◆犬の散歩◆

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winny裁判 被告に罰金刑

2006年12月14日 04時30分44秒 | 政治・世相・スポーツ等
winny裁判の判決が出た。

結果は150万円の罰金刑。つまり有罪。いやあこれは微妙な量刑だね。懲役何年、執行猶予三年とかだと実質的になにも困ることないから、かといって実刑にするほどのことかということもあるから、罰金というのは随分苦しんだ結果だと思う。

さて、ネットでは「これでは包丁を作っただけで殺人の幇助になってしまうのか」といった論が展開されているが、そんなことはない。人を殺しやすく、足がつきづらい包丁を作って誰でも使えるようにしておいた場合と、料理に使うために作られた包丁との違いだ。包丁ならば人を殺せば証拠が残るけど、人を殺した場合に証拠の残らない包丁を作ったら、殺人のために作ったのだということになってしまうだろう。

ただ、問題なのは、不特定多数の中の任意の人物への幇助というのが成り立つかどうか。通常ならば、実際にwinnyで違法行為をする人と意思の疎通がなければならないのではないかと思うんだけど、利用目的が一致したうえでのDLが暗黙の疎通ということになるんだろうか。

さて、朝日のサイトには判決の要旨が載っているので、さらにかみ砕いて紹介したい。

有罪の理由は以下。

・winnyの公開は違法行為の実行手段そのものの提供であること
・それが匿名性など、実行行為そのものを容易たらしめていること
・技術そのものは中立だけど、違法行為に専ら使われることを想定して作っていて、またそのように使われていること

つまり、違法行為のために作られ、匿名性など違法行為を行いやすく便宜を図っているから、大元のP2P技術は合法でも、winnyを作って公開したことは違法行為の幇助となるという結論。

まあ、とくにおかしな部分はない。

で、これに対する被告のコメントは「新しい技術を開発しただけで違法になるのはおかしい」というのだけど、単にセンターサーバがいらないP2P技術を開発しただけじゃなくて、いちいち重くなるのに暗号化しちゃってるのがいけないと思うんだよね。
普通に使ってもとても便利なソフトで、たまたま違法行為にも使えるっていうふれこみならば、MXみたいにセキュリティもなにもなく、すぐに足がつくような構造にしておけばよかったんだ。

違法行為を行うかどうかはその人の自由かもしれないけど、違法行為をしたときにその追及から逃れやすい構造にあえてしたというのが、違法行為に使われることを前提としたとみなされても仕方がない。

実際、被告はMXの利用者の逮捕をうけて、匿名性の高いP2Pソフトの必要性を感じ、開発を宣言している。新たなP2P技術を開発するのに、違法行為をしたときに追及を逃れやすくする機能をつける必要性は全くない。実際、winnyで違法行為をして逮捕されたのは、winny自体の追跡ではなく、「これからファイルを流す」と宣言した掲示板の書き込みが発端である。利用者を特定できる技術があると報道されることもあるが、未だにwinnyだけで逮捕者は出てない(と思う)。

これでは、人を殺すと死体を処理してくれる包丁とか、速度違反をすると光学迷彩がかかって捕まらなくなる車を開発するようなものだ。現実的にいえば、オービスにナンバーが映らなくするような部品の販売などがそれにあたるだろう。

さらに報じられるところでは、被告自身は逮捕を恐れてか、アップロードを行わない、ダウンロード専用のwinnyを自分専用に作っていたそうだ。そのような状況においては、違法行為のために作ったのだと言われても仕方がない。後に「違法行為に使わないでね」と言ったところで、上島竜平が「押すなよ、押すなよ」というのと同じ事だろう。明らかに押せって意味だろw

匿名機能等、追跡が難しくなる機能を内包していなければ、フェアユースを前提としたソフトですと言えたのにね。その場合、違法行為をした人だけがどんどん捕まって行くだけなんだよね。

民事になっちゃうけど、たとえば掲示板に違法な書き込みがあったとして、そいつのIPが分かってればそいつに直接文句を言えるけど、IPを隠していたら、その隠してる管理者が責任を負うことになる。そうやって2chの管理者は他人のした違法行為の賠償金の支払いを命じられてるわけ(払ってないらしいけど)。

責任の所在は、故意に関わってくる。違法行為があったと認定されるには、その故意があってこそだ。違法行為に使われるのがわかってて作った、というのであればそれは行為としては幇助となろう。それが適用されるべきか否かというところには議論はあるだろうが。本当に違法行為に使われるつもりがなく、使われてたことを知らなかったのなら有罪じゃないと思うけど、そんなの一般的に考えてありえない。


ああ、あと弁護士がおかしい。この壇俊光という弁護士のやりかたがまずかったというのはあるだろうね。供述調書の全否定なんて普通の弁護士じゃリスク多すぎてやらせないことだと思うし、不特定多数への幇助の正否に絞るべきだったんじゃないかな。

ここでコメントをしているが、それによれば「高速道路で速度違反が行われていることを知っている国交大臣が逮捕されるのか」というが、これは全く事実をとらえていない。
国交大臣が、スピード違反をした車が逃げやすいようにオービスを撤去しているとか、光学迷彩を車に取り入れさせてるとかwそういう行動を取っているなら話は別だが、ちゃんと警察に便宜を図って違法車両を取り締まっているのだから、責任などはない。
さらには「著作権侵害を蔓延させる意図は無かった。そういう事実認定をしたら普通は無罪だと思うが、なぜか有罪になってしまった」というが、これは判決文の中にあった文章についての誤解である。

判決文によれば、被告は、ネット上で著作権侵害が蔓延するような社会を望んだわけでも、そのためのソフトであるとまではいえないというのであって、winnyが違法行為のために作られたものではないと認定したわけではない。
一般論として、著作権という考え自体をぶっ壊すためのものではなく、単にその場限りにタダで著作物を手に入れたい、そのために作ったと認定されただけなのだ。なにも違法行為のために作られたソフトではないと認定されたわけではない。この弁護士には読解力というものが欠けているのだろう。
どうやらこの壇俊光という弁護士は検索するとよそではひどいことをしてるようなので、興味のある方は調べてみるといいかもしれない。


まあ、結論とすれば、被告が違法行為のためにこのソフトを作ったのは事実だ。だったら多少の責任はある。無罪となったとしても十分社会的制裁を受けていると言えるだろうし、この裁判に意味はあった。有罪としても、支援金があるんだから大したことじゃないだろう。実刑だったらやり過ぎだと思うけど、正犯が執行猶予になってるのだからそれはないだろう。総じて、正義と言える判決だと思う。

匿名機能さえなかったら、合法前提のソフトだったと強弁できたはずだった。
違法行為を行った人物は処罰されるべきで、それを隠そうとしている人物もまた、同じく処罰されるべきだ。つまり、違法な書き込みをした人物のIPをひた隠しにする会社もまた、違法行為を行った者が取るべき責任のうち一部でも取る必要がある。これが日本という法治国家の常識なのである。

gooの人、見てますか?w

郵政造反組復党と、平沼赳夫

2006年11月30日 15時26分35秒 | 政治・世相・スポーツ等
さあついに復党してしまいました。
この問題についていろいろ言われてるけど、個人的に思うことを書いてみたい。


彼らは去年の郵政国会において、法案に反対したうえ、新党に参加するなど除名扱いになっていない者達だ。綿貫、亀井らは新党を立ち上げているので除名されていて、復党問題には入ってきていない。

そもそも、一度反対して、反対したら除名だと言われてもなお反対したのだから、いまさら戻るというのは人としてみっともないことだ。造反組に批判が集まるのはまずそこだろう。

そして、何より問題なのは、郵政法案に反対を貫いて選挙を勝ち上がって来たのに、それを覆すのは支持者を馬鹿にしている。彼らに投票した人達は、郵政法案に反対なのだ。なのに公約の正反対の行動を取るなら、辞職して新たに選挙を戦うべきだ。それが人としての筋だろう。
にもかかわらず、反省したとか民意がどうとか言うのは間違いだ。特に野田聖子、おまえは死んでも復党なんかしちゃいかん。民意も大事だが、自分を支持していた人をないがしろにしてどうする。そんなので次の選挙、自分に入れる人がどれだけ出てくるというのか。
ま、次回も公認はするが比例に名簿載せて貰えず自力で勝ち上がることというのが条件になると思うけど。

