西伊豆(宇久須)だより

山・海そして里が広がる西伊豆町。都会の喧噪を離れて、一緒に豊かな自然、健やかな社会とは何か、探っていきませんか?

地域づくりと観光

2012-10-19 22:50:31 | 日記
 これは2012年6月のGEN関東ブランチ例会で、立教大学の菅原由美子先生に、「地域づくりと観光」というテーマでお話しいただいたときの記録です。西伊豆と福島のテクノアカデミー会津のお話がありましたが、西伊豆に限っての記録としました。

 みなさんこんにちは。西伊豆町で藤原先生からよく上田先生のことは聞いていたんですね。そのうち何回か上田先生とお会いしてお話を聞くうちに、こういう研究をしている会と色々な形で情報交換をする場は必要なんじゃないかということになりました。

1.基本的考え方について
●観光とは:今改めて観光の意味を考える
 まず観光について基本的な考え方をお話ししたいと思います。
 私は観光による地域振興という形で依頼を受けることが多いんです。そのとき人を呼ぶため何かハコ物をつくるとか、施設整備という形で観光計画を作って欲しいというようなことが多々あります。
 そこに観光に対する偏見と誤解を感じます。観光計画というと観光業に関わる人がいい思いをするための計画だから、人が増えるとゴミが増えるとか住民にとってはかえってマイナスも生まれます。
 それなのに観光を柱にしたまちづくり計画ということは、立場によってまったく相反する、せめぎあいといったものが結構あります。しかし、もともとの観光ということを考えるとそうではないのです。
 だから最初に観光計画といったとき必ずお話させてもらうのは、観光という言葉の原点です。もともと観光ということばは、五経の中の易経の中の言葉から来ているものです。
 「観国之光利用賓于王」(くにのひかりをみるはもっておうにひんたるによろし)。
 どういう意味かといいますと、国を治めるリーダーは、その国を良くするために、他国を見聞する。昔の修学旅行ですね。いろんな所に行って、見聞を広めて、そこで得た知識を自国に持ち帰って生かすということです。
 現在は観光というと物見遊山とか遊びの感覚がすごく強いんですが、本来は自分たちのところを良くするための情報を得る、ということが主だったのです。
 ですから見に行く対象は名所旧跡ではなくて、産業とか、歴史風土、そこに関わっている人たちがどういう知恵を持ってそこで暮らしているか、自分のところを振り返ったときにどういうところが参考になるかということを見聞きするのが、この「国の光」だったわけですね。
 こういうことに立ち返って観光を考えない限り、今までどおりの物見遊山的な狭い意味だけだと、地域振興には役に立たないということをまず第一にご説明させてもらっています。
 私が関わらせてもらうのは、常に広い意味での観光です。ですから西伊豆なんかでも、よくこれが観光なのかといわれることもあるんですけど、広い意味での観光です。人が関わっている、生活にしているものはすべて観光に関わるということです。

●魅力ある地域づくりは、魅力ある人(づくり)から

 ハコ物だけつくれば人が来るという形でいろいろなものができました。代表的なものは、ディズニーランド以降ブームになったテーマパークといわれている外国村です。ドイツ村、イギリス村、スペイン村、いろいろ出来ましたけど、ディズニーランドを除いてことごとく苦しい。もうほとんど駄目になったところの方が多い。
 ハコ物ばかりつくっても地域振興にはならないんです。いままでことごとく失敗している。それはそこを運営する人を育てなかったから。つくったらそのまま。追加投資もないし、一回行けば飽きられてしまうという状況です。知恵を出して、つくられたものの魅力を維持運営していく人の力がなかった。
 こういうつくり方がこれまで非常に多かったから、観光というものが苦しい状況になったのではないでしょうか。そういう面からいうと、ハコ物を作る前に、人づくりがまず大切なのです。
 ところが悲しいことに、行政は目に見えるものにしかお金をかけたがらない。人づくりといっても一朝一夕に出来るものではないし、この人を育てましたよと町長選とか、首長選でいくら声を張り上げても、果たしてその首長さんの成果になるかといえば、難しいですよね。
 いちばん分かりやすいのは、この橋は私が架けたとか、この文化会館は私が建てましたというハコ物に依存しがち。でもそろそろ、人づくりという方にお金をかけるべきではないかと思っています。

