西洋と東洋の狭間

何かにつけ軌道修正の遅い国で有るが一端方向転換すると、凄い勢いで走り出し今までの良き所まで修正してしまう日本文明

国連事務総長の仕事

2013-08-27 15:24:32 | 社会
潘 基文氏国連事務総長の資格以前の問題
隣国に目を向けると、反日教育をされた時代の人々である。全ての人々とは思いたくないが戦前の飢畜米英の軍国主義教育で育った人達と同じである。少なくとも戦争への恐怖から平和を求める心は人間平等にはあるが、国家・民族感の上にあるか下にあるのとでは大きく異なると考えられる。
それが変化するには彼らに、現日本国の平和思考の根幹ともいえる敗戦した日本の状況下の様な余程の事が起きない限り、もっとも遭ってはならない事なのだが、経験を活かし共有出来ない意味では、戦後の敗戦による制度や認識及び思考の大きな変革点から平和を願う真の日本人の心は到底理解出来ない事になる。現実に多くの日本人が確信している日本のファシズム化なんて在りえない現実を 彼らは事あらば真逆に捉え、突き進んで行く事であろう。同じ人間だから我々と気持ちや意識が共有するものと考えたいが、今の日本人には理解できない事と同じ様に彼らにおいても我々のお友達感覚は理解し難い事でもあり教育や肌で感じた反日心理の根はおそらく変わる事は望めないと思える。
その事例として2013年度8月における、潘 基文国連事務総長が自国のソウルにおいての発言
ニュース参照:「北東アジアの国々が憂慮している日本政府の平和憲法改正の動きに対する国連の立場」を問われ、「日本の政治指導者は極めて深く自らを省みて、国際的な未来を見通すビジョンが必要だ」と注文を付けた。
 歴史認識や領土問題に関した韓国人記者の質問には、日本と中韓との緊張関係に「事務総長として遺憾」を表したうえで、「正しい歴史認識を持ってこそ他の国々から尊敬と信頼を受けられるのではないか」と事実上、安倍政権を批判した。)
極東の近隣諸国への緊張は日本政府の歴史認識の間違いから起きた靖国参拝そして領土問題は、全て日本政府の責任であると名指しで非難した発言があった事が事実なら、この微妙な国家間の領土問題には過度な緊張を与えない国連の使命からも慎重且つ繊細な態度が不可欠であり、その絶対的前提と共に極東の緊張状態にあるとされる我が国日本と韓国すなわち潘 基文氏自身が当事国(韓国)の出身者であり、今回は特に国連の中立的立場以上に自国が関係している緊急の事案でもあり、基文氏の国連事務総長とした公の立場としての発言には、より自制且つ注意とした心がけが要求される事にも関わらず、職務を逸脱した今回の発言の真意は自国を正当化し容認する考えを示した行動とも捉えられ兼ねない、自身の国際的特権を行使する権威から有ってはならない許されない大問題であり、逆にその発言からこの地域の平和を乱す事にもなるであろう。そもそも最近における我が国政府と韓国政府の関係悪化の原因として、2012年に韓国大統領である李 明博氏によって歴代韓国大統領がデリケートな問題として戦後自重していた竹島への上陸を強行した事で竹島問題を揺さぶる事件となる。
この計画は8月9日に明らかになり、日本政府は韓国のソウル大使館を通じて韓国政府に対して中止を申し入れしていたにも関わらず退けられた。
以上の様な事実関係があった事も考慮に入れる事も無く発言した潘 基文氏。この様な国際人で理性と中立性を求められる立場の人でさえ偏った人間性を暴露してしまう様に、その根底にはナショナリズムを煽る反日教育の奥深い問題を感じざる負えない。
一般的な倫理観に置き換えて考えれば、最初に子供の喧嘩に親が出た。しかし親が理性を失い本質が見えない状態では話し合いは不可能であり、まずは、辛くとも我が子の総括、至らなかった点も叱責しつつ双方の言い分を冷静に判断する事が必要であり、いきなり相手を一方的に非難する事では、物事のより良い解決には向かわない。当然、大人のする事ではない。

もう一つの考えから潘 基文氏に代表される韓国高官や政治下(中国共産党幹部等にも同じ)は、国際的にも精通している点から、日本国政府や高官そして日本国民に至る平和思考ある意味では先に事を大きくしたくない穏便作用が働く性格を明らかに見抜いており、その意味から政治的立場を優位にする目的から降圧的な態度や強硬策で迫ってもそれ以上の反撃、ましてや物理的な報復等の強行は絶対に出来ないと確信した上での事と考えられる。
その事を踏まえ、今回の発言には北東アジアの国々が憂慮している日本政府の平和憲法改正の動きとした通常的な質問から始まりその自然な流れからの一環としてこの極論に至ったと捉えられる様な筋書きが見える。
今後の大事な観点から言えるのは、この戦後の平和な日本を望み維持し続けて多くの日本人が戦後68年たった今でも、事、有れば政権安定の特効薬の様に、過去の事を非難している各国政策や過度な教育から反日を煽る隣国の政治や人々を次第に違和感を持つ様になってきている現実は、おそらく日本人から見れば大戦後から現在そして今、日本、中国、韓国等の現在生きている多くの人々は互いに直接憎しみ合う行為をしていない、特に日本国民は戦後、前にも記しました様に国際的又国内でも平和を望み実行し、ましてや隣国等を先に罵倒や非難する事もなく、日本国内でもどんな場合に至っても近隣国の住人の財産や生命に危害を及ぼす様なデモ、暴動は起こしていない様に危害を加えるどころか規律や礼儀をわきまえ続けていた国民性にも関わらず、そして双方の祭り事とは別に、今日の日本人の心には何故、何時までと考えるのは当然の疑問ともいえる。
参考:竹島・独島問題-1953年の民間人への武力行使に始まる韓国の占拠以降、韓国が実効支配を継続しているが、これに対して日本は「不法占拠」として抗議している。しかし両者の主張は平行線を辿り、未だ解決への糸口はつかめていない。日本側は過去に何度か国際司法裁判所 (ICJ) への付託を提案しているが、韓国側は「独島に領土問題は存在しない」との見解により、その都度これを拒否している)

国の指針

2011-03-13 11:35:26 | 社会
東日本巨大地震

この度、震災により被災し、亡くなられた人たちのご冥福をお祈り申し上げます事と共に、生存されておられる人達への今後の救済が早急になされる事をひたすら願うばかりです。 

ブログであり、顰蹙をかう事かもしれませんが、一連の報道を見て感じました思いを書かせて頂きます。
よく使われている言葉として「過去に経験の無い未曾有の災害」と言われていますね。 只、その言葉だけで過去の尊い人命を犠牲にしてきた災害が生かされている事になるのでしょうか。
確かに、新たな問題が発生するのは理解出来るのではあるが、机の上での予測では実を結んでいないのは事実であり、パフォーマンスは良く出来ている様ではあるが、実態は後手を踏んでいるのは明らかな様にも思われますよ。
災害時において(言葉にはやや不適切かもすれませんが)被災した後の災害戦略を考えますと、まず多くの各災害地に最も隣接する場所、ここでは又起こりうる津波の影響の少ない高台、しかも広い平面が確保出来る所を選定し、そこに医療・食料・燃料・輸送(出来れば大型ヘリの離発着)が可能な施設(ベースキャンプ)を設け、各ベースキャンプを本部あるいは、支部と情報を共有する。 
次に、そのベースキャンプ地から被災地に陸上部隊や小型ヘリをピストン展開し、被災者の応急救済を素早くする事から時間の無駄を省く事から、より効率的な動きが可能となり、情報も的を得たモノが入手出来、次の行動も読める様になる事と考えます。
市長・町長等の対策本部の立ち上げも大事な一つの行動ではあるが、広域であろうがなかろうが救援を考えるならば、現場を知る事がなにより先決であり、織田祐二の映画ではないが、事件(災害)は現場で起きている点を対策・対応の観点からも優先すべきと思われる。
その様な救済や情報網を確立した上では、海外からの救援隊や物資を即座にどこのベースキャンプの下に置く決定が容易に出来るのでは、ないのでしょうか。
例えば、「自衛隊を二万人・五万人・十万人規模の要請をした」と言った言葉だけではなく絶対的な効果を必要とするのであって、絵に描いた餅では用を足しません。基本の骨格は野戦等の訓練が豊富な自衛隊が担い、医療・食料・燃料の専門家と協議し輸送・搬送等の後方支援も含め、現場での救援を速やかにする事を望む事と同時に、遠くから来て頂いた救援部隊の配置でのタイム・ロスを防ぎ、敏速に活動出来うる大事な要因にもなります。また、その意味での側面では日本国家の世界への恥ずかしくないメッセージにもなるのではないかとも考えますね。
原発の問題も、被災と同時に電源の確保が最重要課題であるならば、ディーゼル発電の点検が至急行動であり、稼働不可であるならば考えられる複数の対策案を同時進行させるべきであり、対策の小出しと対応の遅れが否めませんね。
人の命の上に原発がある様で、それならより確かな行動を示して頂きたいものです。

勝手な事を書かせて頂きました。
以前から私のブログにコメントを頂いた方々に、前触れ無く中止した事を心からお詫び申し上げます。
首が思わしくなくパソコンがうちにくい状態なのですが、今回はチョット無理しても書かせて頂きました。
そんな訳から、今後もしばらく中止させて頂きます。誠に申し訳ございません。
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「ポールとミシェル Paul and Michelle/続・フレンズ」1973

2007-08-05 20:20:12 | 映画
パリへ、そして・・・カマルグは・・・

ここをご欄頂く前に、「続・フレンズ」あらすじ、その1を先にご欄ください。
あらすじ、その2
やがて、願っていた家族一緒の、つかの間の幸せな生活も終わりを告げる日が来た。
パリでの生活に、不安を感じるミシェル。
「まわりは皆、優秀な大学生ばかりで、私なんか・・・」
「バカな事言わないでよ! 君は誰よりも魅力的だよ!」
ポールがソルボンヌ大学に入学する日が近づき、一足先に彼だけがパリに戻り、アパートを探してからミシェルとシルビィを呼び寄せることにしたのである。
「パパに行ってらっしゃいわ」・・・「バイ、バイ」 
               
3年前に、引き裂かれたポールとを繋ぐ唯一の道が、現実に、あの過去を再び蘇らせる様にポールを遠くに導く様にも感じられ、不安を募らせるミシェル。
遠くに小さくなってゆくポールとの絆を今度こそ離さない様に、ミシェルは叫ぶ。
「ポール!・・ポール!」
        
それは、行かないでと、願う姿にも見える様でもあった。
そんなミシェルの思いとは別に、父とのレールの様な互いの考えの平行線上の先にあるモノは、見えるはずもないポールであった。

早速ポールはパリに行って、部屋の手配をする。
そしてミシェルとシルビィが、カマルグから来る日に、おりからの大学仲間のデモに加わる事になるが、リヨン駅に、ミシェルを迎える時刻が気にかかる。
機動隊と衝突して散らされたのだが、結局、家族と暮らし始める初日から、大学生活もままならないポールは時間に遅れる始末であった。
しかし、ポールなりのけじめもした。ポールは父の家を訪ね、ミシェルを呼び寄せて住むことにしたと話すが、父はそれなら資金援助を打ち切ると言う。ポールは構わないと言って家を出る。
ポールは肉屋で働き、授業に出る。ポールが帰るとミシェルが皿洗をして生計を立てなければならなかった。パリでの親子三人の新しい生活が始まったが、決して楽なものではない。
また、彼女には、お腹の子が、父親がポールなのかギャリーなのか確信がもてなかった為に、ポールにも相談できずにいたのだが、学生仲間の集まりでポールの友人ジョアンナから中絶をしてくれる医学生を紹介してもらい、医学生とジョアンナはfractureだと言って手術室を使い、中絶後したのだった。
中絶後、擬装のためにしっかりギプスまでしたその夜、ミシェルは気分が悪くなり、医者を呼ぼうとするポールを止め、ミシェルは中絶した事をうち明ける。その悲しみは、ミシェルに忘れさす事は、ないのであろう。
                     
ある日、思いがけずギャリーがパリに現われ、ミシェルをアメリカに連れてゆき、結婚したいと申し出た。
ミシェルは迷ったが、もう一度自分の人生をポールに賭けようと決心する。
ギャリーは栄転が遅すぎたとあきらめる。
「ミシェルとシルヴィーに、ニューヨークを見せてやりたかったよ」
ギャリーの優しさに、答える事が出来なかった複雑な気持ちは、言葉にもつまらせるミシェルであった。
昼と夜のすれ違いの生活は、心身の疲労を生み、二人の関係もミシェルがポールと友人の女子学生スザンナ(A・ロンバーグ)の関係を疑いだした事で、再び心の溝を深めていく事になってしまうのである。
そんなある日、スザンナが訪ねてきて、ポールを表のカフェに連れ出した。ところが、その日ミシェルは気分が悪くなって早退した帰り、二人を見てしまった。
              
あわてて部屋に戻ったポールに、自分がいない間にいつもスザンナと会っていたのかとなじりミシェル。二人は、心の歪みのままに激しく相手を責めあったあげく、ポールは信じられないのか、と言って出て行ってしまった。
それでもミシェルは怒らせてしまったポールが心配で追いかける。
そしてポールを探しあぐねてミシェルが戻ってくると、部屋には、二人の争いに巻き込まれた様に、シルビィがいなくなっていたのである。
ポールも帰ってきて、セーヌの河岸等を二人は手分けをして探すが見つからない。
やがて、疲れ果てて戻ってくる時にシルヴィは橋のところで見つかったのであった。
必死に探し出した愛娘と家に帰った二人には、今の生活に限界を感じるのです。
    
その後、ポールとミシェルはセーヌ河に挟まれた遊歩道で話し合い、二人は将来への決断を出す事になる。
そして、今のままではやっていけないと、ミシェルはポールに自分の決心を告げた。
 
「あたしとシルヴィーはカマルグに帰って、ポールが卒業するまで待つわ。」
「辛いけど・・ あの3年を耐えたんだから、今度の3年もきっと平気さ。」
ポールが大学を卒業するまでの三年間、田舎に戻ってシルヴィと二人で生活するために、パリを発つことにした。
「手紙書かせてよ」・・・「勿論よ、ポール・・・毎週はがきを出すようにするわ。」
「書く」・・・別れる意味の知らないシルヴィーの返事が救いの様でもあった。
リヨン駅の人気の少ないホームで、ポールは愛妻と愛娘にキスをした。
               
