長野県諏訪二葉高等学校校長日記 2014・2015

諏訪二葉高校の校長です。校長の視点から学校の様子をお伝えしたいと思います。登校日毎日更新を目指します。ご愛読願います。

8月11日(火)二葉気質(かたぎ) 2015-116

2015-08-11 06:20:14 | 日記

 

 

 昨日の3年生の補習の様子です。

 さて、今日も『天つ野』第22号の特集記事についてです。昭和37年(1962年)3月7日発行です。

 「二葉気質(かたぎ)」についての特集です。

 現在の二葉生といえば、「素直」、「親切」、「気遣いができる」、「やさしい」、などというイメージを私は持っていますが、この特集を読んで、ある意味「仰天」しました。

 そこには、私の知らなかった「二葉気質(かたぎ)」が語られていたからです。

 「二葉生は冷たいと言うけれど」と書かれていたのです。「えぇ、それってどういうこと、なぜ?」。思わず、気になって特集記事をくまなく読み込みました。

 

 こんな記述もあります。

 当時勤務していたある先生の文章です。

 「かすりの着物に白い衿(えり)、海老茶の木綿ばかまに白足袋はいて、白い鼻緒をすげた朴歯(ほうば)の日和下駄(ひよりげた)に身を固め、掛かばんをかけて京大阪を闊歩した女学生旅行隊の姿が、今なお残る二葉生気質ではないだろうか」の書き出しで始まるこの投稿原稿。

 さらに、こんな記述もあります。

 「事に臨んで敏捷に的確な判断を下し、直ちに断を下して実行し得る頼もしい奥様が多い同窓生を見ても、亭主操縦術の巧みさに感心するとともに、女丈夫型が一つの気質になっているのだと思う。」というものです。

 こんな記述も。

 「私の長男は独身だが、『どうせ僕は二葉の卒業生と結婚させられそうだが、余り早く見つけてくれないように。結婚してしまえばどうせかかあ天下になるだろうから自分の買いたいものも買えなくなってしまう。だから今のうちに必要なものを買っておこうと思う。』と言う。毅然として動じないところがあり、世の男性を征服せずにはおかぬ気概もまた共通のものであろう。」

 まぁ、これは、「二葉の卒業生に限定されてはいない」と、女子校出身の妻を持つ私は思います。おっと、私的な感情を書いてしまいました。すみません。

 「廊下で筆入れをひっくり返したり、階段をふみ外してノート類をおっことしたりした時でも、拾ってくれる生徒は少ない。親切の押売りをしては却って迷惑かと、素知らぬ顔ですませるところが二葉生気質か」との記述もありました。

 「良妻賢母型の女性養成機関だと人は言うが、平凡な生活に満足できないのも本校生徒の特長ではないだろうか」ともありました。

 さぁ、皆さんは、どんな感想をお持ちでしょうか。特に、卒業生の皆さんに、聞いてみたくなりますね。

 私は、「スクール・アイデンティティー」と呼ばれるるものについて、思いをはせました。

 それぞれの高校には、その学校独特の、何と言いましょうか、「文化」というか「伝統」というか、そんなものがあるような気がします。また、そうしたものが、それぞれの学校の「校風」を形成しているのかもしれません。しかし、その「校風」も、全く同じ形で継承されてきているのではないことが、今日の「校長日記」からもおわかりいただけたと思います。

 少なくとも、今の二葉生は、総体として「冷たく」ありませんから。

 


8月10日(月)高校校長会普通部会総会・研究協議会 2015-115

2015-08-10 19:42:14 | 日記

 

 

    昨日、校長住宅の前の道路を使い、映画のロケが行われていました。結構夜遅くまで、撮影をしていました。

 過日、スタッフの方と諏訪市役所の方が、校長住宅まで、挨拶にお見えになりました。

http://www.suwafc.com/news/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B9%96%E3%81%8C%E8%88%9E%E5%8F%B0%EF%BC%81%E8%B1%AA%E8%8F%AF%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%AE%9A/

 昨日も暑くて、スタッフの方が、「水を使わせてほしい」との申し出があり、住宅の水道水をお貸しました。ロケの準備の様子は撮影しても構わないといわれましたので、写真を撮らせていただきました。けっこう、エキストラの人が来ていましたね。彼らのために、本校の第二駐車場も、昨日はお貸ししました。