次に、ぎゃーぎゃー騒いでる小泉チルドレンの面々。お前らは刺客として雇われた傭兵なんだから、役目が終わったらお払い箱で当たり前じゃないか。狡兎死して走狗煮らるというが、小泉も「議員も首相も使い捨て」と言うように、用済みの彼らがなんの文句を言うことがあるだろうか。自分らがなにか使命でもあるとでも思っているとしたら、思い上がりも甚だしい。
まあ、片山さつきのように官僚経験が生かせれば使い道はあるのだろうが、ピンポイントで使われて文句言っている者より、造反したけど灸を据えられて忠誠を誓った連中のほうが党としては使い勝手はいいだろう。

というか、民主政治において、重要なのは政策、またはその集団である政党であって、構成員の都合なんか関係ない。党が存続していい政治をしていくのなら、その構成員は誰だっていいんだ。しかし自分の議員としての保身を考えるから、造反したり復党したりする。ふざけたものだ。倫理的に言えば彼らのような連中は相手にしないほうがいいはずだ。
でも、やっぱり民主主義、政党政治は数の論理がある。彼らのような者でも兵隊として、にぎやかしとしては必要なのだ。だから復党させた。自民党としてはなんの問題もない。
これを「都合良く切ったり拾ったりする」と批判する向きもあるが、与党として、党運営さえきっちりやることが分かってるなら登用するのは当たり前。批判の意味すらがない。そんなことを批判するなら、「じゃあ政策が通らなくていいのか」ということだ。民主政党なら政策を通すのが第一目的であって、誰がそれを通すかなんて問題ではない。
現在の野党は、個人主義の集まりだからいまいちぱっとしないのだ。自分は公の僕であるという自覚さえあれば、気に入らないから独立→寄り合いといったみっともないことはしないものだ。


そこで気になるのが平沼赳夫という男。彼の政策はまことに素晴らしいもので、拉致議連、皇室典範改正反対等、安倍内閣の美しい国作りに矛盾するものではない。さらには靖国参拝にも賛成している。個人的にはもっと光を当ててほしい政治家ではある。
彼は「踏み絵を踏まない」として誓約書にサインはしなかった。でも復党願いは出した。サインしなきゃ復党はないのだから、復党願いを出す必要はない、女々しいという批判もあるが、これは彼なりの信念だろう。彼は郵政法案に反対した以外のことで、なにも批判されるべきことはしていない。そして、もしそれが間違いだったとしても、男が一度決めたことは悔いない、貫く、そういうことだろう。そして、自分は自民党でこそ力を発揮できるという自負があるからこそ、新党などには参加していないのだろう。それはそれで評価できる。
だが、間違いを認めて立ち直るのも時としては必要だと思う。そもそも、なぜ彼がそこまで郵政法案に反対したがるのかが見えてこない。利権や派閥の争いで反対したがるような人間には見えないから尚更だ。亀井からの影響が強いのか、他に思うところあるのだろうか、報道や彼のHP等を見てもそのへんの決意が見えてこない。
ポスト小泉だって狙えた男が、それを無にしてまで反対するなんて、不自然だ。やりたいことはトップになってからゆっくりやればいいんだから。
誰もが小泉のように思った通り行動出来るわけではないのだろうが、もう少し柔軟性を持てばこういうことにならなかったのではないかと思える。平沼は自民党に必要な議員なのは確かなので、党も平沼もそろそろ落としどころを模索すべきなのではないかと思う。
下らないプライドでどちらも譲らないではあまりに勿体ない人材である。

今回の騒動で、造反組は牙をもがれたも同然、チルドレン共はみっともなさが炸裂した。
だが政党政治の基本的な部分を皆が理解したと思う。これを独裁だとかわけのわからないことを言う人がいるが、考えが同じだから政党を組んでいるのに、従わない馬鹿がいるという基本的な問題が払拭されたわけだ。考えに賛同できないなら参加しなくていいわけだし。
今までは利権だの族だのがいて、そういったまともな政治が出来なかっただけだ。それをぶっ壊した小泉は歴史に残る政治家だろう。

で、平沼は最後まで媚びなかったので男は上げたかもしれないが、政局を読み切れてなかったと言われたらそれまでだ。早々に解決して、復党すべきである。

謎の腎臓移植

2006年11月07日 04時42分52秒 | 政治・世相・スポーツ等
ある医師が、病気の患者の腎臓を他人に移植したということで話題になっている。そんなばかなことを…と誰もが思う話だ。


まず、病気の腎臓とはいえ、きちんと問題の部分を切除する等の処置をしていて、とりあえずは移植用の臓器として使える状態であったらしい。とはいえ、癌のあったものまで含まれていたそうで、たとえ患者の同意があったとしても医者としての良識を疑うものだとはいえる。

そもそも、もし移植臓器として使えるのならば、まずはもとの患者に戻すべきであって、他人に使うなんて普通はありえない。しかも、普通なら通常の治療で治り、切除まで必要のない腎臓まで摘出しているというから、これは故意に他人に腎臓を使おうという意図があったとしか思えない。

腎臓の移植を待つ人は、ドナーよりも遙かに多く、多くの患者が移植を待っているのである。腎臓移植は脳死ネットワークからのものが殆ど望めない以上、身内からにほぼ限られる。身内から適合者が出なければ、殆ど移植の道は絶たれてしまう。
そうなると、大金をかけて保険のきかない欧米に行くか、もしくは安全面で不安の残る中国で行うかになる。中国は死刑囚の臓器も混じっているうえに衛生面、技術面で問題があるとされているので、簡単には選べない。

普通に待っていたんじゃ移植できない、金もなくて外国に行くわけにもいかない、となるとなんとかして一般の人から提供してもらうしかないわけだ。でも、謝礼を貰ったらいけないことになってるので、赤の他人がタダで腎臓を一個くれるとは思えない。そうなると、病人のでもいいから、なんとか摘出してもらって、その腎臓をくれと思う人はいるだろう。

医師として、そういう人の気持ちをくんで、さして問題のない腎臓をさも摘出しなければならないように診断して摘出して移植に使ったり、癌でもかまわないから腎臓が欲しい人に移植したりしたのだと考えても不思議ではない。

となると、件の医師は医者としての倫理を外れても人間としての倫理を重視して人助けをしたということになる。その是非はおいておくとして、もしそうなら、批判されても我を通す意志の強い人間であるか、金儲けのためにやったのであればかなりの悪人であろう。
しかし、問題の医師の会見を見ても、悪びれる様子もない、強い意志も感じられない、もちろん邪悪なオーラも出していない。気弱そうな人間で、しかし言うことにおかしな部分や無駄な部分はなく、まことに不思議な印象だ。批判されることをあえて行ったくせに、飄々としているというか、まことに薄い印象をうける。とはいえ、患者の同意を文書に残さないなど、なんらかの隠蔽工作をしていたようにも思える。したたかなのか、なんなのか、いまいち外見からは掴みきれない。

ともかく、医師の行動は腎臓を提供される患者のことを思ってのことか、単に医師として移植手術をして儲けるためかは分からないが、臓器移植に関して謝礼が支払われた例で逮捕者が出ていることもまだ記憶に新しいし、もしかしたらもっとやばい裏がありそうな気もする。今後の展開を待ちたい。

自殺者を美化するな

2006年11月05日 12時58分04秒 | 政治・世相・スポーツ等
最近、自殺の報道が増えている。いじめ自殺だなんだといってるのがどうも見てて腹が立ってくるのだ。

最近の報道によれば、文科省のいじめによる自殺の認知数は0件だという。しかし、最近はよく「いじめられたので死にます」という遺書を残して死ぬ子供が後を絶たない。このような遺書があっても、文科省はいじめによる自殺だと認定しないのか、ふざけているという論調だ。
いくらなんでも、こんな遺書があればいじめによる自殺だろう。私も最初はそう思って見ていたのだが、話を聞いているとどうやら理由が分かってきた。

「いじめ」行為があったかどうか、これは聞き取りなどによってある程度特定できるのだろう。しかし、その「いじめ」行為が「自殺」の原因になったのか、つまりいじめ殺したのかというとそれは因果関係において疑問だというのだ。

つまり、いじめたことが原因で、めぐりめぐってその子が自殺したとする。遠因としていじめはあったのだろう。しかしそれが直接の原因かというと、不可避の因果関係があったのかどうかというと、それは難しい。

同じいじめを受けても死ぬ子と死なない子といる。また、普通じゃ死なないようなことでも死んでしまう子もいる。となると、どんな場合においても、結果として自殺をしたら、その原因が全ていじめにあると見てしまうのは問題なのだ。