●景観も立派な観光資源
 最近、景観法というのが法律で決まりました。自然景観だけじゃなくて人が関わる景観は、すごい観光の宝なんです。そこに生活しているありのままの風景も立派な観光資源、広い意味での観光資源になりうるのです。しかし、住んでいる人たちがそういう意識を持たない限り、景観というものに対する認識が甘くなる。
 景観も観光資源といっている象徴的なものとして、昭和23(1948)年の観光標語があります。「僕のお家も景色の一つ」というのが入選作に選ばれています。それからもう60年。きちんとそういう考え方が継承されていれば、いまさら景観法の制定はいらなかったんじゃないかと思えるくらいです。
 やはりバブルのときに、景観とか、そういう公共の風景作りということに対しての認識が、ちょっと途絶えたのかなと思います。
 そういうことをひもといて、自分の身の回りを見直して、魅力をどういうところに求め、それをどういう風につくり上げ、継承していくか、それ自体が観光なんだという形で関わらせていただきました。
 ですから、私は仕事が来たときも、施設をつくるということはやめたほうがいい。既存のものを生かして、ありのままを生かしていく。そういう形でしたらお手伝いできますという形で、仕事を受けることにしております。

2.観光地域づくりの基本方針

 こういった考え方で観光を地域振興にという仕事を受けた時に、どういうことを柱にしているか。

●"どこでもある"から"ここでしかない"
 1つ目はどこででもあるか、ここでしかない。
 よく観光開発というと金太郎飴的な開発。どこを切っても同じようなものばかりという風にいわれますけど、金太郎飴にならざるを得ないんだと思うんです。といいますのは、メニューはそんなにないからです。
 これを上手に説明してくれたのは私の恩師で「蕎麦屋のメニューは、かけそば、ざるそば、大体どこでも同じだ。だけど差があるというのは味。作り手によって味が変わるからファンが色々出来る」というのです。
 観光地も同じです。メニュー的には同じだけど、そこに関わる人が味を色々変えてくる。そこに差が出てくるのです。
 それは歴史、風土、気候…。そういった地域性が味の変化に大いに役に立っている。その辺を誤って全部ハコ物、人工の形だけで何か魅力づくりをしようとすると大きな失敗につながる。
 そこの人たちの生活、歴史、風土、それからその土地に関わってきた生活ということも含めての先人の知恵。そういったものをひもといていけば、いろいろな、ここならではというものを探しだすことができるのではないか。
 そうしていくと、表面的には金太郎飴的でも、ここでしかないというものに変えていくことができる。そういうような視点を持って欲しいと思います。

