かなければならないが、遅かった為に人通りがない。「旅館やってないのと違うか」「駅で寝られんかな」と悲観的な意見が飛び交う中、「まあ、取りあえず捜して見ようや」すると「おー前向きや、そうしよう」たいして前向きな意見でもないが、一件目を当たると、「はい、宜しいですよ何名様でしょうか」と軽い返事、あの会話は何だったんだと思いながら、最悪野宿だけは、避けられた。
また、二人部屋を二部屋今度は壁にカーテンがないから無意味な一安心、そして風呂。友人が「ジーパン洗いたい」と言い出すが、「確か何処でも風呂での洗だくは駄目と違うか」とあきらめる様に言うが諦めない「そしたら嗅いでみて」と脱いだジーパンを近づけてきた。・・・・・結局その場で洗う事に意義なしと意識混濁の中思わざるおえなかった。

風呂の中は旅館の規模に合わせて狭いのだが幸い貸切なので、景気よく、生地がごつい為ジーパンを二人で洗い最後に両端を持って絞っていればいきなり戸が開き、「あ、あんたら風呂で洗だくは、あかんやろ」怒鳴って言うおばちゃんが、終わるや否やピシャ閉めた。驚くは・恥ずかしいから隠さなあかんは・おばちゃんだからまあええか、なんて言葉が頭の中を走馬灯の様に流れ、結果しばらく呆然と固まっていた。
友人が「まったく、風呂ではろくな目にあわないな」それは、お前やろ。



鉄格子の彼方 「粋な男ジャン・ギャバン」

2006-04-27 05:08:04 | 映画
この作品は私が中学一年生の時に、(当時金曜、土曜日の深夜二度同じ洋画の古い作品をテレビ放映されていました。)何気なく見た事から、ヨーロッパ作品に、陶酔しましたキッカケになり又、ジャン・ギャバンの大ファンとなった個人的に思いの深い作品でした。残念な事に再び見たいと思い続けておりますが、未だめぐり合う事が叶っておりません。

1949年度、仏・伊提携作品、
監督 ルネ・クレマン※
  「禁じられた遊び」「居酒屋」「太陽がいっぱい」
出演 ジャン・ギャバン 
  「望郷・ペペルモコ」「現金に手を出すな」「ヘッドライト」「地下室のメロディ」「暗黒街の二人」
   イザ・ミランダ※
  「輪舞」「われら女性」「旅情」
   ヴェラ・タルキ ロベール・ダルバン アンドレア・ケッキ
1949年度・カンヌ映画祭、監督賞※、女優演技賞※、(グランプリ・第三の男)
1950年度・アカデミー賞、外国語映画賞

フランス・ピエール(J・ギャバン)は、行商人から掴まされたニセ札の他は無一文で歯痛に悩まされながら、ジェノバの港に着く、そこに港の娘チェッキーナ(V・タルキ)の案内で歯医者に行くが、ニセ札と分かり警察に連行される。そこでチェッキーナの母で給仕をしているマルタ(I・ミランダ)に出会う、好意を持った彼女はピエールをアパートに連れて来るが、マルタの前夫が娘を取り返そうと訪ねて来る。しかしピエールは男を追い返すのだが、その事から二人はより愛し合う様になる。

すでに人殺しのお尋ね者であるピエールは迷惑を懸けない為、船に戻るが乗船を拒否され再びマルタの許に帰り、自分の過去を打ち明ける。
マルタの愛は変わる事はないが、チェッキーナは二人に嫉妬をしピエールを港に返そうとする。又、ピエールに追い返された前夫は、都合の悪い存在のピエールを警察に告訴し、警察はアパートまで事情を調べに来る。やがて過去の殺人に疑いを持ち、捜査の手を伸ばしてくる。