軽く「オイ」と言っただけで死んでしまった子がいたとしよう。忘れ物をした子に対して「なんで忘れるんだよ」と言っただけでいじめに感じて、死んでしまったとしよう。これが「いじめによる自殺」だとすれば、それはあまりにいじめたとされた側にとっては荷が重くないか。

まずはその行為がどの程度のものか。人権を無視したようなものか、冗談や常識的な範囲の叱責だったのか。まずそれを考えてみなければならない。

でも、そうやって考えていくと、たとえボッコボコに殴られても、服を切り裂かれて放置されても、頭からうんこかけられたとしても、そういうことは犯罪であって、先生なり警察なりに言えば対処してくれるはずだ。これをできない子供の方にも問題はあろう。いや、ここでいう問題とは、いじめられたことに対してのものではなく、その後に対するものだ。
いじめ自体についてはいじめた側が100%悪い。いじめられる側に何らかの問題点があったとしても、能動的な行動に出て良い言われはないのだから、いじめ自体に関してはいじめた側が確実に悪い。しかし、対処の仕方が悪い場合がある。

そのような犯罪行為を甘受する必要はどこにもない。死ぬ必要もない。通報するなり逃げるなりすることは出来たはずだ。学校に行きたくなければいかなくてもいいのである。他に方法があるのに死を選ぶのは本人の勝手であろう。
いじめられたことに対する責任はいじめた側に100%あるが、死んでしまったことについての責任は、死を選んだ側に100%ある。これは確実である。しかし、結果として死んでしまったことで、いじめた側やそれに気づかなかった学校側の責任が重大になると勘違いしている人がいるのは問題である。自殺によって学校側の責任が過重されることは、絶対にあってはならない。

確かにいじめることは異常であって、人間的に問題があるのだが、だからといって命を奪うつもりでやってる人間は殆どおるまい。殺すつもりでいじめるのは殺人もしくは殺人未遂だが、そのような凶悪なものと一緒にしてよいものではない。
さらに、死ねば自分は困難から逃れられるが、残された者はどうなるのか。親がどれだけ悲しむと思うのか。そう考えると自殺とは自分勝手そのものである。
はっきりいって「世の中に死ななきゃならないほどの困難などない」のである。あるとすれば、回復の見込みのない病気で治療が苦痛な場合くらいだ。だいたい、死ななきゃならないほどのことってなんだ?

人間関係?リセットしてしまえ
いじめ?通報するか、やりかえすかしろ
借金?自己破産してしまえ
鬱?病院にいけ

このように、死ななければならないことなどこの世にはない。これらに対処することが出来ないから、死を選ぶのであろう。それはもう、自己責任である。
確認してほしいのは、たとえどんなに苦しくても「死ぬのは本人の自由意志によるもの」であり「自分勝手な行為」だということだ。そもそも自殺は犯罪だ。単に死んだ人が罰せないだけのことだ。自分への同意殺人ということになろう。つまり、自殺は悪いことなのである。

それと問題なのは、自殺した子の親だ。さも学校が悪いかのようにいう。学校など何十人もの子を見ているのだから、お前の子供だけ見てられるかっての。なんで我が子の気持ちを理解してやれないのか。親に相談しやすい環境であれば、死を選ぶ前に親に相談していただろう。親が学校に行かせないこともできたろう。自殺の責任は、いじめた奴以上に親にあると私は思う。なぜ、親がいじめを察知して学校に通報しないのか、いじめた奴を問いつめてその親に文句を言わないのか。改善できないなら別の学校に通わせるなどの対策をしないのか。それらが出来るのは親しかいないというのに。

学校が気づかなかったのが悪いと取り乱して教師や校長を罵倒している映像が流れているが、何を偉そうにしているのかと思う。もしその子がその光景を見ていたら、お前もだろと言ってるだろう。
そして、一部の遺族や支援団体の、これらを美談にしたがる動き。これには反吐すら出る。今朝、報道2001を見ていたら、ジェントルハートという団体の人が出ていた。いじめに関する活動をしているようなのだが、死ぬ前に子供が言った言葉を、素朴なイラストとともに掲げているのだ。なにかの標語みたいでもあるし、ちびギャラリーの作品みたいでもある。自分勝手に死んだ者の発言をこのような素敵な絵にしようと思うのが分からない。それを感動に転化させようとするのも分からない。死を美談にしようとしている動きには、邪悪なものを感じてしまう。偽善とか言うまえに末恐ろしいものを感じてしまう。
自殺は自分勝手な悪行か、もしくは精神状態が異常であったために突発的に起きた事故であって、美談などでは断じてない。

それと、遺書が公開されて、学校やいじめた相手が相当の悪人だったかのように報道されてしまうのも問題だ。仕返し感覚でエキセントリックな遺書を残して死ぬことを助長してしまう。なにより死を美しいものとして、かわいそうかわいそう言うものだから、そう扱われたくて死んで行く者も出てくるだろう。
暴走行為をかっこわるくする目的で暴走族のことを珍走団という動きがあるが、いじめや自殺についても、同様なかっこ悪い名前を付けるべきだ。どちらも自分らが悪いことをしている自覚がないのが一番の原因だろう。
いまの報道では、いじめも自殺者も抑制しているとはとうてい言えない。


名前も知らない、無関係な他人が死んだからといって涙を流せる人は相当の偽善者であろう。他人なんて所詮そんなものである。自分の身内が死んで欲しくないなら、自分で守ってやれ。それが出来なかったことを悔いるのならまだしも、他人のせいにするなど愚の骨頂である。
もし私の身内が自殺したなら、可哀想とか思うまえに、ふざけるなと思う。死ぬ前にできることはいくらでもあるだろうに。そして、それを防げなかった自分を悔いることだろう。原因となった人間がいるなら殺しに行くかもしれないが、それは単なる自己満足に過ぎないことは理解できる。
しかし、かわいそうだの、他の誰かが気づかなかったのがどうだとかみっともない八つ当たりはしない。その事柄に関する感情は、全て自分の責任で片付けるべきである。他人のせいにするなど愚の骨頂である。



ついでに、死ぬとか死にたいとか言っている人と、本当に死んでしまう人は同列ではないことを指摘しておく。
落ち込んでいて、死にたいと言っている人の延長が、本当に死んでしまう人だと思っている人がいるが、そうではない。
死にたい死にたいと殊更に主張する人は、死なないでくれと言われたいから言っている、構って欲しいから言っているだけなのだ。こういう人はたいてい死なない。たまに行動に出ることもあるが、大したことができない。動脈を傷つけずに体を切るか、すぐに切れるヒモで首を吊るか、少々多めに薬を飲むか、酒を一気飲みするかである。

これらの行動は、死ぬ死ぬ言う行為を正当化するためにするポーズであって、本当に死のうとしているわけではない。だから、確実に死ねる事は滅多にしない。事故で本当に死んでしまうこともあるのかもしれないが。
だから、遺書などは殆ど書かないし、書いたとしてもそれはきれい事ばかり書かれていて、死を前に覚悟を決めたものではない場合が多い。悲劇に浸りたいだけなのだ。

ところが、本当に死んでしまった人の周囲の話を聞いていると、普段は明るくてどうとか、そんなそぶりは見せていないとか、そんなのばかりである。話を総合すると、本当に死ぬ人間は、むしろ普段より明るく振る舞って、そのまま死んでしまうもののようだ。まさに突発的なもののようである。

つまり、死ぬ死ぬうるさいやつは死なない。むしろなんからの悩みがあるのに死ぬ死ぬ言わない人の方が危険で、両者は全く別物だというのがわかる。
こういう話をすると身に覚えのある人はいるだろう。ヨーグルを引退する引退するといって結局戻ってきたりする人は私の知る限りでも何人もいるし、むしろ何も言わずに来なくなる人の方が何十倍も多い。こういったところでも、やめるとか死ぬとか言う人は、ゲームや生に固執しているからこそ、それに反したことをいって注目を引こうとしているのだろう。

そして、本当に死んでしまう人というのは、まともな精神状態にない。まあ、ある意味病気なのだろう。落ち込んで死にたいと思うことはだれしもあるとしても、本当に死ぬことまでは考えない。なぜかというと、死は恐いのである。死そのものはそう恐くはないのだろう。誰だってそのうち死ぬのだから、もし死そのものが恐いのなら、毎日恐くて生きていけないだろう。
恐いのは死そのものではなく、それに至る過程であろう。どのような手段であれ、その場からすぱっと消えてなくなれるものではない。飛び降りにしても首つりにしても、踏み出す瞬間の恐怖、死ぬまでの恐怖があろう。薬を飲むにしても同じだろう。楽に死ねる方法などそうはありはしない。それに、さあ死ぬとしてどうすればいいのか考えると、意外と死ぬのって大変だし、遺族のことを考えたりして結局死ぬことは現実的ではないと気づく。だからこそ、そうそう人は死なないのだ。

