(シネマ・タイム)「小さな恋のメロディー」

 子供たちの幼くも純粋な「恋」を描いて、とても爽やかな印象を受けた作品でした。
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 先にも書いたようにこの映画が公開された1971年(昭和46年)は、高度成長の真最中…とても映画どころでなくて近年になって見たものですが、GWに観るDVD第二弾としても一度観て見ました。
 
 11歳のイギリスの少年ダニエルは、同じ年の女の子メロディが好きになります。
 好きになってもなかなか意思表示できないダニエル‥でもいつの間にかメロディもダニエルを意識するようになり、何かしなくては‥とルージュで唇を彩ってみたり、ヘア・スタイルをいじくってみたり‥揺れ動く微妙な女の子の気持ちが、しぐさで表現されてとても可愛く微笑ましくなりました。
 授業をサボっての遊園地や海辺でのデイト‥それは…それは夢のような楽しい日々でした。 幼い彼と彼女の会話 …聞いてやって下さい。(上の写真に会話の一部が…)
      「五十年ってどれくらい…?」
      「休みをぬかして150学期だ…」
      「そんなに愛せる? ムリよね」
      「愛せるさ もう一週間も愛してる」
 
 やがて教師や親たちに睨まれた子供達は「反乱」を起こし、ダニエルとメロディは仲間たちに見守られながら、森の中の「秘密基地」で子供たちだけの「結婚式」を上げるのですが…

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  クリックしてね こちら → 小さな恋のメロディー メロディ・フェア

「子供」「子ども」と思っているうちに、大人が想像する以上に子供たちは急速に進化して行きます。気がついた頃には大人の手の、届かないところにいる‥かも判りません。
 発育途上の子供やたちの気持ちを理解する‥これは最近の社会環境などから云うと私たち世代の、常識を超えた難しい時代に差しかかっているように感じます。

 この映画のラストシーン‥‥それは先生たちに追われるダニエルとメロディの二人が乗ったトロッコが、どこまでも果てしなく続く草原を走り去って行くところで終わります。
 この二人がその後どうなったのか‥説明は一切ありません。
 ‥‥が、Endingで流れる素晴らしい歌声‥‥そこには
       愛をこめてメロディ 親と話しなさい
       子供の夢なんて やがて消え行くものなんだ
       親に夢を語りなよ 何を望んでいたか判らないけど
       愛は伝わるから‥‥ 

 この歌詞から若葉のように新鮮で純真な二人の「夢」と「愛」と「恋」が、いつの日か両親たちの理解や共感を得て、きっと成就することを祈りましょうか‥‥・
 ふと遠い昔の子育て現役時代を想起して…なにか懐かしい思いと感動が甦ったひとときでした。

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(シネマ・タイム)「スターウオーズあらすじ」

 前回に引き続いて映画のあらすじです。
 この映画はストリーの展開と製作年代が、前後ばらばらで全体として、整理して見ると次のようになります。
 ストリーの続きはエピソード4-6として、70-80年代にすでに公開されているので、ご存じの方は多いと思います。
 
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 1.スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス(1999
 2.スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃(2002)
 3.スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐2005

 4.スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望(1977
 5.スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(1980
 6.スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還(1983
 (*2004年までの旧題:「ジェダイの復讐」)

 さて、映画のあらすじですが…
 遠い昔…銀河系には独立した国家を持つ、数十万の星で構成された銀河共和国が、存在していた時代がありました。
 しかし年月の経過で既成の秩序は崩壊し、共和国は分裂の危機に直面していたのです。
 その中で古えから共和国の秩序を支えて来た、騎士団ジェダイが秩序回復のために、日夜奮闘努力していました。
 その一方では悪の力を信じる、シスと云う非合法集団が、「銀河帝国」の建設を目指して、策謀をめぐらしていました。
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 そんな時に来襲した独立星系連合軍に、銀河共和国のパルパティーン議長が誘拐され、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーの、二人のジュダイが救出に向かい、首尾よく議長を奪還します。
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 帰還したアナキンは恋人のバドメから、子供が出来ることを知らされ、バドメと子供の為に更に、強大な力を求めるようになります。
 やがて救出された銀河共和国の、パルパティーン議長の恐るべき正体が、明らかになっていきます。
 
