西洋と東洋の狭間

何かにつけ軌道修正の遅い国で有るが一端方向転換すると、凄い勢いで走り出し今までの良き所まで修正してしまう日本文明

「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年

2007-06-21 19:51:35 | 映画
「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年、フランス・イタリア
      
時間:107分、配給 : ユナイト
当作品の評価は色々ありますが、当時学生で、私はリアルタイムで、この作品を大変期待して観た記憶があり、そんな意味では、印象に残る作品でした。

監督:フランソワ・トリュフォー
原作:コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)
脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール
撮影:ラウール・クタール
衣装:ピエール・カルダン
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ジャンヌ・モロー as ジュリー、クロード・ブリアリasジャン、ジャン=クロード・ブリアリ、ミシェル・ブーケ 、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェ、他

解  説
「黒衣の花嫁」の原作は、1940年に発表されたコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)の長編で、その他、「暗闇へのワルツ」はトリュフォーによって「暗くなるまでこの恋を」(’69年、主演:ジャン・ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーブ)として映画化され、「裏窓」(’54年、主演:ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー)の原作者でもあります。
トリュフォーは、1944年のパリ解放後、12歳ぐらいのとき、母親が持っていた仏訳版をこっそり借りて、読んだようです。
1960年代半ばに映画化を企画した際、ウールリッチには「黒の天使」とか「喪服のランデブー」とか似たようなタイトルの作品が多い為なのか、ウールリッチのどの作品かタイトルまでは、憶えていなかった様で、たまたまフランスで再版されて判明したらしいのです。
また、トリュフォーは、撮影監督ラウール・クタールと意見が合わなかったりして、他のことが忙しくて、演技まで手が回らなかったそうです。(クタールがトリュフォー作品に参加したのはこれが最後。前作「華氏451」はニコラス・ローグが撮影を担当しましたが、「ピアニストを撃て」、「突然炎のごとく」、「二十歳の恋」、「柔らかい肌」とずっとクタールが担当していました)。トリュフォーは演技指導をジャンヌ・モローに任せたとかで、映画自体も彼女が背後から男性陣を監視しているような感じになっています。

『黒衣の花嫁』の音楽を担当したバーナード・ハーマン(1911-1975)のドキュメンタリーから。
ハーマンは「華氏451」と「黒衣の花嫁」の音楽を担当しました。この本の作者はこの二作がお気に召さないらしく、ハーマンの仕事は、内容の乏しい作品に心理的なニュアンスを持たせて生き生きさせることだったと書いています。イギリスで録音された「華氏451」のときには英語がしゃべれない監督に苦労すればよかっただけですが、パリで録音された今回は、フランス人演奏者、指揮者、録音技師と一緒に仕事をしなければならず、フラストレーションがたまったようです。
『華氏451』の音楽はうまくいったのですが、『黒衣の花嫁』の音楽についてはトリュフォーはバーナード・ハーマンとかなり対立し、ジャンヌ・モローのスカーフが飛んでいくシーンの音楽を作り直すようハーマンに指示した時のエピソーの記憶です。
この番組では、トリュフォーの指定とハーマンの指定という双方の場面を比較して見せてくれていたのですが・・結局はバーナード・ハーマンの音楽を使わず、ヴィヴァルディの音楽を使うことになったいきさつが語られています。オーソン・ウェルズやヒッチコックは映画が完成したらそのままにしておくのに、トリュフォーが再公開時に編集しなおすことが気に入らなかったようです。ただ、不幸なウールリッチと違って、56歳のハーマンは27歳の女性と1967年11月に結婚するという幸福な時期でした。

   
フランソワ・トリュフォー(FRANCOIS TRUFFAU)
1932年2月6日、フランスのパリ生まれ。両親の離婚により孤独な少年時代を送り、万引きや盗みなど、さまざまな悪事を働いていたという。14歳で学校をやめ、15歳で放浪罪で捕まり、感化院に送られてしまう。
感化院を出てからのトリュフォーは、さまざまな職業につくものの長続きせず、映画館へ入り浸るうちに「カイエ・デュ・シネマ」誌の主宰者だったアンドレ・バザンと出会い、以来、バザンが亡くなるまで親子同然の生活を送る。バザンの勧めにより映画評論を書くようになり、「カイエ・デュ・シネマ」などを中心にプロの批評家として活動を始める。厳しく攻撃的な映画批評は「フランス映画の墓堀り人」と言われるほどだった。
トリュフォーも最初は小津の映画をこんな風に評価していました。「小津安二郎の作品は、私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが無気力にとらえている。映画的な躍動感が全く感じられない」と言っていました。でも、後に「ところが最近、『秋日和』『東京物語』『お茶漬の味』とかいった作品を連続して見て、たちまちそのえもいわれぬ魅力のとりこになってしまいました」と評価を変えたのです(山田宏一『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』)。
さて、トリュフォーはロベルト・ロッセリーニ監督の助手をつとめ、数本の短編や脚本を手がけたあと、1959年に「大人は判ってくれない」を発表。アンドレ・マルロー文化相の推薦で出品できたカンヌ映画祭で監督賞ほか2賞を受賞し、成功をおさめる。同じ年に監督デビューしたジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マル、クロード・シャブロルらとともに、一躍“ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手として注目を集めるようになる。
1960年の「ピアニストを撃て」では、歌手のシャルル・アズナヴールを迎えて軽妙な悲喜劇を描き、第3作の1961年の「突然炎のごとく」では、ジャンヌ・モローを主演に男女の三角関係を、描き国際的な名監督という評価が確立され、1963年の「柔らかい肌」では不倫の愛をめぐる心理劇を描いた。
また、1966年の「華氏451」等、ヒッチコッキアンである彼は、サスペンス、コメディの才覚も発揮します。
1968年、フランスの五月革命をきっかけに、ジャン=リュック・ゴダールとの決別をはじめとして、ヌーヴェル・ヴァーグの仲間たちとも疎遠になった。この頃より、映画の作風も古典的、正統的なものへと変わっていく。
その意味からか、この作品は、ヌーヴェル・ヴァーグ的には感じられなかった。
1973年には「映画に愛をこめて アメリカの夜」を発表。アカデミー賞にノミネートされたほか、NY批評家協会賞、全米批評家協会賞で監督賞を受賞した。
また、アメリカのヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグもトリュフォーに憧れた一人で、「未知との遭遇」(’77年)でフランスのUFO研究者の役をトリュフォーに演じてもらったのでした。
1980年の「終電車」では、セザール賞を総なめにしている。遺作となったのは、最後の妻ファニー・アルダン主演の「日曜日が待ち遠しい!」(1982年)だった。
私生活では、1957年に結婚し、ふたりの子供をもうけたが、1965年に離婚。1968年には、女優のクロード・ジャドと婚約したが、破局している。1981年にファニー・アルダンと結婚し、娘をもうけた。
1984年10月21日、脳腫瘍のため享年52歳の若さで世を去ってしまいました。
   