それを乗り越えて死ぬというのは、侍や軍人が覚悟の自決をするようなものも含めて、通常の精神状態にないことがわかる。非常に強い意志があるか、もしくは逆に感情が不安定になっている場合だ。そのヒステリックな状態に、なんらかのきっかけによって飛び降りたり首を吊ったりするのだろう。これはある意味、防ごうとして防げるものではないのかもしれない。
ただ、そういう周囲が通常ではない精神状態に気づき、原因は何か見定めることが出来るとすれば、それは学校ではなく、親の仕事であろう。だからこそ、親がまず自分の至らなさを悔いるべきであって、学校のせいにするなどというのはお門違いだといえよう。

先ほどの報道2001では、いじめや風紀の乱れを撲滅させるために、一切容赦のない処分を行うアメリカの例をやっていた。暴力行為は即退学だの停学だのというふうに、互いの言い分、言い訳を聞かずに問答無用で処分してしまうのだ。そうなれば、それらの行為について慎重になるだろうという。これは古い日本的な処分なんじゃないかと思うのだが、時代には即さないかもしれない。ただ、徹底できれば確かに物理的ないじめは減るだろう。
ただし、精神的ないじめは増えるはずだ。そして、むしろこちらのほうがいじめられる側にダメージを与えるのだ。そう考えるならば、その施策はある意味でいいとはいえるけども、精神的ないじめに対してどう対処するのかという部分までしっかり対策したうえでなければ、たとえば逆にいじめた側にしたてあげるといういじめが生まれる可能性もあることも想定しなければならない。

いじめ自体をなくすことはまずできないだろう。世の中には訳もなく人を攻撃したがる人というのはいるのだ。それはそうすることでしか自己の存在意義を認められない矮小な人格であるのは疑いない。そう、いじめる側もいじめられる側も普通じゃないのは確かだが、あまりに表面化しづらいので対策もしづらい。あまりにがんじがらめに対策してしまうと、自由な生活に支障を来すであろう。
であれば、できることは、いじめによって自殺したり、心を病む人が出ないよう、そのケア、対策に重点を置くべきであり、それが出来るのは親だけだということを、まず親が自覚して、常に自分の子供の考えに目を光らせておくべきだろう。これもがんじがらめにするということではなく、子供が悩みや問題を相談出来る場所を用意することだ。それが親そのものでも、それ以外でも構わないが、それがあるかどうかの確認くらいは出来るだろう。
人間、逃げ場所が必要なのだ。これさえやってれば楽しくてたまらないことを見つけるとか、愚痴る場所を見つけるとか、普通の人は無意識に発散しているものなのだが、精神の発育途上にある子供にそれを自分でやれというのも酷であろう。

結果として死なれてしまったのならば、その親はその対策が甘かった以外のなにものでもないのだ。まともな親のもとに生まれていれば、その子は死なずに済んだのである。死を選ぶのは自分であったとしても、判断力のない状態であれば周りが保護すべきであり、それを怠った親の責任は重大である。

そういうわけで、私はいじめ自殺の報道や、その時に出てくる親がむかついてたまらないのだ。


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迷走ソフトバンク、通話料値上げ?!

2006年11月02日 03時16分49秒 | 政治・世相・スポーツ等
昨日書いた記事でも記した通り、ソフトバンクはゴールドプランの通話料を見直したという。

ニュースリリースを見るに、一律通話料になっていて、確かに日中の通話料は他社のSSプラン並になってはいるものの、これまでそれより安かった時間帯が値上げになっているw
他社より割高だから安くしたというのなら、高くなってた時間帯を削り、安かった時間帯はそのままにするべきじゃないかと思う。というか、最初から一律プランにするべきだと思う。
ともかく、少しでも値上げになる事に関しては慎重になるべきなのに、値上げに関してあまりにしれっと、あっけらかんと、すっとぼけて行ってるのが凄い。簡単に値上げできないからこそ、他社は値下げに慎重なのにもかかわらず、ソフトバンクは値上げについて本当に不用心というか無関心というか。

ゴールドプランがスーパーボーナス必須プランということを考えると、「2年契約した途端に値上げされた」と怒り出す人がいても不思議ではない。それもたかだか1週間やそこらで急に値上げしているのだ、契約上の問題にもなると思う。値上げを理由に契約解除を求める人が現れても当然だ。そういう場合どう対応するのか、非常に気になる。以前のハッピータイム廃止事件のときは、ハッピーボーナス解約金の免除という特例を設けていたが、今回はどうなるのだろうか。

それにしても、2年契約必須のプランの条件をここまでコロコロ変えていいものだろうか。市場の動向を見て変えるというのなら、導入前に行うべきだろう。発表と施行を同時にするのは、アップルがiPodの新製品の発表をして「今日から売ります!」とか言うのを真似てるのかもしれないが、あまりにもお粗末で仕方がない。
単なる製品なら売ればそれでいい話だし、仕様が変わっても気に入らなければ買わなければいいのだからそれほどの問題ではないが、通信契約において内容・条件をコロコロ変えられてはたまらない。安くするだけならいいが、高くなる部分があることについてはどう考えているのだろう。

それと公取委が入った件について、0円表示を見直すとのことだが、これについても冗談みたいな小さい字で消費者を騙そうとしてたことを認めたようなものだ。イメージが悪くなることを避けるためというが、悪くなる自覚があるならあんな詐欺まがいの広告を打つ前に行うべきだ。
で、マスコミはあまりこれを報道しない。公取委の聴取の件までは報道したが、批判的な報道をしないのは、やはり連日CMを打ちまくってるスポンサーだからだろうか。

au、ドコモの各社も反論広告でも出せばいいのにと思う。ドコモ社長のブチ切れ会見は一部報道されていたが、ソフトバンクを揶揄する内容のCMでも流して然るべきだと思う。まあ、あまり深刻なものではなく、詐欺まがいの広告や、コロコロ変わる料金なんかを笑い飛ばすような内容がいいんじゃないかな。

まあともかく、ソフトバンクはあまりに業界を混乱させすぎだ。まずスーパーボーナスの驚異の解約違約金(最大7万円)、連日の契約内容の変更、通話料の値上げ。さらにシステムダウンと、こんな事が続くようだと、今度は総務大臣からお叱りを受けることだろう。


ところで、批判してばかりはいられないので、ちょっとは誉めてみようと思う。
それは一部で話題になっている、オレンジプラン(x)である。これはauのCDMA2000 1xのコピープランであって、auでは1xとwinとでは価格が違っていて、安い1xではパケット定額が選べず、winでは学割が選べないのだが、ソフトバンクのオレンジプラン(x)においては両方とも選ぶことができる。これはなかなか台風の目というか、なかなか利点があるのではないかと思う。
まあ、ゴールドプラン以外は他社のパクリであって、そこそこの競争力を持っていて然るべきだし、予想外割が予想外に高くて異常だというだけで、それ以外の部分では十分よくユーザを考えたプランだと言える。
ちっとも安くない予想外割ではなく、このauでは選べない組み合わせを選べるという利点を前面に出してきたほうが良かったのではないかと思う。
あと、MNPを使って移動した場合、移動前の継続年数を引き継げるというのもいいことだ。どうしてこういうのを宣伝しないのだろうか。

ブループランだとどうかな・・・旧プランならプラン67以上でないとパケホーダイに入れない縛りがあったから、その縛りがなくなるという利点を出せたのだろうけど、今はその縛りはない。とはいえ、auのwinと横並びのプランなので、auから乗り換える人がいるとすれば、それと同じ利点があるように思う。

といっても、メルアドやコンテンツが引き継げないことを考えると、そこまでの利点はないと個人的には思うのだけど。
あちらからまた戻ってくるのに継続年数を引き継げるのなら、ちょっとくらい使ってもいいかなとは思うけど、端末代がかかるからやっぱいいや。