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 パルパティーン議長の正体は、実は悪の集団のシス卿ことダース・シディアスだった事が判ります。
 ダースはアナキンを悪の世界に、引きずりこむ為に言葉巧みに誘惑します
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 アナキンは共和国指導者のメイスに、事実を報告するのですが、共和国内で待遇に不満を持っていたアナキンは、ダースの説得に負けてダースの逮捕に来た、メイスを殺害してしまいます。
 
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 パルパティーン議長から、「ダース・ベイダー」と云う名を貰ったアナキンは、改めて悪の道に服従を誓います。
 やがてダース・シディアスは元老院を停止して、自らが皇帝の地位に就いて銀河帝国を、樹立することを宣言します。
 アナキンは皇帝の指示で、残存していたジェダイ達や、子供たちなど全ての人を虐殺します。
 
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 ジュダイのオビ=ワンは、襲って来たグリーバス将軍と、激闘を交えますが敏捷な将軍は、なかなか倒すことが出来ません。
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 グリーバス将軍は元は普通の生物でしたが、戦いに敗れて心臓部分だけを残して、電子頭脳を組み込まれた、節足動物に改造されていました。
 4本の手を持ちライトセーバーを、巧みに使って相手と戦いました。
 
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 オビ=ワンは必至の攻防で、グリーバス将軍の急所の心臓を、攻撃して彼を倒してしまいます。
 
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 アナキンが悪の道に墜ちたことを知った、オビ=ワンは火炎の星で、アナキンと師弟の対決をします。
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 アナキンはオビ=ワンにジュダイとして、指導されてきたのですが、平静を失った彼の眼は、師であったオビ=ワンへの、憎しみで燃えていました。
 紅蓮の炎の中で戦われた、二人の勝負は瀕死の重傷を負った、アナキンの敗退で終わります。
 
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 アナキンは銀河皇帝に命を救われて、鉄の仮面を被せられて再度登場します。
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 この不気味な鉄の仮面と独特の呼吸音…これを観るのは初めてではありません。
 生まれ変わったアナキンが悪の皇帝の補佐として、暴れる姿は既に公開済みの映画で、詳しく描写されているので、私も観た記憶があります。
 
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 アナキンが悪の道に墜ちたことに、心を痛めつつ恋人のバメラは、双生児を生んで世を去ります。 
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 生まれた子供は長男はルーク長女はレイアと名付けられて、争いのない平和な惑星で、それぞれ別に育てられるところでこの映画は終わります。

 この続きは既にエピソード4・5・6として、公開されているので、ご存じの方も多いと思います。
 
 この双生児の長女のレイアは成人して、レイア姫として兄のルークと共に、エピソード4で悪の集団と戦い活躍します。
 このあたりストリーが前後して、時系列的に少しややこしいようです。
  この映画の結末は70-80年代に、既に公開済みの映画のの通りです。

 ルークは悪の帝国のNo2「ダース・ベイダー」が、自分の実父アナキンであることを知り悩みますが、共和国の正義の為にあえて父に対決します。
 ルークに倒された「ダース・ベイダー」は、死の直前にジュダイだった自分を取り戻し、皇帝を殺し我が子の手で、仮面を外して貰い世を去ります。
 エピソード6「ジュダイの帰還」とは、悪の道に走ったアナキンが騎士(ジュダイ)として、精神的に復活したことを現しているようです。

 この映画の監督のジョージ・ルーカスは、日本の黒沢明氏を尊敬していたようで、黒沢作品と共通したことがあると云われます。
 ジョージ・ルーカスという監督は、1977年の第1作から、2005年の最終作に至るまで、28年間をかけて全シリーズを完結させた意欲は、実に尊敬の外ありません。
 
 そんな訳で私の記事も、2000年代から、突然に1950年代に飛んだりして、目茶苦茶に長くなりました。
 意味不明の文章を最後まで読んで戴いて、ほんとに有難うございました。
  

