博多★のらくら日記

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博多の町を東奔西走しております。
気が向いたときに更新します。

博多漁港・かもめ広場

2006年03月21日 | 写メ日記
 2005(平成17)年3月20日午前10時53分頃、福岡県西方沖で発生した地震により、福岡が震度6弱の被害を受けてから、昨日で1年が経ちました。
 最も家屋の倒壊が激しかった玄界島の被害に限ると、負傷者19人、家屋の全壊107戸、半壊46戸、一部損壊61戸。島のほとんどの人が現在も、島と博多漁港かもめ広場に各100戸建設された仮設住宅にお住まいです。
 画像は、かもめ広場の仮設住宅。まわりにはマンションが建ち並び、近くには造船所もあります。この見知らぬ土地に1年…、故郷玄界島を思い出させるのは、潮の香りだけでしょうか。
 早々に玄界島の再建が始まって、島の方たちが以前のように家族で暮らせる日が戻ることを祈ってやみません。


奈良屋・古渓水

2006年03月15日 | 写メ日記
 市営地下鉄呉服町駅から歩いて10分ほど、奈良屋町の裏通り、100円パーキングに隠れるように佇んでいるのが、「古渓(こけい)水」と呼ばれる井戸水です。太平洋戦争の戦火により焼失していましたが、2000(平成12)年に復元されました。
 そもそも、この辺り一帯は、奈良屋町に統合される1966(昭和41)年までは古渓町という町名でした。その由来は安土桃山時代にまでさかのぼります。
 かの千利休が秀吉の怒りをかったそのとき、京都の大徳寺山門に利休の木像を配置したのが、大徳寺の僧である古渓和尚でした。彼も秀吉の怒りにふれてしまい、当時筑前領主の小早川隆景に身柄預けとなり、博多の地へやってきたのが1591(天正19)でした。
 そして、大同庵をひらき、点茶用の井戸水として使ったのが古渓水なのだそうです。現在も、火難除けに霊験あらたかとして地域の人に珍重されてるとか。
 そういえば、明後日17日は命日「古渓忌」です。


合格!(5) サクラサク

2006年03月08日 | 写メ日記
 本日は「ミツバチの日」、それはどうでもいいんですが、九州大学前期試験合格発表初日にして、福岡県立高校入試日。いろんな世代の受験生がドキドキした日です。
 賑やかそうなので、JR箱崎駅から歩いて10分ほど、九州大学箱崎理系キャンパスに潜り込んできました。たくさんの受験生がされてましたよ、胴上げ…。大学から出るときに待ち構えてたサークル勧誘、不動産案内の人達から声を掛けられまくりでした。さすがに私は受験生には見えないと思うんですが…、いったい私は何浪してるんだか。
 最後に、これから合格発表の人、来年またがんばる人に、最近は使われなくなった縁起のいい呪文を。

ゴウカク  サクラサク  オチャカオル  ダイブツヨロコブ
クジラガツレタ  ホクシンカガヤク  オバコワラウ
コマクサノハナヒラク  ゲンジカツ  モモタロウオニタイジ

そして、あなたにも
ミチザネコウノカオモホコロブ


那珂八幡古墳

2006年03月02日 | 写メ日記
春は名のみの
 風の寒さや…

 寒いですねぇ。今年も弥生に降る雪が見られるかも。この寒空の中、お散歩してきました。JR竹下駅の正面の通りを歩くこと約5分、左側にこんもりとした小山があります。そこにあるのが那珂八幡宮です。
 実はこの小山、元々は4世紀中頃に築かれた前方後円墳の一部なんです。推定全長85m、後円部の高さ約15mで、福岡平野の古墳では最古にして最大規模なんだそうです。
 副葬品に三角縁神獣鏡が出土していることから、古墳時代初頭の首長墓とされています。


博多駅手作りポスター展

2006年02月28日 | 写メ日記
 いや~気がつきませんでした。JR九州博多駅のコンコースで「博多駅手作りポスター展」が開催されていたなんて…。展示がいつまでなのかわかりませんが、博多駅で乗り換えついでにご覧ください。JR九州みどりの窓口前と東口改札から入った東通路にあります。
 「手作り」とはいっても、別に絵の具やクレヨンを使ったものではなく、ちゃんとPCで編纂してプリントアウトされたものです。博多駅に限らず、最近では各駅で見られます。地域に密着した情報・商品を安価にアピールするひとつの方法ですね。
 結構歩き回る私としては、各駅に、改札に入らなくても利用できるトイレやベンチがあったほうがうれしいのですが…。管理が大変ですかね。