●わがまち再発見

 そういう形でわが町再発見を試みる。西伊豆もそうだったんですけど、意外に自分のところの歴史とか、あるものに関心がないんですね。何でそこにあるのと質問しても、答えが返ってこない。ここらをもう一回見直していくうちに、いろんなところにつながりが出来、歴史の流れという形が見えてくる。それを改めて再発見する。
 それは観光客のためではなくて、住んでいるみなさん方のためですよ。みなさん方と同時に、子や孫のためですよ。自分の住んでいるところをもう一度見直して、色々な良さを再認識しましょうということを、まずやってもらうようにしています。
 それから、量より質なんですけど、観光とくに、行政の面では、入り込み客数というのが一つのバロメーターというか、成功、不成功の基準になっています。前年比何%アップ、あるいは何人アップ、というのが目標になっている。
 それは経済でも同じようなところがあるんですけど、人口が減少したり、景気が停滞したりということですと、限られたパイの奪い合いで、もう減少もやむを得ないという状況に来ていると思います。
 そのときに、次に生き残るものは何かというと、どういう人をこの地域に受け入れるかという質。いままでは、来てくれる人は誰でも全部welcomeでした。でもその結果なにが起きたかというと、そういうところに限ってゴミと騒音、交通障害だけが残って、利益はあまりない。
 そこで考え方を変えて、消費単価1000円のお客さんを1万人呼ぶのではなくて、消費単価1万円払っても来てくれるようなお客さんを1000人というようにしていく必要があるのではないか。
 そういうお客さんを呼ぶためには、受け入れ側がそれなりに自分のところの魅力を高めていかなければなりません。待ってるだけではなくて、こういう風によくしてという、相互の関係がないとなかなかこういうことは出来ません。もうそろそろ、そのような考え方に立たないと、住んでいいというところはできない。
 住んでいいところは、訪れていいところです。そのときには、誰でもwelcomeではなくて、こういう人に来て欲しいということを、もう全面的に宣言をする。それに近いような人が来てもらえるような地域づくりをする。それが真の観光地作りではないかという風に私は思っています。

●「損して得とる」
 これは西伊豆のときにもお話しするかもしれませんが、観光町づくりなのに、協議会には観光業に携わっている人がほとんど参加してないんです。というのは、観光業にとって直接自分のところに利益になるような内容があまりないからです。だから特に大手のホテルの宿泊経営者とかはほとんど参加していない。
 これが大きな誤りなのです。今の観光業の人たちがすごく厳しい状況にあるというのは、この損して得とるという考えがないからじゃないかと、私は思います。
 こういう大手の宿泊業の人たちが、積極的に地域を良くするという形で地域の人たちと一緒になってやれば、地域の人たちからも色々な形で賛同を得るというか、協力体制ができると思うのです。
 そうすると知人が自分のところを訪ねてきたときに、あそこの旅館はすごくいいからぜひ泊まって欲しいとか、仲間うちや町内で宣伝しあえる。ところが多くの観光地は住民と観光業に関わっている人たちが背を向け合っているような感じです。ひどい話になると、あの旅館泊まらないほうがいいと町内でいうくらいの関係もあるんですね。
 それは得したつもりで損しているんじゃないか。もっと観光業に関わる人たちも町づくりに積極的に関わっていかないと、真の観光地にならない。そのあたりまだ観光業に関わっている人たちは認識が薄いという風に思っています。