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映画「スター・ウオーズ」

長らく休眠していましたこのブログ…このたび急に思い立って再開致しました。
 タイトルも新しくスタートしましたので、今後ともよろしくお願い致します。


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壮大な銀河系宇宙を舞台として、SF映画の中でも不滅の名を残している、映画「スターウオーズシリーズが、2005年版として再び甦ったのを見ました。
 近年の作品はCG…コンピュータ・グラフィックスの、特撮技術を駆使していますので、1970-80年代の前作より迫力がありました。
 
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 この映画のタイトル・ミュージックは、民放テレビの某映画番組にも使われて、洋画フアンにはお馴染みの曲でした。

   聴いて下さい 映画音楽「スターウオーズ  テーマ曲」

 遠い昔、遥か彼方の銀河系では…
 壮大なテーマ曲と共に、このおきまりのフレーズが…

 映画のあらすじは、既に知られている内容ですが…
 遠い昔…
 銀河共和国の秩序を守る騎士団ジュダイ
 悪の力で銀河帝国の樹立を画策する悪の集団シス
 ジュダイでありながら悪の集団に、誘惑されて仲間を裏切るアナキン

 
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 アナキンの変心に心を痛めながら、彼との子供…ルークとレイアの双生児を産んで、世を去る恋人バメラ
 二人の子供は争いのない別の、平和な惑星で育てられます。

 この続きはエピソード4として、既に70年代に公開されています。
 この双生児の長女のレイアは、成人して長男のルークと共に、レイア姫として、活躍していたことは、ご存じの方は多いと思います。

     
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 ここで話題は突然50年前の、私の青春時代に遡ります。 
 70年代レイア姫を演じていたキャリー・フィッシャーは、私の20代の頃の大歌手の、エディ・フイッシャーの娘でした。
 彼が歌った「オー・マイ・パパ」は、日本では雪村いづみさんが歌って、これも国内では大ヒットしました。

           Oh My Papa  Eddie Fisher

    クリックしてね こちら オー・マイ・パパ エディ・フィッシャー          
                
そしてキャリーの母親というのは…
 MGMミュージカル映画の黄金時代を、華やかに彩った新進スターに、デビー・レイノルズがいました。
 ハリウッドでは数少ない清純可憐派で、しかも輝ける独身!と云う訳で先物買いしてたのですが…
 映画「雨に唄えば」の主役に抜擢されて、この場面で少し…

  クリックしてね メトロ映画 >「雨に歌えば
」より…
    Sinnginng in the rein  Gene Keuuy&Debbie Reynolds


 レインコートを着た女の子が当時の、我がアイドルスター愛しのデビーちゃんです。
 相手役はミュージカルのトップスターの、ジーン・ケリー…フランク・シナトラと並んで、この世界ではヴェテラン・スターでした。
 彼女はタップダンスは無経験だったのに、映画ではきちんとこなしたことで高い評価を得たようです。
 私には若かりし頃の懐かしいシ-ン…勿論、この映画のDVDも手元に持っています。
   
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 このアイドルスターのデビーちゃんと、大歌手のエディ君が結婚!というニュースが流れると、全世界は二人の前途を祝福する声で溢れました。
 二人の幸せな未来を信じて、疑う者はいなかったのですが

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 エディはその後は映画にも進出して、リズことエリザベス・テイラー「バターフィルド8」で共演します。
 その頃はリズは愛する夫君の、マイケル・ドットを航空機事故で失い、悲嘆に沈んでいましたが、その哀しみを慰めに通っていたエディ恋仲になってしまいます。
 このお二人の仲の良いところ…やがてエディデビーと娘を捨てて、エリザベス・テイラー何人目かの亭主に納まりました。
 世紀のスキャンダルとして、彼の人気は急速にガタ落ちになりました。
 
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 エディと離婚したデビーは世間の同情もあり、健気にも頑張って一人娘の、キャリーを立派に育て上げます。
 キャリーも母親の才能を引き継いで、映画スターとしてデビューして、前記のように「スターウオーズ」のレイア姫で有名になりました。
 