筑前いいづか雛のまつり

2006年02月27日 | 写メ日記
 おひなまつり訪問第2弾、JR九州ウォーキングに便乗して、JR筑豊本線の天道(てんとう)駅から出発して、新飯塚駅まで。途中の商店街やメイン会場の飯塚コミュニティセンターで、「第6回筑前いいづか雛(ひいな)のまつり」が開催されていました。
 創業1630(寛永7)年の老舗和菓子屋の千鳥屋総本店では、創業者の原田家の住居としても使われていた総本店での特別展示もありました。本店って飯塚にあったんですね。千鳥饅頭をご好意でいただきました。
 古くから伝わる雛人形も多数展示されていましたが、江戸時代からの数百枚におよぶ羽子板も展示、中には明治の巨大羽子板も。
 町をあげてのひなまつりは、雛人形だけでなくて、その土地の歴史を感じることができますね。


豊前中津のひなまつり

2006年02月20日 | 写メ日記
 今年もまた、「JRウォーキング」が始まりました。私が今年最初のウォーキングに選んだのは、JR日豊本線の中津駅で行われたひなまつりウォーキング。
 さすが、「西の博多か東の中津」と唄に歌われる城下町、旧家に残るいろいろな雛人形を堪能させていただきました。なかでも画像の諸町通りは、通り沿いに旧家・古い商家が並んでいます。歩くたびに違った雛人形を楽しめました。
 ところで、駅から諸町通りへ行く途中、「新博多町アーケード」という商店街がありました。博多となんらかの関わりがあるんでしょうか。中津の歴史に詳しいかた、情報をお寄せください。


合格!(4) 筥崎宮・算額

2006年02月14日 | 写メ日記
 受験生のみなさんは、絵馬をいくつ奉納しましたか。
 そもそも、神社での神様への願掛けには、生きた馬を寄進していましたが、それが土馬や木馬に代わり、ついには現在のように馬の絵を奉納するようになりました。それが「絵馬」です。しかし絵馬以外にも、和算(日本の数学)が盛んな頃、難問に会心の答えが得られると、それを額にして絵馬堂に掲げられました。それを「算額」といいます。
 県内には現存する算額は6点あるそうですが、日本数学史の中でも有名なものが、筥崎宮の算額『数術五條』です。実物は宝物殿に保管されているため、画像の算額は絵馬堂の天井にあるレプリカです。見えづらいでしょうが、上部に原色の図形が5つあります。早い話、5つの幾何に関する難問とその解、解法が記されているわけです。
 難問の解法を寄進して願を掛ける…、難問が解けるように願を掛ける…。現代ではなんだか逆になっちゃいましたね。数学が苦手な諸君! 江戸時代の算学家のおこぼれ、もらってきましたから、がんばろうね。


馬出・長塚節歌碑

2006年02月10日 | 写メ日記
白銀の
 鍼(はり)うつごとき
  きりぎりす
 いく夜はへなば
  涼しかるらむ

 地下鉄馬出九大病院前駅から、九大病院に向かう途中の医学部構内を北に入ったところに、正岡子規に指導を受けたアララギ派の歌人、長塚節(ながつか・たかし)の歌碑があります。
 朝日新聞に連載した長編小説『土』によって農民文学の典型を確立し、作家としても知られています。その後、1912(明治45)年に喉頭結核を患い九大病院に入院しましたが、1915(大正4)年2月8日、享年37歳で亡くなりました。
 最後に、言葉を大切にしない政治家、企業経営者、若者へ、節の言葉を。

「千万言の議論よりも
 一首構成してゐる言葉に
 弾力のあるかないかを見るのが
 第一と思ふ」


合格!(3) 荘厳寺

2006年02月05日 | 写メ日記
 たいして遠くに行ってないんですが、かなりの移動時間でした。今日は、東区志賀島にある荘厳寺に行ってきました。JR香椎線(海ノ中道線)の西戸崎(さいとざき)駅から、さらにバスに揺られること約10分、乗り継ぎの待ち時間もかなり長かった…。
 このお寺には、知恵を司る文殊菩薩が奉られていて、本日は縁日にあたる「文殊まつり」の日でした。ぜんざいなども振る舞われていたのですが、受験生の代わりに行ったはずの私が驚いたのは、全く別のことでした。
 志賀島の被害はひどかったとは聞いていましたが、まさかこれほどとは…、そう、福岡西方沖地震です。件の荘厳寺も、近くの志賀海神社も、至る所に「危険」の貼紙、ブルーシートが。寺の住職(?)曰く「物理の教科書の見本のような亀裂でしょ」。
 関係ないですが、今朝、法隆寺の文殊菩薩が盗難に遭ったとか。受験生のみなさんは、知恵を授けてもらおうと窃盗をしないように(しないって)。