追波川(北上川)を渡り、しばし山間を進むと、やがて雄勝町に入る。
特産品は、魚介の他、雄勝石とその加工品。
町の入り口を示す案内にも、雄勝硯の飾りがあった。
西の硯けん上山じょうさんを背後に、奥まった雄勝湾が漁港を成している。
その雄勝港に沿って、町があった。
・・・はずであった。
流れ込む水は重く、押すのも引くのも物凄いなのだと思い知る。
湾岸にぎっしりと並んでいた家や店が無い。
代わりに、壊れた町の断片や港の物が積まれている。
残っている建物も、酷く傷んでいる。
弓なりの道を行くと、雄勝庁舎が目の前に現れた。
庁舎入り口には、既に「津波襲来」を伝える碑が建てられていた。
敷地内に、仮設の商店が作られている。
壊れた庁舎の中から、鳥の声がした。
イソヒヨドリがいる。
庁舎から雛の声が聞こえ、子育ての真っ最中だった。
生ぎでんだもの。
痛いことも辛いこともあっけど、あれ食いたいとか、おもしぇなぁとか思う時だってあんだよ。
そういう声が、聞こえてくるようだ。
雄勝湾に沿って幾分道を戻り、南側の道を進んでいく。
波打ち際の見える所で、海を見ると、水面の下の石が透けている。
雄勝の海は、何と澄んでいることか。
震災で沈んだ物が多くあるが、この海を守るために、幾度も海底掃除を行っているそうだ。
雄勝湾に沿った、庁舎の対岸の方に来ると、呉壷くれつぼという地区がある。
そこに、支倉六右衛門造船の地という碑があった。
江戸の初期、政宗公は、イスパニア(スペイン)領だったメキシコと交易しようと、イスパニアやローマに使節を派遣する。
そのために西洋式の帆船が造られた。
船の名は、「サン・ファン・バウティスタ」という。
その造船地と伝わるのが、雄勝町だ。
ただし、出航の地は、石巻湾の月浦だとされている。
ということは、雄勝で造船された「サン・ファン・バウティスタ」は、牡鹿半島をぐるりと回って月浦に出た後、使節団を乗せて正式に出航したのかもしれない。
造船の地と言われる場所から、雄勝湾を望む。
湾内には、青い水面に養殖の浮きが映える。雄勝はホタテの養殖が盛んな所。
また、たくさんのホタテが水揚げるよう願っている。