スーパージョッキー武豊が26日、決戦の地フランスへ向かった。彼にとっても、過去、凱旋門賞には2度挑戦。初参戦で当時25歳の94年は、ドーヴィル大賞典を勝った本命馬だった1番人気のホワイトマズルに騎乗したが、欧州で実績のない騎手が、日本人オーナー(吉田照哉氏)の馬というだけで騎乗して、現地関係者の厳しい視線を受けながらのレースは、後方から差を詰めただけの6着に終わり、その厳しさを味わった。
武豊にとって、凱旋門賞は、是が非でも持ち帰らなければならない“忘れ物”であり、20年の騎手生活の集大成を見せる時が来たのです。
そして、何としても勝ちたいレースに、デビューから騎乗する日本最強馬にまたがって臨む、世界が注目のロンシャンの大舞台。
25日、自身のホームページにこう記した。「ボク自身の人生に悔いを残さない、そんなレースをディープインパクトとともに戦ってくるつもりです。それでは、行ってきます」強い決意を胸に秘め、武豊はフランスへ旅立つ。
私にとりましても、競馬歴35年間待ちに待った日本馬での悲願の世界ナンバー1であった。
昭和52年12月18日「有馬記念」(中山芝2500)スタートから延々と続き、4コーナーを回る2頭が西日を浴びて黄金色に輝くシーン、そして一騎討ちにピリオドを打ったのは、最後の直線でグイッと前に出たテンポイントであった。史上類を見ない壮絶な一騎討ちは、荘厳なまでの美しさで見事に完結し、明け5歳になったテンポイントの充実ぶりは、凄まじいものであった。しかし、最強馬として挑む海外遠征前に、日本のファンの為にもと日本最後のレースでの楽勝と思わせた瞬間であった。懸命の関係者の手当ての甲斐なくテンポイントは、静かにターフを去った。
次世代の最強馬シンボリルドルフの故障、等過去当時日本最強馬の挫折が続いたのであるが、上手くスタート出来たにしても、おそらく勝てなかっただろうとも考える。
1999年、エルコンドルパサーがフランスに渡った。戦績は4戦2勝、2着2回というもので、その中にはGIのサンクルー大賞勝ち、凱旋門賞2着が含まれている。この年、エルコンドルパサーは日本のレースに一度も出走しなかったにもかかわらず、年度代表馬に選出された。欧州でのGI制覇に加え、凱旋門賞で好勝負したという事実が、日本馬をどれだけ高く評価されたかの証左といえるだろう。
そして今こそは、実力的にも手の届く処にまで、来たと実感する。
ディープインパクトを見るに、脚質こそ違えれど、鹿毛で小柄でスピード、スタミナを兼ね備えたイタリアが世界に誇る(私が思う、史上最強馬・牡・鹿毛・英国産 1952-1972)ちびっこ・リボーがだぶる。世に多くの名馬を送り、彼を創り出した、天才と呼ばれたイタリアの馬産家フェデリコ・テシオ(1855~1967)のもう一頭の傑作馬、ネアルコ(14戦無敗馬)と異なり、調教では助手を振り落とし、レースでは騎手のことは一切聞かずに我が道を行く。とても意志の強い馬だが、彼の意見を尊重すれば素晴らしい結果を出してくれるのであったが、その様に気性が悪くその遺伝子を伝える事から、凱旋門賞等の多くの活躍馬を出したが、ネアルコほどの繁栄はしていないのである。日本で供用された彼の直仔マロットからは、4歳時(現年齢方では、3歳)に菊花賞、有馬記念を勝ったイシノヒカル、同じくロムルスからは中京3歳ステークス勝ちのランドジャガーがいる。
雨の降る中で行われた1956年の弟35回凱旋門賞(仏GI)。
このレースでは、1頭の鹿毛馬が、観衆の注目を一身に集めていた。大柄な馬たちに混じった子馬のように小さな、その馬の名はリボーといい、これが引退レース。
そして、この華奢な馬が前人未踏のある偉大な記録を達成しようとしてた為、この偉業見たさに、多くの人が詰め掛けたのである。
15戦全勝、勝ちは殆ど楽勝で迎えたこのレース。勝てば、タンティエーム以来、史上5頭目の凱旋門賞2連覇となり、未だ無敗での連覇達成記録はなかった。
