不当判決!と掲げて走り回りたいくらいのバカ判決が出ました!!
卒業式などの式典において国旗に対して起立、国歌斉唱を拒否したバカ左翼教師を処分するのは違法だという、彼らの主張をそのまま聞き入れた判決で、まさに目を疑うほどのものだった。
単に処分は行き過ぎだというだけに留まらず「国歌・国旗は軍国主義の象徴」であるという、クルクルパーな主張をそのまま聞き入れた上での判決。どこの国だって戦争の一つや二つやったことがある。その時に国歌や国旗が使われて当然。それを軍国主義の象徴だからって拒否するなんて、クルクルパーだろう。他国の国歌なんて戦争そのものを歌ったものばかりだというのに。
この裁判官も左翼だったとすれば仕方ないところだが、そんな思想を持っている人が任官されるわけもなく・・・何か裏がありそうではあるが、まあ、この裁判官の出世の道は完全に絶たれたであろうことは確かだ。
だって、控訴したら絶対、何があっても確実に同じ判決は出ないから。たとえ高裁の裁判官も左翼だったとしても、最高裁で違憲判決なんか出るわけがない。そもそも行政敗訴の判決を出すだけでも風当たり強いのに。
まあ、裁判官もバカだが、これは確信犯かもしれない。こんな馬鹿な判決は地裁ならではだし、絶対に最高裁が認めるわけがないのは分かっている。でも、それまでに彼らは「勝訴した」という事実をプロパガンダとして使えるのだ。彼らはどうせ負ける裁判を起こして、裁判を起こして戦っているということをまた宣伝に使ったり、判決文の一部を引用して裁判所が認めた云々喧伝することがある。今回も、上級審での審理が確定するまで、いや確定したとしても「地裁では違憲判決」というのを触れ回ることだろう。そして、そういう姑息な運動に手を貸す左翼裁判官、こいつは左翼教師共々に首にすべきだと思う。
常識で考えてみよう。
卒業式で起立して国歌を歌う、そう都が指導していて、そのようにプログラムがあるにもかかわらず、先生がわけのわからない理由でもってそれを拒否したら、生徒はそれを見てどう思うか?式典を妨害してもかまわない、先生がやってるなら俺らもやってやるって思わないだろうか。
そもそも、日本人が日の丸と君が代に誇りを持てないというのはどういうことか?
そんなに日本が嫌いなら、なんで公務員をやっているんだ?なんで日本にいるんだ?日の丸に誇りを持てない者、君が代に誇りを持てない者は日本から今すぐに出て行け!
主義主張は誰にでもあろう。それは仕方ない所もある。だが、もしそうならば、その大嫌いな日本にいる必要がどこにあるか。それを強要されることが分かっている教師になる必要がどこにあるのか。このバカ共の言うことは、神道は軍国主義の象徴だといいながら神社に就職するだの、宮司になるだのしているようなものだ。根本的に行動が間違っている。
日本に住んでいるだけで、定期的に君が代を歌えと強制されるというのならまだわからないでもない。でも、そんなにイヤなら教師以外の職に就くということが許されているのだから、これは違法でもなんでもない。こんなものが違法だったら、朝礼に毎朝出るのは行動の自由の侵害だの、休みたいときに休めないのも違法だの、なんでも我が儘が言えてしまうではないか。
それにしてもこういう教師がいることは教育にもよくない。この左翼思想に染まって日の丸や君が代が嫌いになる子供になってしまうかもしれないし、式典を滞りなく進行させることを妨害する人間になる可能性もある。そう、成人式で騒ぐようなバカになる可能性もあるってことだ。なにしろこういうバカ左翼教師は全員首にするべきだろう。
だいたい、左翼が教師になりたがるのはそういう偏った教育をして日本をだめにしようという考えがあるからだろう。これからはもっと厳しく日の丸や君が代を強制して、左翼ホイホイに使うべきだ。そうしてそういった危険思想を持った人間は公職に就けてはならないと切に思う。
卒業式などの式典において国旗に対して起立、国歌斉唱を拒否したバカ左翼教師を処分するのは違法だという、彼らの主張をそのまま聞き入れた判決で、まさに目を疑うほどのものだった。