 今回とは別の映画の企画で、「本校を撮影させてもらえないか」とのお話もありました。また、企画書を学校にお持ちくださるとのことですので、その時に、詳しく内容を伺い、先生方にも相談しながら、どうするか考えようと思っています。かつて、長野西高校が映画の撮影に協力したことがあったことを思い出しました。

 昨日は、午前中に出勤し、12日の会議資料の校正等をおこない、午後は、はやめに住宅に戻り、ロケがあったので、校長住宅から出ないようにしていました。

 さて、本日午後、長野市内で標記の会議があり出かけてきました。年に2回行われ、今回が初回になります。ホテル信濃路が会場です。

 今日は、小林阿南高校校長先生と一緒に出かけてきました。道中、様々な話をしましたよ。1年間、「同じ釜の飯を食べた仲間ですから」ね。

 会議以外に、講演会もありました。

 「協働した学びを充実させるためのICT利活用教育」という演題で、前神奈川県立城山高等学校長の関先生からお話を伺いました。

 講演内容は、期待通りの素晴らしいものでした。

 「PDCAサイクル」がうまくいかなかったときに、どこに原因があるのか。

 PLAN→DO→CHECK→ACTIONのサイクルが上記のものです。

 関先生は、「Pの計画段階に問題があると思いがちだが、実は、DOの実践に問題がある」と指摘してくださいました。なるほど、この言葉だけは、忘れないようにしようと思い、この「校長日記」にも記しておきます。

 「理科ネットワーク、一般公開版」のサイトも教えていただきました。

 以下からご覧いただけます。本県の小中高の理科の先生方、ぜひ、のぞいてみてください。

 http://rikanet2.jst.go.jp/

 先週土曜日の「アクティブラーニング型授業」の講演といい、今回の講演といい、非常にたくさんのことを学びました。

 2学期の教育活動にどのように具体化するか、また、考えてみようと思っています。

 今日の『天つ野』は、第21号の続きです。

 「合宿記」と「他校生の見た二葉祭」です。ぜひお読みください。非常に興味深いものがあります。

 


8月8日(土)長野県高等学校歴史教育研究会夏季研究会 2015-114

2015-08-08 08:14:54 | 日記

 本日午後、標記の会を松本県ヶ丘高校を会場に行いますので、会員の野澤先生、武田先生と共に出かけてきます。

 「縣陵」は、たくさんのことを学び、多くの友を得た、わが母校でもあります。こちらもまた、FBのおかげで、旧交を温めることもできた友人もいます。

校歌碑 「若き我等」

 「♪ 風が十字に 荒らぶれ狂う……」との校歌冒頭の歌詞は、高校入学時、衝撃を受けたものでした。あの「ふるさと」の作詞者高野辰之氏作詞、前任校の軽井沢高校の校歌の作曲者でもある信時潔氏作曲の、この校歌「若き我等」は、今でも歌えますよ。入学当時は、「校歌・応援歌をまず全部覚えなければ……」と、授業どころではなかったことを思い出しました。

 初代校長「小松先生頌徳碑」は、哲学者西田幾多郎先生の揮毫です。

 小松武平校長先生は、かつて教頭として勤務した上田高校の前身の旧制上田中学校の第2代校長先生、旧制諏訪中学校(現諏訪清陵高校)の校長先生も務められています。旧制諏訪中学校校長から新設の松本第二中学校(現松本県ヶ丘高校)の初代校長として赴任され、文字通り、新しい学校をつくり、現職のまま亡くなられています。「縣陵の三大精神」を遺されています。この「三大精神」、縣陵出身者であれば、誰でも唱えることのできるものなのです。応援練習で叩き込まれましたから。もちろん、私も言えますよ。

 だからこそ、本校の教育目標である、「自主・努力・感謝」は、「二葉生ならば、誰でも言えるようにしたい」と、密かに思っているのです。さらに、この底流に流れる考え方を、実際の行動規範にしてほしいと願っています。今度の始業式でも、少しそのことについてふれるつもりで、原稿を準備しています。

 おっと、話がそれました。

 この会、事務局の上田染谷丘高校の市川先生には、大変お世話になっています。

 今回の総会で、会長職が、松沢総合教育センター教職教育部長さんから、野沢北高校の西沢校長先生に代わります。西沢校長先生よろしくお願いします。私も、かつて会長職を務めましたが、いまは、一会員として、会の発展のために及ばずながら、協力していくつもりです。

