劇団蒲団座blog

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自分を見失わないように。

2022-06-22 20:26:28 | 【旭警部の苦悩】稽古日誌
こんばんは。最近役作りも情緒もブレブレのリラです。
「お前誰やねん」と思う人もいるでしょう。だって名前も話し方も違うもの。(話し方が違うのはきっと情緒のせい)
あらためて、1回生のさわのんです。前回はこの名前でしたね。前回のblogはまだ忙しさを知らず無邪気に笑い、はっちゃけていました。うるさいくらいだったと思います。叩けば静まると前回のblogで言ったのですが、誰からも叩かれなかったので自分で壁に頭を打ちつけて沈めることしか出来ませんでした。blogを読んだ某2回生の先輩に「色々と暴れすぎやろ(笑)」と言われ、「やっぱり?(笑)」って感じでした。あの頃は若かったなぁ…(おい)。
これから公演をやっていく中で、SNSでの情報公開もあるとの事で、それ用の名前として芸名を「リラ」に変えました。名前の意味とか由来に関することは、話すと長くなるので割愛します。
芸名…ぶっちゃけ「さわのん」でも「リラ」でもどっちでもって感じです(なんで変えたんだよ)。呼びやすい方、呼びたい方の名前で呼んでいただけると幸いです。
そういえば、部署は制作になりました。宣伝美術を作ってたのでちょっと前まで目が悲鳴をあげていました。視力がびっくりするくらい落ちています(前からではあるけどこれでさらに落ちた自信がある)。裸眼だといくつだろうなぁ…。

タイトルにもあります通り、私は私が何者なのかを見失うことが多々とあります。
「自分」というものがなく、その場に流され人に合わせながら生きてきたから、自分の人生を考えるとなると、自分は一体何がしたいのか、これからどう生きたいのか、イマイチ分からないのです。これは、今私の中で割と大きな問題になっています。
今の舞台の練習でも、似たようなものがあります。
同じ作品を違う演出さんのもとでやる。距離があるとはいえ、向こうの声はこちらにも響いてくる。人に合わせること、人の演技を真似することの多い私は、いつも引きずられそうになりながら、たまに引きずられながら、自分の役を作っています。
最近、いや、今の役をやるようになってからでしょうか。もしかしたらもっと前からかもしれませんが。もしかしたら、そんな風には感じないという人もいるかもしれませんが。声が出ていないように感じます。自分で自分の声が出せていないというように感じているのです。これは精神的なとこから来てるものだと思いますが、正直に言うと、今かなり苦しいです。
私に私は見れません。撮ってもらった動画を見ても、自分で自分が分かりません。
同じチームの役者さん、演出さん。もうひとつのチームの役者さん、演出さん。裏方さん。今の私は、皆さんにどう写っているのでしょうか。
他者である周囲の人達に自分のことを聞き、自分を確認しようとするのは変なことかもしれませんが、人間はこうすることでしか生きていけないのです。
他者と関わり、対話を重ね、触れ合うことで、自分が生きていることを実感する。もしかしたら、「そんな事しなくても自分一人でも自分が生きていることを実感出来るものがあるよ」と言う人がいるかもしれません。そもそもこんなこと考えもしないという人もいるかもしれません。私も普段はあまり考えないと思います。大きな環境の変化や、毎日の忙しさ、本番が近づいていること、あとは考え事…などなどで疲れが溜まっているのかもしれません。疲れてくると、ちょっとした事でも深く考える癖があるので(笑)
「自分」を見つけたい。
いつも流されてばっかのフラフラとした私も「自分」だけど、そうするとその場その場に合わせて演じ続ける「自分」になってしまう。
どれだけ人と関わっても、どれだけ演劇の経験を重ねても、自分を見失ってばかりいる。そもそも「本当の自分」なんて見つかってないのかもしれない。「本当の自分」なんてないのかもしれない。演じている私全てが「自分」と言えるかもしれない。まだまだ答えは見つかりそうにないです。それでも今は大丈夫かな。なんとかなるしなんとかする。
とりあえず今は、無事に舞台を終わらせたい。
自分なりのやり方で、役をつかみたいと思います。

今日は仕込み3日目でした。
先輩方に教わりながら手探りでやってます。
こうやって作るのかという新鮮さと、高いところでの作業が多いことに対する怖さと、色々思うとこはありながらやっています。
舞台がだいぶいい感じに完成に近づいてて、「人間の力ってすごいなぁ…」と感じております。
それと同時に、青春だなぁなんて感じたりもしています。自分達で自分達の舞台を作るなんて、なかなかないと思う。みんなの頑張る姿、どうしたら綺麗にできるか悩む姿、無事にできて笑い合う姿すべてが、美しいと感じました。

さて、舞台が終わった後、私はどうなるのでしょうか。ギリギリの精神力で食いつなぐように今を生きてきた私は力尽きるのか、それとも何も変わらずに終えるのか。


どんな終わりを迎えても、私はまた歩き始める。