   
ジャンヌ・モロー(JEANNE MOREAU)
撮影現場で談話する俳優ジャン・ピエール・カッセル(左)、フランス映画界屈指の女優、ジャンヌ・モロー、トリュフォー監督(右)【写真右上】
1928年1月23日、フランス・パリ生まれ。父はレストラン経営者で、母は元ダンサーだった。18歳の時に見た演劇の世界に魅了され、女優を夢見るようになる。コントルヴァトワールで演技を学んだあと、モリエール劇団に入る。
1948年に映画デビュー。1954年、ジャック・ベッケル監督の「現金に手を出すな」で注目されるようになるが、当時はまだ色気を売り物にした女優と見られていた。
1957年、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベータ」に出演し、一躍脚光を浴びる。
1960年には「雨のしのび逢い」で、カンヌ映画祭の主演女優賞を受賞する。
1961年、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」に出演。退廃的ではあるが、一本芯の通った女性像を演じて、絶大なる支持を受ける。
1962年の「エヴァの匂い」では悪女を演じた。
1962年、オーソン・ウェルズ監督の「審判」、1964年、ジョン・フランケンハイマー監督の「大列車作戦」等の作品で彼女は外見の美しさだけでなく、自立した個性的な役柄を演じてきて、反保守のヌーベルバーグ派の監督に好かれたのでしょう。
1970年代後半からは「ジャンヌ・モローの思春期」などで監督業にも進出する。女優業のほうは、次第に脇役にまわるようになるが、1990年の「ニキータ」のように貫禄をもった演技で出演し、作品に深みを持たせている。
1928年生まれ,今年79歳で元気で現役、不思議な大女優ジャンヌ・モローに,アカデミー賞で,彼女の全芸歴に対して特別栄誉賞が贈られました。
欧州の女優では初めてのことで、歴史的な事件です。
私生活ではデザイナーのピエール・カルダンやトニー・リチャードソンなどとのロマンスが有名。1948年にジャン=ルイ・リシャールと結婚して、一児をもうけるが1965年に離婚。1977年にウィリアム・フリードキン監督と再婚するが、2年後に破局している。
この映画はトリュフォーがジャンヌ・モローに捧げた作品だそうだ。そして衣装は恋人の前記した、ピエール・カルダンだ。ジャンヌ・モローは当時40歳で花嫁を演じ、決して若いとは言えませんが、その冷めた美貌で男に近づき沈着冷静に復讐を遂げていくところは凄みさえ感じさせます。
スクリーンでのジャンヌ・モローの演技は軽快そのもので、よく笑い、心なごむ優しさの中でこそ最高の演技を見せる。そんなオーラと優しさの中から彼女は全てを創造する。だからこそ、また強烈なエモーションを表現できるのである。人間の弱さや傷つきやすさに対する寛容と強烈な共感と心からの理解力、そういった全てをジャンヌ・モローが演じている。

物語はいきなり1人目の復讐殺人の企てから始まります。そして、黒や白のドレスをまとった、この謎の美女ジュリー(ジャンヌ・モロー)が5人の男性を一人ずつ次々殺していくというシンプルなものですが、クールで鮮やかな身のこなし、ピエール・カルダンの黒と白のみのモローの衣装の鮮やかさが、映画では楽しめます。
結婚式の最中に向こう側のビルの一室で5人の遊び人の男たちが、誤って実弾のこもった銃を撃ってしまい、それが新郎に当り亡くなります。その事で5人の男を新婦が殺す動機には、少々無理がある様にも思われます。小説では、酔っ払った5人の仲間が車を暴走させ、結婚式を終えた新郎をひいてしまうという、悪質なものなのです。
五人の男性は、クロード・リーシュ、ミシェル・ブーケ、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェが演じており、リーシュとデネルの友人としてジャン=クロード・ブリアリが出演しています。
『黒衣の花嫁』はジャンヌ・モローの視点に立って男たちを見るようになっていると思うのですが、原作では、物語は一人の女の行動を追いかけていく。
タイトルの『黒衣の花嫁』(The Bride Wore Black)の意味は結末で判明する。
映画と原作が大きく違うのはこの最後の犠牲者のエピソードで、映画ではダニエル・ブーランジェ扮する小悪党が最後の犠牲者で、彼をどうやって殺すかは映画のオリジナルですが、原作ではそのターゲットは作家です。
最後の事件では、面白いギミックが読者に衝撃を与える効果を盛り上げている。それは五人目のターゲットに選ばれたホームズという作家の元に、謎の女がやってくる場面。この家に、足を痛めた若い女性フレディ・キャメロンと中年のタイピストミス・キッチナーの二人が訪れる。読者は当然若い女性の方を中心に読んでいて、当然、若い女性が殺人者だと思い、彼女がいつどうやってホームズを殺すのかと思ってしまう。しかし、彼女は単なるこの作家の崇拝者でしかなく、実はこれまでひたすら若く美しい姿ばかり見せてきた『女』が、今回だけは例外で中年のタイピストを演じていたと明かされる。
映画の中では最も信頼できる第三者はジャン=クロード・ブリアリ演じるコレだと思うのですが、原作では、もうひとひねりあって、新郎にも原因があり、ホームズの側も実は事前に察知して入れ替わっていた警官だった。この二つは著者の説明的でない文体だからこそ初めて成立した仕掛けであろう。

        あらすじ         
女(ジャンヌ・モロー)が或る決意を固めて、家を出るところから始まる。
コート・ダジュールのアパートで独身生活を楽しんでいるブリス(クロード・リッシュ)のもとに見知らぬ、美しい女が訪れた。折から婚約パーティが開かれていて、出席していた、ブリスの親友コリー(J・C・ブリアリ)は、彼女から鮮烈な印象をうけた。
女はブリスをバルコニーへ誘い出した。ブリスの友人コリー(ジャン・クロード・ブリアリ)も会話に付き合ったが、部屋に戻った隙にブリスはバルコニーから転落死し、女の姿は消えていた。

そこからほど遠くない別の市の銀行員、女性恐怖症であるコラル(ミシェル・ブーケ)のアパートにコンサートの指定席券が届く。コラルは心当たりがなく不審に思いながらもコンサートに出かけた。
ピアノとバイオリンのコンサート。コラルの隣席に謎の女が座る。
コラルと女は共に帰るが、何故コンサートの券を自分に送ってくれたのか女は明かさない。そして彼女は、翌晩コラルのアパートを訪れる約束した。コラルは胸がときめいた。
「人生は勝利しなくちゃね。負け犬なんて最低よ」 謎の言葉を残して女は立ち去った。
翌日の夜、約束どおり女がやって来た。と云うか、銀行員に擦りよりアパートを訪ねる。酒好きのコラルに酒のボトルを携えて。
緊張して舞い上がる男への土産はアラク(アニス・リキュール)というイラク酒。彼女の愛するマンドリンがフーガを奏でるドーナツ盤は死へ誘う舞踏曲、そして、毒入り注射の酒がとどめをさす。
乾杯し、コラルの頭が混乱し始めた時、女が話し始める。
数年前、教会での結婚式。教会から出てきた新婚カップル。新郎が突然の銃撃に倒れる。胸から血を流して倒れた新郎に泣き叫び取りすがる花嫁。
床を這うコラルを残して、女は立ち去った。
「・・・分かったぞ・・・あのときの花嫁だな・・・」 コラルは悶絶して息絶えた。

