◆犬の散歩◆

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PCが起動しなかった問題

2006年08月20日 00時37分50秒 | エレクトロニクス
突然PCが落ちて、うんともすんともいわなくなってしまった。

フタを開けてみたけど別に燃えてる部分もなく、どこがおかしいのかは一目にはわからない状態。
そこで電源ボタンを押してみると、ファンが一瞬動くそぶりをみせてそのまま、電源ランプはつくけど、再度押しても消えないという状態。

微弱な電流は流れているのだろうか?ともかく電源が逝ったっぽいので、電源を買いに行く。今思えばよく検証せずに行ったのがよくなかったわけだが・・・。

秋葉で良く使う割と大きい某店へ。

訳を言って、AOPENのベアボーンだと告げる。電源の形が特殊だから同じのでないとつかないといのうだが、あまりそうは見えないのだが確証が持てないので言うとおりすることにする。なぜかベアボーンだというのにメモリとかCPUとかを聞いてくる。なんか妙な感じだ。

同じというものがないのなら固定できなくても普通サイズのを買って動作確認するからそれをくれと言ったのに、ピン数がどうとか、刺さるかどうかわからないとか、お勧め出来ないとか言って売ってくれない。ピンなんかどれも共通だし、4ピン部分が繋がってるか分かれてるかの違いくらいだろうが。それ以外の電源ピンを使ったマザーなんか普通売ってるかあ!別の店員が出てきても同じようなことを言う。

ミドルタワーの筐体に移植するつもりだとか、そのうちcore2を組むときに使うからこれが使えなくても無駄にはならないとか、もとの電源は修理に出すからそれまでの繋ぎだとかいって、なんとか売ってもらったw

つーか、客がそれを買うというのだから黙って売れよ!!!wwwww
こっちはトイレいきたいの我慢してわけのわからん説明聞いてたんだよ!!!
(それでもマイクロの基盤はミドルにはまらないとかわけのわからんことを言っていたが)
どーも秋葉の店員というのは、中途半端な知識というか独自のこだわりというものを客に押しつけてきて困る。某T店とかS店とかはそういう店員が多くて有名だったんだけどこの店まで冒されてきたか・・・。

まあ、それはいいとして、いい電源を買ってきて早速接続してみた。
電源ON。起動した・・・けど写らない。でもピポ音はしてるし、HDDも動いている。んで、メッセにも繋がってるらしく「オンラインになってるよ」というメールが来たw

ありゃー、じゃあビデオカードがおかしいのかなあ。
とりあえずシャットダウンして、内蔵のビデオにしてみる。
(というか、単にディスプレイケーブルを内蔵のコネクタのほうに差し直しただけ)

起動してみると、ちゃんと写った。そしてなんとビデオカードから煙が!!!
あわてて電源を切り、ビデオカードを外す。
というか、内蔵に切り替えた時点で外すべきだろw

で、ビデオカードを外したらなんなく起動できた。
起動しなかった原因はビデオカードが逝ったことでした。
ドライバは前に使ってたのが入ってたので問題ないし、ヨーグルもなんとか出来る。重いけど。
新しい電源は恐ろしく静かで、クールだ。ちっとも熱を持っていない。すばらしい。
でも、このままじゃフタをしめられないw

ビデオカードが原因で起動しなかったのなら、電源は逝ってないのでは?

もとの電源を戻してみる。すると、普通に起動したw
なんだ、ビデオカードを抜くだけでよかったのか・・・。
でもまあ、電源はそのうち使うし、なんなら余ってるケースに移植して使うこともできるし・・・。あ、ロープロのキャプチャカードの普通サイズのプラケットどっかやったな・・・そしたら固定できないや。しょうがない、新電源は保留だ。さすがにcore2のシステムを組むほど余裕ないし・・・。ビスタが出るころまでに考えればいいか。

しかし915内蔵のビデオは重い。内蔵にしてはいい方だし、とりあえずヨーグルが出来るのだから凄いんだけど・・・。出向してるGF2MXカードなんかテクスチャが真っ白になっちゃうし、秒間数コマだし。