●誰のために、何のために

 計画を長年、2年、3年と続けていくと、誰のために、何のためにやっているのかというのが、だんだん見えなくなってきます。最終的には、なんかハコ物をつくったりですね、そういう方向にねじ曲がっていく。だから、常に何のために、誰のためにやっているのかということをチェックする、そういう柱立てがすごく必要だと思います。
 これを見失ってしまって、結果としてやってはいけないことをしてしまっているという事例があちこちに見受けられるからです。そういうことで、小樽と東祖谷(いや)の事例をあげてみます。
 1980年代の小樽運河は、運河が利用されなくなってきたので、水が流れない。底にヘドロがたまり、生活下水も流れ込み、夏になるとハエや蚊がわいてきて悪臭もするひどい有様でした。たまらないので、なんとかしてほしいということになったのです。
 写真の左側に道路が通っているんですけど、これが朝夕に大渋滞。そこで運河を全面的に埋め立てして、道路にしようというそういう話が持ち上がりました。しかし、小樽にとっては運河が宝なので、これはちゃんと整備をして残すべきだと市を二分するような大論争が起きたのです。
 ちょうどそのときに私はシンポジウムに呼ばれて行ったのですが、聴衆の方から、東京から来た人に聞きたい、小樽の運河、埋め立てるべきかどうかという話を質問されたんです。私は、小樽はずっと運河都市を謳っていたので、もしこの運河がなくなったら、顔がなくなってしまう。小樽の顔、シンボルとして、残す方向でやった方が個人としてはいいと思いますということを、申し上げた記憶があります。
 結果はどうなったかというと、埋め立てが半分になり、半分を埋め立てて道路にして遊歩道をつけるという形におさまりました。
 いままで無用の長物だった倉庫も、人通りがあるようになったので、土産物店だとか、そういう形で活用されるようになった。これは2006年の写真ですが、これまで小樽はスキー場が少ないので、冬はオフシーズンだったのですが、こういう形ですと冬景色も魅力になるということですね。
 ここに来ているのは台湾からのお客さん。このツララと雪景色というのは非常に魅力だというのです。80年代にもしこの運河を埋めたていたら、冬のこの観光はたぶんなかったでしょう。
 小樽は危険状態だったんだけど、危うくやってはいけないことをやらずに、まあいい形で残したと私は思っています。
 つぎに東祖谷ってご存知ですか。文化財になっているかずら橋。いまは徳島県三好市になってしまいましたけど、西祖谷山村というところにあったんです。すごい秘境に懸かる橋、秘境ロマンというのがこのかずら橋の枕詞というか、タイトルでした。
 かずら橋は一方通行で有料ですので、向こう側から渡ってきます。ところがここは地形が厳しくて、大型バスが入らなかったんです。
 もっと大量にお客さんに来てもらうために駐車場がほしいということで、何をしたかというと、2006年2月にイベント広場と称してこういうものをつくりました。
 あそこの地下1階部分にライトがついていますね。これは道の駅です。そこから上まではぜんぶ橋桁、橋脚です。上と地下1階だけが駐車場。
 向こう側が旧来の駐車場だったんですけど、向こう側にはもう場所がないので、橋をかけて、こちら側に人工基盤を作って駐車場を作りました。秘境というイメージで来たお客さんはまず最初に、かずら橋を見る前にこの橋を渡って、向こう側に行くわけです。
 パンフレットには絶対にこんな写真は載りません。かずら橋だけです。秘境をイメージして行って見たらこういう状態。これでなにが起きたかというと、秘境じゃないじゃないかって。あまりにもクレームが多いので、ここをコースからはずした旅行会社もあるそうです。
 これは大きな勘違い。してはいけないことをしてしまった。小樽と対照的です。でもこの東祖谷のかずら橋に限らず、こういう勘違いで、大量観光とか、大型バスを入れるために、形だけ考えて道路とか駐車場を優先的につくってしまいます。
 観光ではこういったのがすごく多かった。その結果、自分たちのいちばん大事な観光のイメージを全部損なった。秘境ロマン、伝説の風景というのがもう成り立たない。
 でも、それに気がつかないというところが怖いところだと思います。そこに暮らしている人たちが、なぜここに多くのお客さんが来てくれているのかという意味をちゃんと認識しないからこういうことになってしまいます。
 そのためにはやっぱり住んでいる人たちが、ここの魅力は何なんだということを、自ら、魅力再発見じゃないですが、わが町再発見という形で認識しないと、こういう過ちは繰り返されてしまう。

●"食いつぶし型まちづくり"から"貯蓄型まちづくり"へ
 こういう間違いをしてしまったら、もう後戻りが出来ない。子や孫に自分たちの魅力はこういうことだということ伝えていくために、もう一度自分の住んでいるところの魅力を見直して欲しいという風に申し上げています。
 これはいわゆる"食いつぶし型観光"。先祖から引き継いできたものを自分たちの代で食いつぶしてしまう。それは大量観光というか、いま儲けたいという目先の利益のためにこういう間違い、大きな禍根をのこすようなことをやってしまう。結局、次の代に伝わらない。
 町づくりというのは、食いつぶし型ではなくて、貯蓄型、そういう財産をためて次の代に引き継いでいく責任があるんじゃないか。そういうことを全部念頭に入れた上で、じゃ観光は何なんだというと、そこに住んでいる人たちが、自分たちが住んでいるところはすごくいいところだと胸を張っていうところにこそ、よそから行きたいと思わせる魅力があるのです。