ソフトバンク、公取委から聴取&システムダウンの真相

2006年10月31日 14時09分21秒 | 政治・世相・スポーツ等
はい、思った通り公取委に事情を聞かれてたらしいですね。


ソースはこちら。(なぜか私は朝日新聞嫌いなのにアサヒコムのソースを一番使います)
でもここが一番詳しい。

単なるローンを端末どれも0円といって売るのはさすがにまずかろう。通話料0円じゃない場合もあるのに例外部分が小さく書いてあったらダメだろう。CMなんかじゃ字が潰れて見えなくなってるし、こんな手法はいまどき2時間ドラマの悪徳企業でもやらないだろう。


公取委が入るなんて根拠を言えなんて言ってた人もいたらしいけどw、入らないと思うほうがどうかしてますな。
それと、いきなり70%引きになるってのも問題らしいですな。確かに電気通信事業法では契約者を差別してはいけないと決まってる。単なる契約なら好きな人に安くしてもいいんだけど、通信に関しては公平でなきゃならないわけですな。契約を断るのもいけないことになってる。
今入った人だけがずっと70%引きというのは、その不当な差別にあたると。で、じゃあこれからずっと、いつ入っても割引っていうのだと、今度は割引前の価格の表示が問題になるわけ。つまりもともと2000円の価値しかないのに「1000万円のところ、2000円!」とか表示したら(極端だが)いけないってことね。1000万円で売られたという実績がなければ、本来いくらのところ割引でいくらと表示してはいけないわけ。つまり、9600円のプランを特別に割り引きすると言うには、その値段でやってた実績があってこそということ。

つまり、どっちに転んでもこのゴールドプラン+新スーパーボーナス(予想外割)は問題だというわけ。まあ、事情を聞いたというところで、また法に抵触しない方向で修正してくるでしょうな。でも契約させといて条件をコロコロ変えるってのはボーダフォンのグリーン社長みたいなもんで、確実に契約者の心証は悪いでしょうな。
あ、他社への通話料が割高だと言われたんで、他社の一番安いプランと通話料を同じにするんだって。え?他社より安くするんじゃないの?あれれ、なんか言ってることが違うぞー。30秒あたり1円でも安くすれば2880円のプランで無料通信がなくても安いかもしれないけどね。って、だったら無料通信分もつけないと他社より高くなっちゃうよーw
おかしいなー、他社より完全に安くするって言ってたのは嘘かなー?

そうそう、スーパーボーナスに関しては、インセンティブモデルの破壊だといってたわりに、結局0円のものをお店が売ってくれるわけがないので、いくらか払っているのだろうと指摘されていた。孫社長はそれを認めていたけども、ってことは結局、このスーパーボーナスを導入することで誰が得をするのだろう。払わずに済むインセンティブを料金に反映させ、安くするためのものだというふれこみなのに、それが減ってないのだとすれば、結局はユーザーを2年縛るための、解約金を増やすためのものでしかないのは明白だ。
実際2年間解約さえしなかったら、端末は0円に近い価格で買えるわけだから、そうなるとその分の費用は通話料等の収入で払われるわけで・・・。実際、料金は安くなってないのだから、どう考えても企業側の論理でしかないわけだ。実質今まで通りなのにユーザの負担だけを増やすなんて、こんなふざけた話はないだろう。それでもソフトバンクを契約したがる人が少しでもいるというのが理解できない。


システムダウンについてもまとめておこう。
これは大手マスコミが殆ど報道してないが、例によってインプレスでは細かく報道している。これによれば、どうも転入が多くて落ちた的な印象を与えるような説明をしてたのが、実は転出が多くて落ちてたらしいですな。家族割りを外すのにシステム負荷がかかり、それで落ちてしまったと。ってことはそれって、ソフトバンクから他社へ移動する人が多かったから落ちたってことじゃないの?w
au、ドコモの2社に対する説明と、発表内容が異なっているというのも、なんかこう、ずる臭いというか、誠意らしきものが感じられないのだが。

実際最初の一週間でどれだけの移動があったのかというと、auは10万人が来て他社に2万人が出て言ったという。ドコモは非公開だけど転出のほうが6万ばかり多いという。ソフトバンクはシステムが落ちてた時間が長いから何とも言えないけど、差し引き2万の減とみるべきだろうか。あちゃーw
まあ、あの小さい文字の部分の説明を実際聞かされたら、やっぱやめたといって帰っちゃう人も多そうだけどね。
ドコモも来月にはどれだけ移動したか発表してくるから、ソフトバンクがそれを隠したって計算すりゃ分かっちゃうんだけどねw

こうもソフトバンクの悪い面ばかりが目立ってくると、転出が多いのでシステムのせいにしてわざと落としたんじゃないかと勘ぐりたくもなる。どうせ数日時間を稼いでもどうせ逃げていくものは変わらないだろうって?いや、それはそうなんだけど、10月期の契約数に響くのは避けたいと、1週間だけ時間を稼げば来月分に伸ばせるからという動機もなくはないwまあ、それにしても1ヶ月伸ばしたからどうってこともないと思うわけだがw

MNPに対する成果は下馬評通りauの一人勝ち。しかし最初のこの殺到が収まった後、毎月8万ずつ他社から奪い取れるかというとそんなはずもなく。まあ、そのへんは今後の展開を見るしかなかろう。
ソフトバンクに変わってボーダフォンの悪いイメージを払拭しなきゃいけないのに、この体たらくではシェアの回復どころの騒ぎじゃないね。

ソフトバンクモバイルへ詐欺だと批判が集中

2006年10月29日 06時31分57秒 | 政治・世相・スポーツ等
いやー、予想通りソフトバンクの詐欺まがいの宣伝に多方面から批判が集中している。


なかでも精力的に報道しているのが私が毎日見てるインプレスの記事だ。一般マスコミがソフトバンクの言い分の受け売りで安いだの他社に衝撃だのと言ってるのを尻目に、スーパーボーナスの導入時点から疑問視する記事が多数載っている。下段にある関連記事にも目を通していただきたい。

ドコモ社長のブチ切れようはすさまじいw普段こういうことを言わない人がこれだけ怒るというのは相当なものだろう。ドコモより全方位で高いくせにさも安いかのように言っているというのはさすがに許せないだろう。

彼の言う通り、web機能の基本料(iモード利用料)が100円高いし、請求書発行費用もひっそり100円値上げしているのに、ドコモの各プランより200円引いてるというのはまさにていのいい詐欺だろう。実際は同じになるというのに。

他にもソフトバンクのほうが高い部分はやまほどある。固定電話からの接続料が未だに高いままで、ドコモが最安、ついで10円差でauなのにソフトバンクは倍近くするままだということ。他にも国際メッセージの送信料だの、無料通話の適用範囲などがソフトバンクの方が有意に高いという。

対ドコモのブループランですらこれなのだ。全くドコモと同じプランを用意してちょっとだけ引くというのなら、細かい部分まで全部マネしなきゃだめだろう。目先の部分だけをマネして、他社が無料もしくは安くやってることに高い金を取っておいて、ドコモより安いですよーって言うのはまさに詐欺そのものだ。

一番の詐欺は頭金が0円の分割払いを「端末は全て0円」といって売ってることだ。単なる分割払いを「0円」として表示するなんて呆れるほどの不当表示だ。頭金ナシOKと表示してあればまだしも、そんなの珍しくもなんともないからなぁ。今のままの表示を続けるなら、公取委が入っても仕方ないほどのものだ。

掲示板を眺めていても、安いという指摘はちっともみかけず、高い、詐欺だというものばかり。ソフトバンクユーザーからもボーダフォン時代のプランをレッドプランとして継続させるよう求める動きもある。

という批判の嵐の中、ソフトバンクショップへはソフトバンクへの契約を求める客で行列が出来ているという。50人待ちという表示もあったようだが、それほど待たされるほど殺到してるというのは、彼らは実際は高いということを理解していないのだろう。こういう人が詐欺に騙されるのだろうなぁと思ってしまった次第。

事実として、ソフトバンクの全てのプランはドコモやauより高い。他社からソフトバンクに移動する唯一の利点は、周りにソフトバンクユーザーが10人いて、彼らと長電話するというだけの使い方をする人で、キャンペーン中にゴールドプランに入り、2年間機種変更・解約しない人だけである。

一人や二人と定額通話したい人は、ウィルコムを2回線契約しよう。月額5千円程度で双方向から話放題である。電池が持たないので家で長時間話す人は、IP電話を契約しよう。いくら話しても無料である。PCがあるならスカイプなどもお勧めである。



ところで、ドコモ最大の嫌がらせをするとすれば、イメージカラーを青から別の色にすることで、ブループランという名前の意味をなくすというのはどうだろうかw
auもイメージカラーをオレンジ以外にする。実際やったら笑うなあ。