何も知らない二人は仲良く買い物に行く、一方二人に警察のわなを知らせる為に、二人を捜すチェッキーナ。それを見た二人はそうとも知らず、彼女に見られない様に警察が待っている方へと逆に行き、捕まってしまうのでした。「お前の為にはこの方がいいんだ」と言い残し連行される彼の背中に虚しく「ピエール、ピエール、ピエール」と
叫ぶ声が響くのである。

ついつい、この家族のサイドで見ている人を引きずり込み、幸せであればある程、何か先の不安を抱かせ、少年である私が自分自身、あたかも頼もしい男ギャバン、になった様な錯覚でこの美しい女ミランダとの未来を心配する。ゆえに、ラストの引き裂かれた様な気持ちは言うまでも無く、ラストの叫ぶ声が余計に辛く突き刺さった思いの作品でした。
J・ギャバンの古い日本人気質に近い男としての演技とI・ミランダの母親、又それ以上の女性らしさが、そこまでの感傷を残させた事と言えるでしょう。

感激!ヨーロッパ ドイ「ツー」夜のハイデルベルグ

2006-04-26 04:46:24 | 海外の旅行


フランクフルトからバスでハイデルベルグに到着したのは、日が暮れていた。少し小雨だ。


先に古城、ハイデルベルグ城中に入れば日暮れノ為か、やや暗く昔の臨場感がそのままあじわえる。すると目の前に世界最大のワインの大樽(22万1700l入る)が見えてくる城の中ではなく、まるで酒蔵と言った方がいい。


城壁からの展望は、まるで14世紀のヨーロッパである(ここには足跡らしきへこんだ形があるのだが、昔上から飛び降りて付いた物らしいが定かでない)又、増改築によるルネッサンス、バロック、ゴシック様式ノ建物が残っており歴史的な興味をそそられる。妻の傘のトラブルでなんだかんだあった以外、順調なはじまりだ。


約1時間程の古城見学の後、街に出たのですが現在の記憶では、みやげの買い物と私の一番見たかった学生牢である。小さい時に親父が見ていたT・V番組(兼高かおる世界の旅)で案内されていた頃から何故か興味があった。投獄された学生は名誉な事で2~3日はパンと水でその後は、差し入れが許されるらしい。内部の落書きがあり、有名人のメッセージもあるのだが、残念な事に読めない。しかしコノ時の妻は、みやげ物を見る時は元気なのだが、歴史的な物は全く脱水状態の様だおそらく帰っても記憶にはあるまい。


ホテルに帰り食事を終え、部屋に入り風呂が終わり、寝たいのだが、明日がさっそく移動日なので、トランクと格闘しなければならず、買い物が増えると、これから先どうなる事やら(今日はこれぐらいにしといてやらー)と思っていると部屋の中に光が走る、妻が自分で自分の写真を撮っている。(今でもアルバムにあるが、俺は後頭部しか写っていなかった)。


 


旧国鉄周遊券の旅(に・三瓶山)

2006-04-25 05:27:46 | 国内の旅

大田市の駅に着き、汽車の中で友人と相談した結果、選んだ三瓶山に行く為、バス停に行き時刻表を見て、驚いた事には2~3時間待ちであった。(観光協会からクレームが来てはいけないので、あくまでこれは、昔の話で)今から考えて見ても、どうして男二人で時間をつぶしたか解らない。考えたくもないけどね、とにかくバスに乗り三瓶山に着き民宿へ、まずまず二人にしては広い部屋だ、即風呂に行くが年寄りばかり、当時夏である為スキーのオフなのか、この民宿の限りでは、お年寄りが多かったようだ。咳き込むお年寄りの音響が響中、湯治に来た気分、何故かこめかみに張っておられる黒いサロンパスのようなものが話題になり市販されているのか、いないのか 今でも分からない。とにかく、食事も済み「女の子、見なかったな」なんて、何の目的で旅行してんだか、そんな会話で寝ようと天井をみれば、これまたデカイ蛾がとまっている。羽の幅15センチはありそうな、「重みで落ちてきたりして」なんて真上の蛾を見ながら冗談を言いながら、笑う心の中で実は心配になっていた(動きがおかしい)冗談で言ってた事は、まんざら嘘ではなかったそのままの状態で落下してきた。調度顔の真上だった為だんだん大きくなり目の方に落ちてくる蛾、このまま着地されたら忍者赤影状態になる。そこは若かった ヒラリと交して、「普通、落ちるまで飛ばへんか」なんて、落ちて足を上にバタバタしているドンくさい蛾を見ながらそしてまだ笑いこけてる友人に怒りの質問、
その日は天井を目でチェックしながら赤影の夢(んな訳、ないべ)。