 一方のエディとリズとの結婚生活は、5年で破綻
 リズに捨てられたエディは、歌手としてのヒットもに恵まれず、世間から忘れられ酒とドラッグ漬けの失意の日々を送ることになります。

 私がデビー・レイノルズと再会したのは、ザッツ・エンターティメント」Part3ですが、「私の歌は実は吹き替えでした…」と告白したり、老いたりとは云え可愛いところは同じで安心しました。
 1990年にはデビーとキャリーをモデルにした、映画『ハリウッドにくちづけ』が製作され、シャーリー・マクレーンとメリル・ストリープが出演したようです。
 スキャンダルが多いハリウッドでは、心暖まるエピソードです。
 E・テイラーなど50年代からの大女優が、次々と他界する中で親子共々大いに頑張って欲しいです。

 21世紀の映画でも原点を遡ると、帰り来ぬ我が青春時代の追憶に、繋がって来るのも奇縁です。

 道草を食ってるうちに、肝心の映画のことがお留守になりました。
 映画「スターウオーズ エピソード3 シスの復讐」は、稿を改めて次回に掲載しますので、よろしければご覧下さい。


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(シネマ雑記帳) 映画「キリマンジャロの雪」

 五十数年前から私が気になっていた映画の「鑑賞」と、「原作小説読み」を同時進行でやっと終了しました。 これもすべて写真でもお判りのように、著作権切れで安価DVDが出廻ってきたお蔭でございます。 
 イメージが壊れることが多いのと読むのに時間がかかるので、原作と映画の両方を見ることはあんまりしないのですが、ヘミングウェイの作品「キリマンジャロの雪」は幸いにして短編小説でしたから読む気になりました。
 この小説も映画も最初はお決まりの「高さ19,710フィート…アフリカ第一の高峰の頂きに、ひからびて凍りついてた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな寒い高所に豹が何故…これは誰にも説明出来ない…と云う意味の文で始まります。
 小説でも映画でも最初から「ハゲタカ」や「ハイエナ」が「死」の象徴として登場します。
 狩猟の傷が悪化して生死の間を彷徨いながら、朦朧とした意識の中で作家で狩猟好きのハリー(グレゴリー・ペック)は、今までの出来事を回想します。
 彼の脳裏を駆け巡るのは彼に冒険を勧めた親父のこと、今まで従軍した戦闘のこと、そして狩猟のことなど…多分ヘミングウェイ自身の体験などで、過去の女性についても軽く触れられているものの、中身はラブラブ場面もなければ」大きな劇的な展開もないし退屈そのものです。
 それは小説の意図するところが「死」に向かい合っている彼の、心理状態を主眼に置いた描写のようなので当然そうなることと思われます。
 映画でも彼の世話をする女性ヘレン(スーザン・ヘイワード)は彼の云いたい放題の言葉を、上手にあしらいながら献身的に尽くします。
 でも、映画のハリーが思い出すのは…全く別の女性…シンシヤ(エヴァ・ガードナー)や、もう一人の彫刻家の女性などのことばかり…と云う風に、ハリウッド映画特有のメロドラマが展開して行きます。
 
 この映画で私はヘレン役のスーザン・ヘイワードが、原作での立場のように主役だと勝手に思いこんでいましたが、ハリーの女性遍歴の描写は原作には全く登場しない女性…シンシァ…エヴァ・ガードナーとのことが、大半でS・ヘイワードは脇役になっていたのがどうも気になりました。
 ヘミングウェイ原作の映画化と云いながら、映画のストリーの大半は原作にない女性とのラブ・ロマンスに費やされいる訳で、なにか当時のハリウッドの商業主義やご都合主義が、露骨に表れているような気がしました。
 この映画が作られた1952年はヘミングウェイも、「老人と海」を発表するなど健在でしたから、原作者の了解の下に行われた改変と思われます。
 と、すれば映画「愚かなり我が心」が作者の意図に反して、単なるメロドラマかしているとして、代表作の「ライ麦畑…」の映画化を断ったというサリンジャーに比べてヘミングウェイは少し意識が違うのかな?と思いました。
 ヘミングウェイ自身も私生活で戦争に従軍したり、自動車や飛行機事故に遭ったりしていることはよく知られています。
 スペイン内戦に特派員として従軍した経験は「誰が為に鐘は鳴る」に、描かれていますが戦争や狩猟そして再三の事故などで、絶えず生死の境界を彷徨ってきた彼の作品には、なにか暗い影がさしているようです。
 作品の良否は別として「キリマンジャロの雪」ほど、原作と映画の違いを感じた作品は少なかったようです。
 世界的文豪の原作を豪華キャストで製作しながら、Bクラスの評価しか与えられなかったのも珍しいことですが、これも原作と映画との大きな落差にあったのかも判らないし、当然ではなかったのだろうかと思います。
 しかし原作に書かれていないキリマンジャロの頂きの「豹が何故そこにいるのか…」と云う疑問にも答えて?いるし、原作を離れて単なる作品として見れば、それなりのお値打ち品だったような気もします。