そして、このもとの電源がかなりホットなのだ。いまは蓋を開けてるから他に影響してないが、フタをしめていたときはこいつのせいでシステム全体の温度が上がっていたのは考えるまでもない。どれくらい熱いかというと、電気あんかにしては熱いかな?という程度w
良く見ると、ケースファンが動かなくなっている。そうか、こいつのせいでファンレスだったビデオカードが逝ったのか。それほどこのケースの熱問題は逼迫していたのだ・・・。というか、ビデオカードがファンレスなのはよくないwwww

というわけで、ケースファンを買いにいかないとフタがしめられないw
できれば大口径で電源をマザーからじゃなくて直接取れるやつのほうがいいな。でも設置できるかどうかわからないし・・・直角に排気出来るやつでないとだめだし。また秋葉にいくの面倒だなあ。

祝:小泉首相、終戦記念日に靖国参拝

2006年08月16日 04時49分12秒 | 政治・世相・スポーツ等
小泉さん、ついにやりました。終戦記念日の靖国参拝。
最後にやっぱり公約を守ってくれました。有終の美を飾るというところだ。念願の郵政民営化もやりきったし、小泉さんの気持ちを推し量ると、万感の思いといった所だろう。


当然のことながら中国や韓国は文句を言っているけども、これがなぜいけないのか、ちゃんと理由を言える人はどれだけいるのだろう。


「一国の元首が、この国を守って戦って命を落とした人を追悼してなにが悪いのか。」


誰もこの問題にきちんと答えた上で文句を言っていない。
中には理由にならない理由や、既に間違っていることが証明されている理由で文句をつけている人もいる。

新聞やら掲示板やらブログやらを見て回ったけど、やっぱりどれも簡単に論破できてしまうものばかりだ。

一番良く言われるのが「A級戦犯を祀っているから」というもの。
これはもう、ちゃんと勉強していないことが分かる馬鹿げた理由だ。
まず、A級戦犯というが、別にBやCだって祀られているのだ。このABCというのは罪の重さではなくて、単に国の指導者かどうかというだけの差だ。Aだから悪いっていうわけじゃないことが一点。

つぎに、戦犯というもの自体が存在しないということが一点。
これは二つの点から説明出来る。

まず、その戦争犯罪というものを裁いた東京裁判といわれる軍事裁判が、法的に(国際法、国内法全てにおいて)違法なものであったということ。
事後法において論じられ、なんら証拠調べもせず、検事や弁護人などの選定も適当であり、およそ近代法学からはかけ離れたものだったのは有名な話だ。
事後法というのは、ある行為が行われた「後」に、それが犯罪だと決めて、その法が出来る前に行われた行為を犯罪として裁くことをいう。これは「罪刑法定主義」という近代法の根本的な原則に反する。
ある行為をしたときには合法だったのに、あとから「やっぱさっきやったことは違法だから裁くわ。あんた死刑ね」とか言われたら困るだろう。というか、天才バカボンでもそんなことは言い出さないと思う。でも、それを堂々とやらかしたのが連合国なのだ。
つまり、もう裁判という名前がついてはいるけど、裁判のカタチに成っていない茶番であったわけだ。

とはいえ、サンフランシスコ講和条約ではこの判決を受け入れることが日本が独立することの条件であったから、判決そのものは受け入れるしかない。ところが、その中身が異常であったことまでは放棄してはいけない。

次に、同条約の手続きに則って戦犯は既に罪を解かれている。そう、もう彼らは犯罪人ではないのだ。これは処刑された人たちも含む。

裁判の形ではない裁判モドキで裁かれた戦犯。その罪を解かれて名誉が回復している戦犯。残念なことに死刑が執行されてしまった者もいるA級戦犯の面々だが、そうでないA級戦犯は普通に釈放され、政界に復帰した者もいる。処刑された人は戦死者扱いになっている。

これだけで、そもそも、いわゆるA級戦犯なんかが存在しないことが分かる。そして、日本政府も同じ立場を取っている。ならば、よその国からどう言われようと「うちにはA級戦犯なんてものはいない」とはっきり反論して、毎年参拝するべきだ。それと天皇こそ参拝すべきだと思う。