こうして未だ無敗で迎えた2度目の凱旋門賞。これがリボーにとっての引退レース。
斥量60kg、圧倒的な一番人気にも当馬はおじけることなく、ただ当たり前に事が過ぎようとしていた。レースはやはり、リボーが愛ダービー馬タルゴにの6馬身差を付け圧勝。
この着差はシーバード(1963~1972)と並ぶ凱旋門史上最大着差でもある。
(公式記録では6馬身差となってるが、実際には8馬身~9馬身はあったとも言われている。)通算競走成績、16戦全勝、リボーはこの日、伝説となった。
だが最も驚くのは、このレースでリボーは最後まで馬なりだったという事実である。「ちびっこ」と呼ばれた鹿毛の小さなその馬は、結局生涯負けることがなかった。
その事からも、リボーより50年になる今年のディープインパクトは何か巡りあわせの様な気がするのである。そして伝説となれ。
当日の輸送は
日本では通常、早朝に輸送し、競馬場内にある馬房で装鞍(そうあん)を待つが、フランスでは直接、装鞍所に入ってパドックへ向かう。「レース当日はどれぐらい道が混雑するか想像できないが、あまり早く行っても仕方がない。2時間から1時間半前に着きたいところ」と池江泰郎師。ここまで順調に調整してきただけに、レース当日に輸送でテンションがあがるようなミスは避けなければならない。「いかにスムーズに輸送できるか、準備していきたい」。
「ロンシャンの馬場は芝が生え揃って、クッションの利いたいい状態でした。雨が降って馬場が悪くなっても、ディープなら克服してくれると信じている」とトレーナーは絶対の信頼を寄せている。ロンシャンでは、レース当日の後半、秋シーズンとして初めて馬場を全面開放。仮柵で保護されていた約15メートルの“グリーンベルト”が登場する。今年は少頭数が確実で、ディープが外目からレースを進めても、グリーンベルトの恩恵に浴することができるはずだ。
出走予定馬 馬番・ゼッケン番号、( )は枠番・ゲート番
1、(2)ディープインパクト(Deep Impact) 牡4 日 日 59.5 武 豊 池江 泰郎 (10、1、0、0)
3、(6)シロッコ (Shirocco)牡5 独 仏 59.5 C.スミヨン A.ファーブル (7、1、3、1)
2、(1)ハリケーンラン(Hurricane Run) 牡4 愛 仏 59.5 K.ファロン A.ファーブル (8、3、0、0)
4、(5)プライド(Pride) 牝6 仏 仏 58.0 C.ルメール A.ドゥロワイユデュプレ (7、4、4、8)
8、(3)ベストネーム(Best Name) 牡3 英 仏 56.0 O.ペリエ R.コレ (2、2、0、1)
5、(4)レールリンク(Rail Link) 牡3 英 仏 56.0 S.パスキエ A.ファーブル (4、1、0、1)
6、(8)シックスティーズアイコン(Sixties Icon) 牡3 英 英 56.0 L.デットーリ J.ノセダ (3、0、1、2)
7、(7)アイリッシュウェルズ(Irish Wells) 牡3 仏 仏 56.0 D.ブフ F.ロー (3、1、3、1)
現地時間10月1日に仏・ロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞(仏G1)に出走を予定していた今年の英ダービー馬サーパーシー Sir Percy(牡3、英・M.トレゴニング厩舎)が、調教中に肩の筋肉を痛めた為、同レースを回避することが分かった。
サーパーシーは、父Mark of Esteem、母Percy's Lass(その父Blakeney)という血統の英国産馬。05年5月のデビュー戦からデューハーストS(英G1)まで無傷の4連勝を達成。英2000ギニー(英G1)はジョージワシントン George Washingtonの2着に敗れたが、続く英ダービー(英G1)を大接戦の末に制し、その後は凱旋門賞に向けて調整が進められていた。通算成績6戦5勝(G1・2勝)。
