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中国でアフリカ人デモ 不法滞在急増、隠せぬ軋轢 資源外交の“副作用”(産経新聞) >2012.6.27

2012年06月27日 | 過去記事

    




中国でアフリカ人デモ 不法滞在急増、隠せぬ軋轢 資源外交の“副作用”(産経新聞) - goo ニュース

< 【北京=川越一】中国広東省広州市で先週、警察署で取り調べ中のナイジェリア人男性が突然死したことをきっかけに、アフリカ人住民による抗議行動が起きた。中国に不法滞在するアフリカ人は年々、増加し、中国社会との軋轢(あつれき)も隠せない。アフリカ諸国において中国政府が展開する資源外交の“副作用”が顕在化している。

 ◆警察署で突然死

 中国国営新華社通信などによると、18日午後、ナイジェリア人男性が電動自転車タクシーの料金をめぐって、中国人運転手と殴り合いになった。駆け付けた警官が警察署に連行し、取り調べていたところ、男性が突然、昏睡状態に陥り、死亡したという。

 この情報は瞬時にアフリカ人社会に広がった。19日午後、大勢のアフリカ人が、英語と中国語で「遺体を引き渡せ」と書かれたプラカードなどを手に警察署を包囲。抗議行動は約2時間続いた。新華社は参加者を「100人以上」と報じたが、インターネット上に流された写真では、数百人規模に膨れあがっていた。

 広州市当局の統計では、現在、正式に住民登録しているアフリカ人は約2万人とされている。実際には在留期限が過ぎた後も居座っているアフリカ人が多く、その数は10倍の約20万人とも言われている。

 経済発展を支える資源の確保を進める中国は、アフリカ諸国と友好関係を構築。多くの留学生などを受け入れてきた。安価な中国製衣料品などの売買でもうけようと、卒業後も中国に残ったり、滞在期間30日の査証(ビザ)で入国後、居座る例が後を絶たない。

 2003年以降、広州のアフリカ人は前年比30~40%増の勢いで増えている。特に工場が集中する広州は“人気”が高い。市内にはアフリカ人店主の小店舗がひしめく市場ができている。それに伴い、傷害や婦女暴行、麻薬密売などが増加しているといい、アフリカ人を「チョコレート」と蔑視し、混血児の増加を苦々しく思っている中国人も少なくない。

 ◆ビザ厳格化方針

 今秋の共産党大会に向けて、当局はビザの厳格化や不法滞在の摘発を強化する方針を打ち出している。民族問題を扇動する外国勢力の流入を防ぐ狙いがうかがえるが、不法滞在のアフリカ人もひとごとではない。“賄賂”が通用しなくなり強制送還が増えれば、新たな衝突が起こりかねない。中国外務省も男性の死について「法に従った厳格な調査」を約束するなど状況を注視している>







1990年代の内戦と大虐殺が終わって、海外に脱出していたツチ族のディアスポラが戻り、荒れ果てた自国にITやらを持ち込む前から、ルワンダには「段々畑」があった。アフリカで難民キャンプは珍しくないが、ルワンダにだけは店ができる。エチオピアとかソマリアとか、避難民はただ、国連が用意してくれる寝床とメシを待っていればよいが、ルワンダの人らはその辺に自生するバナナを潰し、ソルガムを混ぜて地面に埋めたりする。

3日ほど寝かせたそれを絞れば名物・バナナビールになる。キャンプには「BAR」が出来る。国連から配給された居住用ビニールは店の材料になる。足りなければ、どうにかして手に入れてくる。なにかで間に合わせる。ドラム缶を拾ってきて油を入れて鍋にする。揚げパン屋だ。時計修理の店や旅館も出来る。食堂や雑貨屋も作る。ちょっとした商店街が出来る。子供らはそれを手伝う。映画「ルワンダの涙」とか「ホテル・ルワンダ」にも、よく働くルワンダ人が出てくる。「アフリカの日本人」と呼ばれる所以だ。

