<お出かけ先>国立演芸場(二月中席)
<着物>グレーの無地結城
<帯>白鼠地にうさぎのアップリケのちりめん帯
<帯揚げ>ピンクに赤の飛び絞り
<帯締め>ピンクの三分紐
<帯留め>三味線
<根付>撥
2月11日(祝)、国立演芸場の二月中席へ行ってまいりました。
2日連続の三宅坂です。
寒かったうえコーデをあれこれ考えている時間がなかったので、着物は前日と同じグレーの無地結城。
寄席は何かにつけ縁起を大切にするので、うさぎちゃんの帯にしました。鹿芝居の評判がどんどん「跳ね上がる」ようにと縁起を担いだつもり。
帯留めと根付と三分紐は、時間がなかったのでこれまた前日と同じです……。
寄席には出囃子がつきものなので、一応ちなんだということで。
◆◇◆◇◆
国立演芸場二月中席の「吉例」となりつつある、鹿芝居。
鹿芝居とは何ぞや?については、これまで何度も書いたので省略させていただきます。
昨年の今ごろの記事を探していただければたぶん書いていると思うので、気になる方は探してください(笑)。
鹿芝居では、歌舞伎の演目(落語から歌舞伎に取り入れられたものも含む)をやることが多いのですが、今回はちょっとご趣向が変わっていました。
「子は鎹(かすがい)」という人情噺を、噺家さん自らが台本を作って上演されたのです。
「子は鎹」は、「子別れ」という長い噺の一部です。
大工の熊五郎が、大店の大旦那の弔いに行き、おときのお酒に酔った勢いで吉原へ繰り出し、数日間「居続け」をします。
やっと家に帰ってきたと思ったら、おかみさんの前で遊女の「のろけ」を言い出す始末。
とうとう夫婦喧嘩になり、おかみさんは息子を連れて家を出て行きます。
その後、なじみだった遊女を後妻に迎え入れた熊五郎ですが、この遊女あがりの後妻というのがとにかくぐうたら。
あげくのはてに、女のほうからぷいと家を出て行ってしまいました。
やっと目が覚め、心を入れ替えた熊五郎は、好きだった酒を断ち、真面目に働いてりっぱな棟梁になります。
大きなお店にも出入りを許され、信頼して仕事を任されている熊五郎。
この日も、さるお店のご隠居の茶室づくりの件でちょっと来てほしいとお呼びがかかりました。
迎えに来た番頭さんと一緒に出かける途中、別れ別れになっていた息子“亀”と再会します。
これがきっかけとなり、夫婦はめでたく元のさやにおさまります。
上・中・下の三部に分けられた「上」の部分、弔いに行った熊五郎が吉原へ繰り出すところまでをきり出すと「強飯の女郎買い(こわめしのじょうろかい)」という演題になります。
そして、心を入れ替えた熊五郎が亀と再会し、夫婦がよりを戻すまでの「下」の部分が「子は鎹」(「子ゆえの春」という演題をつけていた師匠もいらっしゃいました)。
再会した熊五郎と亀との会話、家に帰った亀と母親のやりとり、うなぎ屋の二階で家族そろって再会を果たした時の夫婦の会話など、人情の機微にあふれるきめ細やかな描写がなされた、珠玉の一編です。
私は常々、「この噺に出てくる台詞をそのまま芝居の台詞にしたら、十分いい芝居ができそうなのに」と思っていました。前進座歌舞伎では上演されたことがあるみたいですが、大歌舞伎では上演されてないですよね……!?
なので、今回の鹿芝居のような試みは、とても貴重だと思いました。
今回は、寄席の興行であることを生かして、鹿芝居に先立ち金原亭馬生師匠が「強飯の女郎買い」を口演され、その続きを鹿芝居で演じるという構成でした。
これを、「強飯の女郎買い」の部分から通して演じれば、普通の芝居でも十分通用すると思うんですがっ。
今回の鹿芝居では、元の落語には出て来ない大家さんを登場させたりと、“役者”の数にあわせて登場人物も増やしていました。
台本を作られた林家正雀師匠のご苦労の跡がうかがわれますが、これはお芝居のほうでもきっと参考になるんじゃないかなあ……と思います。
大歌舞伎のほうでも、いつかやってくれるといいんだけどなあ……。
あ、でも、「誰がやってもいい」ってわけじゃぁありません。
この噺の世界をくずさないで演じてくださる役者さんに限ります。
だって、本当にいい噺なんですからっ。
今回は、さすがに噺家さんたちだけあって、噺の世界を大切にし、ツボを押さえたお芝居に仕上がっていたと思います。
亀ちゃんの台詞のところなんて、泣いてるお客さんが何人もいましたもん。
もちろん、噺家さんらしく、笑いの要素も随所にうまく取り入れてくださっていて、鹿芝居ならではの楽しみがたくさんありました。
ほんとにイイ仕上がりで、「大当たり!」でした。
鹿芝居の出演者による「獅子舞」や、正雀師匠による大成駒(六世中村歌右衛門)の声色、高座からの手ぬぐいまきもすっかり「吉例」となっており、お楽しみが盛りだくさんの鹿芝居。
お時間とご興味のある方はぜひ。(20日まで)