 総会後、講演会、会員による研究発表が行われます。

 講演会は、今話題の「アクティブラーニング型授業~やってみってわかったこと~」との演目で、話を伺います。

 研究発表は、「歴史と現代を繋げ、本質を考えよう」、「反転授業について」の二本です。

 今回も、非常に楽しみにしています。

 校内では、本日と明日、3年生の模擬試験が行われています。監督の先生方、よろしくお願いします。3年生諸君は、現時点での自分の実力がどのへんにあるのか、みきわめるとともに、模試の問題を、終了後、解説を見ながら、もう一度じっくりと解き直してほしいものです。


8月7日(金)H27諏訪リフレッシュツアーJr.BOSAIミライ交流in SUWA 2015-113

2015-08-07 18:04:32 | 日記

 

 昨日の3年生の補習の様子です。 頑張れ!!3年生!!

 本日午前中、校長室で仕事をしていますと、福井県越前市の和紙の里三館(紙の文化博物館・卯立の工芸館・パピルス館)館長の川崎さんが、本校を訪問してくださいました。猿橋司書が校長室まで案内をしてくれました。

 話を伺うと、「梶の木について調べられている」とのことでした。つっこんで話をうかがうと、「楮の前はカジノキを、和紙の原料に使っていた」との話でした。このことは初耳でした。梶の樹皮は楮(こうぞ)と同様に、製紙用の繊維原料として使われていたことを知りました。

 そこで、本校の正門の横に植えている「カジノキ」の写真を撮りにお見えになったとのことです。私が知りうる「本校のカジノキ」についての由来をお話し、関係資料をお渡しました。9月には、校長会用務で福井市に伺います。越前市に伺えるかわかりませんが、「和紙の里三館」、いずれの日にか訪れたい場所となりました。

 さて、標記のタイトルの交流が行われています。

 この交流の目的は以下のとおりです。

 諏訪市と交流のある東日本大震災被災地の小中高生を諏訪市に招き、諏訪市の児童生徒との交流を深める中で、お互いに思いやる気持ちを培うとともに、自然や災害と向き合う心を養い防災意識を高めることによって、高い志を持って力強く未来を生きるための「生きる力」を身につける。

 実施機関として、主催は、諏訪市、諏訪市教育委員会、諏訪市校長会。後援は東松島市教育委員会。対象は、東松島市内各小中学校、宮城県東松島高等学校、宮城県石巻西高等学校、諏訪市内小中高校の児童生徒です。もちろん、3月に東松山市に伺った本校の生徒2名も参加予定でしたが、1名のみに参加になりました。私も本日午後から参加しました。石城諏訪清陵高校校長先生も一緒でした。

 東松島市の小中高校生は、8月6日から8日までに2泊3日間で、諏訪市の小中高校生は、本日1日参加します。

 宮城県からは40名強の参加者があり、諏訪市内各校から30名強の小中高校生が参加します。諏訪市校長会、高等学校長、諏訪市教頭会、養護教諭、諏訪市職員も総勢25名ほど参加する一大イベントです。

 諏訪市内の小中高校生は、7時50分に文化センターに集合。

 8時30分に蓼の海で東松島市児童生徒と合流

 8時40分 蓼の海を出発し、霧ケ峰に移動

 9時20分 八島高原「あざみ館」着 合流セレモニー実施

 10時 霧ケ峰 八島湿原見学等

 11時30分 霧ケ峰出発

 11時50分 蓼の海 森林体験学習館到着

 

 昼食後、東松島市・諏訪市の小中高校生の自然学習・防災学習交流を行います。

 昼食後、小島諏訪市教育長さんのお話を伺い、その後、前宮城県石巻西高等学校長齋藤幸男先生(現仙台大学教授)のお話を伺いました。齋藤先生のお話は、校長会でも1度お聞きしています。

 小島教育長さんのお話 「諏訪の災害の特徴」

 上の多くの写真を張り合わせたものは、なんと、遠くから見ると、齋藤先生のお顔なのです。驚きました。

 齋藤先生のお話 「災間を生きる君たちに」

 小島教育長さんのお話の中で、諏訪市で過去にあった平成18年7月の水害の話は、私も当時、災害派遣で参りましたので、非常に興味深く話を伺うことができました。

 齋藤先生のお話は、あの東日本大震災の津波被害とその後の対応の話が中心でしたが、小学生・中学生・高校生に対して、非常にメッセージ性の高いお話でした。

 本校の生徒たちにもぜひ、一度、話をしてもらえないかと思った次第です。そんなことを考えながら、学校に再び仕事をするために戻りました。そして、やっとの思いで完成させた原稿を、高校校長会事務局に送りました。