「忘れないで、ほんのしばらくの間よ」
「そう、ほんのしばらく、そう、そうだよ」
そして駅で、ポールは去っていく二人を見送った。
        
「グッバイ!ポール」・・・「グッバイ!ミシェル」
列車の窓からポールを見続けるミシェルは・・・そう、あの小道に続くカマルグのアトリエへ。

『さよなら、ポール。さよなら、ミシェル。・・・そして・・・アニセ・アルヴィナよ・・・永遠に・・・』

二人にとっては、3年前のあの純粋なまでのカマルグへの道とは、変わったモノになったであろう。
それは、子供の成長に伴った親の責任から二人の変化となってきた事でもあり、また、何よりポールとミシェルの本当の意味での巣立ちでもあったのかもしれません。しかし、その事で彼等を非難する人は、いないでしょう。そして、彼等と共に理解する日が来た事。そして誰もが通らなくてはならない、もう一つの道がある事も・・・。
でも、何故、私達は、彼等の原点でもあるカマルグへの道を今日に至るまで、たとえ心の奥底であろうとも、忘れる事が出来なかったのでしょうか。
それは、あの時、私達もポールとミシェルと供に、カマルグの道の先にあるモノを信じ、目指した事があったからなのでは、ないのかと。
だからこそ、信じたい。ポールとミシェル達が、この先の道のりが、いかに険しくとも、あの一筋の細く真直ぐな道に至り・・・青く澄んだカマルグの空のもとへと辿り着く事を。
そして、それは私達にも通じる道である様にも思えるのですが。


今回の、投稿に至る写真の提供等に、ご協力を頂いたモーラン爺さんに感謝いたします。
また、より、「ポールとミシェル」を身近に感じる事では、次にご紹介致しますサイトでは、綺麗に表現されておられ、よろしかったら、是非ご欄下さい。
 
※動画も、上手くまとめられ、当時の気持ちが、伝わってくる様です。
 入られますと、「ギャラリー」「パラパラ劇場」と、クリックして下さい。 

「ポールとミシェル Paul and Michelle/続・フレンズ」1973

2007-08-05 19:21:44 | 映画
「ポールとミシェル Paul and Michelle/続・フレンズ」1973パリへ、そして・・・カマルグは
イギリス・フランス (1973年度) 上映106分、初公開年度、1974年3月、青春ロマンス映画。配給 Par=CIC。

スタッフ
監督、製作、原案:ルイス・ギルバート
撮影場所:ニース、パリ、アルル:カマルグ
脚本:ルイス・ギルバート、ヴァーノン・ハリス
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ミシェル・コロンビエ
キャスト
ショーン・バリー  (ポール・ハリソン Paul Harrison) 
アニセ・アルヴィナ (ミシェル・ラトゥール Michelle Latour)
ロナルド・ルイス  (ロバート・ハリソン)
トビー・ロビンズ  (ジェーン・ガードナー)
ケア・ダレー    (ギャリー Garry)
サラ・スタウト   (シルヴィ Sylvie)
スティーブ・ギルバート (ニック Nic)
カトリーヌ・アレグレ (ジョアンナ Joanna)
アン・ロンバーグ  (スザンナ Susannah)
ジョルジュ・ベレー (ダニエル Daniel)
ピーター・グレイヴス
               
解  説
十四歳の少女ミシェルと十五歳の少年ポールの友情から恋に変わったプロセスを描き、ラストの結末も切ない感じであった、前作「フレンズ」の公開から3年後、その後の二人を描いた 『続フレンズ/ポールとミシェル』 1973年度製作の作品。
設定の18歳といえばパブリック・スクールの最高学年ではありますが、煙草をくわえて車を運転する登場シーンの大人になったショーン・バリーは、カッコよくインパクトもあり、映画と同時進行での面白みを感じさせる。また、期待したアニセー・アルヴィナの美しさは、ますます磨きがかかっていた事からも、逆に時を経た現実を覚悟させ、先への何らかの予感も感じさせる様でもあった。
そんな冒頭から、この作品では、前作とは異なる厳しい現実を描いていきます。
話の本筋は彼らの愛を実社会で育むには、まだ厳しかった事で、ポールとミシェルは残酷なまでに思い知らされる事になり、希望のパリでは、彼が学業と一家の暮らしを立てるために仕事を両立させる日々や彼女の仕事との異なったシフト、そして、そんな中で活発な3歳を育てる厳しさや責任を学ぶ事にもなるが、二人は疲れはじめ、ロマンスは、すり減る様にもなります。
ディレクターは、彼らの新しい人生の対照をなすように「フレンズ」の多くのフラッシュバックを挿入することによって、これらの現実を目立たさせていました。
製作・監督はルイス・ギルバート、脚本はギルバートとヴァーノン・ハリスと前作「フレンズと同じだが、撮影はクロード・ルノワール、音楽はミシェル・コロンビエに変わって担当。
出演はアニセー・アルヴィナ、ショーン・バリーの他、ケア・ダレー、カトリーヌ・アレグレ、アン・ロンバーグ、ジョルジュ・ベレー、サラ・スタウト、スティーブ・ギルバート等々。

あらすじ、その1
ポール(S・バリー)とミシェル(A・アルビナ)はカマルグで引き裂かれ、あれから3年の歳月が流れたが、遭う事も出来ずにいた。
ミシェルと愛娘シルヴィーは修道院へ、英国に連れ戻されたポールは、父ロバートの厳しい監視の中、フランスに残してきたミシェルと、二人のあいだに生まれた娘のことは、一日たりとも忘れる事はなく高校生活も終え、パリのソルボンヌ大学へ進学する事が決まっていた。

残されたミシェルはポールとの別れから、パリの住所へ27通の手紙を書き続けるも、ポールへの思いは届く事が無かったのです。
ミシェルのポールを信じ待つ心に、微かな諦めが・・・。

新学期が始まる前、フランスを巡ると、父に申し出た。ロバートはミシェルを探しに行くのだと察しがついたのだが、ポールはその日から、サイドカー付きのバイクにまたがり、空白の時間を引き戻す様に、ミシェルを捜す旅に出るのであった。
       
ミシェルの叔母の家は引っ越しており、偶然ミシェルがいた修道院で、ニースに行ったと聞き、住所も教えてもらうことが出来た。
ミシェルが働いていたというパン屋、ニースの花市場、主人は「半年ほど前のある日、出て行ったきりだ」と、そっけない。しかし、女子店員が市場で先週見かけたと教えてくれたのだが、そこにも手がかりはなかった。
情け容赦のない現実との時間の隔たりが、ポールの胸を締め付けた事であっただろう。
   
しかし、そんなポールに希望が見えたかに思う事があった。
海で泳いでいると歩道にミシェルの姿を見つけたのだ。ズボンを拾って懸命に歩道に駆け上がったが、ミシェルの姿はもうなかった。その界隈を必死に探し回ったものの、見つける事は、かなわなかったのである。
ミシェルは必ずこの町に居る。諦めずに探していたポールの目に、向かいの交差に立つ、あの愛しいミシェルが映し出された。ミシェルもポールに気づく。
やがて信号が変わり車がクラクションを鳴らし始めるのにも気が付かないぐらいに、二人の間には、現実の空間と時間の空白の存在も無く、見つめ合い、再会する喜びをかみ締めている。そして、届く事が出来なかった思いを取り戻すかの様に、激しく抱き合った。
    
ミシェルはポールを住いに案内したのだが、ポールはそこで予期せぬ状況を知る事になる。
「あたし、今、ギャリーと暮らしているの」
ミシェルは、ギャリー・ウェストン(K・ダレー)という航空会社に勤務するアメリカ人と、同棲していたのだ。ポールの事も話しているからと、夜の食事に誘うのであった。
憤りと、ショックを感じざる終えないポールであったが、承知をする。
そして二人の三歳になる娘シルヴィ(S・スタウト)を保育園で引き合わせたのだが、そこには、ポールをじっと見つめるシルヴィがいた。
ミシェルは「パパがいつか来てくれるって言ったでしょ」と話すが、シルヴィは表情をくずす事はなかった。
その晩ポールは、ネクタイをしてミシェルの住んでいる部屋を訪ねた。ギャリーはラフな服装で気さくにポールに挨拶する。(こいつの英語は全然聞き取れない!)
居たたまれない時間を過ごし、帰る時がきた。エレベーターに乗り込んだポールが振り返ると、ギャリーが親しげにミシェルの肩を抱いている。
       
3年と云う時間の隔たりは、こうも苦しい現実を自身に与えるのか。しかし、それは受け入れなければならないのである。そんな気持ちは、ミシェルに会う事で、少しは和らぐのでもあるかの様に、町のカフェでミシェルと会った。一方ミシェル自身もポール以上に酷な出会いでは、あったのだが。
二人で会えば以前のままではあり、その事が余計に二人を苦しめる様でもある。
ポールは、ミシェルに目隠しをしてすてきなところに連れていくと言う。そしてバイクの後ろに乗せて自分の安宿に案内した。
目隠しのミシェルにヴィクトリアホテルの大理石の玄関だと言う。宿の女将は、そんな二人を見て、ミシェルにカウンターのバラを一輪くれたのだった。
ポールとミシェルは長く共に信じる事でしか味わえなかった変わらぬ愛を、求め合った。そこには何の存在もなく、二人だけなのである。その為時間の経つのも忘れてしまったミシェルは、あわてて部屋を飛び出さなければならなかった。ギャリーが帰ってくる11時までには戻っている予定であったのに帰り着いたのは1時になってしまっていた。
           ミシェルは正直にポールといたと話す。ギャリーに聞かれ、寝たことも否定しない。
「お互いを求めあってたのよ」
ギャリーはカッとなって、「よかったか」と、聞く。
ミシェルも「よかったわ」と、答える。
当然の口論でもあった。ミシェルには、突然の展開であり、近い先に決めなければならない残酷な判断に苦しむ。
そして「どうしていいかわからない」と、涙を浮かべてギャリーの胸に飛び込むのであった。しかし、何時もポールがミシェルの人生の真実の恋である事も知らされた瞬間でもあった。
その事は、ミシェルにとって、ポールこそ忘れ得ぬ人であったのです。
ギャリーは、今はミシェルを理解する事で、大人として去る事を選びます。

親子三人は想い出深いアルルの田舎屋を訪ねる。畑も、野原も、野を駈ける馬も、何ひとつ変わっていない。夏の太陽のもとで、ポールとミシェルの間に、三年前の暮らしが、昨日のごとく蘇る。
           
シルヴィもポールに懐いてきたある日、ピクニックに行く途中でギャリーに出会った。
わざわざ車で訪ねてきたのだ。シルヴィはギャリーには父親のように懐いており、ギャリーが駆けっこをしてシルヴィと遊ぶ姿にポールは面白くもなく、シルヴィとの関係には時間の空白が大きく横たわるのを感じる。
        
ミシェルにも気になることがあった。
医者に妊娠を告げられたのである。ギャリーの子だった。中絶を頼んでも、医者は違法だと認めてもらえないのであり、一人この苦しみをかかえていたのだ。
やがて、願っていた家族一緒の、つかの間の幸せな生活も終わりを告げる日が来た。

「フレンズ Friends/ポールとミシェル」 1970 カマルグへ

2007-07-15 22:28:45 | 映画
「フレンズFriends/ポールとミシェル」イギリス・アメリカ(1970年度)
上映102分、初公開年度、1971年11月、青春ロマンス映画。配給 CIC。
    
フランスではアイドルは、あまり育たないと云う。アニセ・アルヴィナが、この続偏でもある作品の後に、どう云った人生を送ったかは知らないが、映像に居る彼女への思い出は、一筋に導かれた光を純粋に、ひたすら信じ育む少女の姿であり、大人へと成長するには世の中に翻弄される様な危うさも感じたのだが・・・。
アルルの空に消えた今、私達の心のミシェル・ラトゥールは、ひっそりと当時の様に優しく微笑み、永久に輝き続けてくれるであろうと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。

               

「フレンズFriends/ポールとミシェル」
イギリス・アメリカ(1970年度) 上映102分、初公開年度、1971年11月、青春ロマンス映画。配給 CIC。
公開当時は、話題となった映画ではありますが、殆んどの人達には記憶にない事でしょう。
あの時代の彼等と同時期に青春を生きた私達だけにしか感じ得なかったカマルグの空の下に残した様な哀愁は、現代の風潮から、もう戻れない状況を考えますと、今後は描き作る事が不可能な映画でもあり、その意味では、当時の若者の時代背景を映し出す様な作品に巡り会え、年を経た今でも思い出の中で、心の豊かさと素晴らしい感動を齎してくれる事に感謝したい。
スタッフ
監督、製作、原案:ルイス・ギルバート
脚本:ヴァーノン・ハリス、ジャック・ラッセル
撮影:アンドレア・ウィンディング
音楽:エルトン・ジョン
キャスト
ショーン・バリー  (ポール・ハリソン Paul Harrison) 
アニセ・アルヴィナ (ミシェル・ラトゥール Michelle Latour)
ジョーン・ヒクソン 
パスカル・ロベール (アニー・マチルド)
ロナルド・ルイス  (ロバート・ハリソン)
トビー・ロビンズ  (ジェーン・ガードナー)
解  説
当初、この映画はなかなかセンセーショナルであった様だが、ショッキングな内容を扱っているには、少しもいやらしさが無く、せつなかった事からも、決して度が過ぎた描写ではなく、先に述べたジャンルでは、ジャンポール・ベルモントの恋人でもあったラウラ・アントネッリ、アレッサンドロ・モモ、主演の「青い体験」が、コミカルに演出され存在しており、ストーリー性やテーマからもピュアなティーンエイジ純愛映画と云える。
また、70年代のラブ・ロマンスに見られた「小さな恋のメロディ」や「リトル・ロマンス」等、少年少女による、ある意味メルヘンティックな逃避行作品ものが作られた様な時代の一作品とも聞こえるが、テーマからの彼等なりの倫理的行動では、それ等とは一線を画した映画であったとも思われる。
裕福だが家庭の温かさに恵まれない15歳の少年ポールと14歳の孤児の少女ミッシェル。
大人との生活に馴染めない、まだ子供とも言える2人が安易な考えから逃避行の末、同棲すると云った大人と同じ様な恋愛のプロセスをたどるのだが、やがて収入がない事でケンカする二人、そして何とか仕事を見つけ子供を出産する。そんな青春のモロさ、危なさから人間的な成長も含めて、一概に身勝手な行動と言わせない描き方では、その内容には考えさせられるものがあり、厳しい現実が立ちはだかる中、慎ましく夫婦生活を送り、子供を育てる姿には、単にメルヘン的な内容に終始しなかった現実的な面もあり、また、そんな二人と包み込む様な風景が綺麗に描写されていた素晴らしい作品でもあった。
当時少年であった私には、この映画の持つ愛からの自立への意義や責任には素直に感動と淡い思いが伝わり、今でも熱狂的なファンを持つ理由が、そこにあったのではないでしょうか。
ポール役のショーン・バリーは、美少年というわけではないが、10代の少年特有のオーラがよく出ていた。また、ミッシェル役のアニセー・アルヴィナは、汚れ無く美しい処が作品の情感面で大きく影響していた。
あらすじ
                  