さて、それでも「日本が侵略戦争をした時の責任者だから」という理由で参拝に反対する人もいる。これも無知からくるものだ。

まず、日本は侵略戦争をしたわけではない。

戦後の自虐史観による教育を受けた人には、日本がアジアの征服を目論んで無茶な侵略をしたとい思いこんでいる人もいるだろう。これは間違った歴史認識である。

支那事変が起きたのは、当時の中国国内の内戦が原因と言われているし(かといって日本軍に責任が全くないわけではないが)、太平洋戦争に至っては欧米のアジア侵略の邪魔を日本がしたから、逆に意地悪をされたからだ。

ロシアは不凍港を求めて南下してきたし、欧米列強もアジアの権益を求めて進出してきている。日本もいつその対象となるかわかったものではなかった。日本を守るには、地理的に朝鮮と中国を押さえておかなければならなかった。ところが一向に近代化しない朝鮮や中国は欧米の侵略の危機に晒されていた。
そこで朝鮮は自らの意志で日本との併合を望んだし、満州国は日本の傀儡政権ではあったものの、日本を守るために必要なものだった。
ところが、欧米及び中国はこれに反発し、アジアから日本を締めだそうとした。これがABCD包囲網と言われるものだ。米英中蘭の頭文字を取ったこの政策によって、日本は資源の輸入路を絶たれてしまった。そして米国は「ハルノート」と言われる最後通牒を突きつけてきた。
つまり、大陸や朝鮮での権益を放棄して撤退しなければ兵糧攻めするというものだ。
日本はこの死刑判決とも言える通告をうけて、最後まで戦争を回避しようとしていた。ところが、アメリカは全く聞く耳を持たず、「日本を追いつめて最初の一発を撃たせる」ことを目的としていて、戦争をするつもりが満々であったのだ。

真珠湾攻撃に至るまでにその暗号は解読されて、あえて攻撃されたとか、それに至る前に何度か小競り合いはあって、真珠湾が発端じゃなかったとか、宣戦布告をしたけど駐米大使館員が宴会をしててこれを提出しなかったとか、いろいろ日本にとってよくない巡り合わせもあったが、ここまで読めば日本だけがそれほどあくどいことをしていたわけではないことが分かって貰えるだろう。

ただ、個々の作戦では正義とは言えないこともしただろうし、大東亜共栄圏という日本の拡大路線もあったのは事実だろう。ただ、結果として日本が占領したアジアの国々は、欧米列強の植民地から続々と独立しているのも事実だ。日本がこれらの国を結果的に解放したという事実は、戦争の功罪の一つとして認識しておくべきことだ。

太平洋戦争とは、これらの一連の流れがあってのことだということを知っておけば、その時代の指導者の責任がどうとか言うのが誤りであるのがわかる。たまたまその時に指導者の立場にあっただけで、彼らも極力戦争を避けようとしていたのだ。日本との戦争を一番望んでいたのはアメリカそのものだ。そしてそのアメリカは空襲や原爆という民間人虐殺という大きな戦争犯罪を犯している。しかし彼らは全く裁かれてもいないし、日本はアメリカに文句の一つも言っていない。日本人は、いまさらこのことをとやかくいうべきではないが、このことを忘れてはいけない。

こういった列強の無茶と戦い、命を捨てていった人達のために参拝し、追悼するのは日本人の義務であるとすら言える。とはいえ国民全員が参拝はできないから、首相が代表して行うのは当たり前のことだ。

戦争を起こした日本は悪いことをしたとか、戦犯は悪いやつだというのが誤りであることは理解してほしい。事実を知りもしないで、首相の靖国参拝に反対する人は、日本人ではない。いやむしろ、人ではない。首相と天皇は、毎年揃って参拝するべきことだ。それが人の道というものだ。

中国や韓国は、政策として「日本を常に攻撃すること」という手段の一つとして靖国問題に文句を言っているだけだ。もしこの問題で日本が譲歩しても、別のことで文句を言うだけのことだから、相手にする必要はない。小泉首相も「どうせいつ行っても文句言われるから」といっている。
そもそも、この問題自体が戦後随分経ってから話題になっているのだ。中曽根首相の時代までは普通に行われていたのに、戦後何十年も経ってから突然中国らが文句を言ってきた。それはなぜかというと、朝日新聞がこの問題を提起し、中国をそそのかしたからだ。
中国は日本を叩くネタが出来てよかったとばかりにこれに乗ったわけだ。