予想外割は予想外に高い

2006年10月27日 11時05分05秒 | 政治・世相・スポーツ等
新スーパーボーナスの内容が発表された。


簡単にいうと、頭金0円になるスーパーボーナス。さらにハイエンド機種では月々の支払いとは別の負担金が発生する仕組みだ。旧のほうでは頭金の額で調整していたのを、頭金まで含めて分割払いにするという契約だ。

うーむ、これは・・・感想としては、ソフトバンク終わったな。

確かにハイエンドが頭金ナシで買えるのはいいけど、2年間の機種変更が出来ないというのはあまりにもおかしい。それと1年分割バージョンも近いうちに出来るとのことだけど、だったらきちんと整ってから発表するべきだと思う。ギリギリまで動向を見て決めたのだろうけど、あまりに施策が複雑で店舗で混乱が起きるのは想像に難くない。店員ですら理解できてないこともあろう。

たしかにハイエンド機種が売れることはキャリアにとってもメーカーにとってもいいことだ。長期間使ってくれるなら端末代を補助してもいい、これもキャリアの論理としてはわかる。でも、以前にも書いたように、他社は無条件でこれを肩代わりしてることを考えると、分割払いで縛るのでは、ユーザーの利点は皆無だ。
まあ、利点があるとすれば、たとえばドコモの新機種は2万円台中盤くらいから出てくるが、この2万円強を払わずに済むかわりに分割払いにするということになろう。ならばその2万円をクレジットカードなどで(分割で)支払ったほうが、解約時のリスクがなくていいと思うのだが。
分割なのに途中解約すると3万円くらいを余計に払わされるというのでは、よっぽどソフトバンクと心中するつもりの人でない限り契約したくないだろう。
でもまあ、ハッピーボーナスを契約する人もいたくらいだから、そこそこにはいるのだろうけど、他社のシェアを奪うほどの魅力はない。ハッピーボーナスからの乗り換えくらいしか需要はなさそうだ。
あと、途中解約すると原価で買い取らされるというのなら、SIMロックは外すべきだと思うけど、どうなんでしょうね。あとSIMが刺さってないとワンセグが見れないとか、そういう制限も外すんでしょうね?どうなんでしょうね??w

それと、一見安く見えるというゴールドプランについても改めて言及してみたい。個人的には一見しても安く見えなかったのだが、報道によると安いと思ってる人がいたらしいし、量販店でもソフトバンクに変更する人が多かったというので考慮してみたい。


基本料金9600円で無料通話なし。通話料金は同社内無料(しかし夜間の除外時間あり、200分を超過すると30秒20円)、他社携帯へは30秒15円(深夜)~29円(昼間)となっている。無料通話なしってのが明らかに高いと言えるのだが、一般人はそう思わないのだろうか?
他社携帯への通話料が他のプランより高いのはどうかと思う。コスト的な問題でいえば、自社内ネットワークを無料とするなら、他社への通話はそれにプラスして他社へ払う接続料だけだろう。通常は自社内コスト+他社接続料で通話料が決まるのだから、自社内が無料ならば通常のプランより安くして然るべきだ。他社への通話が高いのは他のプランとの差別化だろうけども、どうせならそれすら安くしてみてはどうかと思う。これだけ高い基本料を取るのだから。

同社内無料に制限があるのはどうかと思う。現行プランの定額では制限時間帯はなかったのだから。無料通話もこの値段のプランなら4千円分くらいあって然るべきだ。ただ、このプランの目的は同社内無料の部分にあるのだろうから、そう考えると約1万円で話放題ということだと思う。ただ、現行プランだとラブ定額や家族定額などが300円の追加で通話無料となることを考えると、定額にするコストにしては高い。周りにソフトバンクユーザーが多い人にしか利点はない。
というか携帯で通話無料である理由ってあまりないと思う。外で連絡とるならメールで十分だし、家でだべるならIP電話使えばいいのだし。これを言うと本末転倒だが、ラブ・家族定額の需要がそれほどなかったことを考えると、携帯が定額通話になることの需要はそれほどないのではないかということに気づくべきだ。

さて、高い基本料は新スーパーボーナスで割り引かれる。いきなり37%引きとなるから6048円、無料通話なしである。これでも高い。そして年々安くなっていき、11年目だと70%引きになる。どうも説明ページを見ていると、既に11年使ってる人はいきなり70%引きになるようである。(実際に使われる方は確認願いたい)
同社内のメールも定額に含まれるが、他社へのメールは含まれない。インターネットメールなのだから、自社内で完結しても他社に投げてもコストは殆ど変わらないと思うのだが、どうもけちくさい印象が強い。

パケットも定額にするとトータルコストがさらにかかる。
ゴールドプラン+新スーパーボーナスでパケット定額にすると1万円くらいかかってしまうのだ。他社はというと、最低プラン+定額で7000円程度である。無料通話も1000円程度含まれることを考えると、ゴールドプランはそれほど安くないのがわかる。唯一の利点は同社内無料ということだが、これに対するコストは3千円程度ということになる。
これまでが回線限定とはいえ300円だったことを考えると高い。少なくとも、同社ユーザで長電話する人が10人いないと元がとれない。

ところが、この定額のコストは無料通話分を含めるととんでもないことになる。他社の最低プランにも千円程度、ゴールドプランと同等の6000円のプランだと4000円もの無料通話があるのだ。つまり3千円多く支払って、4千円もの無料通話をナシにしてやっと同社内無料という恩恵が受けられるということになる。別々にカウントするととんでもないコストである。
同じソフトバンクの他のプランと比べてみてもこの差は同じ程度である。ドコモやauと同じ料金体系にして、ー200円にするという発表があったからである。

こうして見ていくと、同社内無料という利点に支払うリスクが意外と高いことに気づくだろう。無料通話の4000円で通話すると、2時間半くらいであろうか?それ以上通話する人で、ソフトバンク以外にはかけないのなら入る利点はあるだろう。ところが、シェアから考えて7割方他社にかけるのだから、そういう人はかなり限られている。


それと、現在キャンペーンでいきなり70%引きになり、ずっとその値段になるというのだが、そうなると2880円で同社内無料、他社に対しては前述の通話料となる。これはまあ、安いのかもしれない。これくらいだと無料通話分がなくても仕方ないかなとは思える。他社への通話料が高いのも、安いプランなら仕方ないし。でも、このキャンペーンが終わったら、6千円で無料通話ナシというのでは入る利点はさっぱりない。だったら現行プラン+家族・ラブ定額のほうがよっぽど良い。

今ソフトバンクのHPを見ていて気づいたのだが、ラブ・家族定額がなくなったみたいですな。というか旧プランの説明が全くないw
新会社としてやっていくからというのだろうけど、前のプランを使い続けたほうが得な場合もあるというのだから表示くらいしてほしいと思った。現在も受付自体はしているようだし。

値下げだの0円だのと言ってるが、新プラン・サービスで明確に値上げになっているのもある。たとえばパケットの定額プランだ。従来のデュアル定額とパケットし放題を比べると、どちらも最低額と上限額が定められたauのダブル定額のパクリだが、その下限が下がったのはいいとしても、パケット単価と上限額の値上げが行われている。これも現行プランを隠すことで隠蔽しようとしているが、注意が必要である。現行のデュアル定額を契約しているのなら、新パケットし放題には加入してはいけない。


ということで、新スーパーボーナスの利点は頭金のないこと。欠点は分割払いが終わるまで機種変更すると残金を払わされること。
ゴールドプランの利点は、同社内定額なこと。欠点は基本料が高いこと(キャンペーンなしの場合)、定額除外時間があること、他社への通話料が高いこと。

うーむ・・・予想外割にする利点がちっともないw
同社内定額が狙いなら、ウィルコムをお勧めする。これは2900円(副回線2000円)で同社内通話無料だから。この値段もキャンペーンじゃなくて、ずっと。
頭金が払いたくないならカードで買えばいい。それだと月々の支払いが増えるが、2年もの間機種変更できないことを考えたらそれくらいの負担は問題じゃないと思う。ハイエンドじゃなきゃ5千円以下で売ってるものもある。スーパーボーナスだと、そのような機種でも原価で買わされてしまう。

それにしても、内容を見ればちっとも安くないのになぜ安いという報道があるのか、ここ数日のソフトバンクへの変更者が多かったのかが疑問である。しっかり調べもしないで契約しているのが多いのだろうとは思うけど、無料通話なしってきいた時点で高いなって思うのが当たり前だが・・・。それとこっそり値上げされている部分にも目を反らしてはいけない。

