◆犬の散歩◆

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郵政造反組復党と、平沼赳夫

2006年11月30日 15時26分35秒 | 政治・世相・スポーツ等
さあついに復党してしまいました。
この問題についていろいろ言われてるけど、個人的に思うことを書いてみたい。


彼らは去年の郵政国会において、法案に反対したうえ、新党に参加するなど除名扱いになっていない者達だ。綿貫、亀井らは新党を立ち上げているので除名されていて、復党問題には入ってきていない。

そもそも、一度反対して、反対したら除名だと言われてもなお反対したのだから、いまさら戻るというのは人としてみっともないことだ。造反組に批判が集まるのはまずそこだろう。

そして、何より問題なのは、郵政法案に反対を貫いて選挙を勝ち上がって来たのに、それを覆すのは支持者を馬鹿にしている。彼らに投票した人達は、郵政法案に反対なのだ。なのに公約の正反対の行動を取るなら、辞職して新たに選挙を戦うべきだ。それが人としての筋だろう。
にもかかわらず、反省したとか民意がどうとか言うのは間違いだ。特に野田聖子、おまえは死んでも復党なんかしちゃいかん。民意も大事だが、自分を支持していた人をないがしろにしてどうする。そんなので次の選挙、自分に入れる人がどれだけ出てくるというのか。
ま、次回も公認はするが比例に名簿載せて貰えず自力で勝ち上がることというのが条件になると思うけど。

次に、ぎゃーぎゃー騒いでる小泉チルドレンの面々。お前らは刺客として雇われた傭兵なんだから、役目が終わったらお払い箱で当たり前じゃないか。狡兎死して走狗煮らるというが、小泉も「議員も首相も使い捨て」と言うように、用済みの彼らがなんの文句を言うことがあるだろうか。自分らがなにか使命でもあるとでも思っているとしたら、思い上がりも甚だしい。
まあ、片山さつきのように官僚経験が生かせれば使い道はあるのだろうが、ピンポイントで使われて文句言っている者より、造反したけど灸を据えられて忠誠を誓った連中のほうが党としては使い勝手はいいだろう。

というか、民主政治において、重要なのは政策、またはその集団である政党であって、構成員の都合なんか関係ない。党が存続していい政治をしていくのなら、その構成員は誰だっていいんだ。しかし自分の議員としての保身を考えるから、造反したり復党したりする。ふざけたものだ。倫理的に言えば彼らのような連中は相手にしないほうがいいはずだ。
でも、やっぱり民主主義、政党政治は数の論理がある。彼らのような者でも兵隊として、にぎやかしとしては必要なのだ。だから復党させた。自民党としてはなんの問題もない。
これを「都合良く切ったり拾ったりする」と批判する向きもあるが、与党として、党運営さえきっちりやることが分かってるなら登用するのは当たり前。批判の意味すらがない。そんなことを批判するなら、「じゃあ政策が通らなくていいのか」ということだ。民主政党なら政策を通すのが第一目的であって、誰がそれを通すかなんて問題ではない。
現在の野党は、個人主義の集まりだからいまいちぱっとしないのだ。自分は公の僕であるという自覚さえあれば、気に入らないから独立→寄り合いといったみっともないことはしないものだ。


そこで気になるのが平沼赳夫という男。彼の政策はまことに素晴らしいもので、拉致議連、皇室典範改正反対等、安倍内閣の美しい国作りに矛盾するものではない。さらには靖国参拝にも賛成している。個人的にはもっと光を当ててほしい政治家ではある。
彼は「踏み絵を踏まない」として誓約書にサインはしなかった。でも復党願いは出した。サインしなきゃ復党はないのだから、復党願いを出す必要はない、女々しいという批判もあるが、これは彼なりの信念だろう。彼は郵政法案に反対した以外のことで、なにも批判されるべきことはしていない。そして、もしそれが間違いだったとしても、男が一度決めたことは悔いない、貫く、そういうことだろう。そして、自分は自民党でこそ力を発揮できるという自負があるからこそ、新党などには参加していないのだろう。それはそれで評価できる。
だが、間違いを認めて立ち直るのも時としては必要だと思う。そもそも、なぜ彼がそこまで郵政法案に反対したがるのかが見えてこない。利権や派閥の争いで反対したがるような人間には見えないから尚更だ。亀井からの影響が強いのか、他に思うところあるのだろうか、報道や彼のHP等を見てもそのへんの決意が見えてこない。
ポスト小泉だって狙えた男が、それを無にしてまで反対するなんて、不自然だ。やりたいことはトップになってからゆっくりやればいいんだから。
誰もが小泉のように思った通り行動出来るわけではないのだろうが、もう少し柔軟性を持てばこういうことにならなかったのではないかと思える。平沼は自民党に必要な議員なのは確かなので、党も平沼もそろそろ落としどころを模索すべきなのではないかと思う。
下らないプライドでどちらも譲らないではあまりに勿体ない人材である。

今回の騒動で、造反組は牙をもがれたも同然、チルドレン共はみっともなさが炸裂した。
だが政党政治の基本的な部分を皆が理解したと思う。これを独裁だとかわけのわからないことを言う人がいるが、考えが同じだから政党を組んでいるのに、従わない馬鹿がいるという基本的な問題が払拭されたわけだ。考えに賛同できないなら参加しなくていいわけだし。
今までは利権だの族だのがいて、そういったまともな政治が出来なかっただけだ。それをぶっ壊した小泉は歴史に残る政治家だろう。

で、平沼は最後まで媚びなかったので男は上げたかもしれないが、政局を読み切れてなかったと言われたらそれまでだ。早々に解決して、復党すべきである。

ワンセグ携帯

2006年11月20日 17時30分54秒 | エレクトロニクス
ついにワンセグ携帯を買い増した!買いました!いや買い増した!どっちだ?w

そう、fomaの買い増しをしたのですよ。
え?まだ903iTVは出てないだろうって?

はい、買い増ししたのはP901iTVです!