●観光地域づくりは「まちづくりの総仕上げ」
 余談ですが、最近、BSが入るようになってから、世界街歩きとか世界の都市の紹介をする番組が増えましたね。その中ですごく印象的なのは、海外の場合、どんな片田舎に行っても、お年寄りでもだれでもそこに住んでいる人が「ここが世界で一番」、「こんないいところはない」と、みんな胸を張って言う。だけど日本の街歩きでは、ここが一番、もうこんないいところないと胸張って言う回答をあまり聞く機会がないんですね。
 でも私は、最終的には世界の街歩きと同じように、日本の人たちも、こんないいところはない、うらやましいでしょう。だったらここに住んだらどう、というくらいのことを、住んでいる人たちが胸を張って言ってくれるような、そういう町づくりをしてほしい。
 それの第一歩という形で、みなさん取り掛かってくださいというのが、まちづくり、観光まちづくりだという風に思っています。

2.西伊豆町の例
<経緯>
 そういう中で西伊豆町への関わり方なんですが、私が西伊豆町に最初に関わったのは、1980年代です。今の担当係長が子どものときとか、20代くらいの人たちはまだ生まれてない、それくらいから関わらせてもらっています。
 それが縁でお話があったわけではなく、静岡県では「まちづくりアドバイザー」の人材登録がされていて、それで人材バンクから検索をして、面白そうなのがいるということで、お声をかけていただいたらしいんです。
 もともとここの「夕陽のまちづくりマスタープラン」というのは、他のコンサルタントの方がやってらしたんですが、計画相半ばでその方がご病気で急逝されてしまった。誰かそれを引き継ぐようにという形でお声をかけていただいたんですけど、そのとき見せていただいた前任者の計画は、どちらかというとハコ物主体だったんです。
 それで私は、これだったら引き受けられないと言ったら、もう決まったものはやるしかないけれども、それ以外の工事着工という形になっていないものに関しては、白紙に戻してもいいというお話だったので、引き受けさせていただきました。

<アドバイスの基本的な考え方>
 まず広い意味での観光地域づくりだから、住民の人たちが関わって、住んでいい町づくりが、そもそもの目標だというご説明をさせていただきました。ハードよりもソフトだと。
 住民主導でやる。まずここに住んでいる人、ここにあるように5つの地区の方たちに、自己紹介も含めて色々な話を聞かせていただきました。

●宇久須
 そのときの宇久須での藤原先生の自己紹介が、ものすごく印象的だったのです。区長の推薦で選ばれたという形で、委員の方たちが集まられていたんですね。
 そこで藤原さんは「観光計画なのに何で俺はここにいなければいけないんだ。自分は無煙炭化器で炭をつくって、休耕地を何とか再生させるということを主にやっているから、観光の方には関係ない」という自己紹介をされたのです。
 他の人たちは、今までの祭りとか、イベントをやって人を集めたいというのがすごく多かったんです。
 しかし私は、イベントは住民が元気になるきっかけにはなるけど、地域振興にはならない。観光客を多く呼ぶ助けにはならない。だから、イベントに時間とお金と知恵を出すより、もっと違うことにエネルギーをかけたほうがいいんじゃないかと思っていました。
 藤原さんの無煙炭化器というのはすごく面白そうで、それは何ですかということでお聞きしたら、すごくいいことをやられている。それをやることによって、地域の人たちが固まって、住民の交流が出来てくる。そういう体制ができればイベントにつながってくるでしょう。住民が楽しむイベントにつながってくる。
 それがイベントが先ですと、交流も何も生まれない。だから、こういうのがあるんだったら、無煙炭化器を核の一つにしてやられたらどうですかと勧めたら、イベントを考える人たちと、農業を考える人たちとは意見は相容れないという。
 だったらグループを2つに分けておやりになったらどうですかということで、それぞれ興味のある人がグループに分かれてやることにしました。
 そうしましたら、すごかったですね。町でもあそこまでいくとは思わなかったというくらい、新聞に取り上げられる頻度が多くて。山口さんという担当者の方が、もっとマスコミにPRして取り上げてもらえれば注目が集まるからと、ちょっと戦略的にやらせていただいたこともあるんですが。それによって住民の意識が変わってきた。
 広い意味での観光とは、そういうことなんです。そこで培われた産業とか、住民の活動とか、そういうところに芽を見出して伸ばす、そういう活力のお手伝いをさせていただくのが、この観光地づくりのアドバイザーとしての私の役割。これが宇久須です。