次の日は晴れ、昨日の事が嘘の様な気分と言いたいところ、なんか薄ら晴れ。さっそく動いていないロープウェイを動かして頂きハイキングコース。少し歩くと霧が出て、せっかくの景色が見えないどころか 1メートル先まで見えなくなり、しかし勇気と馬鹿さで前に進む、おそらく半分位はコースを味わえなかったグレーの世界、不安な気持ちで早足で歩くと、前方からハイキングの人達が目に入ってきた、嬉しかったね。先頭の人が「この先行けますか?」と聞いてこられた。
ビビってたなんか言えないし、人と会えた喜び、又さっして道は分かりやすかった事から満面笑みで、「行けますよ」と余裕の返事。安心感から降りるまで会う人会う人明るく挨拶の連発、そのころはすっかり霧もはれ、素晴らしい眺めを満喫しながら、ふもとの牧草地で休憩(上記写真のところ)、今度こそ壮快な気分で晴天の空を仰ぎながら自分だけの世界と思い遠く先の道を見れば、止まったバスから何処かで見た様な奴二人が、こちらを見て手なんか振っている、一日先に出発した友人だ。「あいつら、一日先に出たのに、何処に行ってたんだろう」と話ながら、喜んで手を振りながらくる友人を無視して再び空を見上げながら、しばらくの間の開放感をあじわった。


飢餓海峡 「俳優の迫真の演技と時代を鋭く描写した映画」

2006-04-23 22:17:05 | 映画


 


1965年、 原作 水上勉、 監督 内田吐夢、 出演 三国連太郎、左幸子、
       伴淳三郎、沢村貞子、高倉健。

昭和22年、北海道岩内の質屋に三人組の強盗が押し入り一家三人を殺し、火を放ち津軽海峡をボートで逃走した。その直後、折りからの台風により、青函連絡船層雲丸は、530名を乗せて沈没をした。
遭難者の中に、二人の身元不明者がいた。担当刑事の弓坂(伴)は疑念を持つ、そして岩内警察の報告で質屋の主人が三日前に温泉に行っており、この日出所した死体の二人と大男の犬飼(三国)と同宿していたのだと。この糸口から弓坂の執拗な捜査が始まるのであった。

一方犬飼は下北の花町の娼婦、八重(左)と一夜を共にしていた。屈託のない、明るい八重に一息の安らぎを感じたのであろう(この男は女にも、自分と同じ様に厳しさの中で強く生きなければ崩れそうな弱いあるいは、優しいもの感じたのでは、ないだろうか。ただ生き抜く定義が大きく違っていた)八重もそんな男の声無き叫びを、肌で感じたのであろう。ゆえに何気なく爪を切ってやったりする事や、その時ふと見えた親指の傷や切った爪でも心と手に残すのでした。犬飼は札束の入った包みを八重に残し消えてしまう。
やがて、懸命の捜査をする弓坂が、八重の前に現れ聞き込みをするのだが、八重は犬飼をかばい又、自分自身も借金を返し、去って行った犬飼の思慕を抱き、いつか会える事を信じ東京に移り、鬼の様に働くのであった。

