次はディンケルスビュールでバスは停車、ここで各自、自由行動となる集合時間は2時間後となる。
そんな事より、今日のお昼の食事は、ミュンヘンにて中華料理になる事を添乗員の人から聞いた事の方が、嬉しかった。おそらく、そろそろ和食が恋しくなってきた為で、一様は東洋料理なので日本に近くなってきただけでもありがたかった。
ローテンブルクでは、嫌と言うほど街並を見たせいか、多少は大きな街ではあるが、感激が薄らいでいる。何を見学すれば良いのかも分からず、とりあえず地図があるからブラブラと行く事にした。
同じ大阪の若い新婚さん(関西の河内在住で、仮名は、「田辺さん」としておきます)は、何時も腕を組み、我々よりやや離れ、他の追従を許さない、完璧に二人の世界である。
ヨーロッパに着いて共に行動を取っている、もう一組の新婚さんの、(コンピューター関係の仕事をされています、仮名を「松井さん」としておきます)奥さんが、「何時も、ピッタリ寄り添って仲がええなあ」と言われたので、妻と奥さんの方を見る。
「あんたらも、新婚と違うの」と妻が確認する。「えっ、」・・・すると、笑いながら「家とこは、そんな雰囲気と違うもん」続いて、ご主人が言わなくてもいいのに「ほんと、そんな気もないし、全然似合わんし」思わず私が、「今やないと、後は益々ないで」とやはり言わないでもいいのに一言。
一言多かったが我々の本音の言葉に奥さん達も沈黙し・・・うっすら感じ取った我々は、先を急ぐ事にした。
他のツアーの人達も、自由時間ともなれば、やはり地理的、歴史的知識が薄い為か、どうしたものか、戸惑っているふうでもあった。
バッタリ、道で会おうものなら、奥さん達は、まるで旧知の再会の様な喜びである。
「さっき別れたばっかりやないか」と妻に問いただすも「ええやんか、広い街で会うから奇遇と思わん?」そんな事、思うか!。
懲りずに、会う人会う人と、浅い情報交換に没頭している始末である。
そんな、情報交換の甲斐もなく、パンフレット通りのコースを、先程の件の影響か、または側の新婚さんに触発されたのか、腕を組まされたと申しますか、連行されている様に、赤い屋根の木造の家並や、可愛らしい専門店で手工芸品、製陶品、陶磁器、木彫製品等を見ましたが、そんな所では買い物も無く、ひたすらビデオ撮りと写真撮りをした為か、持参のパンフレットより豊富で偏った写真資料になる結果になりました。
集合時間がきたと言うか、やっとバスに乗れると言った気持ちで、心は、はや昼飯の事で、頭がいっぱいである。
バスでは、自己紹介の続きを聞きながら、ミュンヘンの町へ向かうが、途中車に酔った奥さんの為に、ご主人が抱きかかえる様にバスを降りて介抱されていたのですが、しばらく誰も気がつかなかったぐらい、僅か2~3分で見事な奥さんの立ち直りであった。
「かなり、しんどそう、みたいだったけれど」と妻が「手を真っ直ぐ上げて、大丈夫ですって言ってから、テキパキして元気に乗らはったけどな」と私が説明する。「やっぱり、ご主人自衛隊の人やから」・・・どういう関係や、と思えば、バス後部から「はーい、もう大丈夫です ありがとうございました」と、おそらく照れ隠しの為か、ご夫婦揃って直立姿勢の最敬礼にて、前の乗客に向かって返事をくれました。・・そういう関係か。
ミュンヘンは、久しぶりに見る都会であり、我々の知っている、BMWの会社等や、何故かイタリアのフェラーリの会社そして、参加はしていないが、懐かしいミュンヘンオリンピック関係の競技場が点在していた。
美味しかったのか、美味しくなかったのか、ご飯粒に飢えていた為か、中華料理を味わう事なく昼食を済ませ、早速、明日訪れるノインシュバインシュタイン城にも関係する王族のルィードヴィッヒ1世の夏の離宮で、今は博物館であるニンフェンブルグ城の見学に行く。
不慣れな事もあるのですが、本の様な大きさの美術品なら、見易く感じますが、とにかくサイズのデカイのが多く、美術品に左程興味がない為か、途中からは、疲れも手伝い飽きがきて苦痛に感じる始末であった。
気晴らしと暇から「中華を食べて、消化もままならない状態で、直ぐに訳の解らん絵画やろ、これが本間の中消画やな」と一発みんなに言うも・・・「ほったらかしか!」
同じく飽きたのか、ギャグが効いたのか、はたまた旅行にも慣れたのか、我が相棒は元気で、写真を撮るたびに、しつこく端の方に顔を入れてくるのであり、「おい、端に顔を入れるな」・・「芸術品を撮るなら入れてよ」・・うー、風景写真が台無しだ。
どんな状況下でも思い出の記念である事から、端に小さく妻の顔を撮る事にした。