他はそうでもない。雨が降ればパパイヤやマンゴーが売るほど獲れる。甘くしたり、大きくしたり、病気に強くしたり、などという品種改良も思いつかない。土に肥料もいらないし、用水路を作るとか意味がわからない。だから、雨が降らなければそれらは獲れない。ケニア政府は国連に対し「食料をくれ」と言った翌年、平然と「余った食料を買い上げてくれ」と騒ぐ。賄賂と横領、横流しにピンハネ、国民は何か作れば壊されるか盗られる。段々畑など夢のまた夢だが、よく似た国がアジアにもある。支那だ。

支那はアフリカに援助する。もちろん、援助する金は日本からのODAになる。それでスーダンとかに石油利権を作る。民族浄化をする「ジャンジャウィード(アラブ系武装集団)」はラクダに乗り、ライフルを撃つモノだと思っていたら、あるときから攻撃用ヘリまで持っていることになった。装甲車に乗り、銃火器は強力なモノを使う。不思議に思っていたら、それらはぜんぶ支那製だった。黙認どころではなく、支那はジェノサイドもホロコーストも全面的、且つ、精力的に支援していた。ヌルい、もっとやれと。

先述したルワンダでも国連軍は出た。ただし、ジェノシデール(フツ族過激派・虐殺する者)を撃ってはならない、とされていた。言うまでもなく、建前的には内政干渉、新たな紛争の火種になることを恐れた。映画「ルワンダの涙」の原題は「Shooting Dogs,」だ。国連軍は仕方がないから、殺されたツチ族の死体を喰いに来る野良犬を、悔し涙ながらに撃った、という含意がある。しかし、スーダンには国連軍は入ることすら出来ない。ここまで逃げてくれば助かります、というキャンプを張ることも出来ない。直接的にも間接的にも避難民を助けることも出来ない。常任理事国の支那が拒否権を発動させたからだ。

アメリカ上・下両院の議院100名以上が支那共産党政府に対し「止めさせろ」という書簡を送った。フランスも大統領選の討論会で北京五輪には不参加せよ、と社会党のロワイヤルは言った。サルコジは「非現実的だ」と対立候補の意見を否定して見せるが、訪中した際は「スーダン虐殺」に言及、意見交換をすると表明した。スティーヴン・スピルバーグも怒った。胡錦濤に「スーダンを何とかしろ」と書簡を送ったが、なんともしないから北京五輪組織委員会の芸術顧問を蹴った。

日本は民主党の当時代表だった岡田が行った。ダルフールでスーダン政府に「人道的援助」を約束してきた。これがどれほどの間抜けか。岡田が行った2005年当時、日本は小泉内閣だった。小泉政権は「人道上の理由」としてスーダンへのODAを打ち切った。民族浄化に使われるからだった。ブッシュ政権はその後、スーダン系の企業31社とアメリカ系銀行の直接取引を停止させている。経済制裁だ。コレを日本の最大野党(当時)が勝手に復活させると公言してくる。人道的に打ち切ったODAを人道的に復活させるという、前代未聞の矛盾外交をやった。民主党は支那共産党の後押しをする、という宣言だった。そしてやはり、その後まもなく「復活」した。外務省は待ってましたと、百億円近い金をぽんと出した。それから数年間で五百億円と少し、あっという間にルワンダに対する援助の総額、その倍ほどの税金が投入された。岡田は胡錦濤に褒めてもらえただろうか。

しかし、その胡錦濤のところにたくさんのアフリカ人が行く。不法滞在者を入れたらどのくらいいるのか、ちょっとわからない。日本にいる支那人はビザも規制緩和、永住しようが帰化しようが、来日してすぐに市役所へ飛び込み、生活の手段の項目には「生活保護」と書いても追い出されないが、支那にいるアフリカ人にはビザ規制を強化するということだ。<市内にはアフリカ人店主の小店舗がひしめく市場ができている。それに伴い、傷害や婦女暴行、麻薬密売などが増加している>とのことで、とても困ったことになっているそうだが、それなら日本も困っているということだ。

因果応報。ブラックパワーに席巻される支那人。同情する余地は全くないが、せめてルワンダ人を入れれば段々畑くらいは作ってくれただろうに。




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