若手政治家モラン(ミシェル・ロンダール)の家に電報が届く。『母急病すぐ来られたし』 モランの妻の母の急病を知らせる電報だった。
妻は急いで実家に帰った。小学生のクッキーとモランの家に、モランの息子の幼稚園の先生と名のり、夫人が留守で困っているだろうから、子供の世話をしにきたといってあらわれた。クッキーは違うという。しかし女が料理を作り、かくれんぼ遊びをしてくれるうちにそんなことはどうでもよくなった。クッキーを寝かしつけ、女が帰ろうとしたとき、「指輪がないわ」女が言った。
かくれんぼ遊びのとき、女が階段下の物置に入った時に落としたのかもしれない。モランが物置に入って探しているとき物置のドアを女が閉め鍵を掛けた。隙間はセロテープで目張りされた。
「何をする!・・なぜ?」 モランが叫ぶ。「私はジュリー・コレールよ。貴方を殺しにきたの」 ジュリーは冷たく言い放った。モランは瞬間に悟り、「待て!全て説明する」 
『数年前、教会の向かいのアパートメントの一室でモラン、ブリス、コラル、ダルロー、フェルグスたち狩猟仲間5人が酒を飲みながら銃について談義していた。銃も何丁かそこにあった。教会の塔の上に風見鶏がある。悪戯にモランが銃に実弾を込め風見鶏を狙う。そのままモランは銃をテーブルに置き酒を飲みに奥へ行った。その隙にスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がその銃を取り風見鶏に標準を合わせる。そのまま下へ、教会の玄関から式を済ませた新婚カップルが出てきた。
ダルローが新婚カップルに標準を定める。「その銃には弾が!」モランが窓際に走って来たときには遅かった。ダルローは実弾の入った銃を撃った後だった。
子供の時から愛し合っていたダビッドと結婚式をあげた後、腕を組んで教会から出てきた彼女の夫が銃で撃たれたのだ。教会の玄関口で新郎が倒れ人々が取り囲んでいる。
このまま捕まっては一生を棒に振ってしまう。5人はアパートメントから逃げた。もう二度と会わないと約束を交わしながら。』
モランは思いだした。いつか、ブリス、コラル、フェルグス、ダルローら五人の狩猟仲間と、ふざけて教会の風見の鶏を射とうとして……。
「・・・過去の話だ」モランは言う。「私には過去じゃない。夜毎訪れる悪夢よ」 ジュリーの幼友達ダビッドを、将来は夫になる人と夢見た男を結婚式のその日に失ったのだ。ジュリーの心はこの時から死んでしまったのだった。悲嘆のあまり自殺しようとしたこともある。だがジュリーは思い直した。夫ダビッドの仇を討つまでは死ねないと。そして長い歳月を費やし5人を探し出したのだ。
ジュリーはガムテープで物置のドアの隙間を目張りしていく。だが、僕じゃない。モランはさけんだ。モランが必死にド中アを叩く音。呼吸は次第に苦しくなっていった。
ジュリーは去り、翌日、モランは死体となって発見された。

ジュリーは懺悔室で神父に犯した罪を懺悔する。「今すぐやめるのだ」 神父は言う。「憎しみに生きる殺人者に人を愛せると?・・・やり遂げたら彼の元へ行きます」

自動車修理工場へジュリーが来た。バッグの中にピストルが忍ばせてある。呼び出しに応じてスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がやって来た。ジュリーはバッグからピストルを取り出した。その時、意外なことが起った。ダルローの周りを警察がパトカーで囲みダルローを逮捕してしまった。ダルローは盗難車を売りさばいて不当な利益を出していたのだ。

画家フェルグス(シャルル・デネ)のアトリエをモデルとしてジュリーが訪れる。フェルグスはジュリーを見た瞬間、自分が以前から思い描いていた理想の女性像にジュリーが瓜二つだと思う。(実際画家のフェルギュスが描いた理想の女性像はジュリーに瓜二つ)そのベッドに横たわる女性像。
モデルのジュリーに、ディアーナになれと言う、そして大作『ディアーナ』を描き始める。やがて、フェルグスは白いチュニックを着て矢入れを肩に弓をかまえるポーズのジュリーに次第に惹かれていく。
そんなある日、アトリエを訪れた友人たちの中にコリーがいた。コリーはジュリーを見て前に会ったことがあると思うのだが思い出せない。
コリーがその女を思い出したのはフェルグスがアーチェリーの矢で胸を射抜かれた後だった。
フェルグスの葬儀に顔を出したジュリーはコリーと再会する。ジュリーは警察に逮捕された。

監獄に入ったジュリーは模範囚となり、いつの日か給食係りとなった。ここの男房にはダルローが収監されている。夫ダビッドに引金を引いた張本人がダルローだ。
ジュリーが給食を台車に載せ男房に入っていく。フキンの下に包丁は隠されていた。やがて男房からダルローの断末魔の叫び声が監獄に響き渡った。
          
        

『潜水服は蝶の夢を見る』(仮題)、2007・カンヌ映画祭

2007-06-20 12:31:35 | 映画
『潜水服は蝶の夢を見る』(仮題)・ジャン=ドミニクを看取ったベルナール

原作:『潜水服は蝶の夢を見る』(ジャン=ドミニク・ボービー著)
スタッフ
監督/ジュリアン・シュナーベル
脚本/ロナルド・ハーウッド
撮影/ヤヌス・カミンスキー
音楽/ポール・カンテノン
キャスト
ジャン=ドゥ…マチュー・アマルリック
セリーヌ…エマニュエル・セニエ
アンリエット…マリ=ジョゼ・クローズ
クロード…アンヌ・コンシニ
ルパージュ医師…パトリック・シェネイ

1951年NYブルックリン生まれのジュリアン・シュナーベル監督が、ハヴィエル・バルデムをアカデミー賞候補に送り込み、2000年のベネチア国際映画祭で審査員大賞を受賞した『夜になるまえに』、新表現主義の画家としてキャリアをスタート後、親交のあった画家ジャン・ミッシェル・バスキアの伝記映画で監督デビューを果たした『バスキア』に続き、再び実在人物、キューバの亡命作家レイナルド・アレナスのの半生を描いた最新作『潜水服は蝶の夢を見る(仮題)』がこのたび第60回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へ正式出品され、カンヌの舞台で感動を呼び起こす。
監督に再びメガホンを取らせたのは、ジャン=ドミニク・ボビーという人物。
ベルナールとジャン=ドミニクさんは若い頃から親友関係にあり、彼の最期も看取った。
1995年、女性ファッション誌「ELLE」の編集長であった彼は、43歳という若さで突然、脳溢血で倒れ、目が覚めると、そこは病室。徐々に自分が倒れ、運ばれて来た事が蘇ってくる、医者と看護婦が来るが言葉が出ない、そして体の自由もきかない。そのまま寝たきりの生活を余儀なくされる。働き盛りの年齢で、第一線で活躍していた日々が一変、唯一左眼のまぶたしか動かない身体に。だが、彼を見守る看護婦のサンドリーヌが彼のまぶたの動きに気づき、編集者のクロードが彼に自伝を書く話を持ちかけたことから、彼の新たな人生が幕を開けた――。

内容は、記事紹介から
カメラはそんな彼の視点から周囲の人たちをとらえる。やがて意思の疎通を図るため、アルファベットを用いて言葉を作り上げる。Yesなら一回の瞬き、Noなら2回とまぶたの動きで、若い二人の女性が付き添って看護する。その日々が綴られ、主人公の独白が笑わせたりと面白い。
妻が子供たちを連れて見舞いに現れたり、嫌な友人や仲間も。そんな中でマックス・フォン・シドー演じる老父が電話で話しかけるシーンは泣かせる。老父との思い出や結婚式、仕事場と彼の脳裏に浮かぶシーンが次々と出て来て、やがてなぜこんな目に遭ったのかが明らかになる。愛人のアパートから田舎にいる家族に会いに新車ですっ飛ばし、息子を連れてサッカー観戦に出掛けた途中に身体に異常を来たし…。
妻の看病中に愛人からの電話が入り、妻が数分だけ席を外すシーンも、いかにもフランス的。主人公の心を軽やかに華麗に映像に表わす手腕は見事で、人生というものの意義を考えさせられる。片目を閉じ、口元をへし曲げてジャン=ドミニク・ボビーを熱演するアマルリック、愛人を認めつつ強く生きる妻を好演するセニエら俳優たちのアンサンブルも決まっている。さらに先日死去したばかりのベテラン、ジャン=ピエール・カッセルが牧師と店主の2役で顔を見せているのもうれしい。

