西洋と東洋の狭間

何かにつけ軌道修正の遅い国で有るが一端方向転換すると、凄い勢いで走り出し今までの良き所まで修正してしまう日本文明

旧国鉄周遊券の旅(初めに)

2007-04-03 11:32:24 | 国内の旅
旧国鉄周遊券の旅での最初の部分を投稿させて頂きます。

不適切な言葉と思われる箇所が、あるかも知れませんが、当時を反映する事からもご理解願います。又、話を解り易くする為、人物は仮名にしました。

旅行当日は朝早くの出発の為、当時私は大阪市内に住んでいた理由というから、北村は前日から私の家で泊る事になった。
「おばさん、お世話になります」
玄関の方を見れば、ジーパンとTシャツ姿にマジソン・スクウェアーガーデンのロゴ入りの私と色違いのスポーツバッグを片手に提げ、もう一方の手に土産の心算なのか、タダのドーナッツを持ち、既に旅行から帰ってきた様にも感じられる出で立ちで、愛嬌のあるニコニコした顔で、母の前に立っていた。
(普段着以下やな、ニヤニヤしやがって、こいつにしたら今日が実家から離れる初日になるから、旅行の始まりってこっちゃな)
やたら、笑顔と言うより笑っている友人の心の分析をして、少し楽しんでいる自分があった。
「おー、」・・続けて「入れや」と、言おうとしたが、母が先に挨拶をした。
「いらっしゃい」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「いらっしゃいませ」
この日より数日前、私は某ドーナッツ店のバイト先でオールナイトの勤務についていた。
「お忙しい処、申し訳ないですが、ホームカットとホット二ツづつ頂けますか」
ひと際ていねいで、紳士的な言葉遣いのポッテリと肥えた色白のこの常連客は、おそらくヤクザ屋さんの幹部にも思われ、ほぼ毎日アメ車で、綺麗な婦人と一緒に来店され、酔っ払いや若いチンピラ風の嫌な客が来店する中で、私にすれば、どの客よりむしろ安心出来る、お客でもあり又時間帯でもあった。
厨房に入る開けっ放しのドアー付近では、今日から入った新人のバイトが、軸足を厨房に置き、ビビっている。
(まあ、先輩のバイトとしてええとこ見せとかなあかんな、よう見とけよ)
頼まれたホームカットとホットを持って行けば、指定席の様に決まって座られているテーブルの上には、当時の日本社会では馴染まれなかったシステムで品物より先に価格通りのお金が既に置かれていた。
「ありがとうございます」「失礼します、ごゆっくり」っと、言ってお金を下げる。
その筋の人といった事もあるが、好きなお客には、必要以上に丁重であり、どちらかといえば無愛想な私では、あったが自然と出る笑顔が何よりも物語っていた。
「あ、すんませんな」
時には、励ましの言葉をかけて頂くが、今日は声をかけられない様であった。
様子を見ているであろう新人の方を見る。(どや、見たか・・・お、おらんがな?)
新人のバイトは、厨房に入ってしまっているではないか。
(根性無しやな、って言うか要領かますのが、上手い奴ちゃ)
やや、ムカついて厨房の方を睨んでいるとコンコンと外部ショーケースの上の窓を叩く音がする。
友人の北村が約束した時間通りに立っており、指で奥の休憩場所を指示している。
北村も同じ様にここでバイトをしているのだが、今日は休みであり、今日朝、彼からの電話で、国鉄周遊券で来週から山陰・山陽を旅行する、急な誘いを受け、朝一番に周遊券を購入し、その打ち合わせに来るとの事であった。
「お、解った」心でつぶやく様にした後、指示した休憩所に向う。
厨房に居た新人のバイトに「店の方頼むわ」と、声をかけると予想通りの返事がくる。
「・・・出来るかな」
バイトが続けられるか不安な様である。
(前向きやないな、草食動物みたいな奴やけど、とりあえず励ましといてやろか)
「最初は、皆一緒や、見た目で判断せん方がええで、あの客は一般の客よりええ人やから、大丈夫や。あの人見てみいや、全然平気やろ」
と、指差す方には、ラジオから井上揚水の「心もよう」が流れている厨房で先輩の佐竹さんが力強い振り付けをして歌っている。
「悲しさだけを手紙に詰めて、故郷に住むあなたに送る・・・・・」
最近のファーストフード、いや、当時でもこの店だけかもしれないが、長髪で口ひげを生やし、色つきのメガネをかけた考えられない出で立ちは、深夜勤務専用でもある事からも許されている様にも思われ、男っぽく体育系過ぎるきらいがあるが、その人柄は面倒見がよく、自身それに酔っている風でもあり、私は特に、そのいい恩恵を受けていた。
(相変わらず元気や、歌詞の意図に負けたらあかん気持ちは解るけど、歌以上に、この店にも合わんけど、何か好っきゃなあ)
「おおきに、どうも」
歌っていた声以上の度デカイ声を店の方に佐竹さんが、ぶっ放した。
そして、笑いながら私の前に居る先の見えない新人のバイトに「おい新人、お客さんがお帰りやぞ」
迫力に押され、迷いも覚めたかの様に新人が店の方にすっ飛んで行った。
大きな声で「ありがとう、ございます」
(無理やり吹っ切れたみたいや、大丈夫みたいやなあ)
元気を取り戻した新人を見ている私に「おー、北村来とるぞ」「何処かに行くんか」懲りずに歌ってる途中にもかかわらず、思ったまま聞いてきた。
