月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

アーティストリレー日記(61)TEN-SHOさん④

2016-02-11 09:03:10 | アーティストリレー日記
リハビリ期間中に、いろいろなダンススタジオからチラシデザインの仕事が舞い込みました。

1日の内、半日は、ストレッチと筋トレ
あとの半日は、お絵かきの時間に費やしていました。


(参考写真その4)
熊本のダンススタジオ用のチラシ(2014年)


(参考写真その5)
入院中に描いた落書き


(参考写真その6)
福岡のダンススタジオのチラシ


(参考写真その7)
東京のダンススタジオに仮面製作も頼まれました。

寒い時期は、とにかく再断裂しないよう注意しながらの生活だったので
1日中、自宅に、とじこもっていました。
おかげで作業は大変はかどりました(笑)

(つづく)

TEN-SHO
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アーティストリレー日記(61)TEN-SHOさん③

2016-02-11 09:00:21 | アーティストリレー日記
運動の合間、海辺で、いろいろなことを感じたり考えたりしました。


(参考写真その3)
リハビリ会場、博多の百道浜(ももちはま)

僕にとってパントマイムとは何だろう?と言う素朴な疑問です。

正直マイム歴35年で、じっくりマイムと向き合う機会は、今までありませんでした。

ソレガシがマイムに出会ったのは、故郷の山口県下関の商業複合施設(シーモール下関)でした。
東京から いらっしゃっていたパントマイムミスト(当時はパントマイマーと呼ばれていました)の男性が、人形振りやカベ表現やマイムウォークを演じらていました。
映画館の巨大カンバン描きになりたくて地元のカンバン屋に就職していたソレガシは、その演技に物凄いインパクトを感じました。

画材がないのに
「身体で空間に絵を描きよる~!」
ムーンウォークが世に出る前に
「前進してるのに後ろに移動しちょる~!!」
ブレイクダンスが流行る前に
「ロボットが踊りよる~ぅ!!!」
などなど

彼の動きや演技は、二十歳の田舎モンの目には刺激的すぎました。
そんな訳で、その事件のひと月後には上京し、当時、東池袋にあった汎マイム工房に入所しました。

身体で絵画を描いては消し描いては消し、指先や掌、腕や体幹、両脚や頭部などを筆にしてイメージやエナジーという画材で、空間(カンバス)に描き出します。
パントマイムというと彫刻のイメージが強いかも知れませんが、ソレガシにとっては絵画です。
もしかしたら平面表現が多いからかも…しれませんね。

三年後、汎マイム工房を円満退所しフリーのパントマイマーに、なれました。

その間
ブレイクダンス
北方舞踏
ムービングワークス
無言劇
クラシックバレエ
ジャズダンス
インスタレーション
映画
プロモーションビデオ
など様々なジャンルから影響を受けました。

パントマイマーの先輩達の中には、パントマイム(従来の)とマイム(我々の)を分けるカテゴライズ運動みたいな混沌とした時期もありましたが、今では、なつかしい思い出です。

先日、他界されたデヴィット・ボウイさんのアートとしてのパントマイムも大好きでした。

各ジャンルから感じとったことは、やっぱり何だかんだ言っても
「ソレガシは身体が好き動かすのが好き」と言うことです。

そういえば
いまだに好んで続けている作品集は、沢山の表情デザインの仮面達、腕が6本あるジャケット、人間が人間ではないような動きなど
身体についてイメージの拡張表現が多いです。

ストーリー性のあるパントマイム作品は、20歳代で違和感を感じ止めましたが、観客として観るのは大好きです。
何故やめたかと言うと
「自分には、まだ早いな」と思ったからです。

映画やドラマ、演劇を小説だとすると
パントマイムは詩だと思います。

いつか自分のスタイルに、詩的表現が生まれてくる日を楽しみにリハビリに励むソレガシでした。

(つづく)
TEN-SHO
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アーティストリレー日記(61)TEN-SHOさん②