●安良里
 安良里(あらり)はイルカ漁とか漁を主体にやってたんですけど、もうほとんど漁はやめて、漁師さんはほとんどが年金生活。産業としての業はない状態でしょうね。観光資源もない。だから自分のところは観光振興なんかとは全然関係ない。やる気全くなしというか、協議会に出てもなにかひいているような雰囲気だったですね。
 それぞれ何をやっていましたかとか意見を聞いたとき、安良里の海岸は昔、アサリがいっぱいとれた。ところが最近、浜が死んでしまって、アサリが全然でない。そこにもう一回、アサリを復活させて、孫と一緒に潮干狩りで来たらいいんだけどというんですね。
 そこで、じゃあアサリ復活作戦やってみませんかということを提案させていただいた。海の環境を考えるとか、そのときに出来れば、引退した漁師さんの知恵もいろいろ借りるような形で、アサリ復活作戦をやられたらどうですか。
 最終的には、もしかしたら、潮干狩りでよそから人が来るようになるかもしれません。とりあえずは、自分たちの子や孫を守るために、かつてアサリとりができた浜をもう一回復活させましょう。
 これは観光のためといったら、たぶん参加者はいなかったでしょう。子や孫のために、自分たちのためにやるんだということだから、今のように注目されるようになった。全員というわけではありませんが、続いている方ではないかなと思ってます。

●田子
 それから3つめの田子地区。ここはカツオ漁をやっていたところです。
 いま一生懸命やってるんですがまだ動いてなくて、みなさんにも協力をいただきたいなと思っているんですが、カツオですから塾、田子塾をぜひ開いてほしい。これは観光客用じゃなくて、住民、住んでいる人とか子や孫のための塾。そこで、かつてカツオ漁にでた漁師さんがまだ何人かいらっしゃるので、その人たちにぜひ経験談を語ってもらいたい。
 あと模型船です。漁船の模型をかなり精密に作るグループがあるんです。その人たちに、漁船の役割とか、そういう模型をベースに話をしてもらう。そういうことをいま投げかけています。

●仁科
 それから仁科。ここでは住民のためのマップづくり。仁科は堂ヶ島があるので、観光マップはあったんですけど、面白くない。住民の人たちもほとんど見ていない。自分たちが歩く、それから子や孫に説明するための、自分たちのために資源マップづくりをしたらどうかということで勉強会を開いたら、かなり力がはいっていいマップができました。
 それらがきっかけになって、町なかに空き家になった個人病院があるんですけど、そこが住民が集まる拠点の集会所になりました。みんなが集まる集会所に使わせてほしいということで、住民同士で話をつけ、無料で借りることができました。
 お奨めなんですけど、もし西伊豆に行かれることがありましたら、あそこの町役場の近くに「大見世」という屋号の文房具屋さんがあります。文具屋さんの中に、お弁当をつくる厨房がついている。もともとは子供用のおやつをつくるカキ氷の店だったらしいんですけど、お弁当をつくったりするようになった。役場の人がお弁当を買いに来る。すごく面白いところです。
 何がいいかというと、ここのおばさんたちがすごくおもてなし心というか、行き届いている。文房具に囲まれながら、テーブルに座って、お茶をごちそうしてもらいながら、そこで買った弁当が食べられるという、すごく面白いところです。大好きですね。
 私は西伊豆に行くと。必ずお昼はそこで食べるというようにしています。そういうものも、観光なんですよね。

