先集、話しをしていて、「昭和天皇のお墓が云々・・・」と言った母。
「母は、本当に気にすることは何度も言わない。」
そんないい加減な思いこみから、14日昼食の後、車を走らせ、「武蔵野陵」(入り口の表示は多摩御陵)まで、連れて行った。
かなり臆病な性格なので、入り口を見て、「入り口を見るだけ見られて本望だ! もう帰ろう!」等と一応言っていた。
しかし、長い付き合い、きちんとお参りをしたいはずと、車いすを借り、砂利が敷き詰められた参道を、お墓のあるところまで押していった。

終戦の頃、祖父母と水杯を交わして、今の朝鮮まで兄一家5人を迎えに行った母。
色々な事情で、巣鴨に数年間入れられ、公職追放の憂き目にあった父。この空白が、一生の間父だけでなく母にもつきまとってきた。
1人にさせてあげるため、遠くから見守る私たち。
もう少し早く気がついて、連れてきてあげれば良かった・・・・・。
母は身の丈140cm程だが、この時には随分と大きく見えた。
記念だからとカメラを向けると背筋を伸ばし、正対する志に感服!

して、最近、デジタルカメラに興味を持ち、震える手で「シャッターを押したい」と気合い充分!

(多少安全を見て周りを入れて貰っての撮影、周囲をカットしてアップ。)
撮れたか? との質問が必ずあり、液晶で見られることに興味を持っている。
私の撮った写真は、プリントして届けてくれ! とのお達し有り。
何だか、「青春しているのは母か?!?!」と、老け込みそうな私です。

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「母は、本当に気にすることは何度も言わない。」
そんないい加減な思いこみから、14日昼食の後、車を走らせ、「武蔵野陵」(入り口の表示は多摩御陵)まで、連れて行った。
かなり臆病な性格なので、入り口を見て、「入り口を見るだけ見られて本望だ! もう帰ろう!」等と一応言っていた。
しかし、長い付き合い、きちんとお参りをしたいはずと、車いすを借り、砂利が敷き詰められた参道を、お墓のあるところまで押していった。

終戦の頃、祖父母と水杯を交わして、今の朝鮮まで兄一家5人を迎えに行った母。
色々な事情で、巣鴨に数年間入れられ、公職追放の憂き目にあった父。この空白が、一生の間父だけでなく母にもつきまとってきた。
1人にさせてあげるため、遠くから見守る私たち。
もう少し早く気がついて、連れてきてあげれば良かった・・・・・。
母は身の丈140cm程だが、この時には随分と大きく見えた。
記念だからとカメラを向けると背筋を伸ばし、正対する志に感服!

して、最近、デジタルカメラに興味を持ち、震える手で「シャッターを押したい」と気合い充分!

(多少安全を見て周りを入れて貰っての撮影、周囲をカットしてアップ。)
撮れたか? との質問が必ずあり、液晶で見られることに興味を持っている。
私の撮った写真は、プリントして届けてくれ! とのお達し有り。
何だか、「青春しているのは母か?!?!」と、老け込みそうな私です。


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