 
 

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(南山城古塔めぐり)「岩船寺本堂」

 戦火で焼失した本堂は江戸時代の寛永年間に再建されたそうですが、それも老朽化して現存の「本堂」は昭和63年(1988年)に落成したものです。
本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、高さ2.4メートルという大きなもので、一本の欅から彫り出されていて重要文化財に指定されています。
 胎内に天慶9年(946年)制作の銘が書かれていて、作者は行基と伝えられます。

 ここで私が不思議に思うことが出てきました。源平時代以降の戦乱により神社仏閣が戦火で焼失したと云う事実は理解できるのですが、こんな都から遠く離れてこんな僻地のお寺が、何故に戦火に遭ったのか?と云う疑問です。
 そもそも「承久の変」というと…鎌倉幕府にないがしろにされた京都朝廷が幕府を追討するつもりが逆に敗れて、後鳥羽上皇などが島流しされた…という事件だったと思います。
 


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〈南山城古寺めぐり)「岩船寺三重塔」

 岩船寺三重塔は嘉吉2年(1442)につくられたもので、室町時代の特徴を示しています。
 三重の塔は834~847(承和年間)仁明天皇が智泉大徳を偲んで、建立されたものだそうです。
 鎌倉時代に再建され、現存する塔には 「嘉吉二年(1442)五月二十日」の銘文があり、室町時代の様式をよく伝えるものとして明治32年に、特別建造物とし保護され重要文化財の指定を受けています。
 昭和18年に解体修理が行われて以来風雪に耐え、近来に至っては屋根瓦の波打ち傷みが激しく、工期3年3ヶ月余りの歳月をかけ平成の大修理が行われて、朱塗りも鮮やかな塔の再建が出来ました。

私の年代は敗戦ショックで正規の歴史教育はパスした年代なので、「皇国史観」と「人民史観」?が混在していて、「皇室を遠地へ流した時の執権義時は逆臣」と云う考えと、時の朝廷の実力者の上皇は自信過剰で、幕府に逆らい状況判断を誤った…」と云う二つの考えが今でも同居しています。
 で、何故この辺地の仏閣が戦火にかかったのか?ですが…

 




 
 





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(映画音楽)「ティティナ…生田恵子」(映画「モダン・タイムス」)

 いつやらテレビで少しだけ観た「モダンタイムス」の予告画面の中で、流れていた音楽にふと耳に止まりました。それはそのメロディになにか聞き覚えがあったからです。耐用年数もかなり使い込んで来て、少し呆けかけてきた私の脳内メモリーが懸命に作動しました。
 考えること数分…判った!あの曲は確か「生田恵子」が歌っていた「東京ティティナ」と云う曲と、同じメロディじゃなかったかな…などと記憶が甦ってきました。でもそれは私の一方的な思い込みかも判らない…早速と確認しなくっちゃ…
 「生田…」と云うと「生田流筝曲」を連想しますが、そんなエレガントで風流なものじゃなくって南国的で軽やかで、陽気なリズム感覚の音楽でした。少しだけ覚えていた歌詞はと云うと…
   東京ティティナ 夢見る瞳 
   誰を待つのか 優しい瞳…
 彼女については私の十代半ば過ぎに「バイヨン」と云う新らしいリズムで、急に売り出した女性歌手…ぐらいの認識しかありませんでした。
 私もこの頃は近年の新しいリズムの流行には、うんざりしていたので当時としては大きな関心はありませんでした。
 しかしチャップリンの映画でこの音楽の片鱗を耳にして見ると、今頃になって急に気になって来ました。
 今時CD出ているかな…無理だろうなぁ…と、思いきや
 生田恵子のCD…見付かりました!それは…
 