裕福な家庭に育ちながらも、母がいなく、何時もぐれている少年ポール(S・バリー)は、仕事一途の父親から、再婚の話を聞かされる。
南フランス・アルルに住む少女ミシェル(A・アルヴィナ)は、唯一の肉親である父親を亡くし孤児となった。そして、パリの従姉アニーを頼って上京するも心が通わず、アニーの同姓相手からも好色な目で見られ、辛さを紛らわす為に動物園へ行く。
そこで父親の再婚に嫌気がさし、今日も動物園に遊びに来たポールと出逢い、初体面で二人は通い合うものを感じるのである。
帰り際、ポールは高級車を自分の車だといってミシェルを送っていくと言うが、ミシェルは断わる。明日も会おうと言ってポールは走り去った。
翌日、話をしているとポールが突然思い出して帰ると言った。新しい母と弟を紹介されるのだった。
着崩した格好で現れたポールは、父親に注意され、紹介されるが、俗物の後妻と連れ子のガリ勉風のジェラルドと、うまが合わず、食事の席での継母のジェラルドについての自慢話にも、うんざりするのであった。
ある日のデートで父の車を拝借したポールは、ミシェルを高級車に乗せてドライブに出かけた。
ミシェルはポールが未成年なので捕まるのではと心配するが、運転自慢のポールは「その前に追いつけたらね」と余裕の構えだったのだが、会話に夢中になった為、車が郊外の池の中に突っ込み動かす事が出来なくなった。家に連絡するにも電話が見つからない。
              
すっかり困ってしまった二人は帰宅する事を止めて、パリ郊外の森林地帯を遊びまわります。お腹がへれば、手持ちのお金でハムパンを買って食べ、夜になれば、農家の庭先の干草をベッドに野宿し、清冽で美しい森に魅せられれば、声を併せて詩を朗読します。
ミシェルは自分の辛い境遇を、即興の詩にしてポールに聞かせます。そしてポールは、自分以上に満たされない人生を送る14歳半の少女に、心を打たれ、共鳴し、満たされていないのは自分だけじゃないんだと。そんなミシェルの告白は、父親への反抗心からイジケてたポール少年が、大人への男への階段を上り始めるキッカケにもなり、やがて特別な感情を抱くようになり、友として交流を深める事になった。
「ぼく、帰りたくない・・」、「あたしも・・邪魔者なの・・」 こうして二人は郊外の自然の中を、家に帰りたくない!きみと遊んでいたい! あと1日、もう1日と・・・。
遂に二人は、ミシェルの思い出の地アルルに行って生活しようと決意し、画家だったミシェルの父の仕事場であったカマルグのアトリエを目指す事になる。
             
電車とバスに乗り継ぐ。バスの中では、前の席に座る乗客が読んでいた新聞に、ポールを捜す記事が自身の写真入りで出ているのには驚いたのだが、その記事を見ていた乗客と目があった時には、もっとおどろく事になり、あわてて顔を隠さなくてはいけない始末である。
そして、徒歩で辿り着いたアルルの大自然を見て、二人は、感激する。やがて、今は誰も住んでいない三角屋根の白い小屋がポツンと見えてきた。
遂に、ミシェルは、懐かしい家にポールと来たのであった。
             
コテージには缶詰等があるが、手元に残ったのは60フランしかなく、その上ミシェルは、風呂にはいる為には都会っ子のポールに薪割りの仕方から教えなくてはならない。
要約、部屋の中の風呂桶に二人してバケツで湯を注ぐ。ポールは上着を脱いでパンツを脱ぎ、入ろうとしたが、ミシェルが見ているのが気になり、石鹸を取りに行かせた間に入る。ミシェルはブラシで背中を流す。
次はミシェルの番だ。風呂桶に湯を入れ直し、ポールは「さあ、はいれるよ」・・ミシェルもタオルを取りに行かせ、その間に入った。ポールも背中を流してやる。
ブラシで作ったシャボン玉が二人を包む。
             
初めは所持金と観光用闘牛場のグラウンド整備のアルバイト収入で、食べられたポールとミシェルは、アルルの大自然にかこまれて、次第に、お互いを意識し愛を感じる様になるが、不安定な収入が途絶えると飢餓に苦しむ事になる。 
             
必死に野生のキノコを探したり、仕事を探した先の漁師が捨てた魚を拾って食べるまで食料不足の限界に追い込まれ、そこで生きる事の厳しさ・残酷さを知る。
             
ポールは食べる為に、再び働きに出る事にするのだが、ありつけた仕事は、田植えのシーズン期間に限られている為、期間が過ぎる季節には仕事が無くなるのである。
それでも、支えあうポールとミシェル。
そんなある日、いつしか友情が愛に・・・男女としての自覚を昇華しあい、性の扉を開いてしまう時がきたのだが、むしろ、それは自然な姿でもあった。
二人でいっしょに入浴し、おなかがすいたからごちそうの夢でも見ようと言って床についたポールの部屋にミシェルがはいってきた。 
             
「一緒に寝て言い?」と、聞く。
「おねがい」と言うミシェルにポールが、そっとうなずくと、ミシェルは服を脱いでベッドにはいった。
「どうして…」・・・「飢えてるんでしょ…」
固いベッドの中で、ポールはミシェルを抱いた。まるで、ひもじさから、逃れるかのように、二人は、しっかりと抱き合った。
「 ・・・」・・・「だめだ・・・終わった」
自分は何をやってもだめだと落ち込むポール。
無垢な愛から、求め合い、大人になろうとするが、そんな健気さが微笑ましい様でもあり、悲しくもあった。
容赦の無い飢えと心身の疲労が二人を蝕み、激しく喧嘩する事もあったが、それはむしろ、お互いをより完全に結びつける事になる。
若すぎるポールに、大人並の働きができるものではなかった。それでも、なんとか職にありついては、二人の生活を支えようと、周囲の農家で少しづつの仕事をもらいながらポールは一生懸命に働き、ミシェルも、けなげに家を守った。
やがて、ミシェルは妊娠に気がつき、二人だけの出産を決意する。
何事も、二人でやろうと決めたミシェルとポールは、本を買って勉強もする。
「あたし・・・結婚したいの・・」
そんなミシェルの純な願いを叶える為、ポールはミシェルの父の眠る墓地の脇の教会で2人だけの結婚式を挙げる。
だが、神父が祭司しているのは別のカップルで、ポールとミシェルは教会の隅でこっそり誓いを述べているだけであったが二人には十分であった。そして、勢い庭での祝宴の席から食べ物とワインをせしめて帰る事にもした。
男としての成長も窺え、ポールもモーラン農園で、ブドウの害虫駆除の仕事で働く事になり、二人のささやかな将来にも明るさが、見えて来た様でもあった。
それは、ポールが地元の仕事に慣れた頃、喜びすら感じてきます。かろうじて人並みの生活ではあったが、ブドウの消毒では口笛を吹き、アトリエへの帰り道では笑顔がこぼれます。
クリスマスには、七面鳥や、ミシェルと赤ちゃんの為にプレゼントも買えました。
年が明けてミストラルが吹いた。
ある日、水辺に二人で腰を下ろしていた時、ミシェルが帰ると言った。陣痛が始まったらしいのである。ミシェルは横たわり、ポールに、人を呼びに行くよりついていてほしいと頼んだ。
陣痛が始まって苦しむミシェルに、ポールは、とまどいながらもミシェルを励まし、本を参考にしながらも、わが子の誕生への責任を果たした早朝、二人だけだった三角屋根の小屋に新しい生命が誕生した。
無事元気な赤ん坊が生まれた二人の喜び、待望の新しい家族・・その女の子に、シルヴィーと名付け教会で洗礼を受ける。
ポールとミシェルは幸せだった。
             
だが神の手の届かないところで辛い現実が、村に迫っていた。ポールの父から出された捜索願いを受けた警察が、パリから来ていたのだ。
いつもと変わらぬ朝。 刑事の待ち伏せを知らないポールは、仕事場に向って歩いて行く。振り向くポールの目にシルヴィーを抱くミシェル映る。二人は昨日と同じ挨拶を交わした。
「グッバイ! ポール ~ 」  「グッバイ! ミシェル ~ 」
             
2人だけの力で生活を始め、妊娠、出産を経て、必死で愛の世界を築いてゆく。永遠の幸せが続くかの様に、そして悲しいラスト・・・。
結末が理解出来る大人になった今でも、フト思い出せば何故か当時の私と同じ疑問が蘇る。
幼く若いだけで、何がいけないのだろうか・・・と。

「ドクトル・ジバゴ」リメイク版

2007-07-05 17:43:27 | 映画
ドクトル・ジバゴ・2002年イギリス作品
20世紀初頭 戦争と革命の嵐が吹き荒れるロシア数奇な運命と闘い続けた男ドクトル・ジバゴ 愛に生き愛に殉じた女ラーラ壮大なスペクタクルと 胸をうつ感動で贈る映画史上不滅の名作 注目のリメイク版。
       