 この後、蓼の海出発が18時30分。19時に解散となります。


8月6日(木)3年生諸君、学校で勉強しないか 2015-112

2015-08-06 15:49:58 | 日記

 本日、3年生の補習の様子を見るために、教室に行きました。2期補習に入り、少し、受講者が減ってきているのではないかと思い、担当の先生方に伺いますと、口々に、「例年に比べ、補習の参加者が少ないような気がします。家で勉強していればいいのですが、そんな状況だとは思えませんし、学校で勉強していれば、みんながやっているから励みにもなるし、勉強以外にやることがないから、勉強するし、わからないことがあれば、先生方に聞けばいいんだが……」とおっしゃるのです。

 この「校長日記」を読んでいる3年生諸君、ぜひ、学校で勉強しましょう。補習の合間の時間は、図書館、学習室等々、学習する場所はたくさんありますから。

 休み時間に話をした3年生たちは、「家にいると、なかなか勉強できないんですよ」とも言っていました。「でも、学校に来れば、みんな勉強しているから、自分もその気になって勉強できる」と言っていましたよ。

 日本史の補習 

 地理の補習

 図書館での自学自習

 たくさんの仲間が、学校で勉強しています。

 明日の生物の補習は、「実験」をするそうです。そちらも、よろしく。

 確かに学校も暑い。南校舎4階の廊下の温度計は、35℃を14時の段階で指し示していました。

 以下は、本日の1・2年生の部活動の様子です。

 さて、昨日の「校長日記」、少し愚痴っぽくなりましたが、昨日午後、休みをとり、校長住宅で集中して一気に原稿を書き上げました。 

 学校だと、暑くてボーとしてきますが、一応、校長住宅には、エアコンが入っていますので、冷房をかけながら、原稿を書きました。少しほっとしました。予定原稿枚数を大幅にオーバーしましたので、今日はその削減作業を行います。さらに、もう1回、誤字脱字がないか確認して、原稿を長野県高等学校長会事務局に送ります。

  さて、『天つ野』第22号(昭和37年(1962年)3月7日発行)には、特集として、寄宿生活が取り上げられています。

 現在、寄宿舎は取り壊され、その土地は売却され、その資金が、プール建設に回されたと、『写真でかたる二葉百年のあゆみ』に記されています。その寄宿舎跡は、通称「カップルロード」沿いにあり、私もゴミ拾いの帰り道によく通るところです。近くの皆さんから、「あそこが寄宿舎があった場所で、女学生が寄宿舎生活していたんだよ」などと、教えていただきました。

 寄宿生活をしながら、通学していた「二葉生」の様子を、以下の記事等からお読みいただければ幸いです。

 


8月5日(水)困りました 2015-111

2015-08-05 06:10:46 | 日記

 困りました。今週末締め切りの原稿が、いまだ手付かずなのです。構想はありますが、暑くもあり、それが、なかなか原稿になりません。

 そうはいっても、今日と明日、なんとかして、原稿を書き上げます。

 昨日の「校長日記」で書き忘れたことがあります。新しいALTが、昨日担当の柳澤先生と、校長室に挨拶に来ました。本校の教育活動のために、よろしくお願いします。

 この「校長日記」を書いている場合ではないのですが、夏休み中にも、「『天つ野』にみる諏訪二葉高校」を連載しようと心に決めていますので、こちらも手をぬけません。

 今日の『天つ野』は、第21号。昭和36年(1961年)3月7日発行です。

 校長先生は、中村寅先生から宇野勝房先生に変わられました。

 二葉祭は、7月23日、24日に行われていますね。

 内容は以下の写真のとおりです。

 

 いつもの「日々の記録」も一部紹介します。

 最後に、昭和35年度学窓日誌から12月から3月までのものを掲載します。


8月4日(火)講座編成 2015-110

2015-08-04 13:30:38 | 日記

 本校では、生徒諸君、保護者の皆さんご存じのとおり、1年次には基本的にクラス単位で授業を受けています。

 ところが、2年次になると、生徒の希望による文理わけに伴い、クラスでの授業が一切無くなり、6クラスを6講座展開する「講座別」の授業展開となります。さらに3年生になると、6クラスを7講座展開する「講座別」の授業としています。