今頃!!!!P902から901に逆戻り!!!ばっかみたい!!
でもいいんです。無料だったから。

新規無料とか、契約変更無料とかじゃないんです。買い増し無料だったのです。
普通はそんなのあり得ないんだけど、多分903シリーズが出て、ワンセグ機もどんどん出るから在庫処分したかったのだろう。ネットで安くなってるらしいという噂を聞いたのでだめもとで近所の携帯屋に行ってきいてみた。
そしたら、ファミ割りさえ入ってれば無料ですよって。でも新規は無料じゃないんだって。わけわかんないですよねーって店員さんも笑ってました。

新規だと解約されたら終わりだけど、契約変更なら優遇期間がリセットされるというメリットがあるから、こちらを優遇して長期契約者を囲い込むことも重要だということに気づきはじめてきたのだろうか。

で、903シリーズのメガアプリやGPSも、903ixシリーズのHSDPAもとくに魅力ないし、ワンセグの新機種はまだ先らしいし、そもそも出ても高いに決まってるし、ソニーはストレート型出さないし、こうなったらSO902の防水のほうを買おうかと思ってたんだけど、無料となればこれはもうこっちを買うしかない。というか無料だから貰うというべきか。
ともかく、10ヶ月経ったのに買い増ししないのは勿体ないので、ワンセグ機をもらってきましたよ。書類書いて15分で携帯テレビを貰えるなんて素晴らしい時代ですよ。

テレビ以外の部分は、902より900に似てる感じ。いかにもNソフトだなって感じで、気持ちもっさり感が残る。でもまあ、いいんですよ。だって、fomaカード挿すつもりないからwwww
ええ、携帯としては902をそのまま使います。これは単なるワンセグ専用機です。
あ、あと電池が902と共通なので、普段は換えの電池+充電器として使うのも有りかな。

さてワンセグ部分だけど、都内だとまずどこでも入る。ちょっとした屋内でもバリバリ入るのはいい感じ。電車でもトンネル以外は問題なく見れる。いや、これはかなり予想外。
でも、ちょいと実家の近くまで行ってきたけど、相鉄と小田急と田園都市線はダメだった。殆ど入らない。でも二子玉に入ったら急に良くなった。神奈川はまだ電波弱いのかな。
外での暇つぶしは音楽きいたりネット見たりと携帯をぽちぽちいじっているのが常なんだけど、これからは常にテレビ見てます。画面閉じて音だけ聞いててもかなりの暇つぶしになるし、これはいい。

電池も3時間くらい持つし、外付けの充電池も持ってるから電池の心配はほぼない。電池切れたって電話やメールは902でやれるからね。
ちょっと調べたら字幕に対応してないらしいんだけど、別に全然いいでしょ。903だと5時間見れるとかだけど、これでも全然問題ない。メガアプリとか興味ないので、これはほんといいですよ。皆様ももし近所に買い増し無料のお店があったら速攻ゲットしましょう。

で、10ヶ月後に903isなり904なりが出る頃まで902でしのぐわけです。

最近の困った人

2006年11月15日 07時13分34秒 | ノンジャンル
最近の困った人紹介のコーナー

いやーほんとにここ1ヶ月くらい、困った人が続出して困る。いや、困ったり面白かったりするんだけど、中には本気で困った人もいる。

まず、芸人さんと行く温泉ツアーの主催者及び旅行会社。
芸人さんがお部屋にお邪魔します!とか、まあよくある感じの企画なんだけど、値段も他のものと比べると特段に高いわけでもないんだけど、温泉・宴会つき1泊で3万というのは、普通のツアーよりは1万ばかり高いし、どうせ女だらけのところに(女性の知り合いと一緒に参加するとはいえ)男が入っていくのもなんだと思って最初はあまり行く気がなかった。私は1週間くらいの旅行で、全てコミで2万以下で行く人だからね。チャリとか18切符とかで。
芸人さんとのふれあいは普段出待ちですればいいし。でも宴会とかは楽しそうだなあ、どうかなあという所。参加する芸人さんにきいてみると、いろいろあるものの概ね頑張って盛り上げますから参加してください的な話で。でもまあ、仲間内で相談して、とりあえず申し込んでみることにはした。
しかし、申し込みの受理通知はきたものの、それ以外には締め切り日を過ぎても1週間ほど何も音沙汰がなかった。最低催行人数に達したのかどうか、それすらもわからない。普通は問い合わせてみるんだろうけど、中止なら中止でいいやと思ってたので(というか、いやな雰囲気を感じてたので、どっちかというと中止になってほしいと思ってた)とくに問い合わせもしなかった。
そうこうしてると、先日ついに返事が来た。「参加人数が思いの外少ないので、一部予定のキャンセルがあって、それでも値段は変わらない。それでよければ参加申し込みをしてください、そうしたら請求書を送ります」という内容。
その予定ってのは二日目のほうとう作り体験というもので、それがそのまま二日目の昼食となるのに、かわりの昼食も付かないのだそうだ。いやいやいや、そりゃちょっとおかしいでしょ。別の予定をねじ込むとか、弁当くらい出すとか、じゃなかったら値下げしなきゃおかしいでしょ。契約後に後から条件変更していいわけがない。そもそも普通のツアーより1万も高いのに、なにそれ以上ぼるつもりだ。
というようなことを、簡潔に箇条書きで質問した。返答はすぐに来たが、意味がわからない。なぜ代替プランを提示せずに削除で値段が一緒なのかという問いには「逆にいうとこれが代替プランです」だって。なんだ逆って!wwwwまっすぐ言えよwwwww
質問の意味が分かってないのか、人をバカにしているのか。なくなるプランのかわりの、別のプランをするから許してくれといわないのは何故かといってるのに、なくなることが別のプランだって。ばっかじゃねえの?

ほかにも突っ込み処が満載で・・・
CCで社内の別の担当にコピーを送ってるし、題名にFwがついてたのでおかしいと思ってたんだけど、一緒に参加する友達のところに来たものを見るとどうやらこういうことらしい。
担当Aから宛先を友達にして、さらにCCで担当Bにコピーを送り、担当Bが受け取ったそのコピーをうちに転送し、担当AにCCでコピーを送っていたのだ。
転送するならせめてFwの文字を消すとか、BCCで担当にコピーを送るとかするべきだし、そもそもコピーを互いに送りたいなら、最初に担当AがBCCを使って私と友達と担当Bに送れば、送信は一度で済むしばれずに済むわけだ。
メールの仕組みを理解していないのか、知っててわざとやったのか分からないが、一般企業でこんなへんてこな(失礼な)メールを送ることがあるなんてと驚愕した。とりあえず、さらに質問するメールを送っておいた。
この時点で、参加芸人さんにこのでたらめさについて話をしてみた。そうしたら芸人さんの方では、コスト割れしてでも、持ち出しになってでも(やや誇張)、ツアーを盛り上げようといろいろ考えているとのこと。これを聞いて、下らないことで文句を言っていた自分を心から恥じた。芸人さん達が事務所含めてみんないい人ばかりだったので、ライブなどは本当に心地よい空間だったのだけど、そこに部外者が混じるだけで相対的に普通以上に不快になってしまっていた。その異物に過剰反応するよりも、彼らとの楽しい部分を増幅させるほうが正しいということに気づいた。
その寸前までは中止になっちゃえとか、むしろ参加をやめようかとか考えていたわけだけど、彼と話をしてから突然「これは参加しなきゃ!むしろ異常に盛り上げて楽しまなきゃ!」と思うようになった。
ここでようやく参加モードにやっと入ったのだけど、数日後来た返答は「残念ながらツアーは中止になりました」という定型文だけだった。締め切りから2週間以上経って、出発日の10日前になっても振込先さえ秘密のまま中止になってしまったw
というか、最少催行人数に達してない時点で普通なら中止にするだろうし、決行するなら同じ条件でやるべきだと思うのだが「条件悪くなったけど、参加したいならすれば」的な、メールの使い方も分からない連中が大手旅行会社に勤めてるのかと思うと、憤りを感じるものだ。