というようなことをマスコミが正しい情報を報道しないから、中国や韓国の言うことを信じて参拝に反対している人もいるが、(知っててやってるなら最悪だが)きちんと調べて、事実を知ったうえで批判をしてほしいものだ。事実を知った上で参拝するべきではないと言うのなら、その根拠を私にも分かるように教えて欲しいものだ。私は今まで、そんなものに出会ったことがないのだ。


まあ、日本は隣の馬鹿の言うことは無視して、粛々と参拝していればいい。いやむしろ、「日本には戦犯などいない」という立場を取っていることを、もっと宣伝するべきである。


さあ、やって参りました

2006年08月13日 11時34分24秒 | お笑い
さあ、お笑いだお笑いだ。お笑いという項目を作って幾年月、某芸人さんに急かされてついに記事を追加であります。

私、小さな頃からお笑いは大好きでありまして、漫才ブーム、ドリフからひょうきん族、ボキャブラ、夢で会えたら、やるやら、ごっつ、ガキ使、という人並みな流れを経ております。

この口調は長続きしません。

10年くらい前にもちょっとお笑いにはまった時期がありまして、ホンジャマカ、バカルディ、テンション、デンジャラスといった芸人さんがブレイクするちょっと前の話です。ホリプロお笑いライブに何度か行っておりました。

最近はマセキ芸能社を中心とする小劇場のお笑いライブにはまっております。彼らはほとんどテレビに出てきません。彼らのうち一部の人が、たまーにテレビに出てくるくらいです。それでも一般的にはあまり浸透しておらず、それほどお笑いに詳しくない友達に話してもパッションさんを知ってるかどうかといった所です。

その小劇場のお笑いにはまったきっかけは、私の連れがパッション屋良さんにはまったことによります。そのちょっと前には中川家にはまっておりまして、新宿のルミネにたまに行っていた程度です。

テレビでパッションさんや瞬間メタルさんを見て私がはまって「この人達面白いよ」と教えたところ、最初は恐いといっていたくせに、徐々にはまって、ライブに行きたいと言うようになりました。最初に選んだのがパッションさんのいるマセキのライブなのです。

マセキといえばウンナンのいるところ、という認識くらいしかありません。それと、ホームチームが所属しているというのを見て、中川家と一緒に「感じるジャッカル」という番組に出ていた頃、イベントで握手したことあったなぁ・・・と懐かしみました。ゲル子さんが恐かったです。
そのイベントでは中川家のお兄ちゃんがお客さんに殴られるという事件があって、その時お兄ちゃんが扮してた犬の飼育係をやっていた檜山さんがその場を必死に繋いでいたのがカッコよかったです。あとは長井秀和さんがバイオハザードの格好してたのと、シャカも出てました。

そのホームチームさんもたまに出てくるマセキのライブ。若手の人たちが頑張っています。最初はパッションさんきっかけでしたが、今はその全員のファンになりつつあります。
なんというか、小劇場ならではの一体感というのでしょうか。満員でも100人も入ることはありません。見てて彼らの熱い情熱が伝わってくるのですね。普通、お笑いというのは興味をあまり引かれない芸人のネタは真面目に見なかったりするものですが、テレビと違って目の前でやってると真面目に見てしまうわけです。ずっと通ってると同じネタを見ることもあるわけです。そうするとちょっとずつ変わってきてるのが分かるのです。当たり前ですが、彼らもちょっとずつ改善しようとしているのです。
最初はこの人たちどうかな、と思ってたとしても、何度も見てるうちにだんだん良くなっていくのが分かるのです。これはたまたまテレビで見るお笑いとは違う、何か別の良さを感じたのです。
それと、彼らはとてもファンを大事にします。ライブ後の出待ちでも、きちんと対応してくれます。吉本ライブでは出待ちなんか出来なかったので、そういうのって迷惑なんじゃないかなと思ってたのですが、いろいろお話してくれるし、覚えててくれるのでこちらもお話するのが楽しみになってきます。そうするとお話をしにライブに通いたくなってくるわけです。
マセキに限らず若手芸人さんたちは気さくな人が多いです。マセキの芸人さんが出てるよそのライブにも行くようになりましたが、それでもやはり出待ちするとちゃんと対応してくれるのです。それって普通だったのかなぁ。吉本の芸人さんはさっさと帰ってしまう人が多かったんだけど、会社の方針なのか、その人によるのだろうか・・・。ともかく、若手芸人さんはファンとの距離がとても近いです。
だからといって友達感覚で接するのもどうかと思うのですが、ついそうなってしまいそうになるほどファンと距離が近いということです。