スタッフ
原作:ボリス・パステルナーク / Boris Pasternak
脚本:アンドリュー・ディヴィス / Andrew Davies
撮影:ブラスコ・ジュラート / Blasco Giurat
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ / Ludovico Einaudi
演出:ジャコモ・コンピオッティ / Giacomo Compiotti
制作:アン・ピヴチェヴィク / Anne Pivcevic、ヒュー・ウォーレン / Hugh Warren
キャスト
ユーリ・ジバゴ:ハンス・マシソン / Hans MathesonTVM「悲しみの暴君ネロ」「アヴァロンの霧」映画「レ・ミゼラブル」
ラーラ:キーラ・ナイトレイ / Keira Knightley「パイレーツ・オブ・カリビアン」「プライドと偏見」「ベッカムに恋して」
コマロフスキー:サム・ニール / Sam Neill「ジュラシック・パーク」「ピアノ・レッスン」「オーメン / 最後の闘争」
トーニャ:アレクサンドラ・マリア・ラーラ / Alexandra Maria Lara「ヒトラー~最期の12日間~」「クレイジー」
パーシャ/ストレリニコフ:クリス・マーシャル / Kris Marshall「ヴェニスの商人」「ラブ・アクチュアリー」「デッド・ベイビーズ」
ミーシャ:ダニエレ・リオッティ / Daniele Liotti「靴に恋して」「女王フアナ」
アレクサンダー・グロメーコ:ビル・パターソン / Bill Paterson「太陽の雫」「キリング・フィールド」
アンナ・グロメコ:セリア・イムリー / Celia Imrie「カレンダー・ガールズ」「ブリジット・ジョーンズの日記」
オーリャ:アンヌ=マリー・ダフ / Anne-Marie Duff「マグダレンの祈り」
アンドレー・ジバゴ:ヒュー・ボネヴィル / Hugh Bonneville「12日の木曜日」「ノッティングヒルの恋人」
アメリア:マリアム・ダボ / Maryam D’Abo「007 / リビング・デイライツ」「ホワイトナイツ / 白夜」TVM「ゲームの達人」
解  説
20世紀初頭、ロシア革命前後の動乱期を舞台に、医師として、詩人として、ひたすら誠実に生きる主人公ユーリ・ジバゴ(ドクトル・ジバゴ)の愛と波瀾に満ちた人生を描いた一大叙事詩の文芸篇。
原作はロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説(1957年)。
『ドクトル・ジバゴ事件』
【】内は、We didn`t start the fireより参照の資料とします。
【スターリンの時代のソ連は、厳しい表現の自由が敷かれ、パステルナークは作品を発表する場を奪われていた。1953年、スターリンが死んだ。これにより、芸術、文学への弾圧が批判され始め、表現の自由を求める声が高まる。しかし、表現の自由が、完全に認められたわけではなかった。パステルナークは、長編小説の執筆に挑戦したいと、1930年代から考えていたが、大戦後(1945年)、ついにその構想を実行に移した。この小説が『ドクトル・ジバゴ』であった。
1957年、パステルナークはドクトル・ジバゴの出版交渉を行うが、結局、ソ連では出版されなかった。しかし、同年にイタリアを皮切りに、世界各国の様々な言語に翻訳され、出版されると、ドクトル・ジバゴは大きな反響を得る。そして、ソ連の人だけが、この作品の存在すら知らないというおかしな現象が起こる。
1958年10月23日、パステルナークがノーベル文学賞を受けることが決定。すると、ソ連の各種新聞、雑誌にてパステルナークの非難キャンペーンが始まる。その要旨は、「反革命的な小説で、ノーベル賞を受けた恥知らず」パステルナークは作家同盟から除名された。ソ連では、作家同盟から除名されるということは、作家でも詩人でもなくなり、作品を発表する場がなくなった、ということに等しい。さらに、パステルナークを国外追放せよ、という者まで現れる。このままいけば、本当に国外追放になるのでは?というくらいに、パステルナーク非難キャンペーンは激化する。
ロシアを愛する(あえてソ連とは書かず)パステルナークは、国外追放を恐れ、ノーベル文学賞辞退の旨、電報を打った。
西側諸国では、「共産主義体制下の犠牲者」として、大々的にこの事件のことが報じられた。 なぜ、ドクトル・ジバゴがソ連では出版されなかったのか?
作品の反革命的内容が検閲にひっかかったとも、ソ連の作家同盟による嫌がらせとも言われている。 一般的にはドクトル・ジバゴの反革命的な内容が問題になり、政府から弾圧を受けた、とする説が有力である。しかし、当時のソ連書記長フルシチョフは、「ドクトル・ジバゴを読んだが、特に問題があるとは思えなかった」と、回想録の中で述べている。
政府の干渉を意に介さず、わが道をゆくユダヤ人のパステルナークに対して、作家同盟が嫉妬し、妨害工作をした、という説の方が説得力があるように思われる。
『ドクトル・ジバゴ』は、滅びゆく者たちの物語である。時代の激しい変化の中、自分らしく生きようと願う者たちが滅んでゆく。
共産主義とか資本主義とかには関わりなく、どの時代、どの場所においても普遍的なテーマを語っている。『ドクトル・ジバゴ』の主人公であるジバゴは、革命(世の中の変化)によって、自分の生活、特権などが失われることについては決して異をとなえたりはしない。しかし、自分の信念、思想を奪われることに対しては激しい抵抗を示す。普通の人間は、この逆で、自分の生活を守るためなら、自分の信念を平気で曲げる。ジバゴにはそれができなかった。ゆえに、滅びるのである。パステルナーク自身が同じような道を歩んでしまったのは皮肉なことである。
パステルナークは、『ドクトル・ジバゴ事件』の2年後、肺癌で死去する。その際に、妻にこのような言葉を残している。
「さて、お別れだね。人生と君をとても愛しているけれど、お別れをするのは少しも悲しくないよ。この国だけじゃなく、世界中、まわりには俗悪なことが多すぎるからね。ぼくはそういうことを受け入れられないんだ」
注 文中にある、反革命的、という言葉の革命が意味するのは、ロシア革命のことです。つまり、ロシア革命によって生まれた社会主義、共産主義に対して異を唱えたものを、当時のソ連では反革命的、と表現しています。】
以上な事があった後、イタリアの大プロデューサー、カルロ・ポンティが映画化権を獲得し、ハリウッドのMGMと共同製作に踏み切ったのが、巨匠デビッド・リーン監督(「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」)により映画化(1965年)され、アカデミー賞ほか数々の名誉に輝き、オマー・シャリフが扮し、文字通り彼の代表作となりました米/伊作「ドクトル・ジバゴ」である。
本作は、そのリメイク版となり、20世紀初頭の記録フィルムを織り交ぜながら、映画よりも原作により忠実に描いている。
あらすじの補足
1897年、帝政ロシア。両親を亡くしたユーリ・ジバゴは父の友人に引き取られ、その娘であるトーニャと兄妹同然に成長した。医者として勉強を続けながら、詩人としても将来を嘱望されていたジバゴは、ある夜一人の女性と会う。彼女の名はラーラ。実業家で、ジバゴの父を自殺に追い詰めた男で、彼女の母親の愛人であるコマロフスキーと許されない関係にあった。その後ジバゴはトーニャと結婚し幸せな家庭を築くが、世界を覆う戦争の波はロシアにも押し寄せてくる。従軍医師として戦地に赴いたジバゴは、看護婦として働くラーラと再会する。ラーラはコマロフスキーと別れ恋人のパーシャと結婚したが、その彼は革命運動に身を投じ行方不明になっていた。そんな2人は淡い恋心をいだきはじめていた。モスクワに戻ったジバゴを待っていたのは、ロシア革命の大動乱だった。家を奪われ、職も失ったジバゴは家族を連れて疎開を決意。ウラルのベリキノに着いたジバゴは、隣町のユリアティンに住むラーラと再び巡り会う。熱い情熱には抗えず、二人は許されぬ関係になる。だが、動乱の時代の過酷な運命が待ち受けていることを二人はまだ知る由も無かった。(C)Granada Television 2002
あらすじ
前  編
19世紀末のロシア。1897年、ユーリー・ジバゴ(ハンス・マシソン)は、幼い頃両親を失い、科学者グロメーコ(ビル・パターソ)にひきとられた彼は、夫妻の一人娘トーニャと兄妹のように育てられる。
1912年、モスクワ。医学の勉強を続けるかたわら詩人としても知られるようになったジバゴそして美しく成長したトーニャ(アレクサンドラ・マリア・ラーラ)は、ジバゴを愛していた。ジバゴは、街で友人達との雑談の中、フトした時に、近所の仕立屋の娘ラーラ(キーラ・ナイトレイ)を見た事で、密かに恋焦がれていく様になる。しかし彼女は、帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ(クリス・マーシャル)を愛していた。
そんな美しく大人になったラーラに、母アメーリアの愛人で政財界に大きな影響力をもつ弁護士コマロフスキー(サム・ニール)が、目をかけてきた。やがて、コマロフスキーの愛が娘に移った事を知ったラーラの母は、生活の為にラーラがコマロフスキーの招待に応じる事を承諾する。母の心を知っているラーラも悟ったかの様に、夜を共にするのであった。
娘との関係やコマロフスキーとの関係に悩み続けたラーラの母は、終に自殺を計るが、その時に、ジバゴが手当てをした事で、偶然にラーラと会う事になる。
だが、そこで、ラーラとコマロフスキーとの関係を知ってしまう事になり、はかない悲しみにジバゴは、おそわれる。
そんな中、遠い昔の記憶に、愛する父が目の前にいるコマロフスキーにより、自殺に追いやられた事を、思いだす。
次に日、コマロフスキーに嫌気がさしラーラは、手紙でコマロフスキーに別れを告げた。
そして、革命の嵐が、そんな、ジバゴ達にも近づいてくるのである。
ついに、革命派と軍との衝突が起きた事で、居合せたパーシャとラーラは巻き込まれ、手傷を負ったパーシャだが、何とか無事逃れ、一方帰宅したラーラの前には、コマロフスキーが現れ、再び無理やり関係を持たされるのであった。
ラーラは誘惑から逃れるため、ある日のパーティーに、彼に発砲するという事件を起こす。
銃弾は、コマロフスキーに当たらず、他の招待客を負傷させたのであるが、公にはならずに済む。また、トーニャと一緒に、居合わせたジバゴは、治療にあたるが、怒りにも似た感情を抑えきれず、コマロフスキーに自身が誰であるかを明かす事になる。
一方、ラーラは、ウラルに旅立つパーシャと共に行く事を決意する。
そして、ジバゴも病に倒れた養母アンナのたっての願いで、トーニャと結婚を心を決めるのであった。
そんな二人の結婚式と、ラーラ達の結婚式が偶然にも同じ日にとり行なわれたのであるが、ラーラにコマロフスキーとの関係を打ち明けられた事で、パーシャは悩むのだが。
月日は流れ、ジバゴにも、子供が出来、そして、ラーラにも子供が出来、平穏な日々がおくられている様にも思われたが、夫のパーシャは、彼女の愛に疑いを持ち続けていた。
パーシャが言う、「ごまかしで生きるのは、嫌だ」と、そして「戦場に行く」と、そう言って、彼女のもとを去った。
1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍した。戦場でパーシャを捜す為に看護婦として働らくラーラに再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚をしているを知り、自分もまた家庭を持っていたのだが、ラーラへの愛をどうすることもできなかった。それにパーシャは戦死したとの報告も入っていた。そんな二人には、当然の様に惹かれ合う様になる。
後  編
その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰ったのだが、グロメーコ邸は公共居住施設となり、革命軍の手に帰したモスクワは、飢えと物資の不足にあえいでいた。
友人のミーシャ(ダニエレ・リオッティ)に会い、気の進まない仕事を依頼されるが、革命政府下の方針には、納得出来ないものがあった。
ジバゴが革命軍のリーダーで、義弟の勧めもあって、べリキノの別荘がある田舎で休養することにした彼は、旅の途中で白軍のスパイと間違えられ、赤軍の将校に尋問された。この将校は、戦死と報じられていたパーシャであった。彼は変わりはて以前の用な明るさは、消え失せ、今や革命への狂信以外、何もない男になっていた。
山の麓の田舎に着いたジバゴは、義父と妻トーニャそして息子のターシャ四人の家族で、心豊かに暮らし始める。
近くの町ユリアティンに来たジバゴは、そこに住むラーラに偶然会った。それは、二人を結びつける様な運命であり、再び、互いが元に戻るのには、時間はいらなかった。
時代は、ロシア革命の後、臨時政府は安定することなく、赤軍、白軍、パルチザンなどイデオロギーの異なる集団による内乱状態が続いていた。
妻には、後ろめたさと自身に許せない気持ちがあるが、ラーラとの愛も再燃した田舎での生活は、ジバゴにとっては幸せの日々であった。ある日の帰り、突然、彼は、赤軍パルチザン部隊パルチザンの1隊にとらえられた。その日は、妻に2人目の子供が生まれると知り、苦しい胸の中、ラーラと別れる決心をし、家路に馬を飛ばし帰る直後のことであった。
子供が生まれる時、トーニャの手伝いに訪れたラーラ。トーニャの夫への安否を心配する事で、二人は、互いの立場を知ってしまう事になる。
その時ジバゴは、無残な戦いを目にしながら、その空しさも知り、目的すら見えない彼は、脱走とは、言い難い様な形でその場を離れる。
ラーラの家では、裏切られた事で傷ついたトーニャはラーラと激しく話し合い、そして「もし、彼が、あなたの元に帰ってきたら、私の所へは、帰らないでと言って、あなたの事を思いながら帰ってきても、その時は私達はいない。今までの家にも、居たくない、辛いだけだから。」と、ラーラに告げ、去って行く。
ジバゴは、やっとの思いでラーラのもとに帰ったのだが、2人の関係を知った妻が、子供をつれて、パリに亡命したと告げられた。
今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラの前に、コマロフスキーが現れた。彼はラーラの夫の失脚により、ラーラは勿論、2人に危険がせまっていると再三話し、後にする。
あくる日、二人は、コマロフスキーの意見に反し、べリキノの別荘で暮らす事にした。
しかし、再びコマロフスキーが現れ、ジバゴは彼の下心を非難しながらも、ラーラの身の安全を考え、後で必ず会いに行くと約束し、コマロフスキーに身重のラーラを任せる事にした。
そしてラーラが極東に去った後、戦死したはずの夫、パーシャがラーラを捜し、尋ねて来た。ジバゴに会い、ラーラの様な女性が迫害されない世の中を造りたかったと言い残し彼は自殺する。
その後ジバゴは、妻を尋ね、モスクワに着くが、そこでも義父が大学を終れた事で、妻と子供をつれて、パリに亡命したと告げられた。
そして、手紙が託されていた。
ジバゴへの思いと、無事で自由に生きて下さいと書かれた、ジバゴへのトーニャの深い愛情の文面が綴られてあった。
友人のミーシャをたより、トーニャに会う為、国外に出る協力を頼みに行くが、体を壊しているジバゴと過ってミーシャ自身も愛したトーニャの事を考え、窘められる事になる。
8年後の1922年、ジバゴは心身ともに衰弱していた。残された時間を、医師として、詩人として、自らの魂に誠実に生きるユーリ・ジバゴ。
そんなある日、療養していたジバゴの前を息子とラーラが通り過ぎるのを見るが、言葉をかけようとする時には、彼は人生を終えてしまうのである。
葬儀の日、彼の死を知ったラーラは、ジバゴの亡骸と対面し、息子に「お父さんよ」と教える。「分かってたよ」と答える息子であった。
そこで、友人ミーシャから、ジバゴのラーラへの思いの全てを書き記された詩を渡される。
彼女もコマロフスキーから、離れていたのであった。
そんなジバゴへの思い出の中、外出から帰ったラーラの目に警察の手が回っている事が判る。
その時、幼い息子を逃がす為、「鬼ごっこするから、何処までも走りなさい」と、言った母を、見たのが、息子には最後であった。
また、ラーラも連行される車の中で、二度と会う事がない自由な息子の走っている姿に、ジバゴをダブらせたのか、微かに見守る様な微笑みかけるのだった。
冒頭の父を探すジバゴの少年期、ラストの母から言い付けを守り走り去るジバゴの息子、この二人の孤独な少年の姿が印象的に残る映画であり、また、歴史の流れに、飲み込まれながらも、懸命に生きた女性ラーラの様な強い母の姿もロシアの地に限定する事もなく、何時の時代でも存在し続けるであろう、人の哀れさも感じさせられる様でした。


「ドクトル・ジバゴ」壮大な文芸大作

2007-07-05 17:05:16 | 映画
ドクトル・ジバゴ・1965年/米/伊
2002年度リメイク版も載せてみました。若干のストーリーの違いがあります。