そし「主催者」。自称フリープロデューサーとのことだが、話によると単なる素人である。詳しくはどういう人物かは分からないのだが、ミクシィの参加芸人コミュで「自分が主催した」といって宣伝していた。主催者ということで、旅行会社の返答が要領を得ないので、メールで質問をしてみた。ところが、一度も返答が来ない。何度かうちに足跡をつけているものの、反応は全くない。
中止が決まっても数日、宣伝書き込みを消すことはなかったし、その宣伝の書き込み自体が日付が間違っているのをずっと放置してた。何を考えてるのか分からないので、改めて質問してみた。
ミクシィの日記と外部のブログで「大事だと思ってた仕事が失敗して落ち込んでいる」「泣きたい」と書いていた。おいおい、泣きたいのはこっちでしょ。という書き込みもしてみたのだが、瞬殺。宣伝トピックに書き込むと、トピックごと削除。その後ブログはコメント欄削除、日記は非公開に。そして芸人のコミュから脱退。完全逃亡ってこのことだw
別に何十個も書き込みがあったわけでもなく、私以外にも数人が質問というか意見を書いただけなのに、そこまで全力で逃げる必要があるのだろうか。
なぜ問い合わせを無視するのか、中止になったことの告知すらしないのか。普通に中止になってしまいましたと書けば逃げる必要ないのに、なぜ逃げるのか。こういうことでもプロ意識がない、素人だというのがわかる。中止の告知が来たあとも芸人さんと話す機会があったのだが、彼は中止になったことを通知の2日後にまだ知らなかったwということは、芸人さんにもなんら説明・謝罪等してなかったことになる。
それだけに留まらず、周りに対して全く責任を取ろうとしない卑怯さに激しく憤りを感じた。できれば二度と関わらないでほしいと思った。


最後には、ヨーグル関係者の当ブログ荒らしについて。
あまりのことなので名指ししようかと思ったが、どうせ書いても書かなくても同じというか、みんな知ってるので名前はあえて書かない。Aさんとでもしておこう。

彼は古くからのヨーグル友達だった。友録は最近になってからだったが、校舎前でいつも座ってだべってた連中の中にいたし、大きな同好会の会長だったので皆が知る有名人の一人であった。自分もあれくらい有名になれるといいなと思ってうざいキャラを演じたりしたものだった。まあいろんな意味で有名にはなれたのでこれはよしとしよう。

ところが、黙ってればそうやって一目置かれる存在であるのに、引退すると言い出して周囲を騒がせたり、他にも余計なちょっかいを出して何人かの人に嫌われているときいていた。彼の行為に憤ったうちの一人(Bさんとしておこう)もまた有名人で、私も一目置く人物であり、なんとか仲良くしてほしいと思って、お節介ながら仲裁を買って出た。
両方の話をきいてみたら、Aさんのほうが明らかに悪いと思った。とはいえ、そこまで頑なに嫌うほどのこともないと思ったし、お互いに歩み寄ればいいことだと思った。でも、能動的になんらかの行為をしたのがAさんの方だったので、彼の方から先に手を差し出すべきであろう。それでBさんがその手を振り払ったら私はBさんを叱ろうと思っていた。
とりあえずAさんにはそうアドバイスしたのだが、結局彼は手をさしのべようとしなかった。謝るべきだということは理解したといいつつ、行動に出ていないのだ。でも基本的に人ごとだし、私はそれ以上関わることはできない。全く、一晩かけて説教したのに無駄にしやがって、という感じだ。

その彼がブログにもコメントをくれるようになった。
その時点で私は、せっかく仲裁してやったのにまだ謝ってないのかと思ってて、彼にはいい印象を持てていなかったのだが、それはそれ、我々の関係に影響を持たせてはいけないと思って真面目に相手をしていた。
ところがだんだん、彼の書くことがなんというか失礼というか、批判的なものになっていった。別に批判はしてかまわないのだが、批判するにも礼儀というものがある。ちゃんと根拠を書くことや、反論されたりして勘違いと分かったら訂正を行うなどだ。
ところが、人を無知だと言うわりには、根拠を示してなかったり、事実を無視したような批判をするようになった。それは違うから訂正してほしいと言っても、書き逃げを繰り返すようになった。逃げるなら逃げるで二度と書き込まないのなら別に構わないのだが、また新たな話題に入ってくるのだ。これはうざいことこのうえない。
普段の私なら、2度目くらいで注意し、3度目くらいで出入り禁止にするのだが、かなり我慢したよ。全く知らない人じゃないし、言えば分かると思ってたから。でも何度目かのとき、ついに我慢ならなくなって注意した。これ以上書き逃げはしないでほしいと、今後も書くのなら前の書き込みをちゃんと処理してからにしてくれと。
ところが、その注意があっても同じような書き込みを続けた。ちゃんと注意したのにも関わらず同じ事をすりゃイエローからレッドになるのも必然だろう。理由をちゃんと説明して、二度と書き込まないでくれと言った。それでも何度かは無視して書き込んでいたが、その都度黙って削除した。そうしたら書き込まなくはなった。
でも、同じような文体で別の名前で、過去にも増して失礼な書き込みが増えた。私以外の人もそう感じたようで、あれはAさんじゃないかという話も聞こえてくるし、そのような指摘も書かれていた。まあ、私にとってはそれがAさんだろうとなかろうと、ちゃんと節度を持った書き込みなら削除したりしないし、返答するし、別に構わないのだが、普段のAさん以上におかしいので黙々と削除していた。
暫くしたら、Aさんからミク経由でメールが来た。「ごめんなさい」と言うのだけど、謝るならもっと先にすべきだ。しかも私が一番怒っているのは、書き逃げを繰り返したことだ。全ての書き込みを見直して、訂正なり反論の続きなりをすればいい。そうしろと言われてもしないのにごめんなさいと言われても聞き入れるわけにはいかない。こっちは謝罪なんかいらない、ただ、書き逃げをちゃんと処置してほしいのだ。
もし謝るならそれらをちゃんと行ったあとに、いつでもいいからオフでもやって面と向かって謝罪しろと言った。それくらいこっちは怒っているのだ。ところが、それには返事が来なかった。また、後に禁止にされていた。
ヨーグルでは、放置してるところに置きログとして皮肉じみたものが残ってることもあったが、登下校の記録がないので友録が消されていると判断してこっちも消した。あとでそれはチップが切れただけのことだと分かったが、それならそうと言えばいいのだ。どっちにしろ友録は消す気でいたけどね。

