Playball Party

ごく稀に更新します

野球散歩(番外編):力道山の夢の跡を歩く

2008年02月23日 22時24分15秒 | 野球散歩
赤坂・豊川稲荷はよく来るのですが、こんなのあるとは知らなかった。

全然関係ないが中田、唐川、佐藤由も頑張って羽ばたくのだ!

そういえば高校生、、
来月23日から選抜高校野球が始まるわけですが、
力道山の御孫さんが出場しますね(慶應高・田村投手)
力道山の孫慶応田村が出場切符/センバツ(日刊スポーツ)

昭和史好きなこともあって、今回は趣向を変え、国民的プロレスラーの足跡を歩くことにします。


TBSの裏手、
旧赤坂台町に「リキマンション」が今も残る。
高いけど賃貸もできる。青山賃貸.com

ここには本人は住んでいない。完成する前に命を落としたらしい。
この南隣の位置に「リキアパート」があり(現在は別のビルが建っている)、
そこが最後の住居となった。


坂を下り、赤坂通りに向う

ホテル(マロウドイン赤坂)の隣(写真奥)に駐車場。
そこにかつての「クラブ・リキ」があった。

力道山はプロレス引退後、実業家として才覚を発揮し
様々なものに投資したという。
クラブリキでは、若い頃の松尾和子らが専属歌手であったという。

当時のことは当然生まれる前のことで、本やwebなどで情報を得るくらいしかないが、
赤坂という土地は、銀座と人気を二分する歓楽街であったようだ。いまはTBSがある以外何の変哲もない普通の街になっている。

たとえば
力道山とは関係ないが、山田泰吉が開いたレストランシアターミカド。

ミカド跡。建て替えられプラザミカドビルという変わったデザインのビル。料理の鉄人の店が入っている

山田のエピソードは沢木耕太郎の「馬車は走る」の1編で詳しく取り上げられている。


デヴィ夫人(Wikipedia)がホステスとして働いていたこともあるコパ・カバーナ。政治的な裏取り引きの舞台でもあった。

正面奥の白いビルが、跡地に出来たコパカバーナビル

東京アンダーワールド に詳しい

そして外堀通りを挟んで反対(千代田区)側には、ホテルニュージャパンの地下にあった、
場所もわかってますが写真はちょっと…わかるよね
ニューラテンクオーター(Wikipedia)
など多くのクラブ・キャバレー・料亭などがあった。


力道山は63年12月8日、ニューラテンクオーターで暴力団員に刺され、1週間後亡くなる。
時代は大きく変わろうとしていた。



渋谷駅近く
リキスポーツパレス跡
プロレスの常設会場が必要ということで力道山が建てた。
中にはトルコ(いまでいうサウナ)、レストラン、ボウリング場などがある、
総合レジャービル(コマ劇場のような感じか)であった。

東急プラザの横の路地を真直ぐ進むと正面にハーフミラーのビルが見える。
この位置にあったそうだ。
リキスポーツパレス(Wikipedia)
力道山の死後、売却され
キャバレーなどに転用された後、平成4年に取り壊された。

航空写真に残っていた

このドーム屋根の上に王冠を模した飾りがあった。
昭和54年画像 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

参考
昭和プロレス浪漫探訪

リキパレスの写真があるサイト
島村英紀が撮っていた歴史的な写真


時期は前後するが、リキパレスが出来る前に主に試合会場として使っていたのは
蔵前国技館だった。

跡地には都の水道局の施設が建っている



蒲田から池上線に乗り換え2つ目
池上駅下車、徒歩10分
池上本門寺

ここで、力道山の葬儀が行われた。




毎年12月15日の命日には、いまでも多くの関係者、プロレスファンが訪れるという。

野球散歩13:新橋

2008年02月11日 01時05分58秒 | 野球散歩
新橋駅前のSL


1区画西側には赤レンガ通りが南北に走る

いくつもの説明板が距離をおいて設置されており、新橋という街のワンポイント解説が載っている。
そのうちのひとつ。


説明文


野球“チーム”の第1号らしいです。
鉄道の野球チームといえば、ヤクルトの前身「国鉄スワローズ」を連想します。
もちろん歴史は繋がっていませんが、くしくもヤクルトの球団事務所はここ新橋にあります。

参考ページ
港区はじめて物語(港区コミュニティ情報ネット
港区ゆかりの人物データベース


脱線話
数年後にはこの付近をマッカーサー道路なるモノが街をつらぬく予定となっています。
マッカーサーとは、もちろんあのGHQのマッカーサー。
機会あったら歩きたいな、と思ってました。

ビル街のなか、低い建物群が細長く残る不思議な光景が見られます。もうほとんど無くなってますけどね。
このあたりだと大体7~8階建のビルが普通に並んでるのですが、ここだけ一直線に2階建ての群れ。
注意していれば山手線の電車からも見られます

で、脱線のさらに脱線なのですが(鉄道発祥の地で脱線とか連呼するな(-_-;)
この低建物群が海からの風の通り道だったんですね。
だった、と過去形で言うのは、今現在は汐留再開発が出来て入口を塞いでしまったわけなのです。
これが夏の高温を引き起こしてるらしいです。汐留が出来てから急に東京の夏が熱くなったと。
日テレの天気で木原さんが解説してました。


こうして見ると、日テレのビルも結構な元凶なんですけどね


参考ページ
I shall return 蘇るマッカーサー道路