10年が過ぎ、ある日の事、偶然八重は新聞に目を奪われる。記事には心に焼き付けた犬飼(樽見)が企業家となり、3000万円の寄付をしたと言う晴れ晴れとした内容であった。八重は、樽見の居る舞鶴へと向かった。
舞鶴でやっと樽見に会ったが、樽見は人違いと言い張る。執拗に何とか食い下がる八重は樽見の親指に犬飼と同じ傷を見つけ、確信し言い寄るが、もみ合っている犬飼は八重の首を折り、殺してしまうのでる。又、更にその現場を秘書に見られ過去に引き戻される様に二人目の殺人を犯すのでした。

海岸に二人の男女の死体が発見され、女の荷物から樽見の新聞の切り抜きが出てきた。地元の警察は樽見を参考人として事情聴取をするが、否認をする。そんな樽見に女が持っていた爪を見せる。呆然とする樽見、そこには否認をしているが樽見ではなく犬飼がいた。

牢獄に居る犬飼に、今は刑事を退職した弓坂が会いに来た。弓坂は包みを出し犬飼に見せる。「これは、何だか解りますか・・・・・・」(ここから、弓坂(伴)が犬飼(三国)に、穏やかなれど 厳しく、万感込めて言うのです。自分自身が二度目の犯行を阻止してやれなかった事、又八重を一度は救えたこの男への哀れさ、悔しさ、それを受け止めたい犬飼の心情が 見てる人の心も同じ目線で感じられて、ホロ苦く、体に染み渡る場面でした。)「あなたが海峡を渡った船を焼いた、灰です。」/上記写真
犬飼は、「北海道に連れて行って下さい」と彼なりに貧しさから決別したあの海峡を再び渡る決意をしたかに見えたが、海峡を渡る船の上から、弓坂の目を離した隙に 海峡を挟んだ地から又、過去の貧しさ、厳しさに戻る事を拒む様に、海峡に身を沈めたのでした。

この映画の三国連太郎さんは、おそらくどんな役柄でも徹底してこなせられる、日本を代表する俳優だと思います。又、左幸子さんは優しさ、嫌らしさの許容範囲内限界までの間での演技が、見事でしたね。又、伴さんの刑事職務前・後の年代で人の深みを知り尽くした役に新境地を見つけ出され、当時、絶賛された事はみなさんもご存知の方が多いと思います。
この伴淳三郎さんの演技には、少しエピソードがあったらしいのです。有名な撮影仲間の一人の話ですが当時、伴・淳さんはコメディの役者として絶頂期で、この作品の撮影に乗り込まれたそうですが、イザ撮影に入るとメガホンを取っておられた内田監督は、伴さんにかなり厳しく、なかなか、OKを出さなかったらしいのです。それには伴さんも、段々落ち込み、撮影がない時でも話をしなくなる程で、そのままで撮影は進み、無事クランクアウトになったとの事。
後日、監督の話では、「伴さんが役には全然不足なんかでは無いのだが、喜劇人として油ののっている人に、いくら演技がうまくても、どうしても喜劇の部分が見る人には心の片隅にイメージがあるから、伴さんには気の毒だが厳しい環境で心の芯からプライドを捨ててもらった」(記憶では、違う部分はあるかもしれませんが、おおよそ その様なコメントだったと思います。)との事でした。」凄いぶつかり合いの仕事ですね。そんな所もまじえてこの映画を見られたら、違った意味合いでも釘付けになる実にいい映画ですよ。


感激!ヨーロッパ 原っぱとちゃうワン

2006-04-22 05:01:29 | 海外の旅行
未だ、東西冷戦の終焉の頃、少したいそうな前書きになったが世界的には、大した事では無いが個人的には、小さい頃からの憧れのヨーロッパだ。