孫さんはインセンティブビジネスモデルを崩壊させたいというのだろうけど、本当にシェアを増やしたいなら、インセンティブをぶちこわすんじゃなくて、むしろばらまくべきだと思う。モデムをタダで配った(と一般に誤解されてる)ように、なんの縛りもない端末を無料でくばりまくる。そうすれば契約者も増えるだろうに。それか、Yahoo!BBのモデムみたいに端末をレンタル・リース扱いで解約・機種変更したら返却するようにしたらいいんじゃないかな。で、外装交換してまた提供すると。短期解約への対策はこれで十分出来ると思うんだけど。

ともかく、会社の論理ではなくてユーザーの論理で考えた施策をすべきだ。こうもわかりにくいことをやってユーザーを騙すようなやりかたで信頼されるわけがない。
プランをすべて他社のコピーにするというのもバカにしている。そのくせ無料通話分の適用範囲が他社より狭かったりと、やることがちぐはぐである。

とくにゴールドプランの見直しは必須だと思われる。他社のプランのコピーをやるなら、ゴールドプランなどやめてしまってオプションとして通話定額をたとえば指定先のみなら300円、同社全部なら3000円というようにするべきだ。他社のコピーをしたいのか、オリジナリティを出したいのかがわからない。
現行プランを隠しているのも、旧来からのユーザーをバカにしている。そのプランが好きで契約した人もいるのだから、現行プランもレッドプランとして残すべきだ。まだ受付しているのに隠すなんて卑怯極まりない。

まあともかくこんなことをしていてはシェアを取り戻すのは無理だろう。目先のことしか考えない人にはいいのかもしれないけど、消費者はそれほどバカじゃない。もとのボーダフォンのイメージが最悪だっただけに、似たような小手先のことばかりやっていては意味がない。

あ、あとauの「顧客満足度一位」ってのもばかげてる。比率でいうとドコモと比べてほんの2%程度しか上回ってない。ダントツの一位かのような言い方というか、自信満々なのはどうだろう。分母の違いを考えると単なる誤差の範囲だと思うのだが。


ともかく、今回の番号持ち運び制度だけど、大山鳴動してなんとやらとならぬようにして欲しいものだ。

番号持ち運び制度開始

2006年10月24日 17時07分53秒 | 政治・世相・スポーツ等
携帯電話のナンバーポータビリティが始まった。

各社宣伝はしているけど、ドコモとauはそれほど必死さは感じられない。まあ、それほど利用が進まないであろうことは各国のデータからわかってることだ。

理由としては、まず手続きが面倒かつ明瞭でないこと。番号以外の多くの部分が引き継げないこと。メルアドの通知サービスがあるんだろうけど、そんなの番号だって「この番号は○○番にかわりました」というアナウンスをしてくれるサービスは今でもあるんだから、昔の番号を使うことの利点は、その番号が気に入ってることくらいのものだろう。

そして、なにより重要なのは各社サービスと料金が横並びで、そこまでして乗り換える利点が見あたらないことだろう。とくにドコモは料金体系が他社と違って夜間や深夜の安さが飛び抜けていたのに、新プランで他社と同じく一律料金にしてしまったことで、まさに横並びだ。プランによって数百円の差はあるものの、たいてい同じと思っていい。
とはいえauは音楽配信に力をいれつつあるし、GPSなどの特徴がある。ソフトバンクは指定先通話料無料オプションがある。ドコモはまあ、そういう特徴が薄いけど必要なサービスはあとからやってくる。たとえば繰り越しとか。あ、903にはGPSが標準だったな。

初めて携帯を選ぶというのなら、そういった独自色をもとに決めてもいいけど、何年も使っているのに会社を乗り換えるってのは相当の覚悟が必要であって、その覚悟の前には番号が変わるくらいどうってことないのだ。つまり変える気があるならとっくに変えてるだろうと。ナンバーポータビリティはそれほどの起爆剤にはならないだろうと。
まあでも、ちょっとは動くだろう。全体の数%程度。そして一番ユーザーが減るのはドコモで間違いない。同じ5%のユーザーが流れるにしても、6割程度のシェアを持つドコモは、残りの2社から流れるより多くの顧客を失うことになる。分母の大きさというのはこういうときに損するのだけど、だからといって全体のシェアに影響するほどの移動はないだろう。100万や200万が移動したところで、5千万以上の契約者数からみれば微々たるものだ。
各社の新機種が出てるが、毎年この時期に発表になるのだし、これを睨んでのものとはあまり思えない。事前のアンケートでも利用したいという意見は1割程度であり、直前アンケートだとさらに減っているようだ。これは私も前から思っていた通りだ。


で、その前日にソフトバンクがすごい発表をした・・・という報道があったのだけど、見てみるといまいち怪しい。というか別に凄くない。
予想外割というのがあって、同社内通話メール無料というのだけど、それが適用されるゴールドプランとかいうのは、新スーパーボーナスに加入しなきゃいけないという。しかもその新スーパーボーナスの内容は現時点で秘密。なんだよそれwこの段階で発表しなかったら、今日から開始なのに変えたいと思ってる人が決めあぐねてしまうじゃんwww
同社内無料っていわれても、周りにボーダフォンの人いないしなぁ・・・。これはエッジの通話無料プランも似たようなもんだ。

しかしソフトバンクも大変だ。Jフォン時代はau(セルラー+IDO)と同等のシェアを持っていたのに、ボーダフォンなんかに買われてしまってからシェアが落ちる一方。シェアだけじゃなくて契約者数の純減も起きたし、純増しているときも多くがプリペイドという状態だ。そもそも英ボーダフォンは日本ローミング先が作りたくてJフォンを買い取ったのだから、3G網が整備されてしまったらもういらないのだろう。
ユーザを減らさないようにするつもりがあったのかなかったのか分からないが、社長の10の約束を半年足らずで反故にしてしまった件は、やっぱり英国人は嘘つきばかりだと、中東問題の発端を作っただけのことはあると思ってしまう(笑)
2年縛りという無茶なハッピーボーナスと、ハッピータイムの廃止、それにまつわるハッピーボーナス解除問題と、ユーザーの心がドン引きになるようなことのくりかえし。ハッピータイムで釣ってハッピーボーナスで縛り、ハッピータイムだけを廃止するってのはどこの悪徳商人かと言いたくなるわwそれで市場をかき回して撤退と、ある意味素晴らしい連中だった。

そして極めつけのスーパーボーナス。普通は端末の値段はキャリアの出す販売報奨金でもって値引きされているんだけど、これは基本は原価販売、2年の分割払いになり、スーパーボーナスに加入することでその月の支払いを免除するというもの。まあ実質的に報奨金制度と変わらないんだけど、問題はその途中で解約したら残りの支払いを要求されるってこと。他社で1万とか2万とかの携帯を買っても、すぐに解約したって問題はないのに、スーパーボーナスだと4万とか5万とかの支払いを求められる。契約上は問題はないが、これって報奨金のリスクをユーザーに押しつけてるだけで、ユーザー側になんの利点もない。だったらよその安い携帯を買えばすむ問題だ。誰がスーパーボーナスに加入するのだろう。(答:目先の利益しか見えない人か、内容をよく説明されずに買う人)


それと問題は、2年の間機種変更出来ないと言うことだ。機種変更することでもまた残りの端末代を請求されてしまう。半年ごとに新機種がでて、1年ごとに新サービスが始まるこのご時世に2年も端末を使い続けなければならないなんて、逆にユーザーを縛り、新サービスが発展しないだろう。素晴らしいサービスが始まってもそれを利用するための端末を買えないのだから。
日本独自のこの販売報奨金制度だが、キャリアが端末購入代を面倒見て、通信量等で回収するからこそ、新しい端末がどんどん出て、どんどん買い換えていくことで新しいサービスが出て、それが普及する。この爆発的な携帯の普及にはこの制度がうまく機能しているからだといえる。解約されて本体を取られたら困ると言う人もいるが、その端末を誰かに売ったとして、その端末を買った人はそのキャリアに持ち込んで契約しなければ役に立たないのだ。結局は契約数は減ってないことになる。つまり即解約が経営を圧迫するほどのものではないのだ。年割の解除料や契約事務手数料が入ることを考えると、そこまで即解約に怯えることはないのだ。

