月刊パントマイムファン編集部電子支局

パントマイムのファンのためのメルマガ「月刊パントマイムファン」編集部の電子支局です。メルマガと連動した記事を掲載します。

追悼ヨネヤマママコさん はじめに(編集部より)

2023-10-21 18:03:36 | 特集記事

日本のパントマイムの開拓者の1人であった、ヨネヤマママコさんが9月20日に永眠されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
本メルマガは、マイムリンクの活動にも深く関わっていただいた、ヨネヤマママコさんに哀悼の意を捧げるため、特集記事を企画しました。
ママコさんと同時代に活躍し、長年にわたって親交のあった日本マイム研究所の佐々木博康さん、清水きよしマイムワークスの清水きよしさんのお二人によるママコさんとの思い出の文章を紹介させていただきます。

【ヨネヤマママコプロフィール】
 1935年山梨県身延町生まれ。幼少より石井漠門下であった父よりバレエを習う。東京教育大学体育学部在学中に江口隆哉、大野一雄両氏に師事。1954年処女作「雪の夜に猫を捨てる」が激賞され、NHKテレビ「私はパック」のパック役でデビュー、しばらくテレビで活躍の後1960年渡米。UCLA大学、ACT劇団等でマイムを教えながら13年かけて基本メソッドを築く。1972年帰国し、ママコ・ザ・マイムスタジオを設立。「新宿駅ラッシュアワーのタンゴ」「禅とマイム~十牛」「凧上げ」「二人綱引き」「シャーンベルグ/月に憑かれたピエロ」などの様々な作品を発表し続けながら数多な後進を育てあげる。1992年蘆原英了賞受賞。2023年9月老衰のため、永眠。享年88歳。著書に「砂漠にコスモスは咲かない」(講談社)「表情とエスプリ」(人間と歴史社)、出演映画に「里見八犬伝」「スピーチ」「ビューティフルサンデー」などがある。
 マイムリンク主催公演では、2009年「パントマイムウィーク4 MIMEMODE」、2012年「パントマイムウィーク6マイムマルシェ」、2014年「東京マイムフェス」、2016年「シアターパントマイムフェス2016」、2017年「シアターパントマイムフェス2017」に出演し、その卓越した演技で多くの人にマイムの素晴らしさを伝えた。

●2017年「シアターパントマイムフェス」当日パンフレット 「愚者(ピエロ)の玉」作品のコメントより
ホドロフスキーがマルソーに書き贈った『壁』という一編の美しい詩。そこから生まれた「壁」という歴史的なマイムテクニック。そして私はその表現技術を心の過程に託して、「その壁の中でどうしたのか」「その壁はどう変わっていくのか」を創りました。ご覧くださる方にまた何かが継がれていくことを願って。

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追悼ヨネヤマママコさん 佐々木博康さんからの文章

2023-10-21 18:00:16 | 特集記事

懐かしのママコさん

ママコさんとの最初の出会いはNHK連続影絵テレビ「森は生きている」に彼女が主演することになり僕と数人の研究生が手伝った時でした。5、6週は続いたかな。その後、彼女は同じNHKテレビの「私はパック」という番組に出演し、かなり長く続いたと思います。それで彼女は日本中の人気者になりました。その後は、公演やテレビで大活躍しました。
当時 NHKは内幸町にあり、私の稽古場(日本マイム研究所)が10分のところにあったのでママコさんはNHKの仕事の時は私の稽古場をずっと使っていました。
ある時は、稽古が終わって稽古場に隣接している私の部屋に来て「随分沢山良い本があるのね」と云われ、ジャン・ジュネの「バラの奇跡」や何冊かの本を借りていかれました。研究熱心なので感動しました。その後、岡田真澄氏との契約結婚などで話題になりました。
その後、恋に破れ、傷心してアメリカに渡り市民権を得るまで修行の生活を送りました。
そして長い海外生活を終え帰国しました。帰国するとすぐに私に電話してこられました。「何かおもしろい芝居どこかでやっていない?」
私は一生懸命探しました。
六本木の自由劇場で昔と現代が入り混じった「嵐の三十六人斬り」というユニークな芝居を一緒に見に行きました。
ものすごく斬新で痛快な芝居でした。ママコさんは上演中一人、大声で笑い、感動していました。恐らく日本情緒の素晴らしさ、懐かしさに大感動だったのでしょう。私もあんなおもしろい芝居は未だ見たことがありません。
芝居が跳ね、2人で新宿に出て、薄暗い地下のバーに入り、絶品の樽漬でどぶろくをたらふく飲みました。あんまり飲み過ぎ2人ともよっぱらってしまいました。
長いアメリカ生活から解放され「日本最高!」と思われたと思います。
日本の一番良き時代だったと思います。ママコさんの御冥福を祈ります。ママコさん、また場所を変えて飲みましょう!