 2年生の文系は、古典A、日本史Bor地理B、地学基礎、探求生物、音楽or美術or書道、英語講読から選択受講します。

 2年生の理系は、地理B、物理基礎、化学を受講します。

 2年生は、それ以外の必修科目がありますが、いずれも、講座ごとに、「帯」で受講するために、よって、前述のとおり、クラス単位の授業が無くなるわけです。

 1年生の保護者の皆さんは、まだ、このへんのこと(2年次以降の講座編成のこと)を十分にご存じないかと思い、あえて書きました。

 本校は、たとえば、こうした授業展開からみても、学習集団の基本は、「クラスというより、学年である」と、私自身は考えています。

 夏休み中に、1年生の諸君は、来年度の講座編成もあるので、自分の進路設計も考えていってほしいと思います。

 今日の『天つ野』は、第20号の紹介です。昭和35年(1960年)3月5日発行です。

 この号は、『天つ野』のこの20号の軌跡を特集しています。

 中村寅校長先生は、本校の歴史に関して、「覚えがき」として、執筆されています。

 1年を顧みる写真も、時代を感じますね。伊勢湾台風救援物資発送は、昭和34年の伊勢湾台風に関してです。

 「生活雑記」の6月24日の記事。なんとも、「女心」といいましょうか、「乙女心」といいましょうか、非常に、ある意味、自分自身の中で納得して、腑に落ちて、読んでしまいました。

  本日午前中に、小海高校の先生方が2名が、学校訪問に来校されました。私から「話を聞きたい」ということで、過日、大井校長先生から打診がありました。小海高校は、平成10年度から平成16年度まで、7年間お世話になった学校です。平成17年度に、教頭職に就きましたので、「教諭」として勤務した最後の学校になります。

 今思い返しても、「自分の教師としての在り方のターニングポイント」となった学校であり、生徒とともに様々なことを実践できたなつかしい学校になります。様々な失敗もあり、先生方や生徒に迷惑をかけたこともありました。

 すでに、話す内容の骨子は考えましたが、質問に答えながら、自分の拙い実践を話しました。教頭先生と竹村先生、濱崎先生も同席して、私の話を聞いていました。どこか、民俗調査のときの、「話者」になった気分で、質問に答えていました。民俗調査では、「このムラで、一番古い家は、何と呼ばれますか。たとえば、クサワケといった言い方もありますが。」などと伺いますが、質問に答えるというのは、新鮮でした。

 先ほど、校内を見学され、お帰りになりました。

 早速、大井校長先生に報告をしました。

 実は、「Facebook」に、6月下旬に登録しました。どうしても登録しなければならない状況が生じたからです。

 いろいろ探していましたら、小海高校の教え子たちと、「友達」になることができ、さまざまなことを、パソコンを通じて話が出来ました。とてもうれしく思ったと同時に、「Facebook」の威力を思い知りました。

  

 その後、吹奏楽部の顧問の濱崎先生と北原部長が、8月2日の大会結果を報告に校長室に来てくれました。昨年より、ポイントはかなりあがっての銀賞とのことです。3年生はこれで引退かと思います。「切り替えて、受験勉強をしっかりやってください。」と、部長には話しました。

 先週の土曜日に、大学同期の千葉県立柏の葉高校の渡部徹校長先生が、この校長でも紹介してきた「社会科教育研究会」の開催前に学校見学に来校し、しばし、話をし、その後、校内を案内して回りました。

 「明治のピアノと私」 渡部校長撮影

 そのことを、彼が執筆している「校長日記」に取り上げていただきました。以下からご覧いただけます。本校のことを詳しく、そして、「好意的」に取り上げていただき、ありがとうございました。

http://saas01.netcommons.net/kashiwanoha/htdocs/?page_id=10428

 まったくの偶然ですが、昨日、渡部校長先生の勤務校の柏の葉高校野球部が、本校野球部と第二グランドで練習試合を行いました。何とも不思議な縁を感じました。

 