「東京バイヨン娘」生田恵子  VICG-60227/1999.10.21発売/¥2,400(税抜)
  日本人初 幻のブラジル録音、待望のCD化!

 記事の紹介によれば
 >1951年「バイヨン」の王様、ルイス・ゴンザーガの指導のもとに、本場仕込みの「バイヨン」を習得、帰国後日本に“バイヨン”ブームを巻き起こした<
とかであります。この紹介の続きです。
「東京バイヨン娘」ほか生田恵子の名唱の数々を初復刻!幻のブラジル録音3曲も完全収録=本邦初公開! 〔日付は録音または発売月)
01. パライーバ (1951.11ブラジル録音) 02. 復讐(1951.11ブラジル録音)
03. バイヨン踊り (1951・11ブラジル録音)04. バイヨン踊り (1952.3)
05. 東京バイヨン (1952.5録音) 06. リオから来た女 1952年5月14日)
07. 恋の花咲くサンパウロ (1953.1)08. 陽気なバイヨン娘 (1953.3)
09. 踊れバイヨン (1953年2月28日録音)10. 君帰りませ (1953年2月28日録音)
11. 銀座マンボ (1953年7月発売) 12. 東京ティティナ (1953年8月発売)   (以下略)
 やっと出てきました よかった… それにしても凄ーい !と感服しました、

 私もあまりよく知らなかった生田恵子の、知られざるプロフィールについて「再勉強」です
> 東京都生まれ 本名、岩崎八重子  三笠晴美の芸名で、宝塚少女歌劇団で活躍。
1949年 ビクターよりデビュー。
1951年ブラジルRCAにてレコーディング、ルイス・ゴンザーガ直々に本場のバイヨンの指導を受ける。
1952年 日本帰国後、「東京バイヨン」他、バイヨン・リズムの曲を次々にヒットさせる。ヨーロッパでバイヨンが流行るより早く、日本にバイヨン・ブームを巻き起こす。
1995年 「レコード・コレクターズ」誌にて、日本人初の本格的ブラジル録音を行った先駆者として取材を受ける。その直後、惜しまれながら他界…<
 
 「バイヨン」と云うリズムはマンボに押されて、あまり目立ちませんでしたがサンバと同じくブラジル系の、割合とテンポも速い陽気な感じの曲だったと思います。
 ルイス・ゴンザーガ…検索して見ましたら…凄い!
 故人ですがブラジル音楽界では神様のような大人物…彼の作品は「第二の国歌」と云われているぐらいでした。知らなかったのはは私だけ…?
 
 それに彼女は昔はヅカ・ガールだったんですね。
 私は宝塚音楽学校出身と聞くと無条件で尊敬する習性があるのです。

 イタリア映画「アンナ」でS・マンガーノが歌った主題曲も、バイヨンのリズムだった…と云われていたのを思い出したのですが…
  ご存知の方いられたら…教えて下ーさい。

 

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〔南山城塔めぐり)「さらば浄瑠璃寺」

 三重塔から出てしばらく歩くと四国の女性が、後を振り返って「まぁ…綺麗…」と云いました。
 早くも薄日がさして来て緑の葉ッぱに水滴が美しく輝いて、こんもりとした樹木の間から三重塔の先端だけが僅かに覗いています。
 帰り道に無人売店がありましたが勿論、セルフ・サービスでお金は所定の容器に自分で入れる仕組みです。
 お寺参りをする人に悪人はいない…?私たちも少しばかりのセルフ・ショッピングをしましたが、勿論、ちゃんと入れましたよ…
 四国の女性はお金を投入しながら「人間性善説を前提にしないと出来ない商売ですね」としきりに感心していました。
 