単に処分は行き過ぎだというだけに留まらず「国歌・国旗は軍国主義の象徴」であるという、クルクルパーな主張をそのまま聞き入れた上での判決。どこの国だって戦争の一つや二つやったことがある。その時に国歌や国旗が使われて当然。それを軍国主義の象徴だからって拒否するなんて、クルクルパーだろう。他国の国歌なんて戦争そのものを歌ったものばかりだというのに。
この裁判官も左翼だったとすれば仕方ないところだが、そんな思想を持っている人が任官されるわけもなく・・・何か裏がありそうではあるが、まあ、この裁判官の出世の道は完全に絶たれたであろうことは確かだ。
だって、控訴したら絶対、何があっても確実に同じ判決は出ないから。たとえ高裁の裁判官も左翼だったとしても、最高裁で違憲判決なんか出るわけがない。そもそも行政敗訴の判決を出すだけでも風当たり強いのに。
まあ、裁判官もバカだが、これは確信犯かもしれない。こんな馬鹿な判決は地裁ならではだし、絶対に最高裁が認めるわけがないのは分かっている。でも、それまでに彼らは「勝訴した」という事実をプロパガンダとして使えるのだ。彼らはどうせ負ける裁判を起こして、裁判を起こして戦っているということをまた宣伝に使ったり、判決文の一部を引用して裁判所が認めた云々喧伝することがある。今回も、上級審での審理が確定するまで、いや確定したとしても「地裁では違憲判決」というのを触れ回ることだろう。そして、そういう姑息な運動に手を貸す左翼裁判官、こいつは左翼教師共々に首にすべきだと思う。
常識で考えてみよう。
卒業式で起立して国歌を歌う、そう都が指導していて、そのようにプログラムがあるにもかかわらず、先生がわけのわからない理由でもってそれを拒否したら、生徒はそれを見てどう思うか?式典を妨害してもかまわない、先生がやってるなら俺らもやってやるって思わないだろうか。
そもそも、日本人が日の丸と君が代に誇りを持てないというのはどういうことか?
そんなに日本が嫌いなら、なんで公務員をやっているんだ?なんで日本にいるんだ?日の丸に誇りを持てない者、君が代に誇りを持てない者は日本から今すぐに出て行け!
主義主張は誰にでもあろう。それは仕方ない所もある。だが、もしそうならば、その大嫌いな日本にいる必要がどこにあるか。それを強要されることが分かっている教師になる必要がどこにあるのか。このバカ共の言うことは、神道は軍国主義の象徴だといいながら神社に就職するだの、宮司になるだのしているようなものだ。根本的に行動が間違っている。
日本に住んでいるだけで、定期的に君が代を歌えと強制されるというのならまだわからないでもない。でも、そんなにイヤなら教師以外の職に就くということが許されているのだから、これは違法でもなんでもない。こんなものが違法だったら、朝礼に毎朝出るのは行動の自由の侵害だの、休みたいときに休めないのも違法だの、なんでも我が儘が言えてしまうではないか。
それにしてもこういう教師がいることは教育にもよくない。この左翼思想に染まって日の丸や君が代が嫌いになる子供になってしまうかもしれないし、式典を滞りなく進行させることを妨害する人間になる可能性もある。そう、成人式で騒ぐようなバカになる可能性もあるってことだ。なにしろこういうバカ左翼教師は全員首にするべきだろう。
だいたい、左翼が教師になりたがるのはそういう偏った教育をして日本をだめにしようという考えがあるからだろう。これからはもっと厳しく日の丸や君が代を強制して、左翼ホイホイに使うべきだ。そうしてそういった危険思想を持った人間は公職に就けてはならないと切に思う。
ですが、指導プログラムにあるからそれに従えというのは、それを規定している指導プログラムがそもそも不当なものであると私は考えます。なぜそんなものを規定しなければならないのか?そこが問題です。
指導という他人の強制で国歌を歌うわけではありません。日本を愛しているからこそ自発的に歌うものだと思います。
戦後日本ではアメリカにより軍国主義に走らないように過剰ともいえる措置がとられました。一時期では剣道をはじめとする武道を禁止したほどです。この措置により、国旗・国歌・愛国心について考える教育方針は今もありません。それが原因なのだと思います。
そんな世代が教師として教育しているのだから仕方の無いことだとおもいます。
ではどうすればいいのか?