そういうわけで、マセキを中心とした小劇場系のお笑いライブにはまっているのです。それは入場料が千円程度です。吉本は3000円くらいするのでかなりお得です。皆様も是非一度おいで下さいませ。

次からは芸人さんの紹介をしていきます!多分!

米国産牛肉輸入再開

2006年08月09日 17時03分10秒 | 政治・世相・スポーツ等

単なる日本の駄々に付き合わされた米国もご苦労さまでした。

といった感じのこの狂牛病騒動。マスコミの偏向報道によって事実を知らずに反発している人もいましたが、報道を見ていると「安かったら買う」的なコメントをする市民の姿が見られ、やっぱりあまり気にしてない人が多いのかななんて思います。
でも、ネットなんかだと反米な人が過剰に反発しているのが見られます。やれ危険だの、俺は食わないだの、アメリカが気に入らないだの。それらは事実を前提にしていない批判だということを、前にも書いたけど改めて記していきたい。


まず、大前提として知っておいて欲しいこと。

それは、「BSEはヒトには感染しない」ということ。

これを知らない人が多いことに驚かされる。確かに、ヒトの変異性ヤコブ病という病気の症状と、狂牛病とは似ているし、その原因であると推定されてはいる。危険部位に異常プリオンは良く見つかるようだし、危険部位を食べていた英国でのヤコブ病発症率が異常に高いことも、状況的に関連性を肯定する。
しかし、科学的にそれが証明されたことは一度もないのだ。推測でしかないという事実をまず知るべきである。

つぎに、全世界でまだ200人に満たない人数しか感染していないということ。感染は死に繋がるものであるとはいえ、ここ数十年で発見され、述べ100億人もの人が地球上に存在している中、たったの200人しか感染しないという、ごくごく希な病気である。危険部位を毎日一生懸命食べたところで、その感染確率は数億分の1。宝くじに当たるよりもまだまだ低い確率であり、さらにその危険部位を除去している現在、感染したくてもできるものではないのである。
それくらいありえないほど希な病気なのに、危険部位や、米国産牛肉を食べると高確率で死に至ると誤解している人がいるようである。
はっきりいって、牛肉を危険だと思うよりは、毎日飲んでいる水や吸っている空気の危険度のほうを心配するほうが先だと言えるわけだ。煙草なんか吸ってたら、癌で死ぬ確率のほうがよっぽど高い。
狂牛病が恐い、といってる時点で普通の感覚ではあり得ないほどの低確率の危険に怯えていることになり、そのくせそれより何十億倍も危険な科学物質を毎日摂取していることに気づいてないことは、とても滑稽だと思えるはずだ。
まあ、これらの誤解は、なぜか事実を報道しないマスコミにも原因があると思うのだが、どれだけ危険なのか自分で調べようとしない人にも問題はある。


ということをふまえて、輸入再停止になった危険部位混入の話。
「それでも死ぬ確率は少しでも減らすべきだ」という人のために、それなりの対策を取ることにするわけだ。

さて、脊髄が入ったあの肉は、アメリカでは普通に出荷されるべき、アメリカ基準を満たしているものだという事実を知らない人が多い。
日本にだけ、自分らも食わないような肉を出した、それは危険だから気にくわないという誤解があるようだ。でもこれは間違い。あれはアメリカの基準を満たしてる、アメリカ人が普通に食べている肉だ。
アメリカでは「30ヶ月齢」以下の牛は無条件で安全とされている。なぜなら、それ以下の牛でBSE感染牛が見つかったことがないから。

