koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

黄金楽土-其之七

2008年12月10日 21時31分08秒 | 歴史

           7.黄海合戦


安倍軍が籠もった河崎の柵は,北上川が一関市内を避けるように蛇行し,北上山系から流れ出る砂鉄川との合流点付近にあったと思われる。
おそらく頼義動くの報を受けて,近くの衣川関や小松柵との連繋で,援軍が有ったと思われ,頼義軍よりは人数で優ったと想像される。
それにしても,国府多賀城を進発した頼義軍が2,000とは少なすぎはしないだろうか。
安倍頼時の死を受けた安倍軍をなめてのことなのか,寡兵での奇襲のつもりなのか,或いは厳寒の11月(旧暦)ということで,徴兵できなかったのか,真相は不明であるが,おそらくそのいずれもが該当するのだろう。


頼義軍は,多分現在の岩手県南部の花泉(一関市)方面から侵入し,花泉町日形付近で北上川を渡っものと思われる。
そして合流する黄海川を遡上するように北東へ進み,黄海(岩手県東磐井郡藤沢町黄海)の平原地帯に出たのではないだろうか。
厳寒の北上川渡河は堪えたことだろうし,そこに至るまでの雪中の丘陵越えは否応なく体力を奪ったことだろう。
ようやく渡河が終わり,猛吹雪の中とはいえ黄海の平原地帯へ出た時は,おそらくほっと安堵したことだろう。
ここから,山越えすれば河崎柵はもう目と鼻の先である。
眼下に河崎の柵を望む峠から一気に攻め下りれば,この猛吹雪の中をよもや源氏勢がやってくるとは誰も思うまい・・・。
雪中行軍の甲斐があったというものだ。
多分,誰もがそう思っていたかも知れない。


ところが,その安堵が恐怖に変わった。
黄海平原の四方から,わっと鬨が上がり,甲冑の上に防寒用の毛皮を纏った安倍軍が鶴翼の陣形で突如出現したのである。
歴戦の勇である頼義も,そして類い希なる若き武人と言われた嫡男八幡太郎義家も魂消たことだろう。
軍勢に勝る安倍軍は,四方から矢を射かけ包囲を狭めてくる。
剽悍にして血気盛んな貞任が自ら先陣を務め,源氏軍の中に駆け込んで縦横に突き,斬りまくったことであろう。
弟宗任と,頼義にとっては憎んで余りある藤原経清も居たことだろう。
これには,さすがの頼義も,全滅を覚悟したのではないだろうか・・・。
この時,嫡子義家が生き残った5人の郎党と共に,果敢に安倍軍に斬り込み,血路を開いてようやく戦場を離脱することができ,頼義は文字通り九死に一生を得たのであるが,生涯最大の屈辱とも言うべき敗戦を味わった。


父頼信は,その威光の前に平忠常を戦わずして平伏させた。
それに比して,自分は同じく僻遠の地の土豪に完膚無きまで敗れ,敵の残党狩りを気にしつつ落ち延びていく・・・。
源氏の繁栄を願って奥州まで出向いてこのザマは・・・,と悔やんでも悔やみきれない敗戦だっただろう。
では,どうしてこんな無謀な戦を頼義ともあろう者が仕掛けたのだろうか・・・。
しかも2,000という寡兵で・・・。


やはり,吹雪の中の奇襲ということで,己の作戦を過信したのだろう。
よもや猛吹雪の中の進軍はあるまい,と安倍軍が油断していると思い,作戦が看破されているとは予想もしなかったということではないだろうか。
安倍軍が,頼義が河崎に向かったという情報を事前に知って包囲殲滅戦に持ち込んだのは,おそらく地の利を生かした諜報網があったからと思われるし,何よりも長く頼義に仕え,頼義の作戦や性格を熟知している経清の存在が大きかったのではないだろうか・・・。


ともあれ,黄海の戦いは,またしても安倍軍の完勝に終わった。
この場面は,15年前の大河ドラマ原作,高橋克彦著「炎立つ」では,前半の白眉とも言うべき名場面となっている。
鮮血に染まった黄海の雪原を,残敵掃討に向かう経清主従が疾駆する。
雪に埋もれた敵味方の死骸が合戦の凄惨さを語る中,経清は彷徨する7人の安倍軍の雑兵と遭遇する。
6人は,経清を見て平伏する。
吹雪の中を道に迷ったなら,平伏した後名乗り出て味方との邂逅を喜ぶ筈なのに,7人は平伏したままである。
経清は気付いた。
その中の年長の武者が誰であるかを・・・。
「行くがよい」
ひと言だけ告げて,経清が立ち去ろうとする時,思わず義家と目が合った。
無言で頷き去っていく経清・・・。


「おのれ!!経清,どこまでも儂をこけにしおって!!」
いきりたつ父頼義に,義家は言う。
「経清殿が助けてくださったのです。経清殿が・・・」
再び戦場で相まみれることを誓う義家・・・。
このくだりは,今読んでも,或いは映像を見ても,蝦夷の末裔たる私の胸を熱くして止まない・・・。


                     (続く)


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