それは行政側が国旗・国歌を含めた愛国心について自発的に考える機会を促すような教育方針を打ちたてるべきだと思います。
まずはそこからだと思います。
もう1つ。ここは声高に主張します。
左翼教師を危険思想とみなすのはかなり間違った行為だと思います。現代日本は昨今の情勢から右傾化が進んでいます。アクセルとしての右はもちろん大切ですが左のブレーキも必要です。異なった考え方の人間がいるからこそ教育なのだと思います。少なくとも異を唱え、吟味することの無い社会にはいずれ破滅の道が待っています。
左翼教師=馬鹿ではなく、今回のケースのように生徒に与える影響を考えなかい軽率な行為をしたから馬鹿教師なのであり、信条の自由は守られるが、教育上誤った指導とみなし、その行為まで自由とは認めないと判断し、処分した。のらなば私は行政側の処置を支持します。
教師が自発的に歌いたくなるような環境を作る必要などありません。子供が自発的に歌うようになるように、国歌・国旗の素晴らしさを教えるための行事を、教師という労働者を雇って実行しようとしているのです。その仕事を請け負ったはずの労働者である教師が、請け負った仕事を「イヤだからやりません」といって駄々をこねてるのです。請け負ったことを嫌だからといってやらずにすむなんて法はありません。
都の教育方針は、「子供に国歌を教え、国旗に敬意を払うようにする」ことです。これはもう決まってることなんです。これがいやだったら子供は都立高校に通わなければ良いのです。むしろ、私はそういう子供達がいたとしたら、中国や朝鮮に帰化することをお勧めします。
また、教師は指導要綱通りに指導することで給料という対価を得てるわけですから、これに反するのは契約違反です。思想も信条も強制もクソもありません。それが仕事なのです。イヤならば即刻退職すべきです。国旗や国歌に触れずにすむ仕事はゴマンとあります。
これがこの問題の要点なのですが、どうもいまいち理解されてないようですね。
とっても単純な、主義主張思想云々とは全く関係ない、ほんとにごくごく当たり前のことなんですね。ただ、左翼はここに国旗国歌神道天皇靖国その他キーワードが絡むと自由だの強要だのといって騒ぎ出します。これがバカ左翼はクルクルパーたる所以です。これらキーワードがなければ彼らはこんなに狂ったりしないのですから。
子供が国歌を歌わないからといって退学になったりしたでしょうか。中にはそういうところもあるでしょうが、少なくとも都立高校でそんな話は聞きません。まあ、先生に「ちゃんと歌えお前ら」くらいは言われたことでしょう。うちの中学の先生だったらげんこつくらい飛んできたでしょうね。
繰り返しますが、この問題は「子供に自発的に歌わせるようにする」ための措置を、「教師が自分がいやだからといって拒否」したという、まさに本末転倒な問題なのです。なごみさんがいうようなことをしようにも、現場にいる左翼バカ教師が拒否しちゃうので、話になりません。彼らは君が代や日の丸そのものが嫌いなのですから。
「自発的に歌いたくなるように」という話にすると、主語は「教師が」になってしまいます。だって拒否してるのは教師なんだから。でも、教師はイヤでも歌うしかないんですよ。だってそれが仕事なんだから。最初から分かってることなんだから。
焼肉店にインド人が就職して「私は宗教上牛肉の調理を強要されたくない」と訴えて、それが通るでしょうか?「だったら牛肉を調理しなくていいところに就職しなさいよ」と言われるのが落ちです。もしくは、夜勤のバイトをはじめておいて、「お肌に悪いから徹夜は出来ない、強制されるいわれはない」というようなものです。「じゃあ日勤の仕事やれよwwばっかじゃねーのwww」って言われるのが落ちです。今回の件はそれほど馬鹿げてるということです。