●大沢里
 問題は次の大沢里(おおそうり)。ここは山彦荘という役場の宿泊設備があるんですけど、ここも私からいわせると、耐震性工事のために昔のいい学校のイメージをすべてなくしてしまった。せめて外装は残すべきじゃなかったかと思うんですが。
 それは大きな勘違い。なぜあの学校の雰囲気にひかれてお客さんが行ったのかということを、担当者がきちんと理解してなかった結果、ああいう形になってしまった。私には全然魅力がない、二度と行きたくないといっているんですが、そのような状況です。
 そこを核に地域振興したいといってるんですが、もう動いてくれるメンバーがいないんですね。協議会で集まってもらっても、ほとんどが70歳以上。
 私が関わっている間は、出来るだけ新聞、たより、いろんな形でそれを伝える機会を作り出して欲しいということで、年に1回は町長も含めての協議会の報告会を開いてもらっています。
 そのときには、協議会の委員だけではなくて、関心のある住民の人全部にお声をかけて来てもらう。この活動の中身を知ってもらう。そこで、なんとかだよりをそれぞれの地区ごとに出そうという形までいったんですが、担当者が変わったため、とくに課長が9割方が異動してしまったので、今は大変難しい状況にあります。
 (会場から、「ことしから広報西伊豆の裏のところに、各町づくり協議会の写真とこういうことをやってますよというのが載るようになりました」との声)。
 残念なことに、そういう報告もない。本来だったら、そういうものも適宜送っていただければ、いろいろいえるんですけど。アドバイザーとしては、あまり押し売りとか押し付けはしたくないんですよ。自主的にという形でやっていきたいと思っているので、いずれにしても、一応任期はまだ今年度いっぱい残っているので、いろんな形でかかわっていきたい。

<課題>
 こういう状況なんですけど、そういう中で課題として、観光は観光業に関わる人たちだけという形を払拭して、全住民に実際に活動しなくてもいいけど、関心はもってもらう、そういうことをいかにしたらできるかということを課しています。これが課題1。
 それともう1つの課題は観光関連業者の関心。
 大震災以降、日本全国的に宿泊業も壊滅的。こういうときこそ、もっと住民の方たちと観光業の方が連携協力していかない限り、観光業も難しいと思うんですけど、なかなかそういう形にならない。そこをどういうふうにしたら連携できるかというところを、もう少しやってみたいと思っています。しかし、観光業の方だけに、勉強会じゃないけど、ちょっと声をかけてほしいといっても、なかなか実現しないのが実情です。これが2つ目の課題。

<キーワード>
●楽しそう、うらやましい、参加しないと損
 いずれにしても、協議会の活動は楽しそう。うらやましい、参加しないと損という、そういう雰囲気作りをいかにそれぞれの地区でやっているか。あと、誰のため、自分のため、それから家族のため、子や孫のため。それが柱にないと、義務感では長続きもしない。
 とくにこういう会の場合、上意下達というか、役場の方で企画して、住民にお願いとかやってくださいという形が多いんですが、それだと役場の姿勢が変わったり、お金がつかなくなると、金の切れ目は縁の切れ目で、事業もなくなってしまう。