左まぶたの瞬きを20万回以上繰り返すことだけで、同名手記を書き上げたという奇跡の実話を完全映画化した本作。ジャンを演じるのは、前回紹介致しました、『キングス&クイーン』などアルノー・デプレシャン監督作品で常連のフランス実力派俳優、マチュー・アマルリック。さてこのマチュー、今後も出演作が目白押しのようなんですが、今年のカンヌ映画祭では、コンペティション作品として参加している「潜水服と蝶」を含め、原題出演作が3本も登場しています。
これは日本でも来年公開されるようですから、楽しみでもあり、身体の自由を失い難病と闘う人物をどんな演技で私達に見せてくれるかも期待したいものである。
今回の新作はもともとジョニー・デップ主演で企画が進められていたが、最終的にはマチュー・アマルリックがデップの代わりを務めることになった。
また、私生活でも「そして僕は恋をする」で共演したジャンヌ・バリバールとの間に、二人の子供がいます。

「キングス&クィーン」Rois et reine(2004年)

2007-06-16 17:55:24 | 映画
名曲「ムーン・リヴァー」の調べにのせて世界中で感動の涙と称賛を呼んだ本作は、2004年、第61回ヴェネチア国際映画祭では絶賛とともに迎えられた。
2007年、第60回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へ正式出品された、ジュリアン・シュナーベル監督が実在人物の半生を描いた最新作『潜水服は蝶の夢を見る(仮題)』に主演のマチュー・アマルリックに関係した作品。       
「キングス&クィーン」Rois et reine(2004年)
配給:boid
製作:パスカル・コーシュトゥー
監督:アルノー・デプレシャン
脚本:ロジェ・ボーボ / アルノー・デプレシャン
撮影:エリック・ゴーティエ
美術:ダン・ベヴァン
音楽:グレゴワール・エッツェル
衣装ナタリー・ラウール
出演:エマニュエル・ドゥヴォス(ノラ・コトレル) / マチュー・アマルリック(イスマエル・ヴィヤール) / カトリーヌ・ドヌーヴ(ヴァッセ)/ モーリス・ガレ(ルイ・ジェンセン) / ナタリー・ブートフー(クロエ・ジャンセン) / ジャン・ポール・ルシヨン(アベル・ヴィヤール) / マガリ・ヴォック(“中国女”アリエル) / イポリット・ジラルド(ママンヌ) / ノエミ・ルボフスキー(ノエミ・ルヴォフスキ)/ エルザ・ウォリアストン(ドゥヴィルー医師) / ヴァランタン・ルロン(エリアス・コトレル) / オリヴィエ・ラブルダン(ジャン=ジャック) / カトリーヌ・ルーヴェル(モニク・ヴィヤール) / ジョアサン・サランジェ(ピエール・コトレル) / ジル・コーエン(シモン) / アンドレ・タンジー(おばあちゃん)
解 説
この作品は良質の作品であり、カンヌ国際映画祭などで評価の高い異才アルノー・デプレシャンが監督と脚本を手がけ、緻密な構成を支えるキャストは、実力派揃いだ。
2004年、もっとも優れたフランス映画に捧げられるルイ・デュリュック賞を受賞。デプレシャン映画の常連、マチュー・アマルリックは、2005年のフランスのアカデミー賞とも認識されているセザール賞で、主演男優賞を受賞した。
素晴らしい作品を作るアルノー・デプレシャンの俳優ともいえる15年来の盟友である、イスマエルを演じる、マチュー・アマルリックと同様に主人公ノラのエマニュエル・ドゥヴォスも、フランス映画界の実力派らしく作品に多彩な表情を与えている。ノラを愛し、彼女を悲しみに貶める父親役を演じるのは、映画監督フィリップ・ガレルの父にしてベテラン俳優のモーリス・ガレル。そして、精神病院でイスマエルを見守る女医を、実力派としてのキャリアを重ねるカトリーヌ・ドヌーブが脇を固めた。家族の存在とそれに代わる新たなきずなのあり方を、緻密に構成された脚本とダイナミックな演出で表現した渾身作。

アルノー・デプレシャン
”トリュフォーの再来”と呼ばるアルノー・デプレシャンの5年ぶりに日本に届いた新作。1960年、ルーベ生まれ。両親はベルギー人。1984年、イデック(IDHEC/パリ高等映画学院-現FEMIS)を卒業。演出と撮影技術を専攻。学友であるエリック・バルビエ「La face perdue(失われた顔)」、エリック・ロシャン「女の存在」などの短編に協力しながら、数々のTVコマーシャルにカメラ・オペレーターとして参加。
83年には自身の中篇作品「La polichinelle et la machine a coder(道化と暗号機械)」を完成させトゥールとリールの短編映画祭に出品。85年には16mm長編「Le couronnement du monde(世界の戴冠式)」をカンヌやオルレアンの映画祭で発表。一方でロシャンの長編デビュー作「愛さずにいられない」の脚色も担当する。
91年に若手俳優(ティボー・ド・モンタランベール、エマニエル・サランジェ、マリアンヌ・ドニクール、エマニュエル・ドゥヴォスら)を大挙起用した中篇「二十歳の死」をアンジェ<プルミエ・プラン>映画祭に出品し、熱狂的な反応を引き起こす。同作品で最優秀ヨーロッパ長編映画作品賞、もっとも期待される若手に送られるジャン・ヴィゴ賞を獲得。92年に初の長編「魂を救え!」(カンヌ映画祭正式出品)を発表。95年にはマチュー・アマルリック、キアラ・マストロヤンニら若手のホープを起用した「そして僕は恋をする」を完成させその評価を不動のものとした。
監督のテーマ
テーマは「養子」なのだと監督は言う。確かに養子問題が、すでに別れたカップルの「その後」を繋ぐ。別の男と3度目の結婚をしようとする主人公のノラとその2番目の夫(未入籍)が、ノラの最初の夫との息子を巡って、それぞれの家族の特殊事情やら彼らの現在やらが絡まって、さらに物語は大きく膨らむ。
2時間30分という恋愛映画にしては長い様に感じられる上映時間をとことん使って、この映画は語れるだけの物語を語ります。画面の片隅に映る細部の細部までがそれらの物語のかけらとなって、そこでは実際に語られていない物語の背景をはっきりと形作る。つまり、私たちが生きる現在がいかに多くのものによって存在しているか、そしてそのためにいかに多くの人が死に、悲しみ、喜び、歌い、踊り、怒り、闘ってきたかが、そこでは語られる。・・・誰もがそれらの「養子」であるのだと。