 路線バスでJRの駅に戻ると云う女性と別れて、今日の最終目的地…岩船寺へ向かいました。
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〔南山城塔めぐり)「岩船寺山門」

 浄瑠璃寺から山道を数キロ行くと岩船寺(がんせんじ)です。
 このお寺は729年(天平元年)に聖武天皇の勅願で行基が建立したのが始まりで、813年(弘仁四年)嵯峨天皇が皇子誕生を感謝して堂塔伽藍が整備されたそうです
 しかし1221年(承久三年)の承久の変により大半が焼失してしまい、それ以後は再興された堂塔も再度の兵火のため、次第に衰えて現在は本堂と三重塔が残るだけとなりました。
 


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(CD雑記帳)シャンソン「ばら色の桜の木と白い林檎の木」

 私の手元のシャンソン譜面集に「ばら色の桜と白い林檎の花」と云う、長ったrらしい題名の曲が掲載されています。(原題Cerisier Rose Et Pommier Blanc)
 このシャンソンが昨日にブログで触れたマンボ「セレソ・ローサ」の元歌であることはよく知られていて、私の手元のアルバムでは、イヴェット・ジローが歌っています。
 トランペットの響きも華やかなマンボに比べて、同じメロディでもジローの歌の方も軽やかで明るい感じの歌で、このあたりはやはり共通したものを感じます。
 譜面集にはフランス語の原歌詞が、ご親切にもルビつきで掲載されています。
 勿論、フランス語の意味は判りませんが、日本語の歌詞がとても綺麗な言葉で綴られていますので紹介したくなりました。
「セレサ・ローサ」のメロディをご記憶の方…一度歌って見ませんか…
  さくらんぼの花咲き 真白きりんごも 
  咲き匂うその下で 初めて 
  愛しの君を知りて 我が胸は燃えぬ 
  思い出も懐かしき 春の日

  優しい瞳は 我を見つめて
  そよ風甘く 私を誘う… (下略〕 作詞 大原良一
 「スミレのはーな…」みたいな宝塚ソングのような感じですが…私も久しぶりに一度歌ってみましたが、幸いにして歌詞もメロディもばっちり合いましたよ。
 
 マンボ・ブームがその後どうなったか…音楽の世界から遠ざかっていたので、よく知りませんが、昭和30年代初期にはシャンソンブームが起きたようです。
 昭和27年にダミアが来日、丸山〔現三輪)明宏が「銀巴里」専属シャンソン歌手としてデビューするなど…昭和20年代末期から下地はすでにありました。
 それが昭和30年にNHK-TV「シャンソン・アルバム」の放映が始まり、出演者の豪華さにブームが一挙に高まったようです。
 出演者は淡谷のり子、高英男、深緑夏代、芦野宏 大谷冽子、砂原美智子などシャンソンやオペラ界の一流アーティストでした。
 ニッポン放送も「巴里の街角」を放送開始するなど、この世界は空前の活況を見せていましたが、ロック世代とは層が少し違っていたのか、熱狂的なものではなく深く静かに…と云う感じだったように思います。
 またこの年にはイヴェット・ジローが初来日、その後イブ・モンタンやジャクリーヌ・フランソワなど有名歌手の来日が続きました。

 なだずい分先のことですが…12月29日は「シャンソンの日」です。
 三輪明宏、岸洋子、などがここから巣立ち、その後も多くのシャンソン歌手を世に送り出して、文化の発祥地でもあった銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」が平成2年のこの日に閉店しました。
 シャンソンに少しでも関心がある人にはよく知られ、シャンソンのの普及と日仏友好に尽くして40年…惜しまれながらのフィナーレだったそうです。
 私も元来はフランス映画やシャンソンは好きでしたが、この頃はすでに外野席…で見物していました。
 もうのめりこみませんでしたが、それでもシャンソンの「ばら色の桜の木と白い林檎の木」も、マンボの「セレサ・ローサ」両方ともに、いくら年を取っても、アタマの片隅に残って消えることはありません。
 同じ思いの人は大勢いられるのでは…と思います。
 

 
 



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