佐々木博康

 

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追悼ヨネヤマママコさん 清水きよしさんからの文章

2023-10-21 17:52:15 | 特集記事

ヨネヤマママコさん
 ママコさんの生の舞台に初めて接したのは、1972年にアメリカから帰国されて間もない頃で会場は渋谷のジャンジャン、私がマイムをはじめて5年目、25 歳の時ですね。大先輩としてお名前は師・佐々木先生からも何度も聞いていたし、子どもの頃に NHKテレビの「パック」も見た記憶があって当然よく存じ上げていました。

 根っからの捻くれ者の私は、初めてのママコさんの舞台を凄く楽しみにしつつも、大先輩の舞台を心ときめかせながら見ようというのではなかった。 「契約結婚」で芸能誌を騒がせ、海外で活動する「有名人」ママコさんは一体どのようなパントマイムをされるのか、どことなく斜に構えながら確かめに行った様な感じでした。 不遜ですよねえ、若気の至りでした。

その舞台で何と私は「ママコさん、それは違うでしょう!」と思ったのです。それは最期にご挨拶をされたときに「今日は有り難うございました。でも私は体調が悪くて満足なステージをお見せ出来ずにごめんなさい。」と言うようなお話をされたのです。ママコさんとしては純粋に、ご自身の納得がいく舞台ではなかった事へのお詫びだったと思います。
でも私は「えー、と言うことは不満足な舞台を見せられたのか・・・」と受け止めたのです。
私はその日をママコさんの舞台のために空けて見に行った。
ママコさんの体調なんて私には関係ない、その日の精一杯の舞台を見せて貰えればそれで良かったのです。
アメリカから帰ってすぐで体調も十分ではなかったのでしょう、でもそれは聞きたくなかったと言うのが正直な気持ちだったのです。 
だってママコさんは舞台に現れたその瞬間から輝いていたし、何よりも私は充分にママコさんのパントマイムを楽しんだのですから。

舞台は常に「一期一会」、そのときその場限りの出会いです。 
以来私は何があっても言い訳はしないと心に誓いました。
「体調が悪ければ私の責任、出来が悪ければそれも私の責任、お客様はそのときのために来て下さっているのだから、例えしくじったり出来が悪くてもこれが今日の私のすべてですと、そのときに出来る精一杯の舞台を観て戴くしかないのだ」と。 
そんな私でしたから以降ママコさんの舞台を敢えて観に行こうとはしませんでした。
そして何年かが過ぎたときに何とママコさんから「十牛」という作品に出ないかというお話を戴いたのです。
結婚もし小さな二人の子も居たときでした。当時の連れ合いもパントマイムをしていたので一緒にと言うことだったのだけれど、そうなるとその子らを預けるところがなく、稽古に連れて行かざるを得ない状況になったことがあったのですが、それはママコさんには認めがたいことだったのですね。これはもう致し方のない考え方の違い、私たちは稽古も進んでいた折角の共演のお話を本番間近で降りざるを得ませんでした。
人生で一度きりのチャンスだったのですけれど、当時の私には子どもを育てる事もマイムをすることもどちらも大事、どちらを取るかというような話ではなかった。でもママコさんの舞台に対する姿勢も納得出来たので、この件は私にはママコさんとの貴重な出会いの思い出として大事にしてきました。

ママコさんはさぞかしお気持ちを害されただろうな、とその後ずーっと心に引っかかっていたのですが細川さんが銀座で企画された「マイムフェスティバル」で舞台をご一緒する機会を得、数年ぶりにお目に掛かったママコさんは、何ら屈託のない笑顔で接して下さり漸く長い間の心の棘が取れたのでした。
そのような経緯から私はママコさんとは殆ど親しく接することがないままでしたので、ここに追悼のお言葉を掛けるようなエピソードも無いのです。
 
それはそれとして、私が始めた頃でさえパントマイムと言えばヨーロッパの物、そしてイコール「マルセル・マルソー」で日本ではまだまだマイナーな表現分野でした。それは残念なことに今も変わりませんが、その未開の地を先頭に立って切り拓いて来られたママコさんは、地味なパントマイムの原っぱに咲いた色鮮やかな花の様な方だったと思います。と同時に、ただ華やかだっただけではなく、パントマイムに対する真摯な姿勢に多くの刺激を戴きました。

近年お体を悪くされていると伺い、気になりつつもご無沙汰をしたままでお別れとなってしまいました。舞台に立たれるお姿を観たいと思いながらも、ママコさんはただ居て下さるだけで私の大きな励みでした。 
ぽっかりと空いてしまった穴は、やはりパントマイムを通して私自身で埋めていくしかないですね。 

「ママコさん、有り難うございました。」 

清水きよし

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