(下記、記事の紹介)
作中、死を目前にした父親が我が子に対して遺した言葉があります。
「お前はエゴイストだ。今の私は、静められないお前への怒りで一杯だ。」
心臓を打ち抜く拳銃よりも強力な、まるで鋭利な刃物のような言葉。彼が自分の人生をテーマに書き続けてきた作家だということを差し引いてもこれほど凶暴な言葉があるでしょうか。
でもこの台詞、僕には只の憎悪の言葉には聞こえませんでした。映画を見終えて改めて反芻してみて(決して無理矢理に映画の中に希望を見出そうとしたからではなく)これは彼女を愛していなければ決して言えない言葉なのだと。
愛することと憎むことが凄まじく渦を巻いているような父親の感情。彼らは間違いなく血の通う親子です。映画が主人公格のノラの独白で進行する形式には最初から一種の「危うさ、疑わしさ」のようなものが漂っていたのですが、彼女の独白に対して、父親の方も、より辛辣で凶暴な独白で応えてみせたのでした。
もうひとつ大好きな場面
人格破綻者のビオラ奏者イスマエルがエリアスに真摯に語る「人生について」。
義理の親子であったこともある二人ですが、イスマエル自身が語っていたように彼ら二人は「親友」です。
「夜の子供たち」のラストでも年の離れた男同士が心を通わせるシ ーンがあるのですが、こちらの二人は「同志」という感じでした。
小さな雑貨屋を営むイスマエルの父親が強盗3人組を前に貫禄を見せつけてくれたシーンそして、その直後のジムでのトレーニングシーン。(ここは、笑えるシーンでありました)二人もまた紛れもない親子なのだとしたら、彼もまた意外としぶとく生き残っていくのかもしれません。エリアスの良き親友として彼の力になっていけるのかもしれません。
エマニュエル・ドゥヴォス(ノラ)EMMANUELLE DEVOS
1964年5月10日、フランス・パリ生まれの女優。。本名はカルラ・エマニュエル・ドゥヴォス。1983年より、コート・フロランでフランシス・ユステールに師事し、舞台などに出演する。1986年、ユステールの初監督作「ON A VOLE CHARLIE SPENCER!」で映画デビュー。
1990年には短編「Dis moi oui, Dis moi non」の主演で注目されるようになる。
1991年、アルノー・デプレシャン監督の「二十歳の死」に出演。以来、デプレシャン作品の常連俳優となる。1992年、同監督の「魂を救え!」でミシェル・シモン賞候補に選ばれた。
1996年、同じくアルノー・デプレシャン監督の「そして僕は恋をする」で、主人公の奔放な恋人役を演じた。セザール賞有望若手女優賞候補になる。
2001年、ジャック・オーディアー監督の「リード・マイ・リップス」で、出所したばかりの粗野な青年に惹かれていく難聴の女性を繊細に演じきり、2002年の「セザール賞主演女優賞を獲得。この作品で広く知られるようになった。
現在、苦悩を抱えた内向的な女性から、愛に溺れるヒロイン像まで、さまざまな女性を演じる演技派女優のひとり。
マチュー・アマルリック(イスマエル)MATHIEU AMALRIC
1965年パリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌ生まれのフランス人俳優。ル・モンド紙の新聞記者である両親のもとに生まれる。映画監督。FEMISの教授。
1984年、19歳のとき、オタール・イオセリアーニ監督の「Les favoris de la lune」で映画デビュー。当時はまだ俳優を志していたわけではなく、1987年、ルイ・マル監督の「さよなら子供たち」ではアシスタントとして撮影に携わっている。
オタール・イオセリアーニ、アルノー・デプレシャン、ウジェーヌ・グリーン、アンドレ・テシネ?といった監督の作品に次々出演。
彼は、 1990年頃、自身も短編映画を監督し、セザール賞は1996年「そして僕は恋をする」で三人の女性との恋に悩み、仕事も恋愛も煮え切らない若者を演じた。この作品は、パリの若者たちに爆発的な人気を呼び、有望若手男優賞。2002年「運命のつくりかた」等、インテリ的な役柄の生き方を演じ、
2004年『キングス&クイーン』で主演男優賞を受賞。
『キングス&クィーン』と云った素晴らしい作品を作るアルノー・デプレシャンの求める実力派俳優とも云える様です。
フランスのみならず、2005年にはスティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」、2006年にはソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」など、ハリウッド映画にも出演。
私生活では、「そして僕は恋をする」で共演したジャンヌ・バリバールとの間に2児をもうけたが、その後破局している。
ナタリー・ブトゥフ(クレール)NATHALIE BOUTEFEU
1990年にマチュー・アマルリックが監督した短編で映画初出演。その後、オリヴィエ・アサイヤスの「イルマ・ヴェップ」をはじめキャリアを重ね、2001年にはジェローム・ボネルの「Le Chignon d'Olga」、2005年「明るい瞳」で主役を演じる。ジェローム・ボネル監督とは短編時代の1999年「Fidèle」からコンビを組んでいるが、それ以外に、シェロー「ソン・フレール」といった作品に出演。
アルノー・デプレシャン「王たちと王妃」ではエマニュエル・デュヴォスの妹役を演じていた。作品によってかなり印象の異なる女優で、新作は、デプレシャンの『Rois et reine』で、マチュー・アマルリック、カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・デュヴォスらと共演している。2007年、「J'attends quelqu'un」がフランスで公開。
ノエミ・ルボフスキー(ノエミ)NOEMIE LVOVSKY
1964年、フランス生パリ生まれ。今回、彼女はデプレシャン『キングス&クィーン』にマチュー・アマルリックの姉役で出演していた。99年に製作されたそんな彼女の3作目の長編である。『キングス&クィーン』繋がりで言えば、舞台女優を目指していたエマニュエル・ドゥヴォスがそもそも映画の世界に入ることになったのは、ノエミのFEMIS卒業制作に出たことがきっかけだったようだ。

あらすじ  
オープニングのパリの街並みに映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバーが」流れるシーン。
〈第一部:ノラ〉
ノラ・コトレル、過去二度の結婚暦?の35歳。パリで画廊を営む彼女は、実業家、ジャン=ジャックとの3度目の結婚を控えているが、ノラにとってジャン=ジャックとの結婚は、財力によるところが大きかった。彼女には今は亡き最初の夫で、事故死したピエール(ジョアサン・サランジェ)の間に生まれた10歳の息子エリアスがいるが、現在グルノーブルの父親の元で面倒を見てもらい暮らしている。父親の誕生日に二人を訪れるノラだったが、再会も束の間、そこで彼女は突然父が末期のガンに冒され、余命幾ばくもないことを知る……。家でひとり途方に暮れるノラ、そこに妹のクロエが何も知らず送金して欲しいと連絡してくる。
その後病院に戻りベンチで眠気に襲われる。そこに死んだはずのピエールが現われるのだった。彼の葬式、エリアスの出産、そしてピエールの子として育てる事から、どうしても息子エリアスを夫の籍に入れるために、必死で役所と闘い、認知を勝ち取り、彼の死後正式に入籍したこと……必死に暮らしてきた日々を彼女は涙ながらに訴えたのだった。

ミュージシャンでヴィオラ奏者のイスマエル。国税局から逃げ回り、だらしない生活を送る彼の元に突然二人の男が訪れる。ただちに精神病院に連行され、強制入院させられてしまった彼は、そこで「第三者による措置入院」である事を告げられる。自由で気ままな生活を送る変人だが、「自分は狂ってはいない!」と言うものの、医師(カトリーヌ・ドヌーヴ)らにも相手にされない。8年間通っている著名なカウンセラーの名前を出した途端、病院側が急に態度を変える。カウンセリングのための外出を許可し、お金まで貸してくれたのだ。そこで様々な人たちと出会いながら、「休暇」を楽しげに過ごすことになる。
どうにか悪友にして弁護士のママンヌと落ち合うことができた彼は自分の退院に協力してもらい、この入院を理由にして国税局から逃げられないかと提案される。そして弁護士からは、この入院には黒幕がいるのではないかと聞かされる。

エリアスに祖父の病状を伝え、パリに向かうノラ。彼女は必死で車を走らせながらジャン=ジャックにイスマエルを捜索させていた。ノラとイスマエルは一年前まで夫婦同然に暮らしてきた仲であり、自分の息子同然にエリアスを育ててくれたイスマエルは祖父以外に息子がなついた唯一の男性だったのである。
イスマエルの居場所を突き止め病院を訪れたノラは、そこで唐突に「エリアスを養子にして欲しい」と切り出す。