先日久しぶりにAさんとヨーグルで出会った。私はブログはブログ、ヨーグルはヨーグルだと思ってるので別に気にせず、皆と喋っていた。ところが、みんなの前だというのにAさんは私を明らかに挑発してくるような事をいうのだ。いちいちうぜえからうぜえと言うのだが、みんなの手前おおっぴらに文句も言えずに、人が散るのを待っていた。
ある程度人がいなくなってきたところで、てめえふざけんなという話をした。なんかうちのブログの書き込みがどうとか、削除が恣意的だとかいうのだけど、ちゃんと理由を言って削除したのだから、削除されたくないなら言われたとおりにすればいいんだ。というか、彼の書き込みは問答無用で消してるのに恣意的もくそもない。ということは、荒らしじみた変な書き込みも自分で書いてるのかということだろうか。
明確に別名で書いたか聞いたが、それは書いていないという。だったらそれでも構わないが、何人かの人は、彼自身が別名で書いたり、匿名BBSで私を叩いていると思っている。証拠がどうとかじゃない。本人が違うと主張するのが自由であると同じく、そうだろうなと思うことも自由なのだ。それには説得力があるかどうかのことだ。彼の意味不明の言動を見るに、それくらいしてても不思議じゃないと思われているのだから、言われたくないなら襟を正すべきである。え?私?別にそんな自作自演をするほど追いつめられてませんよ。別にそう思われても困りませんけどね。私はここで、きちんと筋の通ったことを書いてるのだから、それ以上でも以下でもない。

私は、誰が何を書こうとどうでもいい。うざい書き込みは消す、それだけのことだ。消したことそのものを批判の対象にするバカもいるが、だったら消されないように上品に書けばいいのだ。
こっちはもうAさんのことはどうでもいい。できれば関わりたくないと思っているのだ。仲直りしようなんて思ってない。どうしても仲直りしたいなら、顔出して目の前で謝れ。ついでに飯くらい奢れ。それにはきちんと自分の非を認めて貰わないとならないけどね。別に認めなくてもいい。関わらないでくれればそっちのほうが楽でいい。困った人に謝ってもらうことがどれだけ大変かは、経験してみた人でないと分からないことだ。
ともかく、仲直りの有無はこちらは希望しない。ただ、「二度と関わらないこと」もしくは「きちんと訂正すること」のどちらかを望みたい。とまあそういうようなことを言ったわけだ。

でも、あちらはそうではないらしい。なにかとちょっかい出してくる。これは構って欲しいのだろう。誰に話してもそういう。構って欲しいならちゃんと普通に話しかけていけばいいのだ。私だって構って欲しいと思う人には積極的に話しかけるようにしている。
だが、彼は素直に言えない。いちいち皮肉を言うし、挑発してくる。なぜいちいち怒らせることをするのかと質問したら、「いぬさんの性格を考えてのこと」という。なんだ、私は怒らせて当然の人間なのか?「怒らせればこういう話し合いの場が持てると思ったから」という。
ばっかじゃねーの?怒る前から話し合いは出来るだろうし、私が一度でも話し合いの提案を拒絶したことがあるか。メールだって返事したのに、それを無視したのはそっちだろうが。
どんな狂った人でも、相手が話し合いたいというのなら絶対にこっちはそれに乗る。たとえ匿名bbsで荒らすしか出来ないような卑怯者でも、会って話したいというのならいつだって会う。まあ、そんな勇気は彼らにはないだろうが。
怒らせることで、仲直り自体が難しくなると思わないのだろうか。となると、単に私が憎くて挑発してるのと同じことじゃないか。そこまで考えを及ばせられないほどバカとは思ってなかったが。
なぜAさんは普通に話し合いをしたいと言わないのか。臆病だからか、天の邪鬼だからか。どちらにしてもその責任はこちらにはない。彼自身にあるのだ。それをこちらに原因があるかのように言うのは心外だ。
私が何度も話し合いの要請を断ってるならまだしも、話し合いをするために挑発する必要性がない。単に話したいといえばいいだけだ。話し合うために怒らせたというのは単なる言い訳だ。
彼がBさんに謝らないのも、Bさんの日常が切迫していることにかこつけてるが、謝罪メールを送るのに相手の都合など考える必要があるか。相手にされないか、受け入れられるかだけだろう。メール読むなんて数分もかからないのだし、読みたくないなら読まずに捨てられるだけのことだ。謝ったかどうか、それが重要なのだ。
つまり、彼が常識的な態度を取らないのは、彼自身に原因があるにもかかわらず、○○だから仕方ない等とすぐに論破される言い訳をするのだ。本当に素直じゃないというか、子供そのものだ。彼はバカなのではない。精神が未熟なのだ。

そして、今回の挑発話し合いは彼が反応しなくなったので終わった。寝たのかどうか知らないし、その後の反応もないのでここに書くことにした。
私と仲良くしたいのなら、今までの非礼を全て逐一詫びることだ。話があるならいつでも聞いてやるが、礼儀を無視するのならそれ相応の対応をとる。常識的な対話をするつもりがないなら、ヨーグルで出会っても無視してくれ。今度挑発してきたら完全に無視するか、迷惑行為として通報させてもらう。


とまあ、どこの誰だか分からないけど実態のある人、けっこう知ってる人、どこの誰だか分からないけど匿名な人、困った人にもいろいろあるが、ここのところ困った人の被害を受ける率が本当に高まっていると思う。リラックマのときみたいに自分から行ったのならともかく、普通にしててこれだもの、よっぽど変な人を引き寄せる何かがあるんだろうなあと思った。

荒らしの奇妙な思考回路

2006年11月15日 05時01分11秒 | ノンジャンル
リラックマの件からずっと荒らしが続いてるんだけど、いつまでもよく飽きずにやるなぁと思ってたところ、別の所で相談をしているらしい。

興味がないので全然見てなかったんだけど、最近の書き込みに「きちだい」とか「四捨五入」とかいう意味不明のキーワードが入ってたので、なんのことかと思ってちょっと見てきた。

どうやらそのスレで書き込みをしていた人のうちの何人かが私だということになってて、彼の発言からの引用のようだ
「きちだい」についてはよくわからないが、多分ミスタイプかなんかだろう。タイプミスを延々と持ち出すのも、情けないといえば情けない。他にバカにするところがないってことだからねぇ。
「四捨五入」については、どうもたとえ話を理解できずに、相手が間違っていると思って未だに追及しているもののようだ。これは発端が面白いので紹介しよう。

ある人が、脈絡なく「自分の月給は、四捨五入して100万だ」と発言した。給料が高いことと議論の勝敗は別なのだが、多分それしか自慢できるものがないのだろう。
ところが「100万だ」とか「100万前後だ」とでも言えばいいものを、「四捨五入」することがあまりにおかしい。普通考えて50万から144万9999円までの間だと思うが、自慢するのに少なく見せる必要はないので実際は100万以下といったところだろう。
50万だったとしても、年齢にもよるが少ないとは言い難いわけで、自慢したいならすればいいと思うのだが、なぜ四捨五入して100万という中途半端なことを言うのだろうと誰もが思うことだろう。まあ、簡単にいうと嘘だろうw 嘘だったらもっと堂々と具体的につけばいいのにと思う。あ、自慢でも堂々と具体的にすべきだけどw