●誰のため
 まちづくりってものは、2~3年で出来るものではないので、初めは上からであっても、これからの活動そのものは、住民から行政にという姿勢を貫かないかぎり、いいまちづくりはできません。
 いまの夕陽のまちづくりアドバイスも、事業費としては今年度で多分終わりになると思うんですが、住民主導でまちづくりという形で動く限り、いろんな補助金というか、いろんなお金は確保できるはずなんですよ。
 こういう風にやりたいので、これに対して何か援助をしてもらえないか。この部分までは自分たちで出来るけど、これについてはどうしても行政に手伝ってもらわないと出来ないので、この辺少し手伝ってくれということを住民から持ち上げる。これが長続きの秘訣です。

●義務感では長続きしない
 これをやらない限り、事業費がついたからこれをといっている限り、全部単発で続かない。でもそうやっていると、いいまちづくり出来ないし、最終的に、いい国づくりも出来ないんじゃないかなと思います。そういう形で、主体的に動く目線を持ってほしいということを、つねづね協議会を通して住民の方々に申し上げています。

●高齢化を「問題」から「宝」に
 大沢里もそうなんですが、最近どこでも高齢化というと、「問題」をつけるんですよ。「高齢化問題」。でも高齢化は問題ではなくて、寝たきりになるから問題になるのです。年を取ることは、逆に素晴らしいことです。だから高齢化に「問題」を、高齢者自らがつけないで欲しい。
 高齢化は素晴らしい。元気で長生き、生涯現役という形である限り、いくつになっても関係ないと思うんですよね。
 徳島県の上勝町のように、80歳でも葉っぱを売って元気で働いている。パソコンを駆使して何億円て稼いでいる町がありますよね。マスコミにも出た。あのときには、「問題」がつかないんですよ。
 そういうことを、西伊豆町でも考えていい。元気なお年寄りがいるということは、それだけ経験を積んだ知恵の宝があるということです。さっきの田子の漁業にしても、経験とかいろんな意味での知恵の宝であるという捉え方をして、もう少し60歳以上、あるいは70歳以上の方の知恵を借りる。そういう人たちの協力のもとにまちづくりをしていくという、高齢化問題の「問題」を取る考えをする必要があるんじゃないかなと思います。

●他力
 それから最後、他力です。上田先生のような立教大学のグループの方、それから東海大学の関先生。
 関先生とも長い関係なんです。先生がたまたま東海大学におられたので、だったら海の事に関しては東海大学に何とか知恵を借りたらいいんじゃないかなと考えました。とくにアサリですね。海を再生するというか、浜を再生するにはやっぱり専門家の意見を聞きたいということで、東海大学にお声がけをして関さんの協力をあおぎました。
 そうしたら、関さんはフィールドワークの場としてすごく面白そうだということで、イルカ漁の調査研究に研究生を送り込んでくれたり、卒論のテーマに上げてくれたりしてくださった。
 これがすごく地域づくりには大切なんですね。職場を提供して若い人を入れるというのは、まず無理です。それよりもメンバーは変わるかもしれないけど、学校とのつながりによって、常にい色々な若い人が地域に入ってくることが大事なのです。
 そこでいろいろな情報交換があり、住んでる人たちも新たな情報が入ったり、自分たちが情報提供という形で役に立つ。そういう相互交流の中で活力が生まれる。
 でも行政が考える地域活性化とは、人口増とか、若い人を住まわせるとか、すぐそういう形になるんですね。でも職場がない限り、そんなにすぐには出来ないので、まちづくりに大学の力を借りるという形で、ものすごくお世話になった。
 逆に言うと、私はこれが西伊豆町の一つの方向性の鍵になるのかなと思います。出来れば私は西伊豆町に限らず、松崎とか西側海岸にずっと広げて行きたい。行政としては西伊豆町のお金で菅原を呼んでいるので、あまり松崎とか、いろんな所に行ってもらうと困るということなので、この事業からはずれたら、思い切り松崎とかいろんなところとの連携を持とうかなと思ってます。いずれにしても、狭い中で自分のテリトリーという形でやっているようなものではないんじゃないかなという風に思ってます。
(2012年6月30日)



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