こんな馬鹿げた判決を書いた裁判官も、相当のバカです。明日クビにしてもいいと思います。どっちにしろ冷遇されるのは分かってます。そろそろ退官して弁護士でもやるんじゃないでしょうかね。
さて、左翼教師が全てバカというかというとそうでもないかもしれませんが、あまりに理屈に合わない主張をすることが多いのが左翼教師ですから、こういう左翼ホイホイでもって捕れた左翼教師はどんどん廃棄するのが、健全な教育現場を構築するにはいいと思います。とりあえず原告の教師達は全員首にするのがいいと思います。はっきりいって税金の無駄だし、こんな決まりも守れないような先生に教わりたいと思う生徒なんかいないでしょ。ばかばかしい。
せめぎ合いが正しい世の中を作るというのは理解できますが、私がここで「バカ左翼」と定義しているのは、左翼思想のうち、あまりに論理を無視したきちがいじみた主張をする人についてです。そういう思想こそ「危険思想」と言えるでしょう。そんな連中は、社会から排除するべきです。
それと日の丸、君が代はなんのかんけいがあるんだ?国旗を否定しちゃって、代わりの国旗でも用意するのか?天皇たたえるのが軍国主義だっていうなら、天皇家なくしちゃえって。中途半端なんだよ。
だいたい、平和憲法なんてのもおかしいんだ。あんなもんあるから、発展途上国になめられてるんだ。軍隊もってみろって。日本の技術は世界のトップなんだ。本気だしたら、とんでもないもん作っちゃうんだ。昔の帝国軍よりひどいもんになっちゃうよ。だから、アメリカとかが毒まいたわけでさ。
平和だ、なんだって、あんなもん毒でしかない。現実に、平和的になんて言ってるのは滅びるんだ。
だからそのやり方に反発し、愚行に走っている教員がいるというのが現状でしょう。
私は先にも書いている通り教師の愚行は支持しません。しかし国旗国家法以前に広島の校長が現場と教育委との間の板ばさみを苦に自殺したケースがありました。
それがゆえに強制的ではなく、歌わせる環境を作るというにとどめているのです。
結果として国旗国歌で死人が出るようならばそんな法律はいりません。そこまでして愛国心を植えつけるような必要も無いでしょう。
植えつけられた愛国心なんて意味がありませんので。
>私はそういう子供達がいたとしたら、中国や朝鮮に帰化することをお勧めします。
これには反発します。なぜ中国や朝鮮に帰化につながるのかが不明です。日本よりも共産主義の国のほうが国民の国家に対する束縛は厳しいです。そんな国の国籍を得ても無駄です。
>思想も信条も強制もクソもありません。それが仕事なのです。
この問題が難しいのは、心情の自由と集団社会での規律の厳守のバランスです。生徒に対しても教師に対しても、"規律を守る"ことは学校という集団社会の中では当然の行為なので強制することは正しいのですが、それ以上の強制をすることはあってはなりません。
それが"思想の自由"です。
私はクリスチャンなので思想に反するということから、小学校のときに担任の教師に頼んでクラスでのクリスマス会という名のお遊戯をとめて名前を変更してもらったことはありますが、この問題をそれと同程度でしか考えていないのでしょう。
>こんな馬鹿げた判決を書いた裁判官も、相当のバカです。明日クビにしてもいいと思います。
たんなる目立ちたがりやだと思います。
地方裁判所では斬新な判決がでることが多いですから、無視してかまわないでしょう。
この判決に過剰反応する右翼も左翼も共におろかです。
契約の問題であって、主義主張の問題とは別だという文章は読みましたか?教師には「歌っていただく」必要はありません。給料払ってるんだから「歌え」でいいのです。