そう突っ込んだ人のうちの一人が「実は5万とかを無理に100万に切り上げてるんじゃないのか」「むしろ5円だったりして」というような突っ込みをしていた。もちろん、そんな切り上げは普通は出来ないのだが、勝手に定義して切り上げたんじゃねえの?とバカにしてるわけだ。
これをどう取り違えたのか、彼らはその指摘者に対して「5円を100万に四捨五入出来ると思っている」といってバカにしてきたのだ。これには思わずお茶を吹いてしまった(比喩)。

彼は「それくらい馬鹿なことをお前はしてるんじゃないの」とバカにされているのに、その「それくらい馬鹿なこと」という比喩が、その人の主張であったと勘違いして、これ見よがしに「四捨五入」と掲げて未だにバカにしているのだ。困った人というのは「比喩」が理解できないので、ときどきこういう馬鹿なことを言い出す。
当然、その間抜けさは何度も指摘されているのに、未だにそういってうちに荒らしに来ているのは、その発言者が私だと思いこんでいることの間抜けさと、未だに自分がバカにされてることに気づいていないのだろう。
勘違いすることは誰しもあると思うが、言われても気づかないというのはどういうものか、論理的思考のできない人というのは凄いなぁと思った。

あとの部分は、うちを荒らした人が、消された荒らし書き込みをコピペしたり、勝手にストーリーを作ってそれをバカにしたりしてた程度で、とくに面白くはなかった。
なんか私が彼らの身元を特定してるとか、訴えるとかいう話になってるんだけど、訴えないことで私が卑怯だと言う論理もみられた。訴えるかどうかはこちらの自由であって、匿名で荒らしをする側のほうが明らかに卑怯であろう。
プロクシサーバを使って荒らしてるから大丈夫だといっている人もいたが、匿名プロキシサーバの利用は不正アクセスになる可能性もあるし、そのサーバに問い合わせることでログの提供がされることもあるので、一概に大丈夫とは言えない。また、情報を漏らす「漏れ串」というのもあるので注意が必要である。つまり、私が訴えようと思えばいくらでも訴えられるということである。

どうにかして私をバカにしようと思っているらしく、縦読みというのを仕組んでいるのもいるらしい。縦読みとは一見相手を誉めておいて、文章の一部を縦に読むなどすると別の文章が隠れてるもので、それは大抵正反対の罵倒だったりする。
一体なんのためにやるのか不思議になるのだが、多くの場合はまともに相手を批判できないときに、腹いせで行うもののようだ。そういうことをする時点で負けを認めてるというか、卑屈な自分に気づいて欲しいものだが、彼らは縦読みに気づかれないと非常に喜ぶ。
もう、自分が過去にどれだけ間抜けな間違いをしたのかは全く考慮せずに、勝利の美酒に酔うようだが、気づかれなかったら単なる下手な賞賛文であり、気づかれたところで何とも思わないものなのだが、変わった人の思考は変わってるなぁとしか思えないところだ。
ちなみに、削除するかどうかは縦読みの有無によらず、縦読みが仕組んであっても、残したほうがいいと思えば残すし、邪魔だと思ったら消すだけのこと。

他にはうちのブログに意見をしたいのにできないといったものとかもあったな。分からないなら反応しなきゃいいのになと思った。記事に対する普通の意見もいくつか書いてあって、そういうのはこっちに書けばいいのにと思うのもあった。
結構さかのぼって見てもみたけど、私の間違いとか、問題のある部分への指摘というものは一つもなく、じゃあなにが気に入らないのかというのが不明なんだけど、所々入るわりとまともなコメントや、面白かったというコメントを見ると、彼らは単に私のファンなのだというのがわかる。
ただ素直にファンだとか、面白いですねとか、物知りですねとか書くのが恥ずかしいので、張り合おうとしているのだろう。そして、時折ちょっかいを出して自分の存在に気づいてほしいのだろう。
私に下らないイチャモンをつけて、私がそれに反応することで、私と同等に戦うことで自分を慰めてるのかもしれないが、だったらそんなところじゃなくてここで直接議論でも挑んでこればいいのにと思う。リンク上の格闘家に客席からヤジを飛ばして、格闘家と戦ってるつもりになってるようなものだろう。格闘家が客席に下りていって喧嘩買うわけがないと思うのだが。
とはいえ下品なものとか、意味の分からないものとか、主張に根拠がないものとかは削除するしかないんだけどね。で、削除すると「都合が悪いから削除したのだ、俺の勝ちだ」と言い出すのだから面倒くさいw
それで勝ったつもりになりたいならどうぞご自由に。できれば、他に楽しいことを見つけてほしいと思う。

彼らは、表向きのスタンスとして「頭のおかしいいぬを批判している」「その動向をウオッチしている」と言うのだが、「どこがおかしいのか」言えないことと、「ウオッチしたくても内容が理解できないので内容に触れられない」という矛盾がある。
普通、相手のことが嫌いならば無関心になるはずだ。関わりたくないと思うはずなのだ。好きの反対は無関心なのだ。能動的に嫌うための行動を取るというのは、明らかに「嫌い」以外の感情がある。手間をかけて延々と嫌いな人に関わろうとするのは、通常の精神状態とはいえない。
つまり、彼らは頭がおかしいか、相手のことが実は好きかということだ。前者については確かにおかしい人はいるようだがw、後者については子供が好きな子をいじめるという心理に近いのだろう。彼らの発言から、私の言動や考えに対して、ある一定の評価をしていることは彼らの時々見せる感想から感じ取ることができる。認めたいけど認めるわけにはいかない、その微妙な精神状態が彼らの異常な言動に繋がっているのだろう。精神がおかしいというか、未熟なのは確かだ。全く親の顔が見てみたいというものだ。
まあ、下らないことを書かれても削除するだけで済むからどうってことないのだが、変な人に好かれてしまうのもなんだかなあといった感じである。

謎の腎臓移植

2006年11月07日 04時42分52秒 | 政治・世相・スポーツ等
ある医師が、病気の患者の腎臓を他人に移植したということで話題になっている。そんなばかなことを…と誰もが思う話だ。


まず、病気の腎臓とはいえ、きちんと問題の部分を切除する等の処置をしていて、とりあえずは移植用の臓器として使える状態であったらしい。とはいえ、癌のあったものまで含まれていたそうで、たとえ患者の同意があったとしても医者としての良識を疑うものだとはいえる。