8月3日(月)研修最終日 2015-109

2015-08-03 06:57:49 | 日記

 研修最終日を迎えました。

 本日は大濱徹也会長さんのお話をうかがいます。

 その後、解散となります。

 昨日の巡検で、印象に残ったことを二つ書きます。

 一つは、大濱先生から教えていただいた、「諏訪海苔商団御湯花講」の存在です。上社本宮に、その業績をたたえた石碑がありました。

 もう一つは、茅野市神長官守矢史料館です。非常に勉強になりました。

 

  

 校内では、3年生の第2期補習が今日から始まっています。

 研究会終了後、学校に戻り、この補習の様子を見ようと思っています。

 今日の『天つ野』は、第19号です。昭和34年(1959年)3月5日発行です。校長先生が、片瀬校長先生から中村寅校長先生に変わられました。

 

 

 以下の、「ルーム日誌より」は、読んでみると非常に面白いのです。一部紹介しますね。

 

 


8月2日(日)本日の研修 2015-108

2015-08-02 15:23:41 | 日記

 本日は諏訪大社上社本宮と前宮及び諏訪湖の巡検を行いました。

 地元の方に諏訪大社の案内をしていただきました。「スワニミズム」の会員の皆様です。石城諏訪清陵高校校長先生も、巡検に参加してくださり、私どもに、「諏訪信仰」など、様々なことを教えていただきました。みなさん、暑い中、ありがとうございました。

 

 

  

 若いころは、この夏の暑さをものともせずに、日中歩いたんですが、さすがに皆、いい年になってきまして、あまり長い時間、日中動くことはしないように計画を立てています。

 話は変わり、昭和32年(1957年)の二葉について少し記しましょう。

 この年、創立50周年記念事業が行われていました。

 一番は、「独立図書館建設」であったことが、昭和33年(1958年)3月8日発行の『天つ野』第18号に記載がありました。

 この『天つ野』に、群馬県立館林女子高校生徒会(6月22日)、酒田西高校生徒会来校(10月)という記載もあります。

 7月25日、第1回臨時総会がおこなわれ、「この日は来たるべき二葉祭に関して、名称を正式に「二葉祭」とする旨、決議した」とあります。昭和32年(1957年)7月に、「二葉祭」という名称が正式に決まったということです。

 

 

 以下の「小品」。非常に楽しく読ませてもらいました。文才があります。

 兄ちゃんへの手紙

 兄ちゃん。おらも元気だよ。すばらしいカッパありがとう。カッパじゃねえ。レインコートっていうんだね。おらも高校1年生になっただ。おら達の学校はいい学校だよ。景色はいいし、建物はきれいだし寄宿舎だってぜんぜん自由だしさ。初めのうちは家さ帰りたくて、ごはん食べるのもいやな時があっただが、だんだん慣れて来た。でも夏休みになって、家へ帰った時はとてもうれしかっただ。寄宿の裏には小高い丘がある。そこに登ると町中が見えるよ。先生は皆やさしいし、友達もすぐ出来た。でもどうしても困る事があるだ。おら組中で一番、いや学校中で一番かもしれねえ位、言草が悪いだ。一生懸命いい言葉を使おうとするだが、どうしても「おら」って出てしまうと、皆に笑われるだ。おら話すのも嫌でたまらなかったけど、だんだんだんだん直しているよ。(後略)

 これ、素晴らしい小説なのです。私小説なんだろうなぁと思いながら読みました。


8月1日(土)社会科教育研究会(上諏訪大会) 2015-107

2015-08-01 14:15:36 | 日記

 

 昨日午後、保健委員会の生徒たちが、来年4月の健康診断で使うものを、被服室で製作していました。丸山先生、須田先生、ご指導ありがとうございました。

 先日紹介した、「ランチバッグ」の完成品です。

 昨日の部活の様子です。

 本日午後から3日午前中までの2泊3日で、標記の研究会を行います。33回目の大会です。この会の会長は、私の恩師の一人、筑波大学名誉教授の大濱徹也先生です。

 昨年度は同時期、伊豆で行ったものです。この「校長日記」でも紹介しました。今回、30名ほどの会員が、諏訪に来ます。

 昨年の「校長日記」でも書きましたが、今回、私が、さまざま段取りをするように言われていましたので、JTBにお願いして、事務局の一倉さんと共に、ここまで準備を重ねてきました。

 ホテル鷺乃湯を宿泊場所とし、大学同期の友人などの会員による発表があり、近況報告があり、さらに、諏訪大社上社本宮・前宮及び諏訪湖の巡検も行います。結構盛りだくさんな内容です。

 

