蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

今年も大詰め

2005年12月28日 05時53分29秒 | 彷徉
平成十七年も今日を含めて四日間になてしまった。いつもならそろそろ年末年始の休暇に入れるところなのだが今年はそうもいかない状況にある。下手をしたら大晦日も出勤しなくてはならなくなりそうだ。もう正月準備どころではない。酒はどうする、肴はどうなるのだろう。例年の年末の過ごし方はといえば、世間様皆が忙しそうにバタついているのを横目で見ながら、朝っぱらから酒をくらっているというものなのだが、そのような至福の時間を享受することは今回は諦めざるを得ないのか。
年末年始の楽しみはもちろん朝酒ばかりではない。たとえば歳末の商いで賑わう商店街を見て回ったり、初詣前の少々閑散とした雰囲気の漂う神社仏閣を参拝したりするのも結構気分のよいものだ。商店街に出向くといってもそこで買い物をするというのではない。年の瀬の喧騒のなかでぼーっとしているだけなのだけれども、これがわたしには一種の快感となる。考えてみれば随分と勝手なものだが快楽なんてのはだいたいこんな程度のものでしかないように思う。場所としてはしかし何所でもよいというわけにはいかない。たとえば上野のアメ横など論外だし、築地の場外市場だってちょっと騒々し過ぎる。だから自然と街の普通の商店街へと向かうことになる。以前横浜は天王町の商店街を年末に訪れたことがある。新聞に紹介されていたので行ってみたのだが、旧東海道にあるこの商店街の人込みは並大抵ではなかった。店を覗くどころか歩くことさえままならないのだから、築地やアメ横をはるかに凌駕していて快楽を感じるどころかちょっと辟易した思い出がある。そんなこんなで横浜だったならばやはり真金町の横浜橋商店街がわたしにとっては最適の場所になる。
初詣前の神社仏閣参拝も似たようなものだ。成田山新勝寺の参道に並ぶ食べ物屋の店先で鰻を捌く作業を見ながらあの坂道を下って歩くときの気分は何ものにも替えがたい。自分が師走の忙しさから開放れた特権的存在であるかのような幻想に浸ることができるから。しかし成田山は一昨年まで訪れていたのだけれども去年からは行くのをやめている。ちょっと疲れてきたせいもあるのだが、それ以上にどうもわたしと成田山は相性があまり良くなさそうなのだ。だから新勝寺に行った翌年は不運に付きまとわれることが判った昨年からは足を向けなくなってしまった。
毎年二十六、七日頃にその年最後の神保町チェックをしているが、今年はこの楽しみもなくなってしまった。とくに目新しい品物が並べられる時期というわけではない。むしろ低調といったほうがいいかもしれない。だからわたしは何かを期待して出かけるというよりは、もうやけくそというか惰性というか思考停止というか、ただただ神保町をチェックしたという実績を積み上げるためだけに冬休みで子供の姿が多いこの街を歩き回る。去年の暮れは二十五日に高円寺駅ガード下の都丸支店を覗いた後、駿河台下の古書会館でぐろりや会を見てきたが成果は無いに等しかった。そりゃそうだろう、年も押し詰まった十二月の二十五日にそうそう面白い品が並ぶとも思えないではないか。もっともそれを承知でわざわざ出かけて行くわたしにしてからが、とてもまともとはいえないが。