日本調教馬の過去、凱旋門賞成績
開催回 年度 馬名 着順 騎手 調教師
第48回 1969年 スピードシンボリ 10着 野平 祐二 野平 省三
第51回 1972年 メジロムサシ 18着 野平 祐二 大久保末吉
第65回 1986年 シリウスシンボリ※ 14着 M.フィリッペロン 二本柳俊夫
第78回 1999年 エルコンドルパサー 2着 蛯名 正義 二ノ宮敬宇
第81回 2002年 マンハッタンカフェ 13着 蛯名 正義 小島 太
第83回 2004年 タップダンスシチー 17着 佐藤 哲三 佐々木晶三
※=フランス調教馬
凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場は、
特別なコースで、スタート後すぐに上り坂、そのあと下り坂で、いかに上手く下るかであり、下りにまかして走れば、直線での足が止まりかねない為、そこでの位置取りが大事です。
ヨーロッパ競馬の道悪は想像を絶する。ここ10年の凱旋門賞で最も速い決着は97年パントルセレブルの2分24秒6(良)。最も遅いのが99年モンジュー(エルコンドルパサーが1/2馬身差2着)の2分38秒5(不良)で、その差13秒9。85日本ダービー馬シリウスシンボリが86年春に同じロンシャン芝2400メートルのGIIIエドヴィル賞に出走(6頭立て5着)した時は極悪馬場でスローペースの影響もあり、2分57秒6(優勝馬ベイビーターク)と2ハロン以上長い距離と勘違いしかねない遅い決着となった。
ジャパンCを例に取ると、日本はコースがよく整備されていることもあって不良は1度もなく、昨年英国のアルカセットがマークしたレコード2分22秒1(良)に対し、最も遅いタイムでも85年シンボリルドルフの2分28秒8(重)と差は6秒7でしかない。フランスの競馬場はヨーロッパの中では整備されている方だが、簡単にいえば路盤が粘土質のため、雨が降ると非常に重くなる。
ディープインパクトは、重でも克服はしてくれるだろうが、何といっても最後の切れ味勝負の馬であり、出来れば、スピード競馬に持ち込みたい。
又、ロンシャンは直線が長い割には前が残る競馬場でもある。
秋のロンシャンでは、日本同様に仮柵を外して凱旋門開催を迎えるので、どうしてもインが強くなりがちであり、スローで団子の展開となった場合にはインを取れる先行馬に味方する。一方で重くなったら想像以上に、先行馬が有利になる。そして、前記しました様に、下り坂とフォルスストレートのコンボは、差し馬にとって仕掛けのタイミングを容易ならざるものとなり、人馬共に我慢が要求される。
ステップレースでのニエル賞では、直線Youmzain(ユームゼイン)が追いんだが、ゴール前では、脚が止まりRail Link(レイルリンク)の半馬身差の2着となり、フォア賞でも、あのキングジョージでハーツクライを抜かせなかったHurricane Run(ハリケーンラン)が、やはりゴール前では、脚色が劣り始めShirocco(シロッコ)のクビ差2着となった様に、仕掛けが、早い又は、同じでも前の馬が有利な展開になっているが、逆に仕掛けが遅くなれば、Rail Link(レイルリンク)がラスト3Fは34.6で、長くいい脚を使えることを証明した様に届かないおそれがある。
その事から、ディープインパクトが、ラスト3Fを33秒代でくるであろと思うが、仮に、ロンシャン競馬場の馬場で難しいと考えれば、おそらく34秒前後になると推定し、最大の武器でもある、他馬に比べ驚異的に長くいい脚を使える強みを発揮するタイミングとしては、小頭数の利を活かせる為、特に大事なポイントとして、直線では、馬なりで先頭に近い位置からロングスパートをかけ、なるべくならば、並ぶ事なく抜き去るのが、(ディープインパクトの何時ものパターンなのですが、有馬記念の様な展開では、この相手では勝てないおそれがある)より効果的とも思えます。