〈第二部:解放される恐ろしさ〉
グルノーブルに戻ったノラは父の死を自宅で迎えようと介護士を雇う。そこにちょうど父の編集者が現われ、「孤独な騎士」という日記集の校正依頼をしていく。
父は起き上がり、本の校正を始める。死の淵にいながらも必死に本の校正を始める父のその姿に、たった一人でまもなく迎える父の死という辛い現実に向かい合うことに、いたたまれなくなったノラは、亡き夫ピエールとの激しい喧嘩を思い出す。ノラは家を飛び出してしまう。彼女がたどり着いた先は、父の家だった。
実は、ピエールはノラの目の前で衝撃的な死を遂げていた。彼を愛していたのに…。事情を隠すノラだったが、知らないでは済まない状況に立たされそうな娘のために、父は証拠隠滅を施しに行ってくれていた…。
ピエールの死の真実、父がノラのためにしてくれたこと、イスマエルへの告白……。
苦しみ続ける父を見兼ね、ノラはついに大量のモルヒネを父に投与してしまう。そして父の葬式、ようやく戻った妹に父の死を責められながらも部屋の片づけを始めると、小説家だった父の遺稿を整理していたノラは、衝撃的な文章を発見する。それは父から娘へのあまりにも残酷なメッセージだった。彼女に宛てた父からの衝撃的な文を目にする。彼女は、そのページを破り捨て、焼いた。

「中国女」と呼ばれる常連入院患者のアリエルや看護士の女性と親しくなるイスマエル。彼もまた再び訪れたカウンセリングの場でノラとの別れの場面を思い起していた。そんな彼に「あなたに養子なんて無理よ」とだけカウンセラーは告げる。そして精神病院での生活にもそれなりに順応してきた頃、退院の日を迎えることになる。
姉の元を訪れ強制入院の真実を知るイスマエル。その黒幕である同僚のクリスチャンを訪れると、彼は楽団を一方的に解雇されてしまう。家を差し押さえられ、自分のヴィオラすら失ったイスマエルは途方に暮れて実家に戻ることになる。しかしそれはエリアスを養子にとるための書類に父のサインを頼むためでもあった。

ノラの結婚パーティに父の編集者が現われる。遺稿を手渡すも、抜け落ちたページを指摘され動揺するノラ……。一方イスマエルは退院時に唐突に愛を誓いながらも、その後冷たい態度をとってきたアリエルの元を訪れ、ふたりはついに結ばれる。

〈エピローグ〉
エリアスを人間博物館に連れ出すイスマエル。そこで彼はかつて親子として暮らしたエリアスに養子について、ある重要な人生のアドバイスを、真摯に語る。
逃げ続けてきたノラだが、二人を待つノラは、明るい陽射しの中、駆け寄ってくるエリアスとイスマエルを笑顔を見た時、自分もまた救われ、彼女もまた大切なことに気がつくのだった……。   

ティファニーで朝食を (Breakfast at Tiffany's)1961年

2007-06-13 12:24:59 | 映画
ティファニーで朝食を (Breakfast at Tiffany's)1961年、パラマウント映画                 
スタッフ
監督 ブレイク・エドワーズ
原作 トルーマン・カポーティ
脚本 ジョージ・アクセルロッド
撮影 フランツ・プラナー
音楽 ヘンリー・マンシーニ
キャスト
Audrey Hepburn オードリー・ヘップバーン (Holly Golightly)
George Peppard ジョージ・ペパード (Paul Varjak)
Patricia Neal パトリシア・ニール (2 E)
Buddy Ebsen バディー・エブセン (Doc Golightly)
Jose Luis de Vilallonga ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ (Jose da Silva Perriera)
Dorothy Whitney (Mag Wildwood)
Played by a Cat (Cat)
Mickey Rooney ミッキー・ルーニー (Mr. Yunioshi)

解 説
今では、オードリー・ヘップバーンの代表作となった名作『ティファニーで朝食を』。
(先日、放映がありました、以下他方資料参考としました)
ヘプバーンがジバンシーの衣装を華麗に着こなして、(このファッションは世界的に話題となる)、持ち前の洗練された少女のような魅力で主人公ホリーを熱演し、テーマ曲「ムーンリバー」も印象的でスタイリッシュな感動的ラブ・ストーリー。
作家トルーマン・カポーティの私的小説の映画化。原作のトルーマン・カポーティは主役のホリー役には、複雑な家庭環境の中で育ち、本当に男性を愛することを知らず、明日のことは考えない名無し草のような若い女性。『ローマの休日』でプリンセスを演じたオードリー・ヘップバーンのような女性より、少し寂しい影を持ち、実際にドラッグやアルコール中毒に苦しみ、妖艶な魅力を持つマリリン・モンローが理想的であると考えていました。彼が小説の映画化権を65,000ドルでパラマウント社のプロデューサー、マーティン・ジェローとリチャード・シェパードに売り渡すと、二人は脚本家のジョージ・アクセルロードにモンローを念頭においた脚本の執筆を依頼し、ジョン・フランケンハイマーを監督に起用する。しかし、フランケンハイマーは3ヵ月後にプロジェクトから離れ、アクセルロードを誘って『影なき狙撃者』(62)の製作に取り掛かる。モンローはホリーを演じることに興味を示すものの、彼女の演技顧問だったポーラ・ストラスバーグに反対され、モンローに代わって彼女とは正反対のイメージを持つヘプバーンが起用される事になる。
人気のない早朝のニューヨーク。高級宝飾店ティファニーのショウ・ウィンドウの前で、タクシーから降り立つホリーゴライトリー(オードリーヘップバーン)、ティファニーのウィンドゥを眺めながらデニッシュをかじりはじめる。
バックに流れる「ムーンリバー」。とても都会的な雰囲気が醸し出されます。
このカットでは、ヘプバーンはデーニッシュが嫌いだったのですが、エドワーズに押され撮影を強行されます。
また、ティファニー内での撮影は店が定休日の日曜日に行われ、高価な宝石類が盗難にあわないよう、20人の警備員が監視する中で撮影は行われたそうです。
やはり見逃せないのはオードリがギターを弾きながら歌う「ムーンリバー」ですね。この曲は試写の段階でパラマウントの社長はこの曲をヘプバーンがギターを弾きながらバルコニーで唄うシーンが気に入らず、「あの歌は削ったほうがいい」という意見が出たのですが、オードリーが「絶対に削らせない」という一言で残った、というエピソードがあります。それだけ彼女は心をこめて歌っていたのです。
ヘンリー・マンシーニが作曲し、ジョ二―・マーサが作詞した主題歌であるこの「ムーン・リバー」は映画と同様に大ヒットを記録しただけでなく、数多くの映画音楽を手掛けたマンシーニの最大のヒット曲となり、第34回アカデミー主題歌賞をも取った名曲で、いつまでも残っていく曲となりました。
そして、映画の世界に惹きつけるもうひとつの要素として、非常に気の利いた演出があります。普通の人とは異なる行動がおしゃれにも見える。そのようなキャラクターとしてオードリー演じるホリーを描いていく。
オードリーは、貧しい境遇で育ったホリーを演じるにあたり、彼女の女優としての芽が出る前のロンドン時代の自分とホリーを重ねあわせて見ていました。その事で不安を乗り越える事ができた、と後に語っています。この作品で彼女は新しい魅力を大いに発揮してくれました。大女優としての地位を確定的に した作品でもあったのでした。
よって彼女は、この複雑なホリーの性格・個性を見事に演じきりました。
演出の妙技では、出かけるときに郵便受けの中から香水を取り出してさっと振り掛ける。物語りの要素でもある猫に名前をつけずに「猫」と呼ぶ。このホリーが飼う名前のない猫は840匹の猫から選ばれたもので、パットニーという立派な名前があり、映画のヒットによってホリーが飼う猫に似たオレンジ色の猫の需要は急激に高まる事になります。
また、ホリーだけにとどまらず、周囲の人々や撮り方にもしゃれた演出を見せる。ホリーの部屋で開かれるパーティーはその最たるものであり、映画の典型的なイメージの1つである、やたらと長いタバコが巻き起こす騒動。鏡に向って、笑ったり怒ったりする少々年配の女性、そしてその女性が流す黒い涙。階段を使った人の描写の面白さ。
パトリシア・ニール扮するハリーのパトロン"2E"は原作には登場しないものの、彼女の存在はペパードが演じた作家のキャラクターの生活にリアリティを与えており、変な日本人“ユニオシ”を演じるミッキー・ルーニーも強烈なキャラクターではあるが、(やや中国人と勘違いしている様で、少し雑さは窺えるが)プロットに深くかかわってくるわけではない。しかし、彼がいることで映画の印象は大きく変わる。それはただのロマンティックな物語ではなくなるという事になり、ホリーとその周辺の閉じられた空間だけで展開される物語ではなく、常にその外部とかかわっていくことでこの映画は成立する。その意味ではドクの存在も、本物の存在も同じく重要なもので、映画のつくりが非常に丁寧で、気が利いていて面白いといえるでしょう。
ホリーは大都会ニューヨーク、マンハッタン、アッパーイーストサイドの片隅のアパートに住むコールガール。いつかお金持ちの男性と結婚することを夢見ながら、自由気ままに生きながら、暮らしている。
1961年封切り当時には、どちらかというと優等生的オードリー・ヘップバーンがコールガールを演じたということでセンセーションを巻き起こしました。保守的な人は「コールガールが映画のヒロインになっては子供への影響がよくない」とボイコットされましたが、一方で大部分の人はオードリー・ヘップバーンの起用で小悪魔的な魅力、自由奔放さ、そして美しさに魅了され、ラストをハッピーエンドに変えられた事(原作ではホリーはブラジルへ旅立つ)でも、(彼の小説の映画化としても最大のヒット作)結果は大ヒット作となりました。

