忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

割れた餅のくっつけかた

2012年10月21日 | 過去記事



いま私が働いている施設は「2フロア」になる。だから職員もAとBに分かれて働いている。もちろん、同じ特養施設だから内容は同じ。利用者の人数も同じ、というか、私がいる「Aフロア」のほうが数人多い。いわゆる「要介護度」はAが重度、Bのほうはコミュニケーションが可能だったり、自立してなんでもする人が過半を占める。

どちらが楽かどうか、という口喧嘩は絶えない。うっかり、私が「Bのほうが大変だと思う。帰宅願望も強いし、認知症じゃない人もいるから文句が多い」とか言うと「裏切り者」のレッテルを貼付されて、陰で悪口を言われて飲み会に呼ばれなくなる。代わりにBフロアに呼ばれる。私は気にせず、どちらも参加するし、面倒ならどちらも断る。

パチンコ屋のときもあった。いわゆる「ツイン店舗」だ。これも「A店」と「B店」としよう。パチンコの稼働は平均すると「A店」が1割ちょっと高い。でも「B店」はスロットの稼働が高い。ともに特色を出していた。

私が転勤した際、引き継がれた仕事の中にシフトの管理もあった。両店舗ともに「ボス」がいた。あまり仲がよろしくないのはすぐにわかったが、あるとき、B店のアルバイトが少なく、ちょっと厳しい日があった。そこで私は何のためらいもなく、A店に配属されていたアルバイトを回した。これにA店のボスが怒る。B店のボスも「いらない」とか言う。

「そういうことはしないと決まってます」とA店のボスは言った。転勤してきたばかりのお前になにがわかる、ということだった。このボスもイイ年したおっちゃんだ。ともかく、よく怒るおっちゃんで、私とのトラブルはしょっちゅうだった。何が原因だったか忘れたが、私に「台カギ」を投げつけて職場放棄、自宅に戻ってしまったこともあった。なにかと「熱い」おっさんだったが、仕事は真面目で模範的だった。少々、頭が固くて強情だが、それも彼の職業に対する誇り、労働に対する責任、年長者とか先輩という役割からだった。

後輩の面倒見も良く、平たく言えば、ちゃんと可愛がっていた。そんな彼だったから、その後、また転勤を繰り返して店長になった私の元へも遊びに来た。相談を受けたり、愚痴を聞いてもらったり、よく飲みに行った。

B店のボスは20代半ばの女性だった。彼女は基本的に上司である私にタメ口、表立って舐めた口も叩いた。受けた私は低姿勢、その腰砕けっぷりに彼女の手下は大いに笑った。「舐めた」彼女だったが、基本的に仕事はデキル。計算に強く、頭の回転が早い。女性従業員からの信頼は厚く、あっさりとイニシアチブを握ってしまうリーダーシップも感じられた。

男性アルバイトにも気を配り、鬼の店長と呼ばれて恐れられていたオッサンにも上手に接する。そんな彼女だったから、その後、いろいろとグループ内を動いた私にも協力してくれた。その手下の何人かは、退職後、私が店長を務める店舗に再就職もした。本社からは「こっちを辞めたのを再雇用するな」という声もあったが、不正で辞めたわけでもなし、そんなの本人の自由、それから子会社じゃあるまいし、こちらの採用基準に口出される覚えはない、と言って正社員で採用した。私が怖いのは妻とオカンだけだ。

しかし、その当時は強烈だった。明らかに「敵視」されていたし、本人らも後日談、どうしようもなくムカついていた、と告白してくれた。そんなとき、社の食堂の賄いで「カレー」が出た。食堂のおばちゃんは、なんでも美味い美味いと喰う私がお気に入りだった。私はどこの店舗でも賄いのオバちゃんには人気者、残さず喰うし、美味しかったとかお礼と感想も言うからだ。当然、その店舗のカレーは日に日に辛くなっていく(笑)。私の好みが優先される。なんだったら「缶ビール」をこっそり出してくれるマダムもいた。恐るべき誘惑だった。飲んだ。

ある日、そのカレーの「じゃがいも」がちょっとヘンだった。3杯目を喰ったところで気がついた。それでも、まあ、そういうこともあるかと納得し、私は気にせず平らげて仕事をしていた。次の日、アルバイトの一人から電話がある。今日休ませてください、だった。理由は「腹が痛い」。

社員からも電話があった。寮に住んでいた何人かの社員も出て来ない。見に行くと悶絶していた。「腹が痛い」「腹がおかしい」―――いまだから書くと、普通に食中毒だった。

なんともないのは私と、その日、寮のカレーを喰わなかった何人か。スタッフの人数が半分くらいしかいないが、時間は朝だ。夕方から出勤予定の社員はもちろん、何人かのフリーターも電話で叩き起こした。A店のボスが来た。青い顔して冷や汗をかいている。問うと「2杯喰いました」。私が仕事中のホールでなんか出る前に帰れと言うもきかない。