ただ、希望的観測から申せば、常識を覆す処がおおいにある馬でもある事から、案外楽勝って事も信じたいものです。
10月1日は、幸い晴れの模様であり、ハリケーンラン、シロッコ、とのレベルの差は、正直、解らないが、充分差し切れると考える。
武豊にとって、凱旋門賞は、是が非でも持ち帰らなければならない“忘れ物”であり、20年の騎手生活の集大成を見せる時が来たのです。
そして、何としても勝ちたいレースに、デビューから騎乗する日本最強馬にまたがって臨む、世界が注目のロンシャンの大舞台。
25日、自身のホームページにこう記した。「ボク自身の人生に悔いを残さない、そんなレースをディープインパクトとともに戦ってくるつもりです。それでは、行ってきます」強い決意を胸に秘め、武豊はフランスへ旅立つ。
私にとりましても、競馬歴35年間待ちに待った日本馬での悲願の世界ナンバー1であった。
昭和52年12月18日「有馬記念」(中山芝2500)スタートから延々と続き、4コーナーを回る2頭が西日を浴びて黄金色に輝くシーン、そして一騎討ちにピリオドを打ったのは、最後の直線でグイッと前に出たテンポイントであった。史上類を見ない壮絶な一騎討ちは、荘厳なまでの美しさで見事に完結し、明け5歳になったテンポイントの充実ぶりは、凄まじいものであった。しかし、最強馬として挑む海外遠征前に、日本のファンの為にもと日本最後のレースでの楽勝と思わせた瞬間であった。懸命の関係者の手当ての甲斐なくテンポイントは、静かにターフを去った。
次世代の最強馬シンボリルドルフの故障、等過去当時日本最強馬の挫折が続いたのであるが、上手くスタート出来たにしても、おそらく勝てなかっただろうとも考える。
1999年、エルコンドルパサーがフランスに渡った。戦績は4戦2勝、2着2回というもので、その中にはGIのサンクルー大賞勝ち、凱旋門賞2着が含まれている。この年、エルコンドルパサーは日本のレースに一度も出走しなかったにもかかわらず、年度代表馬に選出された。欧州でのGI制覇に加え、凱旋門賞で好勝負したという事実が、日本馬をどれだけ高く評価されたかの証左といえるだろう。
そして今こそは、実力的にも手の届く処にまで、来たと実感する。
ディープインパクトを見るに、脚質こそ違えれど、鹿毛で小柄でスピード、スタミナを兼ね備えたイタリアが世界に誇る(私が思う、史上最強馬・牡・鹿毛・英国産 1952-1972)ちびっこ・リボーがだぶる。世に多くの名馬を送り、彼を創り出した、天才と呼ばれたイタリアの馬産家フェデリコ・テシオ(1855~1967)のもう一頭の傑作馬、ネアルコ(14戦無敗馬)と異なり、調教では助手を振り落とし、レースでは騎手のことは一切聞かずに我が道を行く。とても意志の強い馬だが、彼の意見を尊重すれば素晴らしい結果を出してくれるのであったが、その様に気性が悪くその遺伝子を伝える事から、凱旋門賞等の多くの活躍馬を出したが、ネアルコほどの繁栄はしていないのである。日本で供用された彼の直仔マロットからは、4歳時(現年齢方では、3歳)に菊花賞、有馬記念を勝ったイシノヒカル、同じくロムルスからは中京3歳ステークス勝ちのランドジャガーがいる。
雨の降る中で行われた1956年の弟35回凱旋門賞(仏GI)。
このレースでは、1頭の鹿毛馬が、観衆の注目を一身に集めていた。大柄な馬たちに混じった子馬のように小さな、その馬の名はリボーといい、これが引退レース。
そして、この華奢な馬が前人未踏のある偉大な記録を達成しようとしてた為、この偉業見たさに、多くの人が詰め掛けたのである。
15戦全勝、勝ちは殆ど楽勝で迎えたこのレース。勝てば、タンティエーム以来、史上5頭目の凱旋門賞2連覇となり、未だ無敗での連覇達成記録はなかった。
こうして未だ無敗で迎えた2度目の凱旋門賞。これがリボーにとっての引退レース。
斥量60kg、圧倒的な一番人気にも当馬はおじけることなく、ただ当たり前に事が過ぎようとしていた。レースはやはり、リボーが愛ダービー馬タルゴにの6馬身差を付け圧勝。