航路は、アラスカ周り行きはいいが、帰り結構キツイ、おまけに日本に着いても大阪迄帰らないといけない。
まあ、帰りの愚痴は、それまでにして行きは最高の気分。朝の四時か五時にまず最初の国オランダ・ダ。まるで歓迎してくれるかの様に雨、さして見たくもない木靴工場の見学、就職する訳でもないのに工場見学、しかし外に出れば写真と絵画でしか見た事のない風車。まるで日本の水車と灯台を足して二で割った様な訳の分からない感動、話は逸れるがここの女性はデカイこのゲルマンサイズは本編最後に思い知らされる事も知らずにご機嫌な気分で、次は男にはドキッとするダイヤモンド加工のこれまた見学、ちなみに妻の存在もこの時ばかりは、何故か一緒だ。とあえて思った次第で早々に出て、一路スキポール空港からフランクフルト空港、持っているタバコの数にクレームをつけられながらも添乗員さんを交えて懇談。向こうの勘違い、簡単な事だ!なんてね話せない辛さを いい思い出に無理やりにして、そんな場合じゃない次はトイレなのだが小の便器がやたらと高い、おつりが返ってこない高さまでバレーの気持ちでジャッキアップをしなくては、こんな事だったら後ろの大専用の扉にアジア人用と書いておけよ。しばらくして両隣にはサイズに合ったゲルマン人、思わず高さの違いに納得しました。ね(汚い話で申し訳ないです)この次はきれいな思い出話をかきます。

天使の詩 「イタリア・孤独な少年」

2006-04-21 06:39:32 | 映画
1965年度イタリア、監督ルイジ・コメンチーニ、製作アンジェロ・リッツオーリ、出演アンソニー・クエイル ステファーノ・コラグランデ シモーネ・ジャンノッツィ ジョン・シャープ
当映画はご覧になられていない人には、マイナーな映画に思われますが、1971年にはロードショーされています。
舞台は、フィレンツェ英国領事の父と母に二人の八歳と四歳の息子一家に母が亡くなった後から物語が始まります。父親は幼すぎる子供には母親の死を伝えないでいたのだが、利発で感受性の強い(長男)兄は母親の死をきずき始めるのである。そんな折、父親の留守の間に父親が大事に隠してあった母親の声が入っているテープレコーダーを見つけ、母親の声を聞くのですが、繰り返し聞こうとする間に間違えて母親の声を消してしまうのです。このシーン(必見)は兄(アンドレ)役のステファーノ・コラグランデがテープレコーダーから聞こえてくる声に、今までの孤独感を癒してくれる やさしかった母親に触れ、現実には懐かしい決して会う事の出来ない母親を追い続けるように涙を流す表情は見事なものでした。
父親は下の子供がまだ幼い為、不憫に思え母親の死を知った兄には利発な子であるが為に、厳しく大人の接し方をするのですが 実際、弟は確かに不憫ではあるが、父親、兄からの愛情を受け何より母親の死を全く知らない事に救いがあり、現実を知った兄は、心の空虚さと寂しさ、又それ以上に小さな心に抱えきれない深い悲しみと痛みを持ち続け、その心が導く様にラストの悲しい結末へと物語は進むのです。
死床についたわが子の気持ちを初めて父親は知る事になるのですが、時すでに遅く、(やっと)やさしい母親の許に行く様に息をひきとるのでした。
劇場で不覚にもはじめて涙を流ししばらく帰れなかった記憶が未だに忘れられない唯一の作品でした。

旧国鉄周遊券の旅(いち)

