昨日の3年生の補習の様子です。
さて、今日も『天つ野』第22号の特集記事についてです。昭和37年(1962年)3月7日発行です。
「二葉気質(かたぎ)」についての特集です。
現在の二葉生といえば、「素直」、「親切」、「気遣いができる」、「やさしい」、などというイメージを私は持っていますが、この特集を読んで、ある意味「仰天」しました。
そこには、私の知らなかった「二葉気質(かたぎ)」が語られていたからです。
「二葉生は冷たいと言うけれど」と書かれていたのです。「えぇ、それってどういうこと、なぜ?」。思わず、気になって特集記事をくまなく読み込みました。
こんな記述もあります。
当時勤務していたある先生の文章です。
「かすりの着物に白い衿(えり)、海老茶の木綿ばかまに白足袋はいて、白い鼻緒をすげた朴歯(ほうば)の日和下駄(ひよりげた)に身を固め、掛かばんをかけて京大阪を闊歩した女学生旅行隊の姿が、今なお残る二葉生気質ではないだろうか」の書き出しで始まるこの投稿原稿。
さらに、こんな記述もあります。
「事に臨んで敏捷に的確な判断を下し、直ちに断を下して実行し得る頼もしい奥様が多い同窓生を見ても、亭主操縦術の巧みさに感心するとともに、女丈夫型が一つの気質になっているのだと思う。」というものです。
こんな記述も。
「私の長男は独身だが、『どうせ僕は二葉の卒業生と結婚させられそうだが、余り早く見つけてくれないように。結婚してしまえばどうせかかあ天下になるだろうから自分の買いたいものも買えなくなってしまう。だから今のうちに必要なものを買っておこうと思う。』と言う。毅然として動じないところがあり、世の男性を征服せずにはおかぬ気概もまた共通のものであろう。」
まぁ、これは、「二葉の卒業生に限定されてはいない」と、女子校出身の妻を持つ私は思います。おっと、私的な感情を書いてしまいました。すみません。
「廊下で筆入れをひっくり返したり、階段をふみ外してノート類をおっことしたりした時でも、拾ってくれる生徒は少ない。親切の押売りをしては却って迷惑かと、素知らぬ顔ですませるところが二葉生気質か」との記述もありました。
「良妻賢母型の女性養成機関だと人は言うが、平凡な生活に満足できないのも本校生徒の特長ではないだろうか」ともありました。
さぁ、皆さんは、どんな感想をお持ちでしょうか。特に、卒業生の皆さんに、聞いてみたくなりますね。
私は、「スクール・アイデンティティー」と呼ばれるるものについて、思いをはせました。
それぞれの高校には、その学校独特の、何と言いましょうか、「文化」というか「伝統」というか、そんなものがあるような気がします。また、そうしたものが、それぞれの学校の「校風」を形成しているのかもしれません。しかし、その「校風」も、全く同じ形で継承されてきているのではないことが、今日の「校長日記」からもおわかりいただけたと思います。
少なくとも、今の二葉生は、総体として「冷たく」ありませんから。