この着差はシーバード(1963~1972)と並ぶ凱旋門史上最大着差でもある。
(公式記録では6馬身差となってるが、実際には8馬身~9馬身はあったとも言われている。)通算競走成績、16戦全勝、リボーはこの日、伝説となった。
だが最も驚くのは、このレースでリボーは最後まで馬なりだったという事実である。「ちびっこ」と呼ばれた鹿毛の小さなその馬は、結局生涯負けることがなかった。
その事からも、リボーより50年になる今年のディープインパクトは何か巡りあわせの様な気がするのである。そして伝説となれ。
当日の輸送は
日本では通常、早朝に輸送し、競馬場内にある馬房で装鞍(そうあん)を待つが、フランスでは直接、装鞍所に入ってパドックへ向かう。「レース当日はどれぐらい道が混雑するか想像できないが、あまり早く行っても仕方がない。2時間から1時間半前に着きたいところ」と池江泰郎師。ここまで順調に調整してきただけに、レース当日に輸送でテンションがあがるようなミスは避けなければならない。「いかにスムーズに輸送できるか、準備していきたい」。
「ロンシャンの馬場は芝が生え揃って、クッションの利いたいい状態でした。雨が降って馬場が悪くなっても、ディープなら克服してくれると信じている」とトレーナーは絶対の信頼を寄せている。ロンシャンでは、レース当日の後半、秋シーズンとして初めて馬場を全面開放。仮柵で保護されていた約15メートルの“グリーンベルト”が登場する。今年は少頭数が確実で、ディープが外目からレースを進めても、グリーンベルトの恩恵に浴することができるはずだ。
出走予定馬 馬番・ゼッケン番号、( )は枠番・ゲート番
1、(2)ディープインパクト(Deep Impact) 牡4 日 日 59.5 武 豊 池江 泰郎 (10、1、0、0)
3、(6)シロッコ (Shirocco)牡5 独 仏 59.5 C.スミヨン A.ファーブル (7、1、3、1)
2、(1)ハリケーンラン(Hurricane Run) 牡4 愛 仏 59.5 K.ファロン A.ファーブル (8、3、0、0)
4、(5)プライド(Pride) 牝6 仏 仏 58.0 C.ルメール A.ドゥロワイユデュプレ (7、4、4、8)
8、(3)ベストネーム(Best Name) 牡3 英 仏 56.0 O.ペリエ R.コレ (2、2、0、1)
5、(4)レールリンク(Rail Link) 牡3 英 仏 56.0 S.パスキエ A.ファーブル (4、1、0、1)
6、(8)シックスティーズアイコン(Sixties Icon) 牡3 英 英 56.0 L.デットーリ J.ノセダ (3、0、1、2)
7、(7)アイリッシュウェルズ(Irish Wells) 牡3 仏 仏 56.0 D.ブフ F.ロー (3、1、3、1)
現地時間10月1日に仏・ロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞(仏G1)に出走を予定していた今年の英ダービー馬サーパーシー Sir Percy(牡3、英・M.トレゴニング厩舎)が、調教中に肩の筋肉を痛めた為、同レースを回避することが分かった。
サーパーシーは、父Mark of Esteem、母Percy's Lass(その父Blakeney)という血統の英国産馬。05年5月のデビュー戦からデューハーストS(英G1)まで無傷の4連勝を達成。英2000ギニー(英G1)はジョージワシントン George Washingtonの2着に敗れたが、続く英ダービー(英G1)を大接戦の末に制し、その後は凱旋門賞に向けて調整が進められていた。通算成績6戦5勝(G1・2勝)。
日本調教馬の過去、凱旋門賞成績
開催回 年度 馬名 着順 騎手 調教師
第48回 1969年 スピードシンボリ 10着 野平 祐二 野平 省三