おおまかな・あらすじ
(T-1)(T-2)(T-3)
ホリー(オードリー・ヘップバーン)はニューヨークのアパートに、名前のない猫と住んでいる。朝帰りには、超一流宝石店「ティファニー」のショーウインドウを見ながらパンをかじるのが大好きだった。(T-1)
鍵をなくす癖があり。階上に住む日本人の芸術写真家(ミッキー・ルーニー)をたたき起こし開けてもらう。ホリーの念願は“ティファニー"のようなところで暮らすことである。
ある日、彼女のアパートに、若手小説家ポールが引っ越しいてくる。作家ということだが、タイプライターにはリボンがついていない。室内装飾と称する中年女がいつも一緒にいて、夜半に帰って行く。
ポールはホリーと知り合うと、さすがに作家らしく都会文化が生んだ理解し難いホリーの性格に興味を覚えるのだった。
ホリーも、ポールの都会の塵にまみれながらも純真さを失っていない性格に惹かれるのである。
ある夜、ポールの部屋の窓からホリーが入ってきた。彼女は“ティファニー"のことや、入隊中の兄のことを語った。時計が4時半になると「わたしたちはただの友達よ」と断わりながら、ポールのベッドにもぐり込んだ。
やがて、ホリーは彼を弟フレッドの名で呼び、ポールは、妖精のように捉えどころがなく時として少女のように純真なホリーに次第に心ひかれるようになる。(T-2)
パーティーを開いて、そこで知り合ったブラジルの紳士ホセが彼女に心惹かれる。(T-3)そんな中大騒ぎし、警察に踏み込まれたり、お金のために面会に行くと言って刑務所に行ったりで・・・。
彼女には、つきまとう男が多い。
ある日、男がアパートを見張っていた。
ポールが誘い出し問いただすと、テキサスから家出したホリーを夫が迎えに来たとの事であった。
ホリーは、結婚していたのだった。
夫と共に帰る事になるのだが、ホリーは、「私は行かない、私はもうルラメイじゃぁない・・・。」と、言う。そして苦しい心の理解を得て、男が一人乗るバスを見送るのだった。
一方、ポールもパトロンの女と手を切った。そんなとき、彼の短編が50ドルで売れた。
(T-4) (T-5)
ポールはホリーを誘って町へお祝いに、そしてホリーはポールを“ティファニー"に誘った。
憧れのティファニーにでは、お遊びで雑貨屋で万引きをしたりして、(T-4)二人の心には疑う余地はなかった。(T-5)
ポールはホリーを愛するようになり、告白するが、ホリーは、パーティで知り合った南米の紳士ホセと結婚し、ブラジルに行くと言い出す。
ある日、軍隊に入っていた愛する弟フレッドが自動車事故死したとの報が入り、ホリーは、部屋で暴れ出し泣き崩れるのだった。
そんな中、ホリーが面会に行っていたサリー・トマトが、麻薬密売で捕まり、そのことが新聞に載ってしまう。
麻薬密輸にまきこまれたホリーを警察からもらい下げたものはポールだった。
保釈されたホリーは、その足で空港に行こうとするが、ホセから別れのメモが。
(T-6)(T-7)(T-8)
だが、ホリーは、どうしても南米に行くと言い、タクシーから雨降る中に猫を棄てる。
一度は棄てた猫だったが、ホリーは、ポールに「もう自分のカゴに入っている。自分で作ったカゴをいつも持ち歩いているのさ。最後にはそこに逃げ込むんだ。」と言われる。(T-6)
そんなポールの真剣な気持ちに動かされ、(T-7)そして自分の間違いに気づいたホリーは、タクシーを飛び出し、ポールと共に猫を探し出し、抱きしめる。
そして、ポールとも・・・・彼の胸に顔を埋めるのだった。(T-8)
       

夜ごとの美女・フランス映画

2007-06-01 20:27:08 | 映画
夜ごとの美女(1952) フランス“Les Belles de Nuit”
    
脚本・監督:ルネ・クレール
撮影:アルマン・ティラール
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
出演:ジェラール・フィリップ、マルティーヌ・キャロル、ジーナ・ロロブリジータ、マガリ・ヴァンドゥイユ、マリリン・ビュフェール、レイモン・コルディ
【1952年ヴェネチア国際映画祭】
国際批評家連盟賞授賞 ルネ・クレール

ジェラール・フィリップ
1922年12月4日、フランス・カンヌ生まれ。ニースの法律学校へ進んだが、マルク・アレグレ監督と知り合い、演劇に興味を持つようになる。そして、アレグレ監督の勧めで、カンヌの演劇学校に通い始める。
1942年、20歳で舞台デビュー。1943年、ペリへ移住し、映画デビューを果たした。コンセルヴァトワールへ入学し、改めて演技の勉強をする。
1945年に出演した「白痴」がヒットし、ジェラール・フィリップは正統派の二枚目俳優として知られるようになる。1947年、クロード・オータン=ララ監督の「肉体の悪魔」に出演。年上の人妻に溺れる少年を瑞々しく演じて、注目を集めた。
その後、ルネ・クレール監督の「悪魔の美しさ」(1949年)、「夜ごとの美女」(1952年)、「夜の騎士道」(1955年)と3本たて続けに出演し、スターの座を不動のものとする。1952年、「花咲ける騎士道」で演じたファンファンは、その後、ジェラール・フィリップの愛称として親しまれた。1958年には、ジャック・ベッケル監督の「モンパルナスの灯」で、夭折した天才画家モディリアニを演じている。そのほか、マルセル・カルネ監督の「愛人ジュリエット」(1950年)、ルネ・クレマン監督の「しのび逢い」(1954年)、ロジェ・ヴァディム監督の「危険な関係」(1959年)など、出演作多数。
私生活では、1951年に元ジャーナリストと結婚し、1954年には長女が誕生している。1959年11月25日、肝臓ガンのため死去。享年36歳。フランス映画黄金時代の最後のスターといわれ、惜しまれつつ亡くなった。
ジーナ・ロロブリジーダ
1927年イタリア・スビアコ生まれ。イタリア発の国際女優。
幼い頃には歌手を目指していたが、第二次大戦を経て、一家が没落し、音楽学校への進学を断念。映画のエキストラなどをしているうち、持ち前の美貌とグラマーな肉体を生かして、ミス・イタリア・コンテストに参加することになり、以降、やはり美形とグラマー女優として活躍する。映画ファンの話題の的になった『花咲ける騎士道』(52)では25歳のフレッシュな可愛らしさで人気を得、キャロル・リードの『空中ぶらんこ』(56)など、’60年代には国際的な活躍も見せる。’74年に写真集『私のイタリア』を発表、’70年代以降はカメラマンとして活躍している。
他にアンソニー・クインの「ノートルダムのせむし男」(56)、ジュールス・ダッシンの「掟」(59)、ユル・ブリンナーの「ソロモンとシバの女王」(59)、ブレイク・エドワーズの「地上最大の脱出作戦」(66)などの出演作がある。本格的な主演をしたことは無いみたいで、大抵が主人公の彼女役ばかり。美人すぎて主役には不向きだったのでしょうか?。
「さらば恋の日」(69)では40すぎてもなお肉体的魅力を発揮して、17歳の少年の初体験を手ほどきするマダムを演じた。
現在でも、はるか年下の青年と結婚する等、健在振りを発揮しています。