「あいつと、周遊券で旅行する打ち合わせの為、今日ここで待ちきってたんですわ」と言って開けっ放しの休憩する部屋にはいった。
私の後を追う様にレギュラーの山路さんも歌いながらすぐ後から入ってきた。
「へえー、旅行かええな」「何処に行くの」
既に、北村が旅行の話しをしたらしく、レギュラーと言えど年齢は、二十五、六である団塊世代の山路さんも新しい情報には興味を持ってくる。
「北村が山陰山陽の周遊券を持って来た訳で」
「こいつ、前の日に俺ん所泊まるのに、そん時渡したらええのに、暇やから来よったんですわ」私の図星の言葉に北村が反応してきた。
「お前、折角持って来たったのに、よく言うなあ」
続けて目的の一つを要求してきた。
「オレンジとドーナッツ」
山路さんが、新人のバイトに客でも無い友人のオーダーを通してくれた。
当時の規約では、この様な事は違反なのかどうかは、知らないが店長を始めアウトローの店でもあり、またレギュラーの心遣いでもあったのか、やや自由な、この店の雰囲気は心地よく、バイトとのチームワークも良く、その事が少々レギュラーからの無理な依頼も率先して引き受けた要因にもなっていた。
「注文は、俺が店に居る時に言えや」
持って来てくれた新人のバイトに「悪いなあ」と、声をかけてジュースを飲みほした。
「い、」と、山路さんが言いかけた時「毎度う」厨房から佐竹さんの大声が割り込んで来る。
「中央市場みたいやな」と、私が言えば、必要以上に受ける山路さんではあるが、言った私が引いてしまう程、やはり予想を上回る反応を示し、帽子を飛ばし笑いながら「い、いつから行くの」と勤務表を見ながら山路さんが気を取り直し尋ねてきた。
「急な旅行で、申し訳ないですけど、店長には今日の夕方、言ってあるんすけど」
「あの人は、肝心な事話さないからなあ。北村君も一緒やな」
「おっ、来週やな、代わりのモン入れとるわ」
「良かったあ、もう慌てるわ」
「冗談や、みんな知ってるよ」と、山路さんがニコーっと笑いながら、厨房を見た。
「佐竹さんもしってたんすか」と、厨房に向けて確認をする。
「あったりまえやんけ、お前等の行動は把握済みや」
「ワシ等には、悪い事は出けへんぞう」
留まる事を知らない大きな声で、子供に言い聞かせる様に言ってきた。
拡声器無しの体育舘で喋っている様に、話のイニシアチブを取る大声は、私と云う目標物をも突き抜けて遥か彼方に行ってる。
「何でやねんな、悪い事ちゃいますで」
(あの声に比べ、なんと影が薄い返事やろ)
「そらそうや」ラジオの深夜放送から流れている曲に合わし、曲も変わったのか「こんな時、誰かにほら・・・」
と、口ずさみながら、人差し指を上下し、横に振りながら、相変わらずのパフォーマンスをしながら答えている。
その姿を呆然と三人が見ていたが、気を取り戻した様に、ニヤっとして冗談交じりで山路さんが尋ねてきた。
「ドーナッツ持って帰るか・・・話は変わるが旅行中は、車空くな、貸しといてくれへんか」
当時の私には分相応ではない自家用車を持っており、中古車である為電気系統が弱く、バッテリーは新品のにも拘らずあがってしまうのである。
そんな事からも本当は車で旅行をしたかったのが本音でもあった。
「別にいいですけど、バッテリーが直ぐに、上がってしまいますよ」
それを聞いて、既に新車の自家用車を乗り回していた佐竹さんが、「忘れとった、こないだ見たとこ、ダイナモと違う見たいやし、旅行から帰ってきたら、知り合いの車専門の電気屋を紹介したるわ」
(ええ人や)
「え、ほんま、頼みますわ」
悩まされていた車から開放される気持ちで、旅行の次の楽しみも増してきた様であった。
「借りるのはいいんやけど、その前に癖のある車やから、多分クラッチの遊びが大きいから、慣れんと初めて乗る人はスタート時にノッキングしますで」
と、佐竹さんがアドバイスを山路さんに送った。
「え、そんなら今度練習してから乗せて貰うわ」
確かに、癖のある車で、半クラッチ時は少なめに、しないと滑らかにスタート出来ないのである。
「何泊で、行くの」と、山路さんが本題を聞き出した。
「七泊八日の周遊券で山陰から萩を周って、山陽線に乗り広島なんかを経由して戻ってこようと思ってますねん」
観光地に詳しい山路さんや佐竹さんから押し付けのアドバイスを受け、盛り上がった頃、ドーナッツを揚げながら佐竹さんが、相変わらずの大声で聞いてきた。
「処で、その周遊券って奴は、何処の遊園地でも、タダなんか」
「えー」・・・(何を今迄喋ってたんやろ)
後日談ではあるが、私の驚きとは異なり、その時点では佐竹さんが、公共の乗り物音痴であった事に、初めて知った北村と山路さんの驚きが、言葉に出せなかった様で、佐竹さん同様に私自身も、何とか車を持ち得た喜びから車の事で思考が支配され、国鉄の周遊券は、公共の乗り物の利用が多い北村から聞く迄は、知らなかった。
この時期は車社会に入った日本でもあるが、若くて車を購入出来た者と、それで無い人では行動に伴う好奇心の方向に差があり、その事はそれぞれの情報の差にも当然現われ、一つの優越感もあったが逆に、そんな私に、ありがたい情報を与えてくれた北村と、その日を迎えたのであった。