2006-04-20 00:00:21 | 国内の旅
学生の頃に、七泊八日の周遊券あり。友人含めを四人で二人づつ二組にして一日のヅレをつくり行き当たりばったりの旅をしました。                                         一日先行した友人とは待ち合わせの約束をした事はないんですが、毎日不思議と何処かで偶然会いましたね 遅れましたが山陰、山陽道の旅だったんですが、相方の(汚い話で申し訳ないです)便所(乗り物を乗る間際に入るんです)の為に、乗り遅れたりして確か萩の手前を 偶然会った先行隊の四人と合流し、夕刻民宿を捜し、田舎道を歩いて野宿かなと思いだした時、素泊まり一泊900円の看板が目に入りました。見つかった安堵感より値段の安さで大喜びだったね。(当時ミスタードーナッツの夜勤バイトが300円、コカ・コーラ助手で一日4200円)行けば フロントにあたる家主の家と泊る民宿とは離れていましたが 何と二人部屋を隣同士、二室借りられ、といっても我々以外誰も宿泊客はいなかったですけれど 『じゃあ、また明日な・・・』と言って、ドアーを開け部屋に入りました。壁が薄いのか隣の部屋の友人とも違和感なく普通の音量で話す事が出来、何故かあえて隣の部屋の友人に(風呂はいるわ)なんて言いながら風呂に入り、入浴後に湯を流そうと思えば、底に栓がないのですよ。仕方なくホーローの浴槽を二人で乾坤一発の力でひっくり返したかと思うと今度は、湯量の多さの為、石鹸からシャンプー、タオルが下部のブリキの壁の隙間から外に流れてしまい今度はパンツ一つで外に捜しに行ったりで ようようベッドに入りましたがベッドは壁につけた状態なのですが、よくよく考えれば全く意味のないカーテンがまるでそこに窓があるかの様に存在し、隣の友人の声がこれまた大きく聞こえるではないですか。おかしいなと同時に、そのカーテンを怖いもの見たさで思い切り開けて目に入ってきたものは、壁があり、見えないはずのない隣の友人がやはり見えないはずの私が突然見えた訳で、驚き抱き合って悲鳴をあげるじゃないですか、こちらも予想外の展開と友人の悲鳴に驚き(わー)って出した事のない悲鳴ともつかない様な奇声を出してましたね。四人の男の情けない声が山野の夜にコダマした一夜でした。 

卒業 映画「ダスティ・ホフマンとスカボローフェアー」

2006-04-19 07:56:20 | 映画
この映画を見たのは、おそらく1971年だったと思います。最初はあの音楽で映画の主人公に入っていきましたね。近くに座っている観客を何気なく見たら 視野に入っているほとんどの人が流れるサウンドに足で調子をとっていたのが 可笑しく思いながら 次の展開に引き込まれていきました。物語の問いかけには奥深いものがあるのですが、シンプルなストーリーから突き進んで行く主人公に落ち着いて好奇心を持って追っていけましたね。ゆえに下世話ではあるがあの非常識な行動より、何故ガソリンを入れないのか あの車はどうするんだ駐禁だよなんて少し頭を よぎらしながらラストシーン 映画の演出効果、てき面に教会のエレーン以外の人間が敵に思えましたよね。そりゃ怒るわね普通に考えても でもそれは大人の考えですよ もちろん正しい道徳感なんですが若い主人公から考えるには、おそらく学業、スポーツを優秀な成績で卒業し当時の社会状況からも未来が明るいもので親はもちろん 周りの人々の期待を裏切っていない自分 又、好んでそうして来た自分に何か足らない物、あるいは不満を感じながら帰郷したのではないか その心を見透かしたようなミセス・ロビンソンの誘いに葛藤しながらも心のはけ口を求めたのでしょう。しかし物語は主人公を思いもよらない運命にひきづり込み、不倫相手の娘エレーンとの真の愛情の間に揺れ動く間もなく主人公を早い展開で、それは過去の自分に反抗し決別するかの様に、今こそ若いがゆえの後悔をしないが為に自己の心に正直な行動をとったものだと思います。そこには未来の事等考える余裕はないでしょう。今その行動をとる意味の方が大事なのだから、やがてラストシーンに向かうのですが、そこには物語の最初とダブル様に今度は飛行機ではなくバスの中、愛する人と一緒だ。乗客の稀有な目にも笑えるのだがその目はこれからの世間の目、主人公の心には自分なりの卒業はしたものの・・・・・と感じさせられた名作だとおもいます。ちなみに撮影時のアン・バンクロフトは(過去に奇跡の人でアカデミー主演女優賞)36歳、ダスティ・ホフマンは30歳、キャサリン・ロスは27歳、映画の中では世代間がありましたよね さすがですよね派手な映画の出演より問いかける様な出演作が多いのもうなずけます。