そもそも、もし移植臓器として使えるのならば、まずはもとの患者に戻すべきであって、他人に使うなんて普通はありえない。しかも、普通なら通常の治療で治り、切除まで必要のない腎臓まで摘出しているというから、これは故意に他人に腎臓を使おうという意図があったとしか思えない。

腎臓の移植を待つ人は、ドナーよりも遙かに多く、多くの患者が移植を待っているのである。腎臓移植は脳死ネットワークからのものが殆ど望めない以上、身内からにほぼ限られる。身内から適合者が出なければ、殆ど移植の道は絶たれてしまう。
そうなると、大金をかけて保険のきかない欧米に行くか、もしくは安全面で不安の残る中国で行うかになる。中国は死刑囚の臓器も混じっているうえに衛生面、技術面で問題があるとされているので、簡単には選べない。

普通に待っていたんじゃ移植できない、金もなくて外国に行くわけにもいかない、となるとなんとかして一般の人から提供してもらうしかないわけだ。でも、謝礼を貰ったらいけないことになってるので、赤の他人がタダで腎臓を一個くれるとは思えない。そうなると、病人のでもいいから、なんとか摘出してもらって、その腎臓をくれと思う人はいるだろう。

医師として、そういう人の気持ちをくんで、さして問題のない腎臓をさも摘出しなければならないように診断して摘出して移植に使ったり、癌でもかまわないから腎臓が欲しい人に移植したりしたのだと考えても不思議ではない。

となると、件の医師は医者としての倫理を外れても人間としての倫理を重視して人助けをしたということになる。その是非はおいておくとして、もしそうなら、批判されても我を通す意志の強い人間であるか、金儲けのためにやったのであればかなりの悪人であろう。
しかし、問題の医師の会見を見ても、悪びれる様子もない、強い意志も感じられない、もちろん邪悪なオーラも出していない。気弱そうな人間で、しかし言うことにおかしな部分や無駄な部分はなく、まことに不思議な印象だ。批判されることをあえて行ったくせに、飄々としているというか、まことに薄い印象をうける。とはいえ、患者の同意を文書に残さないなど、なんらかの隠蔽工作をしていたようにも思える。したたかなのか、なんなのか、いまいち外見からは掴みきれない。

ともかく、医師の行動は腎臓を提供される患者のことを思ってのことか、単に医師として移植手術をして儲けるためかは分からないが、臓器移植に関して謝礼が支払われた例で逮捕者が出ていることもまだ記憶に新しいし、もしかしたらもっとやばい裏がありそうな気もする。今後の展開を待ちたい。

自殺者を美化するな

2006年11月05日 12時58分04秒 | 政治・世相・スポーツ等
最近、自殺の報道が増えている。いじめ自殺だなんだといってるのがどうも見てて腹が立ってくるのだ。

最近の報道によれば、文科省のいじめによる自殺の認知数は0件だという。しかし、最近はよく「いじめられたので死にます」という遺書を残して死ぬ子供が後を絶たない。このような遺書があっても、文科省はいじめによる自殺だと認定しないのか、ふざけているという論調だ。
いくらなんでも、こんな遺書があればいじめによる自殺だろう。私も最初はそう思って見ていたのだが、話を聞いているとどうやら理由が分かってきた。

「いじめ」行為があったかどうか、これは聞き取りなどによってある程度特定できるのだろう。しかし、その「いじめ」行為が「自殺」の原因になったのか、つまりいじめ殺したのかというとそれは因果関係において疑問だというのだ。

つまり、いじめたことが原因で、めぐりめぐってその子が自殺したとする。遠因としていじめはあったのだろう。しかしそれが直接の原因かというと、不可避の因果関係があったのかどうかというと、それは難しい。

同じいじめを受けても死ぬ子と死なない子といる。また、普通じゃ死なないようなことでも死んでしまう子もいる。となると、どんな場合においても、結果として自殺をしたら、その原因が全ていじめにあると見てしまうのは問題なのだ。

軽く「オイ」と言っただけで死んでしまった子がいたとしよう。忘れ物をした子に対して「なんで忘れるんだよ」と言っただけでいじめに感じて、死んでしまったとしよう。これが「いじめによる自殺」だとすれば、それはあまりにいじめたとされた側にとっては荷が重くないか。

まずはその行為がどの程度のものか。人権を無視したようなものか、冗談や常識的な範囲の叱責だったのか。まずそれを考えてみなければならない。

でも、そうやって考えていくと、たとえボッコボコに殴られても、服を切り裂かれて放置されても、頭からうんこかけられたとしても、そういうことは犯罪であって、先生なり警察なりに言えば対処してくれるはずだ。これをできない子供の方にも問題はあろう。いや、ここでいう問題とは、いじめられたことに対してのものではなく、その後に対するものだ。
いじめ自体についてはいじめた側が100%悪い。いじめられる側に何らかの問題点があったとしても、能動的な行動に出て良い言われはないのだから、いじめ自体に関してはいじめた側が確実に悪い。しかし、対処の仕方が悪い場合がある。

そのような犯罪行為を甘受する必要はどこにもない。死ぬ必要もない。通報するなり逃げるなりすることは出来たはずだ。学校に行きたくなければいかなくてもいいのである。他に方法があるのに死を選ぶのは本人の勝手であろう。
いじめられたことに対する責任はいじめた側に100%あるが、死んでしまったことについての責任は、死を選んだ側に100%ある。これは確実である。しかし、結果として死んでしまったことで、いじめた側やそれに気づかなかった学校側の責任が重大になると勘違いしている人がいるのは問題である。自殺によって学校側の責任が過重されることは、絶対にあってはならない。

確かにいじめることは異常であって、人間的に問題があるのだが、だからといって命を奪うつもりでやってる人間は殆どおるまい。殺すつもりでいじめるのは殺人もしくは殺人未遂だが、そのような凶悪なものと一緒にしてよいものではない。
さらに、死ねば自分は困難から逃れられるが、残された者はどうなるのか。親がどれだけ悲しむと思うのか。そう考えると自殺とは自分勝手そのものである。
はっきりいって「世の中に死ななきゃならないほどの困難などない」のである。あるとすれば、回復の見込みのない病気で治療が苦痛な場合くらいだ。だいたい、死ななきゃならないほどのことってなんだ?