         
スタッフ
監督:David Leanデイヴィッド・リーン
製作:Carlo Pontiカルロ・ポンティ
原作:Boris Pasternarkボリス・パステルナーク
脚色:Robert Boltロバート・ボルト
撮影:Fred A. Youngフレッド・A・ヤング
SFX:Eddie Fowlieエディ・フォーリー
音楽:Maurice Jarreモーリス・ジャール
美術:John Boxジョン・ボックス Terence Marshテレンス・マーシュ John Boxジョン・ボックス
セット:Dario Simoniダリオ・シモニ
衣装:(デザイン)Phyllis Daltonフィリス・ダルトン
スクリプター:Roy Rosottiロイ・ロソッティ
キャスト
Omar Sharif  オマー・シャリフ (Yuri Zhivago)
Julie Christieジュリー・クリスティ (Lara)
Geraldine Chaplinジェラルディン・チャップリン (Tonya)
Rod Steiger  ロッド・スタイガー (Komarovdsky)
Alec Guinness アレック・ギネス (Yevgraf)
Tom Courtenay トム・コートネイ (Pasha)
Siobhan McKennaシオバーン・マッケンナ (Anna)
Ralph Richardsonラルフ・リチャードソン (Alexander)
Rita Tushinghamリタ・トゥシンハム (The Girl)
Jeffrey Rockland (Sasha)
Tarek Sharif  (Yuri at 8 Years old)
Berard Kay (The Bolshevik)
Klaus Kinski  クラウス・キンスキー (Kostoyed)
Gerard Tichy  ジェラール・ティチー (Liberius)
Noel William (Razin)
Geoffrey Keen  ジェフリー・キーン (Medical Professor)
Adrienne Corri エイドリアン・コリ (Amelia)
Jack MacGowran ジャック・マクガウラン (Petye)
Mark Eden    マーク・エデン (Engineer at Dam)
Eric Chitty (Old Soldier)
Roger Maxwell (Beef faced Colonel)
Wolf Frees (Delegate)
Gwen Nelson   グウェン・ネルソン (Female Janitor)
Lucy Westmore (Katya)
Lili Murati (The train Jumner)
Peter Madden (Political Officer)
解  説
ボリス・パステルナークの長編小説「ドクトル・ジバゴ」です。
以下、カッコ内は、We didn`t start the fireより参照の資料とします。
【詩人、作家。ユダヤ系のロシア(ソ連)人。画家レオニード・パステルナークと、ピアニスト、ロザリア・カウフマンの長男として、モスクワに生まれた。
ヴォリス・パステルナークの父、レオニード・パステルナークは画家であった。
レオニードの展覧会に来ていたトルストイ(ロシアの大文豪、代表作、戦争と平和)は、彼の絵を大層気に入り、後日、自分の執筆中の小説、『復活』の挿絵を依頼する。
ある日、レオニードは「笞刑(ちけい、鞭打ちのこと)の後」というシーンの挿絵を持ってトルストイの元を訪ねる。
トルストイはその素晴らしい出来栄えに涙ぐんだ。しかし、この「笞刑の後」と、いうシーンは不要として、小説から削除してしまっていた。この絵を挿絵として使うため、トルストイは小説の内容を書き換えようとした。レオニードは、自分の絵1枚のためにトルストイほどの作家が、小説のストーリーを変えてしまうなんて、とんでもないことだ、と主張した。しかし、トルストイは、「この絵は絶対に入れなければならん」と、言って譲らなかったという。】
パステルナークの詩を一篇 「風」   
ぼくは終わってしまったが、きみは生きている。そして、風は嘆き、泣きながら森と別荘をゆすっている。
一本一本の松ではなく果てしない遠方から続くすべての木々をゆする。
静かな入り江に浮かぶヨットというヨットをゆらすように。
だが、それは怒りからではなく、強さを見せつけるためでもない、悲しみの中できみに子守歌の言葉を見つけたいのだ。

1958年10月23日、パステルナークがノーベル文学賞を受けることが決定。しかし、ソ連の各メディアからパステルナークの非難が始まる。さらに、パステルナークを国外追放せよ、という者まで現れるのであった。当時は、フルシチョフ書記長の時代では、あったが、
パステルナークは、国外追放を恐れ、ノーベル文学賞辞退したのです。
しかし、フルシチョフは、「ドクトル・ジバゴを読んだが、特に問題があるとは思えなかった」と、回想録の中で述べている様である。
そして彼は、ノーベル文学賞が西側文化を一方的に擁護し東西対立を深めていると抗議した。
ちなみに文学賞辞退は1964年に59歳でノーベル文学賞に選ばれたサルトルと彼の2人だけであり、サルトルは、「どんな人間でも生きながら神格化されるには値しない」として同賞を辞退した。
密かに持ち出された「ドクトル・ジバゴ」は、1957年にイタリアで出版される事となり、大評判を得た後、2007年1月11日に、94歳で無くなられたイタリアの大物プロデューサー、カルロ・ポンティ(ソフィア・ローレの夫)が映画化権を獲得し、ハリウッドのMGMと共同製作に至った。
監督には「アラビアのロレンス」のデビッド・リーンが起用され、同じく「アラビアのロレンス」のロバート・ボルトが脚色、ロシア革命を背景に1人の男の生涯を描いた文芸篇。撮影はフレッド・A・ヤング、音楽は、映画音楽の中でも屈指の名曲とされる『ラーラのテーマ』は、リーン作品や、「パリは燃えているか」などで知られる名手モーリス・ジャール、美術監督はテレンス・マーシュとジョン・ボックス、装置はダリオ・シモニ、衣裳デザインはフィリス・ダルトン、特殊効果はエディ・フォーリー、第2班監督はロイ・ロソッティが担当した。出演は「アラビアのロレンス」のオマー・シャリフが扮し、文字通り彼の代表作となりました。
「ある晴れた朝突然に」のチャップリンの娘のジュラルディン・チャップリン。これも清楚で品格のある演技でした。そして「ダーリング」で38回アカデミー女優主演賞をとったジュリー・クリスティが扮し、奔放な中にも強い意志を感じさせる演技を見せました。最初、製作者カルロ・ポンティはラーラ役に自分の妻ソフィア・ローレンを考えていたようですが、リーン監督がジュリー・クリスティに替えたとのこと。近作のスペクタクル史劇「トロイ」(’04年、監督:ウォルフガング・ペーターゼン)では、主人公アキレス(ブラッド・ピット)の母親役で老いてもなお美しい顔を披露してくれました。「クロスボー作戦」のトム・コートネイは家庭をも省みず革命に命を賭ける冷酷さに徹してます。
ほかに悪徳の顔を持つ弁護士にロッド・スタイガー、デビッド・リーン映画に欠かせないアレック・ギネスが扮します。出演場面は少ないものの、映画全体の語りべとなっています。ラルフ・リチャードソンのオーソドックスな渋さ。以下シオバン・マッケナ、リタ・トゥシンハムなど。製作は「クロスボー作戦」のカルロ・ポンティ、製作企画は「人間の絆」のジョン・ボックス。なおこの作品は、第38回アカデミー賞の、5部門(脚色賞、色彩撮影賞、色彩美術賞、色彩衣裳デザイン、オリジナル作曲賞)で受賞。
米ソ冷戦時代にあって、ソ連国内では撮影できず、ロケハンはロシアの大草原や大雪原に似た風景を世界中に探し求める事になり、結局、スペイン、フィンランド、カナダで行われています。
そして、「アラビアのロレンス」の大砂漠に勝るとも劣らないロシアの大雪原がスクリーン一杯に見事に結実したのです。                   
あらすじ
冒頭、エフグラフ・ジバゴ将軍(アレック・ギネス)は、ダムの建築現場で働く若い娘トーニャ・コマローバ(リタ・トゥシンハム)に出会った。彼女は、ジバゴとラーラの間にできた私生児だ。ユーリ・ジバゴは、エフグラフには、腹違いの兄であった。
ジバゴを知らない彼女に、ジバゴとラーラの激動に生き、翻弄された運命を話し始める。
母を幼くして亡くしたジバゴは、葬儀の日から父の友人であった科学者アレキサンドル・グロメーコ(ラルフ・リチャードソン)とその妻アンナ(シオバン・マッケナ)に引き取られ、育てられる事になる。そして、母の形見であるバラライカを受け取るジバゴ。
19世紀末のロシア。グロメーコ夫妻に実の子同然に育てられ、成長したユーリー・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、医学の勉強を続けるかたわら詩人としても知られるようになった。幼い頃両親を失い、科学者グロメーコにひきとられた彼は、その家の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)を愛していた。ジバゴは、街の中フトした時に、近所の仕立屋アメーリア・ギシャールの娘ラーラ(ジュリー・クリスティー)を見た事で、密かに恋焦がれていく様になる。しかし彼女は、帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ(トム・コートネイ)を愛していた。
そんな美しく大人になったラーラに、母の愛人で弁護士コマロフスキーが、目をかけてきたそんなある日、コマロフスキーの愛が娘に移った事を知ったラーラの母は、生活の為に、また、母の心を知っているラーラもコマロフスキーの食事の誘いを承諾する。そして帰りの馬車の中、強引に唇を奪われてしまう。
そしてラーラはコマロフスキーに誘われるままに密会を重ねていく。
娘との関係やコマロフスキーとの関係に悩んでいたラーの母は、自殺を計るが、その時ジバゴは、手当てをした事で偶然にラーラと会う事になる。そこで、ラーラとコマロフスキーとの関係も知ってしまう事になる。
やがて、怒りにも似た、悲しみにジバゴは、おそわれるであった。
そして、革命の嵐が、そんな、ジバゴ達にも近づいてくるのである。ついに、革命派と軍との衝突が起き、パーシャは巻き込まれ、何とか無事逃れ、ラーラの家にが転がり込んできたパーシャは、ラーラに一丁の拳銃を預けて去った。
やがて来たコマロフスキーに、ラーラは再び関係を持たされるのであった。
コマロフスキーは、ラーラに言う。
「男には二通りある。高潔で純粋、表向きは賞賛されているが、じつは軽蔑されている。もう一方は高潔ではないが、生きる術を心得ている」と。
そして、直に「行く所がある」と告げ、出て行ったのである。
折しもクリスマスの日であった。ラーラ(ジュリー・クリスティー)は、誘惑から逃れるため、彼が出かけたクリスマス舞踏会まで行き、発砲するという事件を起こした。
銃弾は、コマロフスキーを負傷させたのであるが、公にはならずに済む。また、婚約発表からトーニャと一緒に、そこで居合わせたジバゴは、コマロフスキーの手当てをしたが、ジバゴは世俗的なこの男が好きになれないのだった。
茫然と立ち尽くすラーラをその場から連れ去ったのはパーシャである。一方、ラーラは、ウラルに旅立つパーシャと共に行く事をきめる。 
1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ドイツとの戦争が始まり、首都モスクワから軍隊が前線に出発していく。20世紀初頭のこの戦争で敗れたロシア帝国は革命から内乱へと向かう。皇帝を監禁し、レーニンがモスクワへ入る。
「皇帝も地主もない、労働者だけの国になるんだ!」人々は奇声を発した。
そんな激動の最中、軍医としてウクライナ戦線で働くジバゴは看護婦として来ていたラーラと再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚し、パーシャを探していると言う。そして自分もまた家庭を持ち、共に子供もいた。
働く中、二人には当然の様に惹かれ合う様になるが、やがてラーラは去る事になる。
その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰った革命軍の手に帰したモスクワは、飢えと物資の不足にあえいでいた。
トーニャと義父アレキサンドルに暖かく迎えられたが、屋敷は地区委員なるものに管理されており、多くの人々が住み暮らしている。世界が変わり、個人の財産は分配されるのである。ジバゴはバラライカだけは取り戻した。
家族の部屋の薪がない。ジバゴが外の塀の板を剥がしていると、目つきの鋭い党幹部に見つかった。それがジバゴの異母弟のエフグラフであった。
二人は別々に育ち会うのは初めてであったが、思想は違えど腹を割って打ち解けあった。エフグラフの勧めでジバゴ一家は、ベリキノにあるアレキサンドルの別荘に移り住むことにした。モスクワからようやく列車に乗り込む一家。列車はモスクワを離れる人々で一杯になっている。悪夢のような苛酷な旅。
ウラル山脈の長いトンネルを抜けたところで列車が止まった。あたりを散策していたジバゴはそこに別の列車が止まっているのを発見する。そしてスパイ容疑で捕らえられたジバゴが会ったのは、人々から鬼のように恐れられている赤軍のストレーリニコフ将軍であった。
だが、この人物こそ戦死したと伝えられていたラーラの夫、パーシャその人である。
「君の詩は好きで読んだ。だが今は違う。君の作風は個人的すぎる。真心だ、愛だ、実にくだらん。もはやロシアでは個の存在など許されんのだ」
ストレーリニコフはラーラがユリアティンにいることも話した。ベリキノの近くである。「革命という大義の前には家庭など塵同然だ!」 冷酷に言い放つストレーリニコフはジバゴを釈放した。今や革命への狂信以外、何もない男になっていた。
豊な田園風景が広がるベリキノ。山の麓の田舎に着いたが、別荘は革命公正委員会により封鎖されていた。やむなく近くの小屋に住むことにした。
義父と妻トーニャそして息子のターシャ四人の家族で、心豊かに暮らし始める。
ある日、ユリアティンの町へ出かけたジバゴはラーラと再会した。それは、二人を結びつける様な運命でもあった。
彼女のアパートで二人は狂おしく抱き合った。懐かしさもある。こんな辺境の地で巡り合うという驚きもあった。しかし何よりも二人は愛し合っていたのだ。自然の成り行きで結ばれる。
それからのジバゴは時々、トーニャの目を盗んでユリアティンへ出かけてはラーラと会うようになる。
妻には、後ろめたさとすまない気持ちがあるが、ラーラとの愛も再燃した田舎での生活、ジバゴにとっては幸せの日が続いたが、ジバゴの心は揺れていた。
そして、トーニャの腹には二人目の子が宿っているのを知った時、ジバゴは決心した。
「ラーラ、別れてくれ、いいか、もう来ないからな」 ジバゴは苦しい胸の中、声を絞り出す。
「解るわ・・・貴方に任せるわ・・・」 ラーラの声も涙にむせぶ。
その帰り道、ジバゴは突然現れた赤色パルチザンに捕らえられた。
「軍医が必要なのだ。逃げたら射殺する」
ジバゴは彼らと行動を共にせざるを得なくなった。
だが、無残な戦いを目にしながら、その空しさも知り、目的すら見えない彼は、家族のことが心配でいたたまれなくなったある日、脱走とは、言い難い様な形でその場を離れる。雪の平原を力の限り歩くジバゴ。
そして、たどり着いたベリキノの小屋はもぬけの殻だった。熱にうなされながらユリアティンのラーラのアパートへ・・・そこで彼は意識を失った。
ラーラの看病で意識を快復したジバゴは、トーニャ達一家がパリへ追放されたのを知る。
トーニャの夫への安否を心配する事で、二人は、互いの立場を知ってしまう事になり、トーニャはジバゴがいつの日かここを訪れると確信し、バラライカをラーラに託していた。
ジバゴとラーラはユリアティンで生活を始めた。それは荒廃した中でも楽しい日々であった。
今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラ。
そして、ある吹雪の夜、コマロフスキーが現れた。彼はこの動乱の世で上手く立ち回ったのか、今や法務大臣になっている。
広大な原野の開発のためにウラジオストックへ行くのだと、そして訪問の目的を言った。彼はラーラの夫の失脚により、ラーラは勿論、2人に危険がせまっていると再三話したが、信用しないジバゴに追い出される。
「私を見損なうな!それ程腐った男ではないぞ!」 コマロフスキーは深夜の路上で吠え立てていた。
あくる日、二人は、コマロフスキーの意見に反し、トーニャが去った家で暮らす事にした。
しかし、再びコマロフスキーが現れ、「失脚したストレーリニコフが処刑を前にして自殺したのだ。ラーラの利用価値がなくなれば明日にも銃殺隊が差し向けられる。専用の列車を待たせてあるのだ」ジバゴは彼を非難しながらも、ジバゴは苦渋の決断をした。
自分はともかく、ラーラの身の安全を考え、後で必ず会いに行くと約束し、コマロフスキーに身重のラーラを任せる事にした。
ラーラのお腹には自分の子が宿っているのだった。
ラーラとカーチャ、それにバラライカを馬車に乗せるジバゴ。
そしてラーラが極東に去った。地平線の彼方に消えていく馬車を見つめるジバゴであった。
8年後、ジバゴはモスクワの市街電車の中で、ラーラを見かけ、必死に追ったが自身の心臓病の発作が起き志を遂げずに死んでしまうのであった。葬儀の日には、それを知ったラーラが来ていた。エフグラフは、直にラーラと解り対面し、ジバゴが彼女の為に書き綴った詩集を見せ、ジバゴの思いを告げ、やがて街へと去り行くラーラを見送る。それが、ラーラを見た最後の姿であった。彼女は、捕まり処刑され、亡骸は名前ではなく番号であったと云う。何年か過ぎた今、エフグラフはジバゴとラーラの間にできた私生児 (リタ・トゥシンハム)に、両親の話を終え協力を申し出る。トーニャ・コマローバはラーラの巻頭の写真を見てつぶやいた。「奇麗な人・・・」。
「これがお父さんとお母さんだ」ジバゴの詩集を贈りこう言った。「彼の仕事は党には容れられなかったが、詩を愛する人は彼を忘れない。彼ほど詩を愛した者はいなかった」と。
見送る、エフグラフに娘のバラライカが目に入った。大声で尋ねるエフグラフに、そばの恋人が答えた。「彼女の腕はプロ並みだよ」。
エフグラフは微笑んだ。ジバゴの血が、受け継がれている事を確信したかの様に。

