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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
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南三陸町から石巻・その6(雄勝町):2012年7月の記録

2017-09-21 17:11:27 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

追波川(北上川)を渡り、しばし山間を進むと、やがて雄勝町に入る。

特産品は、魚介の他、雄勝石とその加工品。

町の入り口を示す案内にも、雄勝硯の飾りがあった。


西の硯けん上山じょうさんを背後に、奥まった雄勝湾が漁港を成している。

その雄勝港に沿って、町があった。

・・・はずであった。


流れ込む水は重く、押すのも引くのも物凄いなのだと思い知る。

湾岸にぎっしりと並んでいた家や店が無い。

代わりに、壊れた町の断片や港の物が積まれている。


残っている建物も、酷く傷んでいる。

弓なりの道を行くと、雄勝庁舎が目の前に現れた。 

庁舎入り口には、既に「津波襲来」を伝える碑が建てられていた。


 

敷地内に、仮設の商店が作られている。


壊れた庁舎の中から、鳥の声がした。


イソヒヨドリがいる。

庁舎から雛の声が聞こえ、子育ての真っ最中だった。


生ぎでんだもの。

痛いことも辛いこともあっけど、あれ食いたいとか、おもしぇなぁとか思う時だってあんだよ。

そういう声が、聞こえてくるようだ。



雄勝湾に沿って幾分道を戻り、南側の道を進んでいく。

波打ち際の見える所で、海を見ると、水面の下の石が透けている。

雄勝の海は、何と澄んでいることか。


震災で沈んだ物が多くあるが、この海を守るために、幾度も海底掃除を行っているそうだ。


雄勝湾に沿った、庁舎の対岸の方に来ると、呉壷くれつぼという地区がある。

そこに、支倉六右衛門造船の地という碑があった。


江戸の初期、政宗公は、イスパニア(スペイン)領だったメキシコと交易しようと、イスパニアやローマに使節を派遣する。


そのために西洋式の帆船が造られた。

船の名は、「サン・ファン・バウティスタ」という。

その造船地と伝わるのが、雄勝町だ。


ただし、出航の地は、石巻湾の月浦だとされている。

ということは、雄勝で造船された「サン・ファン・バウティスタ」は、牡鹿半島をぐるりと回って月浦に出た後、使節団を乗せて正式に出航したのかもしれない。


造船の地と言われる場所から、雄勝湾を望む。

湾内には、青い水面に養殖の浮きが映える。雄勝はホタテの養殖が盛んな所。

また、たくさんのホタテが水揚げるよう願っている。



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