人間関係?リセットしてしまえ
いじめ?通報するか、やりかえすかしろ
借金?自己破産してしまえ
鬱?病院にいけ

このように、死ななければならないことなどこの世にはない。これらに対処することが出来ないから、死を選ぶのであろう。それはもう、自己責任である。
確認してほしいのは、たとえどんなに苦しくても「死ぬのは本人の自由意志によるもの」であり「自分勝手な行為」だということだ。そもそも自殺は犯罪だ。単に死んだ人が罰せないだけのことだ。自分への同意殺人ということになろう。つまり、自殺は悪いことなのである。

それと問題なのは、自殺した子の親だ。さも学校が悪いかのようにいう。学校など何十人もの子を見ているのだから、お前の子供だけ見てられるかっての。なんで我が子の気持ちを理解してやれないのか。親に相談しやすい環境であれば、死を選ぶ前に親に相談していただろう。親が学校に行かせないこともできたろう。自殺の責任は、いじめた奴以上に親にあると私は思う。なぜ、親がいじめを察知して学校に通報しないのか、いじめた奴を問いつめてその親に文句を言わないのか。改善できないなら別の学校に通わせるなどの対策をしないのか。それらが出来るのは親しかいないというのに。

学校が気づかなかったのが悪いと取り乱して教師や校長を罵倒している映像が流れているが、何を偉そうにしているのかと思う。もしその子がその光景を見ていたら、お前もだろと言ってるだろう。
そして、一部の遺族や支援団体の、これらを美談にしたがる動き。これには反吐すら出る。今朝、報道2001を見ていたら、ジェントルハートという団体の人が出ていた。いじめに関する活動をしているようなのだが、死ぬ前に子供が言った言葉を、素朴なイラストとともに掲げているのだ。なにかの標語みたいでもあるし、ちびギャラリーの作品みたいでもある。自分勝手に死んだ者の発言をこのような素敵な絵にしようと思うのが分からない。それを感動に転化させようとするのも分からない。死を美談にしようとしている動きには、邪悪なものを感じてしまう。偽善とか言うまえに末恐ろしいものを感じてしまう。
自殺は自分勝手な悪行か、もしくは精神状態が異常であったために突発的に起きた事故であって、美談などでは断じてない。

それと、遺書が公開されて、学校やいじめた相手が相当の悪人だったかのように報道されてしまうのも問題だ。仕返し感覚でエキセントリックな遺書を残して死ぬことを助長してしまう。なにより死を美しいものとして、かわいそうかわいそう言うものだから、そう扱われたくて死んで行く者も出てくるだろう。
暴走行為をかっこわるくする目的で暴走族のことを珍走団という動きがあるが、いじめや自殺についても、同様なかっこ悪い名前を付けるべきだ。どちらも自分らが悪いことをしている自覚がないのが一番の原因だろう。
いまの報道では、いじめも自殺者も抑制しているとはとうてい言えない。


名前も知らない、無関係な他人が死んだからといって涙を流せる人は相当の偽善者であろう。他人なんて所詮そんなものである。自分の身内が死んで欲しくないなら、自分で守ってやれ。それが出来なかったことを悔いるのならまだしも、他人のせいにするなど愚の骨頂である。
もし私の身内が自殺したなら、可哀想とか思うまえに、ふざけるなと思う。死ぬ前にできることはいくらでもあるだろうに。そして、それを防げなかった自分を悔いることだろう。原因となった人間がいるなら殺しに行くかもしれないが、それは単なる自己満足に過ぎないことは理解できる。
しかし、かわいそうだの、他の誰かが気づかなかったのがどうだとかみっともない八つ当たりはしない。その事柄に関する感情は、全て自分の責任で片付けるべきである。他人のせいにするなど愚の骨頂である。



ついでに、死ぬとか死にたいとか言っている人と、本当に死んでしまう人は同列ではないことを指摘しておく。
落ち込んでいて、死にたいと言っている人の延長が、本当に死んでしまう人だと思っている人がいるが、そうではない。
死にたい死にたいと殊更に主張する人は、死なないでくれと言われたいから言っている、構って欲しいから言っているだけなのだ。こういう人はたいてい死なない。たまに行動に出ることもあるが、大したことができない。動脈を傷つけずに体を切るか、すぐに切れるヒモで首を吊るか、少々多めに薬を飲むか、酒を一気飲みするかである。

これらの行動は、死ぬ死ぬ言う行為を正当化するためにするポーズであって、本当に死のうとしているわけではない。だから、確実に死ねる事は滅多にしない。事故で本当に死んでしまうこともあるのかもしれないが。
だから、遺書などは殆ど書かないし、書いたとしてもそれはきれい事ばかり書かれていて、死を前に覚悟を決めたものではない場合が多い。悲劇に浸りたいだけなのだ。

ところが、本当に死んでしまった人の周囲の話を聞いていると、普段は明るくてどうとか、そんなそぶりは見せていないとか、そんなのばかりである。話を総合すると、本当に死ぬ人間は、むしろ普段より明るく振る舞って、そのまま死んでしまうもののようだ。まさに突発的なもののようである。

つまり、死ぬ死ぬうるさいやつは死なない。むしろなんからの悩みがあるのに死ぬ死ぬ言わない人の方が危険で、両者は全く別物だというのがわかる。
こういう話をすると身に覚えのある人はいるだろう。ヨーグルを引退する引退するといって結局戻ってきたりする人は私の知る限りでも何人もいるし、むしろ何も言わずに来なくなる人の方が何十倍も多い。こういったところでも、やめるとか死ぬとか言う人は、ゲームや生に固執しているからこそ、それに反したことをいって注目を引こうとしているのだろう。

そして、本当に死んでしまう人というのは、まともな精神状態にない。まあ、ある意味病気なのだろう。落ち込んで死にたいと思うことはだれしもあるとしても、本当に死ぬことまでは考えない。なぜかというと、死は恐いのである。死そのものはそう恐くはないのだろう。誰だってそのうち死ぬのだから、もし死そのものが恐いのなら、毎日恐くて生きていけないだろう。
恐いのは死そのものではなく、それに至る過程であろう。どのような手段であれ、その場からすぱっと消えてなくなれるものではない。飛び降りにしても首つりにしても、踏み出す瞬間の恐怖、死ぬまでの恐怖があろう。薬を飲むにしても同じだろう。楽に死ねる方法などそうはありはしない。それに、さあ死ぬとしてどうすればいいのか考えると、意外と死ぬのって大変だし、遺族のことを考えたりして結局死ぬことは現実的ではないと気づく。だからこそ、そうそう人は死なないのだ。

それを乗り越えて死ぬというのは、侍や軍人が覚悟の自決をするようなものも含めて、通常の精神状態にないことがわかる。非常に強い意志があるか、もしくは逆に感情が不安定になっている場合だ。そのヒステリックな状態に、なんらかのきっかけによって飛び降りたり首を吊ったりするのだろう。これはある意味、防ごうとして防げるものではないのかもしれない。
ただ、そういう周囲が通常ではない精神状態に気づき、原因は何か見定めることが出来るとすれば、それは学校ではなく、親の仕事であろう。だからこそ、親がまず自分の至らなさを悔いるべきであって、学校のせいにするなどというのはお門違いだといえよう。