運送業者に就職した人に「荷物を運べるような環境を」なんてふざけたこと言いますか?「早く荷物を運びなさい、トラック降りたらダッシュ」という会社のほうが多いですよ。イヤなら辞めろってことですよね。
教員は、指導要綱通りに指導することで対価を得ているのだから、法令等に背かない限りこれを履行する「義務」があるのです。行き過ぎかどうか、そういった主観が挟まる余地はありません。行き過ぎだとはちっとも思えませんけどね。
そもそも国旗や国歌が嫌いだっていうほうが主義主張として狂ってますよ。外国にいって日本の国歌ってどういうの?といわれて「嫌いだから歌わない」なんていったら変な目で見られますよ。嫌がるということ自体が常識じゃ考えられないほどの異常思考だということと、その異常思考の人は退職の自由が用意されていることがあるので、不法行為として論じること自体が間違っています。
少なくとも、異常思考、異常思想の人に教師であってほしくないので、どんどん強制して左翼ホイホイとして使ってクビにしてほしいです。本当に彼らは教育上よろしくない。
教育長の自殺に関しては、なんら関係のない事案であり、自殺より退職を選ぶ自由もあったのに自殺したのだからそれは本人の自由意志の問題です。もし精神的な負担があったのなら休職や精神科の受診などの方法もあったのです。
これをして「国旗国歌に関して死人が出てまで」なんていうのは全く論理の飛躍であり、たとえば国や都が歌わない教師を殺したとかいうならそういう話になりますが、全く関係のない論理です。
自衛隊員が転んで死んだとして「自衛隊員に死者を出してまで自衛隊を存続させるのか」なんて言ってるのと同じですよ。
>なぜ中国や朝鮮に帰化につながるのかが不明です
両国は日本を嫌うことを政策・教育方針にしているから、堂々と日の丸を焼けるし、君が代の斉唱を強制されることがないし、反日発言は推奨されるので居心地がいいだろうからです。
>それ以上の強制をすることはあってはなりません
いいえ、あってもよいのです。強制することが前提の場所だと明らかになっているので、思想の自由においてその場所に行かない自由が保障されているからです。思想の自由によって、思想に反することをしなければならない職務に就くことは強制されていないのです。
卒業式で国旗に起立、君が代を歌いたくないのなら、どうぞ思想の自由ですから退職してください。でも、給料が欲しいなら起立して歌ってください。ということですね。
>この判決に過剰反応する右翼も左翼も共におろかです。
かつてあり得ない斬新な、常識に逸脱した判決なので、ネタにはなるのです。彼らはこれをプロパガンダに使うので、無視していたら増長するだけですので、それが異常であることは主張していかなければなりません。
正しいことを書くだけで右翼って呼ばれるのなら、それでもいいんですけど、正しいことを書くことが批判の対象になるって恐い世界ですよね。
高校で習ったはずです。
私は「恐るべし!」とここで驚いておいて、その後に左翼裁判官がそれであると説明しているのです。句読点か感嘆符を省略してあるだけで、文法的には間違っておりません。
まあ、より自然な形にするならば「左翼裁判官恐るべし」とすべきところでしょうか。なぜ先に驚いたかというと、驚きがタイトルで一番重要な部分だったので、先に書くようにしました。
新聞の見出しなどが要点を先に書くのと同じですね。あれも文法的にはかなり微妙なのもあります。
間違っていると決めつけるためには、こういう理由があるかもしれないことに考えを馳せるべきであり、そういうものがないと確認されたときに「間違っている」と指摘するべきです。
この場合は「私はこういう理由で間違ってると思いますけど、違いますか」と質問を先にするべきでしたね。
でもこういう説明は嫌いじゃないのでOKです。