壮大なロシアの大地と自然の中で描かれていく数奇な運命と愛…。
生きていくと言うこと。愛し続けると言うこと。
自分に与えられた使命や、生きる意味…。戦争の虚しさと、平和への願い…。
タイトルバックの絵画の様な白樺からも芸術性が感じ撮られ、モーリス・ジャールによる2人の出会いと別れの哀愁を奏でる名曲「ラーラのテーマ」の美しい旋律と、季節により変化する風景を捉えたデヴィッド・リーンの目の覚める様な迫力あるショット、そしてストーリーにアクセントを与え続けるカメラワークが更にドラマに効果を与え、雄大な歴史描写を背景に、因果関係と溶け込む様な演技からの素晴らしい展開があり、スケールの大きさを感じさせない様な物悲しいさも繊細に、そして綺麗に演出されており、エンディングまでの高揚感を持続させていました。ラストのバラライカのシーンに人間の誇りの様なものも感じられ、文芸的歴史スペクタクルの最高峰と云える大作です。 

「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年

2007-06-21 19:51:35 | 映画
「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年、フランス・イタリア
      
時間:107分、配給 : ユナイト
当作品の評価は色々ありますが、当時学生で、私はリアルタイムで、この作品を大変期待して観た記憶があり、そんな意味では、印象に残る作品でした。

監督:フランソワ・トリュフォー
原作:コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)
脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール
撮影:ラウール・クタール
衣装:ピエール・カルダン
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ジャンヌ・モロー as ジュリー、クロード・ブリアリasジャン、ジャン=クロード・ブリアリ、ミシェル・ブーケ 、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェ、他

解  説
「黒衣の花嫁」の原作は、1940年に発表されたコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)の長編で、その他、「暗闇へのワルツ」はトリュフォーによって「暗くなるまでこの恋を」(’69年、主演:ジャン・ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーブ)として映画化され、「裏窓」(’54年、主演:ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー)の原作者でもあります。
トリュフォーは、1944年のパリ解放後、12歳ぐらいのとき、母親が持っていた仏訳版をこっそり借りて、読んだようです。
1960年代半ばに映画化を企画した際、ウールリッチには「黒の天使」とか「喪服のランデブー」とか似たようなタイトルの作品が多い為なのか、ウールリッチのどの作品かタイトルまでは、憶えていなかった様で、たまたまフランスで再版されて判明したらしいのです。
また、トリュフォーは、撮影監督ラウール・クタールと意見が合わなかったりして、他のことが忙しくて、演技まで手が回らなかったそうです。(クタールがトリュフォー作品に参加したのはこれが最後。前作「華氏451」はニコラス・ローグが撮影を担当しましたが、「ピアニストを撃て」、「突然炎のごとく」、「二十歳の恋」、「柔らかい肌」とずっとクタールが担当していました)。トリュフォーは演技指導をジャンヌ・モローに任せたとかで、映画自体も彼女が背後から男性陣を監視しているような感じになっています。

『黒衣の花嫁』の音楽を担当したバーナード・ハーマン(1911-1975)のドキュメンタリーから。
ハーマンは「華氏451」と「黒衣の花嫁」の音楽を担当しました。この本の作者はこの二作がお気に召さないらしく、ハーマンの仕事は、内容の乏しい作品に心理的なニュアンスを持たせて生き生きさせることだったと書いています。イギリスで録音された「華氏451」のときには英語がしゃべれない監督に苦労すればよかっただけですが、パリで録音された今回は、フランス人演奏者、指揮者、録音技師と一緒に仕事をしなければならず、フラストレーションがたまったようです。
『華氏451』の音楽はうまくいったのですが、『黒衣の花嫁』の音楽についてはトリュフォーはバーナード・ハーマンとかなり対立し、ジャンヌ・モローのスカーフが飛んでいくシーンの音楽を作り直すようハーマンに指示した時のエピソーの記憶です。
この番組では、トリュフォーの指定とハーマンの指定という双方の場面を比較して見せてくれていたのですが・・結局はバーナード・ハーマンの音楽を使わず、ヴィヴァルディの音楽を使うことになったいきさつが語られています。オーソン・ウェルズやヒッチコックは映画が完成したらそのままにしておくのに、トリュフォーが再公開時に編集しなおすことが気に入らなかったようです。ただ、不幸なウールリッチと違って、56歳のハーマンは27歳の女性と1967年11月に結婚するという幸福な時期でした。

   
フランソワ・トリュフォー(FRANCOIS TRUFFAU)
1932年2月6日、フランスのパリ生まれ。両親の離婚により孤独な少年時代を送り、万引きや盗みなど、さまざまな悪事を働いていたという。14歳で学校をやめ、15歳で放浪罪で捕まり、感化院に送られてしまう。
感化院を出てからのトリュフォーは、さまざまな職業につくものの長続きせず、映画館へ入り浸るうちに「カイエ・デュ・シネマ」誌の主宰者だったアンドレ・バザンと出会い、以来、バザンが亡くなるまで親子同然の生活を送る。バザンの勧めにより映画評論を書くようになり、「カイエ・デュ・シネマ」などを中心にプロの批評家として活動を始める。厳しく攻撃的な映画批評は「フランス映画の墓堀り人」と言われるほどだった。
トリュフォーも最初は小津の映画をこんな風に評価していました。「小津安二郎の作品は、私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが無気力にとらえている。映画的な躍動感が全く感じられない」と言っていました。でも、後に「ところが最近、『秋日和』『東京物語』『お茶漬の味』とかいった作品を連続して見て、たちまちそのえもいわれぬ魅力のとりこになってしまいました」と評価を変えたのです(山田宏一『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』)。
さて、トリュフォーはロベルト・ロッセリーニ監督の助手をつとめ、数本の短編や脚本を手がけたあと、1959年に「大人は判ってくれない」を発表。アンドレ・マルロー文化相の推薦で出品できたカンヌ映画祭で監督賞ほか2賞を受賞し、成功をおさめる。同じ年に監督デビューしたジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マル、クロード・シャブロルらとともに、一躍“ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手として注目を集めるようになる。
1960年の「ピアニストを撃て」では、歌手のシャルル・アズナヴールを迎えて軽妙な悲喜劇を描き、第3作の1961年の「突然炎のごとく」では、ジャンヌ・モローを主演に男女の三角関係を、描き国際的な名監督という評価が確立され、1963年の「柔らかい肌」では不倫の愛をめぐる心理劇を描いた。
また、1966年の「華氏451」等、ヒッチコッキアンである彼は、サスペンス、コメディの才覚も発揮します。
1968年、フランスの五月革命をきっかけに、ジャン=リュック・ゴダールとの決別をはじめとして、ヌーヴェル・ヴァーグの仲間たちとも疎遠になった。この頃より、映画の作風も古典的、正統的なものへと変わっていく。
その意味からか、この作品は、ヌーヴェル・ヴァーグ的には感じられなかった。
1973年には「映画に愛をこめて アメリカの夜」を発表。アカデミー賞にノミネートされたほか、NY批評家協会賞、全米批評家協会賞で監督賞を受賞した。
また、アメリカのヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグもトリュフォーに憧れた一人で、「未知との遭遇」(’77年)でフランスのUFO研究者の役をトリュフォーに演じてもらったのでした。
1980年の「終電車」では、セザール賞を総なめにしている。遺作となったのは、最後の妻ファニー・アルダン主演の「日曜日が待ち遠しい!」(1982年)だった。
私生活では、1957年に結婚し、ふたりの子供をもうけたが、1965年に離婚。1968年には、女優のクロード・ジャドと婚約したが、破局している。1981年にファニー・アルダンと結婚し、娘をもうけた。
1984年10月21日、脳腫瘍のため享年52歳の若さで世を去ってしまいました。
   

   
ジャンヌ・モロー(JEANNE MOREAU)
撮影現場で談話する俳優ジャン・ピエール・カッセル(左)、フランス映画界屈指の女優、ジャンヌ・モロー、トリュフォー監督(右)【写真右上】
1928年1月23日、フランス・パリ生まれ。父はレストラン経営者で、母は元ダンサーだった。18歳の時に見た演劇の世界に魅了され、女優を夢見るようになる。コントルヴァトワールで演技を学んだあと、モリエール劇団に入る。
1948年に映画デビュー。1954年、ジャック・ベッケル監督の「現金に手を出すな」で注目されるようになるが、当時はまだ色気を売り物にした女優と見られていた。
1957年、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベータ」に出演し、一躍脚光を浴びる。
1960年には「雨のしのび逢い」で、カンヌ映画祭の主演女優賞を受賞する。
1961年、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」に出演。退廃的ではあるが、一本芯の通った女性像を演じて、絶大なる支持を受ける。
1962年の「エヴァの匂い」では悪女を演じた。
1962年、オーソン・ウェルズ監督の「審判」、1964年、ジョン・フランケンハイマー監督の「大列車作戦」等の作品で彼女は外見の美しさだけでなく、自立した個性的な役柄を演じてきて、反保守のヌーベルバーグ派の監督に好かれたのでしょう。
1970年代後半からは「ジャンヌ・モローの思春期」などで監督業にも進出する。女優業のほうは、次第に脇役にまわるようになるが、1990年の「ニキータ」のように貫禄をもった演技で出演し、作品に深みを持たせている。
1928年生まれ,今年79歳で元気で現役、不思議な大女優ジャンヌ・モローに,アカデミー賞で,彼女の全芸歴に対して特別栄誉賞が贈られました。
欧州の女優では初めてのことで、歴史的な事件です。
私生活ではデザイナーのピエール・カルダンやトニー・リチャードソンなどとのロマンスが有名。1948年にジャン=ルイ・リシャールと結婚して、一児をもうけるが1965年に離婚。1977年にウィリアム・フリードキン監督と再婚するが、2年後に破局している。
この映画はトリュフォーがジャンヌ・モローに捧げた作品だそうだ。そして衣装は恋人の前記した、ピエール・カルダンだ。ジャンヌ・モローは当時40歳で花嫁を演じ、決して若いとは言えませんが、その冷めた美貌で男に近づき沈着冷静に復讐を遂げていくところは凄みさえ感じさせます。
スクリーンでのジャンヌ・モローの演技は軽快そのもので、よく笑い、心なごむ優しさの中でこそ最高の演技を見せる。そんなオーラと優しさの中から彼女は全てを創造する。だからこそ、また強烈なエモーションを表現できるのである。人間の弱さや傷つきやすさに対する寛容と強烈な共感と心からの理解力、そういった全てをジャンヌ・モローが演じている。

物語はいきなり1人目の復讐殺人の企てから始まります。そして、黒や白のドレスをまとった、この謎の美女ジュリー(ジャンヌ・モロー)が5人の男性を一人ずつ次々殺していくというシンプルなものですが、クールで鮮やかな身のこなし、ピエール・カルダンの黒と白のみのモローの衣装の鮮やかさが、映画では楽しめます。
結婚式の最中に向こう側のビルの一室で5人の遊び人の男たちが、誤って実弾のこもった銃を撃ってしまい、それが新郎に当り亡くなります。その事で5人の男を新婦が殺す動機には、少々無理がある様にも思われます。小説では、酔っ払った5人の仲間が車を暴走させ、結婚式を終えた新郎をひいてしまうという、悪質なものなのです。
五人の男性は、クロード・リーシュ、ミシェル・ブーケ、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェが演じており、リーシュとデネルの友人としてジャン=クロード・ブリアリが出演しています。
『黒衣の花嫁』はジャンヌ・モローの視点に立って男たちを見るようになっていると思うのですが、原作では、物語は一人の女の行動を追いかけていく。
タイトルの『黒衣の花嫁』(The Bride Wore Black)の意味は結末で判明する。
映画と原作が大きく違うのはこの最後の犠牲者のエピソードで、映画ではダニエル・ブーランジェ扮する小悪党が最後の犠牲者で、彼をどうやって殺すかは映画のオリジナルですが、原作ではそのターゲットは作家です。
最後の事件では、面白いギミックが読者に衝撃を与える効果を盛り上げている。それは五人目のターゲットに選ばれたホームズという作家の元に、謎の女がやってくる場面。この家に、足を痛めた若い女性フレディ・キャメロンと中年のタイピストミス・キッチナーの二人が訪れる。読者は当然若い女性の方を中心に読んでいて、当然、若い女性が殺人者だと思い、彼女がいつどうやってホームズを殺すのかと思ってしまう。しかし、彼女は単なるこの作家の崇拝者でしかなく、実はこれまでひたすら若く美しい姿ばかり見せてきた『女』が、今回だけは例外で中年のタイピストを演じていたと明かされる。
映画の中では最も信頼できる第三者はジャン=クロード・ブリアリ演じるコレだと思うのですが、原作では、もうひとひねりあって、新郎にも原因があり、ホームズの側も実は事前に察知して入れ替わっていた警官だった。この二つは著者の説明的でない文体だからこそ初めて成立した仕掛けであろう。

