月刊パントマイムファン編集部電子支局

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アーティストリレー日記(100)woodyさん

2019-05-21 21:21:13 | アーティストリレー日記
今号は、「新空間」に所属するベテランのパントマイミスト、woodyさんの日記をお届けします。マイムを始めるきっかけは、人それそれの理由があるのですね。

いつの時代も若い頃は自分の将来に不安があるもの。
「何をやりたいか?」「何に向いているのか?」「何者なのか?」

もう随分昔の話、僕は就職を機に地方都市から東京に上京してきた。
『就職』は口実。実家を出て自由が欲しかった。
『自由』。これも口実。そのころはその意味も分からない。
日々の誘惑と欲望の中で溺れて沈んでいく生活。それはそれで楽しかったけど。
仕事はというと初めこそ真面目に勤めていたけど、次第に適当な理由をつけて休みがちになっていた。  

ある日、仕事をさぼってアパートでごろごろしていると、突然上司が訪ねてきた。
ニコニコした顔で「風邪だって、飯でも食いに行くか」。近くの定食屋へ。
「ビール飲むだろ」風邪なのにビールを勧められる。「はい…」。気まずく苦いビールの味。
生姜焼き定食の味と温もり。何を話したかは覚えていないけど、にこやかな上司の顔は今でも鮮明に思い出せる。
「じゃあ明日」。うしろ姿を見送りながら、満足にお礼もいえなかった。でも嬉しかった。 

それから真面目に仕事に励む…はずだが。 
1ヵ月後「やりたいことがある」「夢をかなえます」と宣言して退職。
空っぽ青年は本格的な現実逃避の旅へ。遊び中心でお金が無くなるとアルバイトをする日々。
「好きなことを仕事にしたい」。「好きなこと」?
とある雑誌に『スタイリスト養成所』入所者募集。 
おしゃれ!かっこいい!しかもカタカナ職業。早速原宿の事務所に問い合わせ入所することに。
しかし養成所とは名ばかり入所金・授業料金とられ中途半端な授業を週2回。
疑問には思ったがちょっと業界気分!ウキウキ。
 
そんなある日その事務所に臨時で講師をしていた先生に「お前、ここにいてもしょうがないから俺のアシスタントやれ」突然のご指名。「はあ…」。「嫌ならいいよ」。「はい!やります」。
急展開。スタイリストアシスタントになることに。この先生、半端ない第一線で活躍する筋金入りのスタイリストだった。
まずは家が遠いということで原宿のアパートの管理人を紹介され家賃なしで住むことに。24時間働いて24時間遊んで先生のアシスタントとして振り回される日々。 
一人前になるまでは給料なし。食事代と遊び代は先生が全て支払う。これがルール。
休みがあってもかばん持ちで呼び出し、それが先生のデートでも後ろから荷物を持って同行している。
寂しがり屋の先生は彼女がいないときは自分が添い寝したり、コーヒー一杯買うのも呼び出し。
不条理で強引だが『電話の対応』から『人との対応、付き合い方』『遊び方』『掃除の仕方』まで社会性から適応能力等多く学んだ。

そんな生活も根性なしの自分には1年持たなかった。
安易な理由で始めたスタイリストも「何か違う」ということでスタイリストアシスタントから距離をおくことに(それからも先生とはいい関係を保っていました)。
それでも図々しく原宿に住み続ける。言い訳だがアパートの大家さんのお気に入りなのだ。
「自分がアパート管理やります!おまかせを」なんてことで調子よく。
「うちの娘とどう?」なんてことも本気で言われ。
仕事もアルバイトながら続けられるようになり環境も整いつつあるが「これでいいのかな?」という思いは常に心にあった。 

そんなある時『芝居』というワードが脳裏を。
小学校の時お楽しみ会でウケたなー。高校時代はバンドでステージによく立っていた。
その時の高揚感が心のどこかでよみがえる瞬間があった。
小学生の時母親と一緒に映画館で初めて観たチャップリンの『モダンタイムス』。衝撃的に面白かった。
勿論リバイバル上映、同時上映が『白い巨塔』だった。
映画界はスピルバーグが出てきて変化の時代を迎え、芝居は野田秀樹・鴻上尚史など新鋭の出現でアングラから表舞台に。勢いのある時代だった。
『何か自分を表現できる手段を学ぼう』劇団養成所の本を見ていると劇団に入るには試験がある!
試験項目の一つに『パントマイム』とある。どういうこと?言葉は知っているけど実際はどうするのか?
養成所本のパントマイム欄を見ると『日本マイム研究所』日本で一番歴史あるスタジオ『見学可』とある。  
早速スタジオへ、初めて目の当りにするパントマイム 大きな鏡の前で総タイツの男女が黙々とレッスンしている『知らない世界』『怖い』『地味』。
もっときらびやかな世界かと勝手に思っていた チャップリンもキートンもそこには居なかった。
入所は保留にして足早にスタジオを出た。それからは劇団への受験も決めかねていた。
時は経ち、暇な日曜日に情報誌『ぴあ』をパラパラ、そこに『渋谷ジャンジャン』『パントマイム』。
これを見たのも一つのきっかけで「パントマイムやりたい」と思った。
翌週には『日本マイム研究所』へ入門。これが僕のパントマイム道のはじまり。
それから30年、紆余曲折ありましたがやっとパントマイムの面白さが理解できるようになってきたように思う。まだまだこれからなんだと思う。

令和元年11月スタジオエヴァにてソロ公演予定。こうご期待!

woody

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