その日の夜、手下と共にファミレスで夕食を済ませていたB店のボスも「帰りなさい、病院に行きなさい」と言ったが頑固一徹、言うことをきかない。彼は内股で歩きながらホールに向かった。たぶん、もう、なんか出ていた。

私とB店のボスがフル回転。AもBもなく、なんとか開店準備を間に合わせると、彼はもう吐き気まで抑えていた。私は静かに歩み寄り、業務命令だ、帰宅して病院に行けと強い口調で言った。しかし、彼は断じて拒否した。困り果てていると、カウンターのベテラン女性、40を過ぎたお局が怒鳴った。副主任もいるし、B店のボス子もいるじゃないの、心配しないでいいから病院に行きなさい、と言い終わる頃には涙声だった。

数年後、この女性は社の飲み会の帰り、A店の「ボス男」と一緒になった際、向かい側のホームから駅にあった拡声器でプロポーズされる。駅のホームにいた乗客から拍手喝采の中、とても断れなかった、と布施の居酒屋で並んで照れていた。私も照れた。

ボス男は帰った。その日、私はA店を切り盛りしながら、B店の通常業務もやった。もちろん、ボス子の協力は欠かせなかった。私が懲りずに食堂でメシ喰っている間、ボス子はAもBも任されて緊張しながら見てくれていた。なんとか無事にその日が終わった。

次の日も心配だったので確認すると、幸いにも全員が軽症だった。酷い者でも3日ほどで回復した。ボス男も翌日からげっそりした顔で出勤してきた。すいませんでした、と頭を下げるボス男に、な?困るだろ?と話した。

同じ会社、同じ敷地内、仕事の中身は同じようなものなのに、ボスの色が濃すぎて、いちいち勝手が違うからやり難い。それから派閥争い。どっちが楽だとか、こっちは大変だとか、聞いてる方も馬鹿らしいし、不経済だし、不毛だし、なにより相当な弊害も生じる。

ボス男も神妙な顔をした。どうすればいいんでしょう、とか殊勝なことも言う。適当に交代させればいいんでしょうかね?慣れた社員からでも入れ替えて・・・と提案する彼だったが、私はもっと優れた提案をした。「あんたらが代わればいい」――――

つまり、ボスだけを交代させた。とりあえず1週間ずつ交代で。それから宿題を出した。1週間毎にレポートを出させる。それは「良いと感じたところ」を最低、1週間の勤務で10個書きなさい、というものだった。スタッフでもいいし、清掃の状況とか、接客とか、ホールの動き方などなど。ともかく「悪いところ」は絶対に書いたらダメ、それだけがルールだった。守れなかったらボス(リーダー)を交代させるかもしれない、と脅した。

それから4週間ほどが過ぎる。つまり、両店舗のボスは最低でも「20個」の「良いと感じたところ」を出してきた。最初の1週間は予想通り、トイレが綺麗だったとか、明るい接客の「○○さん」がいたとか、まあ、どうでもよろしいことになる。しかし、次の「10個」はそうはいかない。探さねばならない。拾わねばならない。コミュニケーションせねばならない。すなわち、能動的、且つ、好意的に職場を見直すことになる。

批判し合ったり、意見をぶつけ合ったり。互いに争い、小さなことを摘まんで文句を言い合う空間は、想像以上にマイナスの雰囲気が蔓延する。ネガティブな思考からは何も生まれないし、とても生産的な提案なども期待できない。社の財産である「人財」が小さく固まり、目立たぬようにはしゃがぬように、オノレの可能性を試してみるモチベーションは絶えてしまう。社交辞令丸出しの対話からは「相手を想う気持ち」など皆無。決まったこと以外やってたまるか、というマインドが支配する。義務が薄まり権利が濃くなる。

すると、モラルは徐々に腐敗し始める。当然の帰結だ。帰属意識が脆弱になり、職場にはマイナスワードが飛び交う。せっかく新しい人が来ても、その空気にウンザリして去っていく。その心の中では最終的に「こんな連中」しかいない「こんな職場」となり、それからいつか、自分も「こんな連中」と同じであり、また「こんな職場」から出ることもしないのだと気付く。それに馴染むとき、しっかりと「こんな連中」の仲間入りをしている。

ボス男とボス子は、私が言うまでもなく連携し始めた。営業中も連絡を取り合い、波打つように変化する業務に敏速に対応していた。「大きな流れ」には耐えるだけではなく「応じて動く」こともできると理解した。閉店後の業務なども相談し合い、限られたメンバーを無駄なく、無理なく、あるいは「育成」も考慮して段取りするようになった。最初の月、残業代が8割以上カットになった。人件費も2割ほどダウン。しかし、従業者のモチベーションは下がらず、離職率も上がらない。人間の「カネ」に対するモチベーションは存外低い。たぶん、優先順位では3位以下になる、というのが私の持論でもある。

本社の経理部長から電話があった。店長もびっくりして私を呼んだ。おまえ、閉店業務とか特別作業、減らしたのか?