第51回 1972年 メジロムサシ 18着 野平 祐二 大久保末吉
第65回 1986年 シリウスシンボリ※ 14着 M.フィリッペロン 二本柳俊夫
第78回 1999年 エルコンドルパサー 2着 蛯名 正義 二ノ宮敬宇
第81回 2002年 マンハッタンカフェ 13着 蛯名 正義 小島 太
第83回 2004年 タップダンスシチー 17着 佐藤 哲三 佐々木晶三
※=フランス調教馬
凱旋門賞が開催されるロンシャン競馬場は、
特別なコースで、スタート後すぐに上り坂、そのあと下り坂で、いかに上手く下るかであり、下りにまかして走れば、直線での足が止まりかねない為、そこでの位置取りが大事です。
ヨーロッパ競馬の道悪は想像を絶する。ここ10年の凱旋門賞で最も速い決着は97年パントルセレブルの2分24秒6(良)。最も遅いのが99年モンジュー(エルコンドルパサーが1/2馬身差2着)の2分38秒5(不良)で、その差13秒9。85日本ダービー馬シリウスシンボリが86年春に同じロンシャン芝2400メートルのGIIIエドヴィル賞に出走(6頭立て5着)した時は極悪馬場でスローペースの影響もあり、2分57秒6(優勝馬ベイビーターク)と2ハロン以上長い距離と勘違いしかねない遅い決着となった。
ジャパンCを例に取ると、日本はコースがよく整備されていることもあって不良は1度もなく、昨年英国のアルカセットがマークしたレコード2分22秒1(良)に対し、最も遅いタイムでも85年シンボリルドルフの2分28秒8(重)と差は6秒7でしかない。フランスの競馬場はヨーロッパの中では整備されている方だが、簡単にいえば路盤が粘土質のため、雨が降ると非常に重くなる。
ディープインパクトは、重でも克服はしてくれるだろうが、何といっても最後の切れ味勝負の馬であり、出来れば、スピード競馬に持ち込みたい。
又、ロンシャンは直線が長い割には前が残る競馬場でもある。
秋のロンシャンでは、日本同様に仮柵を外して凱旋門開催を迎えるので、どうしてもインが強くなりがちであり、スローで団子の展開となった場合にはインを取れる先行馬に味方する。一方で重くなったら想像以上に、先行馬が有利になる。そして、前記しました様に、下り坂とフォルスストレートのコンボは、差し馬にとって仕掛けのタイミングを容易ならざるものとなり、人馬共に我慢が要求される。
ステップレースでのニエル賞では、直線Youmzain(ユームゼイン)が追いんだが、ゴール前では、脚が止まりRail Link(レイルリンク)の半馬身差の2着となり、フォア賞でも、あのキングジョージでハーツクライを抜かせなかったHurricane Run(ハリケーンラン)が、やはりゴール前では、脚色が劣り始めShirocco(シロッコ)のクビ差2着となった様に、仕掛けが、早い又は、同じでも前の馬が有利な展開になっているが、逆に仕掛けが遅くなれば、Rail Link(レイルリンク)がラスト3Fは34.6で、長くいい脚を使えることを証明した様に届かないおそれがある。
その事から、ディープインパクトが、ラスト3Fを33秒代でくるであろと思うが、仮に、ロンシャン競馬場の馬場で難しいと考えれば、おそらく34秒前後になると推定し、最大の武器でもある、他馬に比べ驚異的に長くいい脚を使える強みを発揮するタイミングとしては、小頭数の利を活かせる為、特に大事なポイントとして、直線では、馬なりで先頭に近い位置からロングスパートをかけ、なるべくならば、並ぶ事なく抜き去るのが、(ディープインパクトの何時ものパターンなのですが、有馬記念の様な展開では、この相手では勝てないおそれがある)より効果的とも思えます。
ただ、希望的観測から申せば、常識を覆す処がおおいにある馬でもある事から、案外楽勝って事も信じたいものです。
10月1日は、幸い晴れの模様であり、ハリケーンラン、シロッコ、とのレベルの差は、正直、解らないが、充分差し切れると考える。