        あらすじ         
女(ジャンヌ・モロー)が或る決意を固めて、家を出るところから始まる。
コート・ダジュールのアパートで独身生活を楽しんでいるブリス(クロード・リッシュ)のもとに見知らぬ、美しい女が訪れた。折から婚約パーティが開かれていて、出席していた、ブリスの親友コリー(J・C・ブリアリ)は、彼女から鮮烈な印象をうけた。
女はブリスをバルコニーへ誘い出した。ブリスの友人コリー(ジャン・クロード・ブリアリ)も会話に付き合ったが、部屋に戻った隙にブリスはバルコニーから転落死し、女の姿は消えていた。

そこからほど遠くない別の市の銀行員、女性恐怖症であるコラル(ミシェル・ブーケ)のアパートにコンサートの指定席券が届く。コラルは心当たりがなく不審に思いながらもコンサートに出かけた。
ピアノとバイオリンのコンサート。コラルの隣席に謎の女が座る。
コラルと女は共に帰るが、何故コンサートの券を自分に送ってくれたのか女は明かさない。そして彼女は、翌晩コラルのアパートを訪れる約束した。コラルは胸がときめいた。
「人生は勝利しなくちゃね。負け犬なんて最低よ」 謎の言葉を残して女は立ち去った。
翌日の夜、約束どおり女がやって来た。と云うか、銀行員に擦りよりアパートを訪ねる。酒好きのコラルに酒のボトルを携えて。
緊張して舞い上がる男への土産はアラク(アニス・リキュール)というイラク酒。彼女の愛するマンドリンがフーガを奏でるドーナツ盤は死へ誘う舞踏曲、そして、毒入り注射の酒がとどめをさす。
乾杯し、コラルの頭が混乱し始めた時、女が話し始める。
数年前、教会での結婚式。教会から出てきた新婚カップル。新郎が突然の銃撃に倒れる。胸から血を流して倒れた新郎に泣き叫び取りすがる花嫁。
床を這うコラルを残して、女は立ち去った。
「・・・分かったぞ・・・あのときの花嫁だな・・・」 コラルは悶絶して息絶えた。

若手政治家モラン(ミシェル・ロンダール)の家に電報が届く。『母急病すぐ来られたし』 モランの妻の母の急病を知らせる電報だった。
妻は急いで実家に帰った。小学生のクッキーとモランの家に、モランの息子の幼稚園の先生と名のり、夫人が留守で困っているだろうから、子供の世話をしにきたといってあらわれた。クッキーは違うという。しかし女が料理を作り、かくれんぼ遊びをしてくれるうちにそんなことはどうでもよくなった。クッキーを寝かしつけ、女が帰ろうとしたとき、「指輪がないわ」女が言った。
かくれんぼ遊びのとき、女が階段下の物置に入った時に落としたのかもしれない。モランが物置に入って探しているとき物置のドアを女が閉め鍵を掛けた。隙間はセロテープで目張りされた。
「何をする!・・なぜ?」 モランが叫ぶ。「私はジュリー・コレールよ。貴方を殺しにきたの」 ジュリーは冷たく言い放った。モランは瞬間に悟り、「待て!全て説明する」 
『数年前、教会の向かいのアパートメントの一室でモラン、ブリス、コラル、ダルロー、フェルグスたち狩猟仲間5人が酒を飲みながら銃について談義していた。銃も何丁かそこにあった。教会の塔の上に風見鶏がある。悪戯にモランが銃に実弾を込め風見鶏を狙う。そのままモランは銃をテーブルに置き酒を飲みに奥へ行った。その隙にスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がその銃を取り風見鶏に標準を合わせる。そのまま下へ、教会の玄関から式を済ませた新婚カップルが出てきた。
ダルローが新婚カップルに標準を定める。「その銃には弾が!」モランが窓際に走って来たときには遅かった。ダルローは実弾の入った銃を撃った後だった。
子供の時から愛し合っていたダビッドと結婚式をあげた後、腕を組んで教会から出てきた彼女の夫が銃で撃たれたのだ。教会の玄関口で新郎が倒れ人々が取り囲んでいる。
このまま捕まっては一生を棒に振ってしまう。5人はアパートメントから逃げた。もう二度と会わないと約束を交わしながら。』
モランは思いだした。いつか、ブリス、コラル、フェルグス、ダルローら五人の狩猟仲間と、ふざけて教会の風見の鶏を射とうとして……。
「・・・過去の話だ」モランは言う。「私には過去じゃない。夜毎訪れる悪夢よ」 ジュリーの幼友達ダビッドを、将来は夫になる人と夢見た男を結婚式のその日に失ったのだ。ジュリーの心はこの時から死んでしまったのだった。悲嘆のあまり自殺しようとしたこともある。だがジュリーは思い直した。夫ダビッドの仇を討つまでは死ねないと。そして長い歳月を費やし5人を探し出したのだ。
ジュリーはガムテープで物置のドアの隙間を目張りしていく。だが、僕じゃない。モランはさけんだ。モランが必死にド中アを叩く音。呼吸は次第に苦しくなっていった。
ジュリーは去り、翌日、モランは死体となって発見された。

ジュリーは懺悔室で神父に犯した罪を懺悔する。「今すぐやめるのだ」 神父は言う。「憎しみに生きる殺人者に人を愛せると?・・・やり遂げたら彼の元へ行きます」

自動車修理工場へジュリーが来た。バッグの中にピストルが忍ばせてある。呼び出しに応じてスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がやって来た。ジュリーはバッグからピストルを取り出した。その時、意外なことが起った。ダルローの周りを警察がパトカーで囲みダルローを逮捕してしまった。ダルローは盗難車を売りさばいて不当な利益を出していたのだ。

画家フェルグス(シャルル・デネ)のアトリエをモデルとしてジュリーが訪れる。フェルグスはジュリーを見た瞬間、自分が以前から思い描いていた理想の女性像にジュリーが瓜二つだと思う。(実際画家のフェルギュスが描いた理想の女性像はジュリーに瓜二つ)そのベッドに横たわる女性像。
モデルのジュリーに、ディアーナになれと言う、そして大作『ディアーナ』を描き始める。やがて、フェルグスは白いチュニックを着て矢入れを肩に弓をかまえるポーズのジュリーに次第に惹かれていく。
そんなある日、アトリエを訪れた友人たちの中にコリーがいた。コリーはジュリーを見て前に会ったことがあると思うのだが思い出せない。
コリーがその女を思い出したのはフェルグスがアーチェリーの矢で胸を射抜かれた後だった。
フェルグスの葬儀に顔を出したジュリーはコリーと再会する。ジュリーは警察に逮捕された。

監獄に入ったジュリーは模範囚となり、いつの日か給食係りとなった。ここの男房にはダルローが収監されている。夫ダビッドに引金を引いた張本人がダルローだ。
ジュリーが給食を台車に載せ男房に入っていく。フキンの下に包丁は隠されていた。やがて男房からダルローの断末魔の叫び声が監獄に響き渡った。
          
        

『潜水服は蝶の夢を見る』(仮題)、2007・カンヌ映画祭

2007-06-20 12:31:35 | 映画
『潜水服は蝶の夢を見る』(仮題)・ジャン=ドミニクを看取ったベルナール

原作:『潜水服は蝶の夢を見る』(ジャン=ドミニク・ボービー著)
スタッフ
監督/ジュリアン・シュナーベル
脚本/ロナルド・ハーウッド
撮影/ヤヌス・カミンスキー
音楽/ポール・カンテノン
キャスト
ジャン=ドゥ…マチュー・アマルリック
セリーヌ…エマニュエル・セニエ
アンリエット…マリ=ジョゼ・クローズ
クロード…アンヌ・コンシニ
ルパージュ医師…パトリック・シェネイ

1951年NYブルックリン生まれのジュリアン・シュナーベル監督が、ハヴィエル・バルデムをアカデミー賞候補に送り込み、2000年のベネチア国際映画祭で審査員大賞を受賞した『夜になるまえに』、新表現主義の画家としてキャリアをスタート後、親交のあった画家ジャン・ミッシェル・バスキアの伝記映画で監督デビューを果たした『バスキア』に続き、再び実在人物、キューバの亡命作家レイナルド・アレナスのの半生を描いた最新作『潜水服は蝶の夢を見る(仮題)』がこのたび第60回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へ正式出品され、カンヌの舞台で感動を呼び起こす。
監督に再びメガホンを取らせたのは、ジャン=ドミニク・ボビーという人物。
ベルナールとジャン=ドミニクさんは若い頃から親友関係にあり、彼の最期も看取った。
1995年、女性ファッション誌「ELLE」の編集長であった彼は、43歳という若さで突然、脳溢血で倒れ、目が覚めると、そこは病室。徐々に自分が倒れ、運ばれて来た事が蘇ってくる、医者と看護婦が来るが言葉が出ない、そして体の自由もきかない。そのまま寝たきりの生活を余儀なくされる。働き盛りの年齢で、第一線で活躍していた日々が一変、唯一左眼のまぶたしか動かない身体に。だが、彼を見守る看護婦のサンドリーヌが彼のまぶたの動きに気づき、編集者のクロードが彼に自伝を書く話を持ちかけたことから、彼の新たな人生が幕を開けた――。

内容は、記事紹介から
カメラはそんな彼の視点から周囲の人たちをとらえる。やがて意思の疎通を図るため、アルファベットを用いて言葉を作り上げる。Yesなら一回の瞬き、Noなら2回とまぶたの動きで、若い二人の女性が付き添って看護する。その日々が綴られ、主人公の独白が笑わせたりと面白い。
妻が子供たちを連れて見舞いに現れたり、嫌な友人や仲間も。そんな中でマックス・フォン・シドー演じる老父が電話で話しかけるシーンは泣かせる。老父との思い出や結婚式、仕事場と彼の脳裏に浮かぶシーンが次々と出て来て、やがてなぜこんな目に遭ったのかが明らかになる。愛人のアパートから田舎にいる家族に会いに新車ですっ飛ばし、息子を連れてサッカー観戦に出掛けた途中に身体に異常を来たし…。
妻の看病中に愛人からの電話が入り、妻が数分だけ席を外すシーンも、いかにもフランス的。主人公の心を軽やかに華麗に映像に表わす手腕は見事で、人生というものの意義を考えさせられる。片目を閉じ、口元をへし曲げてジャン=ドミニク・ボビーを熱演するアマルリック、愛人を認めつつ強く生きる妻を好演するセニエら俳優たちのアンサンブルも決まっている。さらに先日死去したばかりのベテラン、ジャン=ピエール・カッセルが牧師と店主の2役で顔を見せているのもうれしい。

左まぶたの瞬きを20万回以上繰り返すことだけで、同名手記を書き上げたという奇跡の実話を完全映画化した本作。ジャンを演じるのは、前回紹介致しました、『キングス&クイーン』などアルノー・デプレシャン監督作品で常連のフランス実力派俳優、マチュー・アマルリック。さてこのマチュー、今後も出演作が目白押しのようなんですが、今年のカンヌ映画祭では、コンペティション作品として参加している「潜水服と蝶」を含め、原題出演作が3本も登場しています。
これは日本でも来年公開されるようですから、楽しみでもあり、身体の自由を失い難病と闘う人物をどんな演技で私達に見せてくれるかも期待したいものである。
今回の新作はもともとジョニー・デップ主演で企画が進められていたが、最終的にはマチュー・アマルリックがデップの代わりを務めることになった。
また、私生活でも「そして僕は恋をする」で共演したジャンヌ・バリバールとの間に、二人の子供がいます。

「キングス&クィーン」Rois et reine(2004年)

2007-06-16 17:55:24 | 映画
名曲「ムーン・リヴァー」の調べにのせて世界中で感動の涙と称賛を呼んだ本作は、2004年、第61回ヴェネチア国際映画祭では絶賛とともに迎えられた。
2007年、第60回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へ正式出品された、ジュリアン・シュナーベル監督が実在人物の半生を描いた最新作『潜水服は蝶の夢を見る(仮題)』に主演のマチュー・アマルリックに関係した作品。       
「キングス&クィーン」Rois et reine(2004年)
配給:boid
製作:パスカル・コーシュトゥー
監督:アルノー・デプレシャン
脚本:ロジェ・ボーボ / アルノー・デプレシャン
撮影:エリック・ゴーティエ
美術:ダン・ベヴァン
音楽:グレゴワール・エッツェル
衣装ナタリー・ラウール
出演:エマニュエル・ドゥヴォス(ノラ・コトレル) / マチュー・アマルリック(イスマエル・ヴィヤール) / カトリーヌ・ドヌーヴ(ヴァッセ)/ モーリス・ガレ(ルイ・ジェンセン) / ナタリー・ブートフー(クロエ・ジャンセン) / ジャン・ポール・ルシヨン(アベル・ヴィヤール) / マガリ・ヴォック(“中国女”アリエル) / イポリット・ジラルド(ママンヌ) / ノエミ・ルボフスキー(ノエミ・ルヴォフスキ)/ エルザ・ウォリアストン(ドゥヴィルー医師) / ヴァランタン・ルロン(エリアス・コトレル) / オリヴィエ・ラブルダン(ジャン=ジャック) / カトリーヌ・ルーヴェル(モニク・ヴィヤール) / ジョアサン・サランジェ(ピエール・コトレル) / ジル・コーエン(シモン) / アンドレ・タンジー(おばあちゃん)
解 説
この作品は良質の作品であり、カンヌ国際映画祭などで評価の高い異才アルノー・デプレシャンが監督と脚本を手がけ、緻密な構成を支えるキャストは、実力派揃いだ。
2004年、もっとも優れたフランス映画に捧げられるルイ・デュリュック賞を受賞。デプレシャン映画の常連、マチュー・アマルリックは、2005年のフランスのアカデミー賞とも認識されているセザール賞で、主演男優賞を受賞した。
素晴らしい作品を作るアルノー・デプレシャンの俳優ともいえる15年来の盟友である、イスマエルを演じる、マチュー・アマルリックと同様に主人公ノラのエマニュエル・ドゥヴォスも、フランス映画界の実力派らしく作品に多彩な表情を与えている。ノラを愛し、彼女を悲しみに貶める父親役を演じるのは、映画監督フィリップ・ガレルの父にしてベテラン俳優のモーリス・ガレル。そして、精神病院でイスマエルを見守る女医を、実力派としてのキャリアを重ねるカトリーヌ・ドヌーブが脇を固めた。家族の存在とそれに代わる新たなきずなのあり方を、緻密に構成された脚本とダイナミックな演出で表現した渾身作。