いいえ。逆です。増えています。効率、能率が上がったんでしょう。

どうして?

ボス男とボス子の段取りが素晴らしいンですよ。それからスタッフ同士の連携も好調です。勤務時間外でも研修とかでやってます。新人はもちろん、中堅スタッフも「新しい仕事を教えてくれる」とかで参加しているようです。さすがは店長、あのふたりをリーダーにして育てるとは、いやはや、勉強になりました。ところで店長、そこで御相談が・・・・

店の近くの焼肉屋。閉店後にボス男とボス子を強制連行。店長からもらった金一封(5千円)を手渡し、ついでにもらった「お小遣い(1万円)」で焼肉を喰った。私はボス男とボス子が提出したレポートを並べ、ふたりが探して見つけた「良いところ」を数えた。ぜんぶで「40個」だ。あらかじめ「同じような項目」は整理して足しておいたが、それでも30は残った。ボス男とボス子はその場で初めて、互いにレポートを読み合う。すると「知らなかった」とか「気付かなかった」が連続して出る。

無論、他のスタッフには、私からレポートの内容を伝えておいた。みんな照れたり、喜んだり、謙遜したりした。ボス男とボス子には「プラス、ポジティブでマイナス、ネガティブを消し去る」と話した。人間とは不都合な生き物だから、よほどのことがない限り、例えば「職場の上司や先輩の注意」だけで誠実に対処できる人間などそうはいない。つまり人の「悪いところ」など数えればキリがないし、簡単にどうにかなるなんてもんじゃない。

だから「良いところ」をピックアップする。数えて増やす。伝えて自覚させる。それで信頼を得る。そうなると人間というのは自分で考える。自分の欠点を言って許されるのは、先ず、自分になる。「悪いところ」なんぞ、世話になった親から言われても腹が立つのに、ましてや、嫌いな上司から言われて直るはずもない。「人を使う人」はそれを忘れてはならない。だから「人が使えない」のはすべからく「使う側」に問題があると認識すべき。

ということで、明日からも頑張りましょう、と店を出ると支払いが1万4千円ほど。私の財布には5千円。泣いた。泣いたけど領収書をもらった。




ま、ともかく―――「褒められる」ということは気持ちがよろしい。「認められる」ということは、自分に自信が持てると同時に、相手に対する信頼感も芽生える。「褒められて伸びるタイプ」というのは、実のところ珍しくもなんともなく、過半以上の人間がこのタイプになる。「褒められて不安になる」とか「褒められたら腹が立つ」というのは天才か、もしくは犯罪者に近い被害妄想のサイコパスかもしれない。

それにK・Y(空気がよろしい)だ。互いに認め合って褒め合えるという「空間」は居心地がよろしい。認めてくれる人間に敵対心は持たない。深く接するに不安はない。また、仲間意識が濃くなるということは、その組織自体にも帰属意識が高まることになる。つまり、プライドが持てる。結果、人材は「人財」となる。生産性は向上し、モラル意識が高まり、能率は上がる傾向にある。もちろん、この逆も然り、だ。

同じ職場、同じ会社で馬鹿にし合う。非難の応酬から敵愾心を燃やす。これでは全体が不健全になる。モチベーションは腐る。モラルは崩壊する。民主党もそうだが、冷戦が終わってずいぶん経ち、誰も邪魔しないのに分裂したままの半島も「良い見本」だ。半島の上も下も、そして民主党も、どこかの悪口がないと生きていけない。

いま、私が勤めている職場も半島状態。阿呆な天下りやら、腐臭のする左巻きに牛耳られているのは民主党と同じか。だから私がいるフロアの悪口、違うフロアの「良いところ」は言論統制されている。これを破れば村八分、だ。火事と葬式の「2分」が残れば結構だが、毎日、とても空気が悪い。体にもよろしくない。

さて、抜けるか直すか、それが問題だが、民主党の中のマトモな議員はどうするつもりなのか。どうしようもない組織というのは現実にある。お勧めは「抜けて壊す」だ。ま、私は直してみるか。




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