先ほどの報道2001では、いじめや風紀の乱れを撲滅させるために、一切容赦のない処分を行うアメリカの例をやっていた。暴力行為は即退学だの停学だのというふうに、互いの言い分、言い訳を聞かずに問答無用で処分してしまうのだ。そうなれば、それらの行為について慎重になるだろうという。これは古い日本的な処分なんじゃないかと思うのだが、時代には即さないかもしれない。ただ、徹底できれば確かに物理的ないじめは減るだろう。
ただし、精神的ないじめは増えるはずだ。そして、むしろこちらのほうがいじめられる側にダメージを与えるのだ。そう考えるならば、その施策はある意味でいいとはいえるけども、精神的ないじめに対してどう対処するのかという部分までしっかり対策したうえでなければ、たとえば逆にいじめた側にしたてあげるといういじめが生まれる可能性もあることも想定しなければならない。

いじめ自体をなくすことはまずできないだろう。世の中には訳もなく人を攻撃したがる人というのはいるのだ。それはそうすることでしか自己の存在意義を認められない矮小な人格であるのは疑いない。そう、いじめる側もいじめられる側も普通じゃないのは確かだが、あまりに表面化しづらいので対策もしづらい。あまりにがんじがらめに対策してしまうと、自由な生活に支障を来すであろう。
であれば、できることは、いじめによって自殺したり、心を病む人が出ないよう、そのケア、対策に重点を置くべきであり、それが出来るのは親だけだということを、まず親が自覚して、常に自分の子供の考えに目を光らせておくべきだろう。これもがんじがらめにするということではなく、子供が悩みや問題を相談出来る場所を用意することだ。それが親そのものでも、それ以外でも構わないが、それがあるかどうかの確認くらいは出来るだろう。
人間、逃げ場所が必要なのだ。これさえやってれば楽しくてたまらないことを見つけるとか、愚痴る場所を見つけるとか、普通の人は無意識に発散しているものなのだが、精神の発育途上にある子供にそれを自分でやれというのも酷であろう。

結果として死なれてしまったのならば、その親はその対策が甘かった以外のなにものでもないのだ。まともな親のもとに生まれていれば、その子は死なずに済んだのである。死を選ぶのは自分であったとしても、判断力のない状態であれば周りが保護すべきであり、それを怠った親の責任は重大である。

そういうわけで、私はいじめ自殺の報道や、その時に出てくる親がむかついてたまらないのだ。


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迷走ソフトバンク、通話料値上げ?!

2006年11月02日 03時16分49秒 | 政治・世相・スポーツ等
昨日書いた記事でも記した通り、ソフトバンクはゴールドプランの通話料を見直したという。

ニュースリリースを見るに、一律通話料になっていて、確かに日中の通話料は他社のSSプラン並になってはいるものの、これまでそれより安かった時間帯が値上げになっているw
他社より割高だから安くしたというのなら、高くなってた時間帯を削り、安かった時間帯はそのままにするべきじゃないかと思う。というか、最初から一律プランにするべきだと思う。
ともかく、少しでも値上げになる事に関しては慎重になるべきなのに、値上げに関してあまりにしれっと、あっけらかんと、すっとぼけて行ってるのが凄い。簡単に値上げできないからこそ、他社は値下げに慎重なのにもかかわらず、ソフトバンクは値上げについて本当に不用心というか無関心というか。

ゴールドプランがスーパーボーナス必須プランということを考えると、「2年契約した途端に値上げされた」と怒り出す人がいても不思議ではない。それもたかだか1週間やそこらで急に値上げしているのだ、契約上の問題にもなると思う。値上げを理由に契約解除を求める人が現れても当然だ。そういう場合どう対応するのか、非常に気になる。以前のハッピータイム廃止事件のときは、ハッピーボーナス解約金の免除という特例を設けていたが、今回はどうなるのだろうか。

それにしても、2年契約必須のプランの条件をここまでコロコロ変えていいものだろうか。市場の動向を見て変えるというのなら、導入前に行うべきだろう。発表と施行を同時にするのは、アップルがiPodの新製品の発表をして「今日から売ります!」とか言うのを真似てるのかもしれないが、あまりにもお粗末で仕方がない。
単なる製品なら売ればそれでいい話だし、仕様が変わっても気に入らなければ買わなければいいのだからそれほどの問題ではないが、通信契約において内容・条件をコロコロ変えられてはたまらない。安くするだけならいいが、高くなる部分があることについてはどう考えているのだろう。

それと公取委が入った件について、0円表示を見直すとのことだが、これについても冗談みたいな小さい字で消費者を騙そうとしてたことを認めたようなものだ。イメージが悪くなることを避けるためというが、悪くなる自覚があるならあんな詐欺まがいの広告を打つ前に行うべきだ。
で、マスコミはあまりこれを報道しない。公取委の聴取の件までは報道したが、批判的な報道をしないのは、やはり連日CMを打ちまくってるスポンサーだからだろうか。

au、ドコモの各社も反論広告でも出せばいいのにと思う。ドコモ社長のブチ切れ会見は一部報道されていたが、ソフトバンクを揶揄する内容のCMでも流して然るべきだと思う。まあ、あまり深刻なものではなく、詐欺まがいの広告や、コロコロ変わる料金なんかを笑い飛ばすような内容がいいんじゃないかな。

まあともかく、ソフトバンクはあまりに業界を混乱させすぎだ。まずスーパーボーナスの驚異の解約違約金(最大7万円)、連日の契約内容の変更、通話料の値上げ。さらにシステムダウンと、こんな事が続くようだと、今度は総務大臣からお叱りを受けることだろう。


ところで、批判してばかりはいられないので、ちょっとは誉めてみようと思う。
それは一部で話題になっている、オレンジプラン(x)である。これはauのCDMA2000 1xのコピープランであって、auでは1xとwinとでは価格が違っていて、安い1xではパケット定額が選べず、winでは学割が選べないのだが、ソフトバンクのオレンジプラン(x)においては両方とも選ぶことができる。これはなかなか台風の目というか、なかなか利点があるのではないかと思う。
まあ、ゴールドプラン以外は他社のパクリであって、そこそこの競争力を持っていて然るべきだし、予想外割が予想外に高くて異常だというだけで、それ以外の部分では十分よくユーザを考えたプランだと言える。
ちっとも安くない予想外割ではなく、このauでは選べない組み合わせを選べるという利点を前面に出してきたほうが良かったのではないかと思う。
あと、MNPを使って移動した場合、移動前の継続年数を引き継げるというのもいいことだ。どうしてこういうのを宣伝しないのだろうか。

ブループランだとどうかな・・・旧プランならプラン67以上でないとパケホーダイに入れない縛りがあったから、その縛りがなくなるという利点を出せたのだろうけど、今はその縛りはない。とはいえ、auのwinと横並びのプランなので、auから乗り換える人がいるとすれば、それと同じ利点があるように思う。

といっても、メルアドやコンテンツが引き継げないことを考えると、そこまでの利点はないと個人的には思うのだけど。
あちらからまた戻ってくるのに継続年数を引き継げるのなら、ちょっとくらい使ってもいいかなとは思うけど、端末代がかかるからやっぱいいや。