「ま、ええわ。写真を見る人の指の位置が、これで決まったな」 「・・・・・・」。
そんな事より、今日のお昼の食事は、ミュンヘンにて中華料理になる事を添乗員の人から聞いた事の方が、嬉しかった。おそらく、そろそろ和食が恋しくなってきた為で、一様は東洋料理なので日本に近くなってきただけでもありがたかった。
ローテンブルクでは、嫌と言うほど街並を見たせいか、多少は大きな街ではあるが、感激が薄らいでいる。何を見学すれば良いのかも分からず、とりあえず地図があるからブラブラと行く事にした。
同じ大阪の若い新婚さん(関西の河内在住で、仮名は、「田辺さん」としておきます)は、何時も腕を組み、我々よりやや離れ、他の追従を許さない、完璧に二人の世界である。
ヨーロッパに着いて共に行動を取っている、もう一組の新婚さんの、(コンピューター関係の仕事をされています、仮名を「松井さん」としておきます)奥さんが、「何時も、ピッタリ寄り添って仲がええなあ」と言われたので、妻と奥さんの方を見る。
「あんたらも、新婚と違うの」と妻が確認する。「えっ、」・・・すると、笑いながら「家とこは、そんな雰囲気と違うもん」続いて、ご主人が言わなくてもいいのに「ほんと、そんな気もないし、全然似合わんし」思わず私が、「今やないと、後は益々ないで」とやはり言わないでもいいのに一言。
一言多かったが我々の本音の言葉に奥さん達も沈黙し・・・うっすら感じ取った我々は、先を急ぐ事にした。
他のツアーの人達も、自由時間ともなれば、やはり地理的、歴史的知識が薄い為か、どうしたものか、戸惑っているふうでもあった。
バッタリ、道で会おうものなら、奥さん達は、まるで旧知の再会の様な喜びである。
「さっき別れたばっかりやないか」と妻に問いただすも「ええやんか、広い街で会うから奇遇と思わん?」そんな事、思うか!。
懲りずに、会う人会う人と、浅い情報交換に没頭している始末である。
そんな、情報交換の甲斐もなく、パンフレット通りのコースを、先程の件の影響か、または側の新婚さんに触発されたのか、腕を組まされたと申しますか、連行されている様に、赤い屋根の木造の家並や、可愛らしい専門店で手工芸品、製陶品、陶磁器、木彫製品等を見ましたが、そんな所では買い物も無く、ひたすらビデオ撮りと写真撮りをした為か、持参のパンフレットより豊富で偏った写真資料になる結果になりました。
集合時間がきたと言うか、やっとバスに乗れると言った気持ちで、心は、はや昼飯の事で、頭がいっぱいである。
バスでは、自己紹介の続きを聞きながら、ミュンヘンの町へ向かうが、途中車に酔った奥さんの為に、ご主人が抱きかかえる様にバスを降りて介抱されていたのですが、しばらく誰も気がつかなかったぐらい、僅か2~3分で見事な奥さんの立ち直りであった。
「かなり、しんどそう、みたいだったけれど」と妻が「手を真っ直ぐ上げて、大丈夫ですって言ってから、テキパキして元気に乗らはったけどな」と私が説明する。「やっぱり、ご主人自衛隊の人やから」・・・どういう関係や、と思えば、バス後部から「はーい、もう大丈夫です ありがとうございました」と、おそらく照れ隠しの為か、ご夫婦揃って直立姿勢の最敬礼にて、前の乗客に向かって返事をくれました。・・そういう関係か。
ミュンヘンは、久しぶりに見る都会であり、我々の知っている、BMWの会社等や、何故かイタリアのフェラーリの会社そして、参加はしていないが、懐かしいミュンヘンオリンピック関係の競技場が点在していた。
美味しかったのか、美味しくなかったのか、ご飯粒に飢えていた為か、中華料理を味わう事なく昼食を済ませ、早速、明日訪れるノインシュバインシュタイン城にも関係する王族のルィードヴィッヒ1世の夏の離宮で、今は博物館であるニンフェンブルグ城の見学に行く。
不慣れな事もあるのですが、本の様な大きさの美術品なら、見易く感じますが、とにかくサイズのデカイのが多く、美術品に左程興味がない為か、途中からは、疲れも手伝い飽きがきて苦痛に感じる始末であった。
気晴らしと暇から「中華を食べて、消化もままならない状態で、直ぐに訳の解らん絵画やろ、これが本間の中消画やな」と一発みんなに言うも・・・「ほったらかしか!」
同じく飽きたのか、ギャグが効いたのか、はたまた旅行にも慣れたのか、我が相棒は元気で、写真を撮るたびに、しつこく端の方に顔を入れてくるのであり、「おい、端に顔を入れるな」・・「芸術品を撮るなら入れてよ」・・うー、風景写真が台無しだ。
どんな状況下でも思い出の記念である事から、端に小さく妻の顔を撮る事にした。
「ま、ええわ。写真を見る人の指の位置が、これで決まったな」 「・・・・・・」。