2016-02-11 08:46:46 | アーティストリレー日記
退院して自宅に帰って来たソレガシ。
再断裂防止のギブスはめたままの生活が始まりました。


(参考写真その1)ギブスと専用シューズ
石膏で足形をとり製作された一点もの。
8万円もした。(`Δ´)

寝ている時も はめたまま~(T-T) 医者から「寝返りでも切れる場合が、ありますからね~。風呂場で再断裂する人が多いですよ~。気をつけて下さいね~。」と薄笑いうかべながらのアドバイス。
神経質なソレガシは、ダブルでイライラしました(笑)
「ほらハマムラさんは、切ってから1週間たっての手術だったでしょ~。一応つなぎましたが今、ハマムラのアキレス腱は部分断裂状態ですからね~。もしかしたら1年くらい~そのままかもねぇ」
「い、い、1年も~(T-T)」恐怖に、おののくソレガシ。
それから数ヶ月間は自宅から週3~4回、通院してリハビリやりました。
とにかく痛みとの戦いでしたが、持ち前のM気質が幸いし 少しづつですが、リハビリ効果がでてきました。
病院から帰ると まず痛み止めと胃薬を飲み、自分で考えてたリハビリ運動を暇さえあれば、やってました。
体重を乗せることが出来ない右足は、日に日に痩せ細っていきました。
とにかくマイムウォークが可能な足に戻したいと、いろいろな運動を試しました。

「下半身がダメなら上半身を鍛えてやる!」っと珍しくアクティブモード入ったソレガシ。
去年(2015年)の夏には毎日のように海辺へ行き砂浜を歩くリハビリをやりつつ上半身鍛えまくってました。


(参考写真その2鍛えすぎたソレガシ)
衣装が入らなくなってしまったので今は、筋トレやめてますが(笑)

(つづく)

TEN-SHO
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アーティストリレー日記(61)TEN-SHOさん①

2016-02-11 08:42:20 | アーティストリレー日記
今号では、大道芸ワールドカップin静岡などの大道芸に出演し、仮面を使ったパフォーマンスなどが好評のパントマイミストTEN-SHOさんの日記をお届けします。

リハビリの日々

ソレガシ、2014年11月に右足アキレス腱を完全断裂しました。
屋外でのパフォーマンス中に連続ジャンプしていたら身体の中から「ブチッ!」と「バチン!」が混ざった様な音がして、
着地した瞬間には右足はソレガシのもの(足)ではなくなっていました。
その後、病院を三軒たらい回しにされ1週間後に、やっと手術できました。
手術担当医の「ハマムラさん、断裂してから10日以上経過してたら手術しても くっつかないこともあるんですよ。まぁ~とりあえず手術してみましょうか」と薄笑いうかべながら言われた。
ソレガシ、これにはかなりビビりました。(笑)
どうせなら右足とオサラバするつもりで手術をうけたくなり
全身麻酔か半身麻酔が常識なところを局部麻酔だけにしてもらい
執刀医さんと段取りを確認しながら楽しくイベント気分で手術しました。
何枚かの写真も撮影してもらいました。「ハマムラさん、手術中に記念写真とる人、初めてですよ。」と医者、看護士さん達の笑い声が手術室に、響きわたり無事に手術は終わりました。

術後1週間経ってリハビリが始まりました。
病院内にリハビリ室があり移動は楽でした。
受け付けにはSoftbankホークスの野球選手やラグビー選手などが通った時の記念写真や色紙が飾ってありました。
リハビリには定評のある病院だったようです。

メニュー的には
まず左足で全体量を支えるトレーニング
松葉杖で三分の一、三分のニと荷重を移すトレーニング。
リハビリ医に「ハマムラさん、体重移動の仕方、上手いですね!」と
ほめられましたが全然うれしくな~い。
「魚に泳ぎが上手ですねって言うんかいっ!」と心の中で思いつつ
これからの辛く、苦しく、ながいであろうリハビリの日々を想像して
ヘラヘラと愛想笑いするソレガシでした。

(つづく)

TEN-SHO
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