<着物>グレーの無地結城
<帯>白鼠地にうさぎのアップリケのちりめん帯
<帯揚げ>ピンクに赤の飛び絞り
<帯締め>ピンクの三分紐
<帯留め>三味線
<根付>撥
2月11日(祝)、国立演芸場の二月中席へ行ってまいりました。
2日連続の三宅坂です。
寒かったうえコーデをあれこれ考えている時間がなかったので、着物は前日と同じグレーの無地結城。
寄席は何かにつけ縁起を大切にするので、うさぎちゃんの帯にしました。鹿芝居の評判がどんどん「跳ね上がる」ようにと縁起を担いだつもり。
帯留めと根付と三分紐は、時間がなかったのでこれまた前日と同じです……。
寄席には出囃子がつきものなので、一応ちなんだということで。
◆◇◆◇◆
国立演芸場二月中席の「吉例」となりつつある、鹿芝居。
鹿芝居とは何ぞや?については、これまで何度も書いたので省略させていただきます。
昨年の今ごろの記事を探していただければたぶん書いていると思うので、気になる方は探してください(笑)。
鹿芝居では、歌舞伎の演目(落語から歌舞伎に取り入れられたものも含む)をやることが多いのですが、今回はちょっとご趣向が変わっていました。
「子は鎹(かすがい)」という人情噺を、噺家さん自らが台本を作って上演されたのです。
「子は鎹」は、「子別れ」という長い噺の一部です。
大工の熊五郎が、大店の大旦那の弔いに行き、おときのお酒に酔った勢いで吉原へ繰り出し、数日間「居続け」をします。
やっと家に帰ってきたと思ったら、おかみさんの前で遊女の「のろけ」を言い出す始末。
とうとう夫婦喧嘩になり、おかみさんは息子を連れて家を出て行きます。
その後、なじみだった遊女を後妻に迎え入れた熊五郎ですが、この遊女あがりの後妻というのがとにかくぐうたら。
あげくのはてに、女のほうからぷいと家を出て行ってしまいました。
やっと目が覚め、心を入れ替えた熊五郎は、好きだった酒を断ち、真面目に働いてりっぱな棟梁になります。
大きなお店にも出入りを許され、信頼して仕事を任されている熊五郎。
この日も、さるお店のご隠居の茶室づくりの件でちょっと来てほしいとお呼びがかかりました。
迎えに来た番頭さんと一緒に出かける途中、別れ別れになっていた息子“亀”と再会します。
これがきっかけとなり、夫婦はめでたく元のさやにおさまります。
上・中・下の三部に分けられた「上」の部分、弔いに行った熊五郎が吉原へ繰り出すところまでをきり出すと「強飯の女郎買い(こわめしのじょうろかい)」という演題になります。
そして、心を入れ替えた熊五郎が亀と再会し、夫婦がよりを戻すまでの「下」の部分が「子は鎹」(「子ゆえの春」という演題をつけていた師匠もいらっしゃいました)。
再会した熊五郎と亀との会話、家に帰った亀と母親のやりとり、うなぎ屋の二階で家族そろって再会を果たした時の夫婦の会話など、人情の機微にあふれるきめ細やかな描写がなされた、珠玉の一編です。
私は常々、「この噺に出てくる台詞をそのまま芝居の台詞にしたら、十分いい芝居ができそうなのに」と思っていました。前進座歌舞伎では上演されたことがあるみたいですが、大歌舞伎では上演されてないですよね……!?
なので、今回の鹿芝居のような試みは、とても貴重だと思いました。
今回は、寄席の興行であることを生かして、鹿芝居に先立ち金原亭馬生師匠が「強飯の女郎買い」を口演され、その続きを鹿芝居で演じるという構成でした。
これを、「強飯の女郎買い」の部分から通して演じれば、普通の芝居でも十分通用すると思うんですがっ。
今回の鹿芝居では、元の落語には出て来ない大家さんを登場させたりと、“役者”の数にあわせて登場人物も増やしていました。
台本を作られた林家正雀師匠のご苦労の跡がうかがわれますが、これはお芝居のほうでもきっと参考になるんじゃないかなあ……と思います。
大歌舞伎のほうでも、いつかやってくれるといいんだけどなあ……。
あ、でも、「誰がやってもいい」ってわけじゃぁありません。
この噺の世界をくずさないで演じてくださる役者さんに限ります。
だって、本当にいい噺なんですからっ。
今回は、さすがに噺家さんたちだけあって、噺の世界を大切にし、ツボを押さえたお芝居に仕上がっていたと思います。
亀ちゃんの台詞のところなんて、泣いてるお客さんが何人もいましたもん。
もちろん、噺家さんらしく、笑いの要素も随所にうまく取り入れてくださっていて、鹿芝居ならではの楽しみがたくさんありました。
ほんとにイイ仕上がりで、「大当たり!」でした。
鹿芝居の出演者による「獅子舞」や、正雀師匠による大成駒(六世中村歌右衛門)の声色、高座からの手ぬぐいまきもすっかり「吉例」となっており、お楽しみが盛りだくさんの鹿芝居。
お時間とご興味のある方はぜひ。(20日まで)