あらすじ
“Les Belles de Nuit”とは、日没後に咲くオシロイバナ、または眠りを妨げられて夜に鳴くナイチンゲールという意味だとか。
いつか自分が作曲したオペラを上演したいと希望を抱く貧しい音楽教師 クロード(ジェラール・フィリップ)は、町の騒音に日々悩まされる。ピアノの音を目の敵にしている修理工の親父がガレージで車のエンジンをふかしまくり、家の目の前で工事が始まる、カフェに行けば近所の連中にからかわれ、学校では生徒にバカにされ、家主には家賃滞納を責められ、まったくどうしようもない。
作曲家を目指してコンクールに出品するが返事もこない。現実の、そんな世界の喧騒に嫌気がさしている。彼の唯一の慰めはベッドの中で見る夢。
夜ごと見る彼の夢には、数々の美女が登場しては消えていく。
現実と非現実の境界を越えて、夢の彼方を右往左往するクロード。
ピアノのレッスンをみながら彼は居眠りをはじめる。
幼い女の子が奏でる単調な音階にのせて、彼からキャメラが緩やかに横に移動。
グランドピアノの黒い蓋がスクリーンをいっぱいに覆う。黒い画面の先には夢の世界が。
夜ごと登場する、あの美女をめぐる冒険。
1900年の夢では貴婦人の娘のエドナ(マルティーヌ・キャロル)のピアノ教師、彼女に好意を持たれ、オペラ座の支配人が彼のオペラ上演を約束してくれる。1830年のアルジェリア征伐の夢では、ラッパ手になり、アラビアのレイラ姫(ジーナ・ロロブリジータ)に愛され、ブルボン朝、ルイ16世の時代のフランス革命時の夢では貴族の令嬢 シュザンヌ(マガリ・ヴァンドュイユ)と恋をささやく。
だが、ふいに目覚めさせられ、再び夢の世界に戻ろうとすると、どの夢もギクシャクとして彼は女たちの夫や兄や父たちに殺されかける。
結局、現実の世界にシュザンヌはいて、宿敵修理工の親父の娘だったが、彼がコンクールに入賞することで二人の仲も許されるのだが。
友人に飲みに誘われても断り、カードをやっている最中でもそそこさと立ち上がり、時間がくると安アパルトマンに向かって走り、孤独なベッドにもぐり込んで、昨夜の続きの夢路をたどるクロード。神経質になった彼が自殺するのではないかと友人達は心配して寝させまいとする。友人達をふりきってようやく眠りについたクロードは、夢の中でもひどい目にあって、今度は、寝たくないと言っては、眠らなくする為に、友人達を付き合わせる。この友人達との絡みはほのぼのとしていて、実に楽しい場面である。
可笑しいのは、カフェで出会ったおじいさんが夢にも出演して「昔は良かった、今は犯罪は増えるし役人は横領するし…1830年代は・・・」。そして、いつの時代の夢にも登場して、二言目には「昔は良かった。」とぼやく。その良かった時代へ逆戻りしてみれば、13世紀のダルタニァンや三銃士に追いかけられたり、フランス革命のギロチン台にあげられそうになったり…、でも更に、もっと昔の方が良かったという。
その挙げ句の果てに、友人達は原始時代にまで車を突っ走らせ、クロードを助け、現代まで帰るという下りである。
どこまでさかのぼっても安住はなく、結局、現代へと追いやられて、最後には世俗的でささやかな幸福へと収まる。
解 説
本作品もまた、戦後当時のシリアスな、フランスの世相をはらんだ一種の現実逃避映画なのである。
それは、極めて甘くてロマンティックな夢である。ただ、そこにはほのかな生きる歓びがあり、たとえそれが束の間のものであったとしても、その積み重ねで日々が充足、満足されていく。
映画を楽しむ事自体が刹那的な夢物語へ陶酔する手段であった時代のことである。
終盤はドタバタ喜劇調の壮絶な展開で、一気に大団円まで駆け抜ける。とにかく、この映画は絶えず加速する。小さな田舎町のゆったりしたリズムで始まった映画は、幾多の時代を横切って、パリ オペラ座のオペラで終えるまで、ひたすらにスピードアップしていく。この加速感を意識していたクレールは、撮影期間、徐々に演出のスピードを速めていき、キビキビしたリズムを俳優達に強いたという。
音の使い方も巧妙である。
この映画では、音というものが非常に重要な役割を担っている。
ガレージや道路工事の騒音に眠りを妨げられ、イライラしながら、やっと眠りに入ったが、夢のデートに遅刻してしまうクロード。また、夢の世界で女性といいムードになったかと思いきや、今度はドアをノックする音とともに、現実の世界の友人が部屋に押し入ってくる。
つまり、物音を境界線として、夢が現実になる前に、現実がいつの間にか夢を侵食し始め、その現実でも、音が物語りを、タイミングよく面白くさせる。
クロードのエゴイスティックな性格に振り回される悪友たちのギャグも最高で、古さを感じない。
また、夢の中でのミュージカル場面の素晴らしく、八の字髭の男の“オーペラ~”の高らかな歌声オペラ座でのジェラール・フィリップの指揮ぶりのカッコよさや、彼の弱々しい、いい加減男ぶりも最高に魅力的に演じ、描かれている。
ジェラール・フィリップにとっては、間違いなく代表作の一本であり、彼のロマンティックな雰囲気と繊細な持ち味を最大限に引き出し、喜劇演技へと転じさせたクレールの演出は殊勲である。

ルネ・クレールと言えば、フランスの前衛的な映画作家でもある。現実から夢へ、夢から現実へ、やすやすと場面を転換してみせる奔放加減が、本作品のかけがえのない面白さであり、夢の世界を背景がチープな書割り等、その幻想的な手法をセットで描き、ダリのようなシュールな世界を表現してる。「巴里の屋根の下」「巴里祭」といった名作をしのばせる下町風の内容を、実に巧く溶け合わせ、実際の下町と対比して描いている。
また、主人公は、夢の世界に自分を置いているが、実は下町の情緒溢れ人情味の有る世界の方が、彼にとっての住む世界であることをさり気なく表現してみせる。
この辺の描き方が上手く、楽しく心温まるストーリーが心憎くもあり、クレール映画の集大成のような醍醐味がある、ルネ・クレールの傑作の一本とも云える。