 大会がうまくいくように、この3日間は、大会運営に専念します。

 会合は午後からですが、千葉県の県立柏の葉高等学校で校長職を勤めている友人の渡部君が、「田澤君の学校を見せてほしい」というので、午前中、学校を案内します。彼も、「校長日記」をウェブサイト上で書いています。こんな感じです。

http://saas01.netcommons.net/kashiwanoha/htdocs/?page_id=10428

 そんな中、会員の友人が、7月下旬、急な病で亡くなってしまいました。彼は、大学同期で、1年生のときは、同じクラスだったので(私の学部〈学類と呼んでいましたが〉は、6クラス、1クラス20名強に分けられていたと記憶しています)、学生宿舎に遊びに行ったり、仲良くさせてもらっていました。大学卒業後も、郷里の山形県で教職に就くかたわら、この研究会で必ず毎年会っていた仲間です。仲間が亡くなるというのは、ショックがありますね。

 おふくろが亡くなった時にも思ったんですが、「明日は何があるかわからないから、今日を精一杯生きる」と、今はそんな気持ちです。

 今日の『天つ野』は、第17号。昭和32年(1957年)3月8日発行です。

 この年の写真から

 片瀬校長先生の巻頭言「十年の回転」

 皆さん、最後の段落、今でも十分に通用するいい言葉だと思いませんか。

 短歌にはこんなものが掲載されています。

 ○ともしびの青き光をなつかしみ

  秋の夜ながを読書にふける

 ○落つる日を受けてたわわの柿の実の

  輝き満つる村の細道

 「高島藩政について」という地歴部の研究発表も目に留まりました。

 「昭和31年度二葉会行事録」に「一年生徒の対談」という記事がありました。

 「一年生が四月に入学して早や三か月。落ち着き始めた一年生の考え、経験した事、上級生への疑惑や学校の諸制度に対して理解しがたい点など解決するという主旨で行われた。」とありますが、「二葉生について」のなかに、「○三年生になるとずくがなくなるし、冷たくなる。上級生はえらそうに見えるが常識が足りないと思う。○服装の派手な人がいる。」などの記載が見られました。うーん、具体的なことが書かれていないうえに、対談における一部の意見のみで、すべてを判断することは控えなければいけないと思いますが、こうした意見を一年生が出していること自体を、今の時代と比べてしまいます。今の高校一年生は、先輩に面と向かてこんな辛辣なことを言えますか?言えないと思うからです。 

 なお、昭和31年度(1956年度)の新入生から、現在の標準服が制定されています。今の二葉の標準服、歴史があるわけですよね。今が2015年ですから、もうじき60年を迎える標準服なのです。

 先日、本校の卒業生の方と話す機会があり、この標準服を今も大切に保存しているとのことでした。娘さんが二葉に入学した時に(今はもう卒業しています)、同じ標準服を着たのを見て、いたく感激したと伺いました。「お母さんの標準服を娘さんに着せることはなかったのですか」と聞きますと、「素材が違うんです。私の時代は、今の服に比べ、重かったですね」とのお言葉。素材が変わってきていることまで気がつきませんでした。

 

 強歩大会もこの昭和31年に始まりました。

 以下のオクレンジャーは、昨日夕方配信したものです。3年生の保護者と本人向けの配信です。

模試の日程等について 【(3年 or 職員)  宛て】

 3年生は、現在、夏期補習に取り組んでいます。ほとんどの生徒が参加をして頑張っています。補習期間はHRがないため、進路関係の連絡徹底が図れません。申し訳ありませんが、以下の点について、お子さんにご連絡をお願いします。

1.補習期間中の連絡事項を各教室の後ろの黒板に掲示をします。毎日、必ず確認をしてください。
2.8月8日(土)、9日(日)には全統マーク模試があります。全員受験です。
日程は、各教室に掲示をしてあります。
やむを得ない事情で、受験日に受験できない場合は自宅受験となりますので、「自宅受験調査表」を8月3日(月)に担任の先生に提出してください。担任が不在の場合は、進路室下條か英語科田口に提出をしてください。
3.8月8日(土)は、模試終了後、小論文模試を実施します(希望者)。
申し込んだ人は、受験料2,100円を配付された集金用封筒に入れ、進路室下條に提出をしてください。
4.本日、秋季補習の申込みができなかった人は、3日(月)に必ず申し込んでください。
07/31 17:49