アルノー・デプレシャン
”トリュフォーの再来”と呼ばるアルノー・デプレシャンの5年ぶりに日本に届いた新作。1960年、ルーベ生まれ。両親はベルギー人。1984年、イデック(IDHEC/パリ高等映画学院-現FEMIS)を卒業。演出と撮影技術を専攻。学友であるエリック・バルビエ「La face perdue(失われた顔)」、エリック・ロシャン「女の存在」などの短編に協力しながら、数々のTVコマーシャルにカメラ・オペレーターとして参加。
83年には自身の中篇作品「La polichinelle et la machine a coder(道化と暗号機械)」を完成させトゥールとリールの短編映画祭に出品。85年には16mm長編「Le couronnement du monde(世界の戴冠式)」をカンヌやオルレアンの映画祭で発表。一方でロシャンの長編デビュー作「愛さずにいられない」の脚色も担当する。
91年に若手俳優(ティボー・ド・モンタランベール、エマニエル・サランジェ、マリアンヌ・ドニクール、エマニュエル・ドゥヴォスら)を大挙起用した中篇「二十歳の死」をアンジェ<プルミエ・プラン>映画祭に出品し、熱狂的な反応を引き起こす。同作品で最優秀ヨーロッパ長編映画作品賞、もっとも期待される若手に送られるジャン・ヴィゴ賞を獲得。92年に初の長編「魂を救え!」(カンヌ映画祭正式出品)を発表。95年にはマチュー・アマルリック、キアラ・マストロヤンニら若手のホープを起用した「そして僕は恋をする」を完成させその評価を不動のものとした。
監督のテーマ
テーマは「養子」なのだと監督は言う。確かに養子問題が、すでに別れたカップルの「その後」を繋ぐ。別の男と3度目の結婚をしようとする主人公のノラとその2番目の夫(未入籍)が、ノラの最初の夫との息子を巡って、それぞれの家族の特殊事情やら彼らの現在やらが絡まって、さらに物語は大きく膨らむ。
2時間30分という恋愛映画にしては長い様に感じられる上映時間をとことん使って、この映画は語れるだけの物語を語ります。画面の片隅に映る細部の細部までがそれらの物語のかけらとなって、そこでは実際に語られていない物語の背景をはっきりと形作る。つまり、私たちが生きる現在がいかに多くのものによって存在しているか、そしてそのためにいかに多くの人が死に、悲しみ、喜び、歌い、踊り、怒り、闘ってきたかが、そこでは語られる。・・・誰もがそれらの「養子」であるのだと。

(下記、記事の紹介)
作中、死を目前にした父親が我が子に対して遺した言葉があります。
「お前はエゴイストだ。今の私は、静められないお前への怒りで一杯だ。」
心臓を打ち抜く拳銃よりも強力な、まるで鋭利な刃物のような言葉。彼が自分の人生をテーマに書き続けてきた作家だということを差し引いてもこれほど凶暴な言葉があるでしょうか。
でもこの台詞、僕には只の憎悪の言葉には聞こえませんでした。映画を見終えて改めて反芻してみて(決して無理矢理に映画の中に希望を見出そうとしたからではなく)これは彼女を愛していなければ決して言えない言葉なのだと。
愛することと憎むことが凄まじく渦を巻いているような父親の感情。彼らは間違いなく血の通う親子です。映画が主人公格のノラの独白で進行する形式には最初から一種の「危うさ、疑わしさ」のようなものが漂っていたのですが、彼女の独白に対して、父親の方も、より辛辣で凶暴な独白で応えてみせたのでした。
もうひとつ大好きな場面
人格破綻者のビオラ奏者イスマエルがエリアスに真摯に語る「人生について」。
義理の親子であったこともある二人ですが、イスマエル自身が語っていたように彼ら二人は「親友」です。
「夜の子供たち」のラストでも年の離れた男同士が心を通わせるシ ーンがあるのですが、こちらの二人は「同志」という感じでした。
小さな雑貨屋を営むイスマエルの父親が強盗3人組を前に貫禄を見せつけてくれたシーンそして、その直後のジムでのトレーニングシーン。(ここは、笑えるシーンでありました)二人もまた紛れもない親子なのだとしたら、彼もまた意外としぶとく生き残っていくのかもしれません。エリアスの良き親友として彼の力になっていけるのかもしれません。
エマニュエル・ドゥヴォス(ノラ)EMMANUELLE DEVOS
1964年5月10日、フランス・パリ生まれの女優。。本名はカルラ・エマニュエル・ドゥヴォス。1983年より、コート・フロランでフランシス・ユステールに師事し、舞台などに出演する。1986年、ユステールの初監督作「ON A VOLE CHARLIE SPENCER!」で映画デビュー。
1990年には短編「Dis moi oui, Dis moi non」の主演で注目されるようになる。
1991年、アルノー・デプレシャン監督の「二十歳の死」に出演。以来、デプレシャン作品の常連俳優となる。1992年、同監督の「魂を救え!」でミシェル・シモン賞候補に選ばれた。
1996年、同じくアルノー・デプレシャン監督の「そして僕は恋をする」で、主人公の奔放な恋人役を演じた。セザール賞有望若手女優賞候補になる。
2001年、ジャック・オーディアー監督の「リード・マイ・リップス」で、出所したばかりの粗野な青年に惹かれていく難聴の女性を繊細に演じきり、2002年の「セザール賞主演女優賞を獲得。この作品で広く知られるようになった。
現在、苦悩を抱えた内向的な女性から、愛に溺れるヒロイン像まで、さまざまな女性を演じる演技派女優のひとり。
マチュー・アマルリック(イスマエル)MATHIEU AMALRIC
1965年パリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌ生まれのフランス人俳優。ル・モンド紙の新聞記者である両親のもとに生まれる。映画監督。FEMISの教授。
1984年、19歳のとき、オタール・イオセリアーニ監督の「Les favoris de la lune」で映画デビュー。当時はまだ俳優を志していたわけではなく、1987年、ルイ・マル監督の「さよなら子供たち」ではアシスタントとして撮影に携わっている。
オタール・イオセリアーニ、アルノー・デプレシャン、ウジェーヌ・グリーン、アンドレ・テシネ?といった監督の作品に次々出演。
彼は、 1990年頃、自身も短編映画を監督し、セザール賞は1996年「そして僕は恋をする」で三人の女性との恋に悩み、仕事も恋愛も煮え切らない若者を演じた。この作品は、パリの若者たちに爆発的な人気を呼び、有望若手男優賞。2002年「運命のつくりかた」等、インテリ的な役柄の生き方を演じ、
2004年『キングス&クイーン』で主演男優賞を受賞。
『キングス&クィーン』と云った素晴らしい作品を作るアルノー・デプレシャンの求める実力派俳優とも云える様です。
フランスのみならず、2005年にはスティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」、2006年にはソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」など、ハリウッド映画にも出演。
私生活では、「そして僕は恋をする」で共演したジャンヌ・バリバールとの間に2児をもうけたが、その後破局している。
ナタリー・ブトゥフ(クレール)NATHALIE BOUTEFEU
1990年にマチュー・アマルリックが監督した短編で映画初出演。その後、オリヴィエ・アサイヤスの「イルマ・ヴェップ」をはじめキャリアを重ね、2001年にはジェローム・ボネルの「Le Chignon d'Olga」、2005年「明るい瞳」で主役を演じる。ジェローム・ボネル監督とは短編時代の1999年「Fidèle」からコンビを組んでいるが、それ以外に、シェロー「ソン・フレール」といった作品に出演。
アルノー・デプレシャン「王たちと王妃」ではエマニュエル・デュヴォスの妹役を演じていた。作品によってかなり印象の異なる女優で、新作は、デプレシャンの『Rois et reine』で、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・デュヴォスらと共演している。2007年、「J'attends quelqu'un」がフランスで公開。
ノエミ・ルボフスキー(ノエミ)NOEMIE LVOVSKY
1964年、フランス生パリ生まれ。今回、彼女はデプレシャン『キングス&クィーン』にマチュー・アマルリックの姉役で出演していた。99年に製作されたそんな彼女の3作目の長編である。『キングス&クィーン』繋がりで言えば、舞台女優を目指していたエマニュエル・ドゥヴォスがそもそも映画の世界に入ることになったのは、ノエミのFEMIS卒業制作に出たことがきっかけだったようだ。

あらすじ  
オープニングのパリの街並みに映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバーが」流れるシーン。
〈第一部:ノラ〉
ノラ・コトレル、過去二度の結婚暦?の35歳。パリで画廊を営む彼女は、実業家、ジャン=ジャックとの3度目の結婚を控えているが、ノラにとってジャン=ジャックとの結婚は、財力によるところが大きかった。彼女には今は亡き最初の夫で、事故死したピエール(ジョアサン・サランジェ)の間に生まれた10歳の息子エリアスがいるが、現在グルノーブルの父親の元で面倒を見てもらい暮らしている。父親の誕生日に二人を訪れるノラだったが、再会も束の間、そこで彼女は突然父が末期のガンに冒され、余命幾ばくもないことを知る……。家でひとり途方に暮れるノラ、そこに妹のクロエが何も知らず送金して欲しいと連絡してくる。
その後病院に戻りベンチで眠気に襲われる。そこに死んだはずのピエールが現われるのだった。彼の葬式、エリアスの出産、そしてピエールの子として育てる事から、どうしても息子エリアスを夫の籍に入れるために、必死で役所と闘い、認知を勝ち取り、彼の死後正式に入籍したこと……必死に暮らしてきた日々を彼女は涙ながらに訴えたのだった。

ミュージシャンでヴィオラ奏者のイスマエル。国税局から逃げ回り、だらしない生活を送る彼の元に突然二人の男が訪れる。ただちに精神病院に連行され、強制入院させられてしまった彼は、そこで「第三者による措置入院」である事を告げられる。自由で気ままな生活を送る変人だが、「自分は狂ってはいない!」と言うものの、医師(カトリーヌ・ドヌーヴ)らにも相手にされない。8年間通っている著名なカウンセラーの名前を出した途端、病院側が急に態度を変える。カウンセリングのための外出を許可し、お金まで貸してくれたのだ。そこで様々な人たちと出会いながら、「休暇」を楽しげに過ごすことになる。
どうにか悪友にして弁護士のママンヌと落ち合うことができた彼は自分の退院に協力してもらい、この入院を理由にして国税局から逃げられないかと提案される。そして弁護士からは、この入院には黒幕がいるのではないかと聞かされる。

エリアスに祖父の病状を伝え、パリに向かうノラ。彼女は必死で車を走らせながらジャン=ジャックにイスマエルを捜索させていた。ノラとイスマエルは一年前まで夫婦同然に暮らしてきた仲であり、自分の息子同然にエリアスを育ててくれたイスマエルは祖父以外に息子がなついた唯一の男性だったのである。
イスマエルの居場所を突き止め病院を訪れたノラは、そこで唐突に「エリアスを養子にして欲しい」と切り出す。


〈第二部:解放される恐ろしさ〉
グルノーブルに戻ったノラは父の死を自宅で迎えようと介護士を雇う。そこにちょうど父の編集者が現われ、「孤独な騎士」という日記集の校正依頼をしていく。
父は起き上がり、本の校正を始める。死の淵にいながらも必死に本の校正を始める父のその姿に、たった一人でまもなく迎える父の死という辛い現実に向かい合うことに、いたたまれなくなったノラは、亡き夫ピエールとの激しい喧嘩を思い出す。ノラは家を飛び出してしまう。彼女がたどり着いた先は、父の家だった。
実は、ピエールはノラの目の前で衝撃的な死を遂げていた。彼を愛していたのに…。事情を隠すノラだったが、知らないでは済まない状況に立たされそうな娘のために、父は証拠隠滅を施しに行ってくれていた…。
ピエールの死の真実、父がノラのためにしてくれたこと、イスマエルへの告白……。
苦しみ続ける父を見兼ね、ノラはついに大量のモルヒネを父に投与してしまう。そして父の葬式、ようやく戻った妹に父の死を責められながらも部屋の片づけを始めると、小説家だった父の遺稿を整理していたノラは、衝撃的な文章を発見する。それは父から娘へのあまりにも残酷なメッセージだった。彼女に宛てた父からの衝撃的な文を目にする。彼女は、そのページを破り捨て、焼いた。

「中国女」と呼ばれる常連入院患者のアリエルや看護士の女性と親しくなるイスマエル。彼もまた再び訪れたカウンセリングの場でノラとの別れの場面を思い起していた。そんな彼に「あなたに養子なんて無理よ」とだけカウンセラーは告げる。そして精神病院での生活にもそれなりに順応してきた頃、退院の日を迎えることになる。
姉の元を訪れ強制入院の真実を知るイスマエル。その黒幕である同僚のクリスチャンを訪れると、彼は楽団を一方的に解雇されてしまう。家を差し押さえられ、自分のヴィオラすら失ったイスマエルは途方に暮れて実家に戻ることになる。しかしそれはエリアスを養子にとるための書類に父のサインを頼むためでもあった。

ノラの結婚パーティに父の編集者が現われる。遺稿を手渡すも、抜け落ちたページを指摘され動揺するノラ……。一方イスマエルは退院時に唐突に愛を誓いながらも、その後冷たい態度をとってきたアリエルの元を訪れ、ふたりはついに結ばれる。

〈エピローグ〉
エリアスを人間博物館に連れ出すイスマエル。そこで彼はかつて親子として暮らしたエリアスに養子について、ある重要な人生のアドバイスを、真摯に語る。
逃げ続けてきたノラだが、二人を待つノラは、明るい陽射しの中、駆け寄ってくるエリアスとイスマエルを笑顔を見た時、自分もまた救われ、彼女もまた大切なことに気がつくのだった……。