安全基準の考え方は2つある。

1つは、感染が顕著化しない若い牛を食べるということ。
もう一つは、危険部位を除去するということ。

このどちらかを守っていれば、BSEは恐るるに足りないということだ。そりゃそうだ、BSEが発症しない年齢の牛を食べるか、病原体を取り除いて食べればいい。


日本はこれらの両方をしろという。明らかに不必要な対策だ。でも、安全度はほんの少しは高まるとはいえるかもしれない。コストに見合わない安全度だけどね。

いや、日本の要求はそれ以上のものがあったのだ。さらに「全頭検査」をしろといってきた。

全頭検査とは、全ての牛にBSE感染の検査をするというものだ。日本国内では普通に行われていることだが、はっきりいってこれには全く意味がない。

「感染した牛がわかるんだから、それを除去すればいいわけだから意味あるだろ」

と思う人もいるかもしれない。しかしそれは間違いである。
なぜ意味がないかというと、「全部の感染牛を見分けられるわけじゃないから」である。感染してても検査をすり抜ける牛がいるのだ。じゃあどうするかっていうと、危険部位を除去するのだ。全ての牛の。そうすればすり抜けた牛がいても安全だからだ。
えー、じゃあ、検査をすり抜けた感染牛の危険部位でない部分を食べても危険ではないの?と思うかもしれない。まあ、危険ではないのである。

じゃあ、検査なんかしないで、最初から全部の牛の危険部位を除去すりゃそれでいいんじゃないの?

はい、正解ですw

これがもう一つの全頭検査に意味がないことの理由である。
そう、感染牛が見つかったらその牛の全ての肉を廃棄するわけだが、危険部位以外の部分の肉まで廃棄する必要はない。そこは食べてもいいのだ。
となると、感染牛を見つけるという作業自体が意味がないということになる。

というわけで、アメリカでは全頭検査はしていない。かなり抜き取り式で検査をしているが、これもあまり意味がないからしなくてもいいんじゃないかって感じである。

それでも日本とオーストラリアでは全頭検査をしている。なぜかというと、徹底した品質管理の一環ということで、宣伝材料になるからだ。科学的に意味がないとはいえ、「それくらい管理してますよ」というアピールになり、それ以外のシステムの完璧さの説得力となるからだ。
当然、コストは上がり、値段にも響いてくるが、安心感を金で買いたい人はそれはそれでいるものなのだ。これはこれでいい。ただ、それを安さがウリの米国産に要求するのは筋違いというものだ。日本国民が和牛やオージーだけを食べたいと判断したのなら、それは市場が答えを出すことだ。つまり米国産は売れなくなるわけだ。これを政府が文句つけて排除するのは、健全な市場ではない。だから、アメリカは制裁をちらつかせて、「全頭検査」だけは断固として拒否したということだ。そこまでいいなりになる必要はないということである。
米国内の業者の一部が、日本用に自主的に全頭検査をやろうとしたが、米政府はこれを禁じた。そんなことをすれば、検査が出来ない業者に対して不利になるからだ。抜け駆けはゆるされない、それがアメリカの文化である。



で、「若い牛のみ」というアメリカ基準にプラスして、日本基準として「危険部位の除去」までも要求し、それを勝ち取ったというわけである。
米国内の工場ではこの二重基準が浸透されてなく、危険部位が入ったモノが来てしまったというわけだが、これはなにもことさらに危険なものでもずさんなものでもなく、アメリカ人は普通に食べていたものだし、狂牛病騒ぎが起こるまえは日本人も普通に食べていたものだ。それで何人の人が死にましたか?いえ、死んでませんね。

単なる誤った認識や、扇動によってそれが危険なものだと勝手に思いこんだ人が騒いでいるというだけのことである。

それと、アメリカに文句を言うとか、和牛業界の後押しのためとか、そういう政治的な問題もあって、日本はこの問題でアメリカに強く注文をしているのである。そして、日本は「若い牛の危険部位除去」という、科学的にそれほど意味のない条件を勝ち取った。これは外交勝利である。アメリカの言い分が押しつけられたわけじゃないのだ。そこを勘違いするべきではない。日本が、無茶な言い分を押しつけたのである。



という事実を知った上で「俺は食べない」「いや食べる」という議論をすべきである。危険だ危険だ言うのはあまりに事実を知らない、間抜けな言い分である。危険なことは何一つない。普通に食べて良いものだ。

私は、安かったら食べたいし、吉野家も新メニューも存続してほしいけど、昔の牛丼も早く復活してほしいものである。