ドコモは2年以上同じ端末を使うと、機種変更時に5000円割り引くというサービスをしている。また、ドコモクラブにはいると2年使ったらその機種の電池をプレゼントしてくれる制度もある。さすがに2年も使うと電池がバカになるのだから、新しい電池にしてもっと使ってくれと、そういうことだろう。ドコモは10ヶ月から機種変更の優遇がうけられるが、2年使い続けた人にはさらにプレゼントを与えるというほうが、よりユーザーのための施策であるという印象が強いだろう。それにくらべてボーダフォンの施策は、ユーザを縛る、押しつけるもので本当に印象が悪い。ドコモを嫌う人の意見が目立つこともあるが、よく見てみるとドコモのほうが自然なサービスをしているのがわかる。


そしてボーダフォンはソフトバンクに売却された。ソフトバンクはテレコムも買い取ったみたいだけど、だったらボーダが買い取る前にテレコムごとJフォンも買い取ればよかったのにと思う。
孫さんはADSLの時のようなつもりでわくわくしてるとか言ってるけど、あのときはブロードバンド自体がまだそれほど普及してなく、価格破壊によってシェアを伸ばせたのだろうけど、携帯はもう飽和状態になっていて、少ないパイの奪い合いというので状況がその時と違う。同じつもりでうまくいくとは思えない。

今度の新スーパーボーナスがどんな施策かわからないが、無茶な縛りや割賦契約であったなら、同じようにはシェアは獲得できない。損を見越して最新端末をタダで配るくらいでないと、シェアを増やすのは難しいだろう。しかしそれは現行スーパーボーナスと矛盾する。会社の身売りだけでもユーザは混乱するのに、意味不明のサービスがポコポコ出てきては消えてを繰り返していると、面倒だからソフトバンクはいいやって思われてしまう。だからこそ、新スーパーボーナスの内容がソフトバンクの明暗を分けるといっても過言ではないのである。

ま、個人的には、乗り換える気は全くないし、ソフトバンクがばかみたいに安くしてくれたり、斬新なサービスを始めたら、ドコモがそのうちマネしてくれるので、もっとドコモの尻を叩いて欲しいと思う。つまり、孫さん頑張れ!ってところです。

言いたいことも言えないこんな世の中は

2006年10月24日 15時53分49秒 | 政治・世相・スポーツ等
ポイズン。
(タイトルにあまり意味はない)

というわけで、ここのところのアレでも、過去のアレでもいろいろな困った人がいた。私は基本的に困った人に好かれやすい運命にあるようで、この好かれるというのもリアルに好かれてしまうのと、妙に付きまとわれて攻撃されてしまうという両方の意味があるけどどうでもいいか。
まあ、私が普通より厳格に論理を重んじるから、それが気に入らない人というのはいるのだと思う。でも、間違ったことをして怒られるならまだしも、正しいことを言って怒られるのは納得がいかないものであるw

前にも何度か書いたことがあるかもしれないが、困った人というのはどういう人のことか。

1 論理が通用しない。
2 主張に根拠がない。
3 常識・礼儀がない。
4 言っても聞かない。
5 自分を省みれない。
6 自分の非常識さを論われると、価値観の差だからほっとけと言う。
7 意味の通じない言い訳、突拍子もない立論をする

それらが理由で、人に迷惑をかける行動を取るのことを言う。さて、それぞれを見ていこう。

1については言うまでもないが、物事を論理的に考えることができないので、支離滅裂である。仮に正しいことを言っていたとしても、筋道を立てて自分の主張を説明することができない。

2についても同様だが、なんでそんな事をするのか、そんなことを言うのか質問してもまともな答えが返ってこない。そして「あんたはすぐに根拠根拠言う」と逆に怒られてしまう。ちょっとまて、御飯を食べる根拠はおなかがすいたからだろう。何をするにも理由が必要だ。突発的に、なぜそんなことを言い出すのか分からないことをすれば、なぜだと質問されて然るべきだ。でも、彼らは「なぜ?」というと黙ってしまうか、逆に怒り出す。なぜだろう。あ、聞いちゃだめなのかw
行動に根拠が必要ないってことは、その場その場で思いついたことを突発的にやっているってこと。行動に責任が持てないってこと。それは人間としてどうかと思う。


3について、これもほんとうに困る。礼儀というのは別に格式とか作法に拘れというものじゃない。私だって別に常に礼儀正しいわけじゃない。でも自分が最低限だと思う礼儀というか、当たり前の因果というのはわかる。
とりあえず、見ず知らずの人に突然意味不明の文句を付けることがどれだけ失礼なことかきちんと理解してほしいものだ。人に注意するときは、それが注意できる筋合いにあるものか、その注意が正当なものか、きちんと説明しなきゃだめだ。
あとは人にものを尋ねたらちゃんと聞いてその通りにするようにしてほしい。ちゃんと礼を言えってことじゃない。聞いておいてほったらかしってのはどういうことだ。

批判しておいて、反論、弁明されたらそのままほっとくとか。おいおい、自分の勘違いで人を批判したのなら訂正くらいしてほしいものだ。勘違いじゃないというなら最後まで諦めずに証明してほしいものだ。まあ、同じ事を何度も書かれても困るんだけど、反論が出来なくなったら自分のほうが間違っていた、正しくはこうすべきだと表明して欲しいものだ。批判しっぱなしで逃げて、また別の批判を始めるの繰り返しをされると非常に腹が立つ。

4 については、何が気に入らないのか分からないが、注意されても注意を注意と受け止めようとしない。攻撃されたとでも思うのだろうか。そういうことをしたら迷惑だからやめてくれ、あなたの言うことはこういう理由でおかしいからと説明しても、全く聞く耳を持たない。自分が悪かったとしても注意をされたくないというタイプの人だろうか。

5 これは特徴としては本当に顕著なもので、他人に対して、自分が今まさに行っていることを注意したりする。たとえば、人に注意をするのはマナー違反だという注意を行うなど(笑)。これは、張り紙禁止の張り紙みたいなもので笑い話にしかならないのだが、他には、空気を読めてないと人に言うという空気の読めない行動を取るなど。だいたい空気ってなんだwそんな主観的なあやふやなものじゃなくて、人に注意するのならいいことか悪いことか、迷惑なことか否かだけで言ってほしいもんだ。人に注意するのは良くないって?そりゃ注意されたくないだけのことだ。関係ない人にとっては注意されるようなことを堂々としているほうが迷惑なのだから。
人に禁じたことを自分でやるという人は、それほどおかしくない人でもよくやる。

6 これも顕著。つまりは客観と主観の区別がついてない。
たとえば、こちらは常識を問う。あちらは主観で返す。彼らは非常識だから、当然常識外のことを言う。もちろん彼らとは相容れない。そうすると「人の主観に文句を言ってはいけない」といって自分の非常識をほっとけという。いやいやそうじゃない。常識は何かという議題においては、それぞれの考え(主観)などを持ち出してはいけない。主観は主観で持っても構わないが、それが人に影響を与える状態で露わになったときは、常識と比べて常識を優先した行動を取ってほしいのだ。それが人間社会ってもんだろう。

相手が非常識な行動をしてこちらに迷惑をかけた場合、文句を言うとだいてい「あなたとは主観が違うから、関わらないのがいい」といって逃げる。
例のうさぎ君らがこの典型で、自分から誹謗中傷を始めておいて、それをやめるようにと注意したら、あなたとは相容れないからほっといてくれればいいと言い出す。ほっとくけど、その前に自分がやったことを謝ってからにすべきなんだけど、謝れない理由をいくら問うても意味不明なことを口走るばかりである。それで終わればまだしも、さらに中傷を続けるのだからひどいものだ。相容れないから中傷する、それすらもほっとけと?そりゃちょっと問屋が卸しませんよ。

とある人は、私に技術的な質問をしてきたはいいけど、それを試したかどうかを言わないまま新たな質問をしてきたり、対話を打ち切ったりした。また暫くあとに、北方領土について質問されたので日ソ不可侵条約から説明したのに、完全スルーされてしまった。質問しといて無視するなと怒ったら、それは互いの物差しの違いだからと訳のわからない言い訳をされた。自分が知りたくて質問してきたのに、答えて貰っても何とも思わないというのが物差しの違いで済まされてはたまらない。

自分に問題点があった場合、それを咎められると、価値観の違いだから仕方ない、価値観を押しつけるなと言ってくる。こちらはあくまで主観ではなく常識でものを言っているにもかかわらず、その常識と彼らの主観がぶつかった場合、彼らはその常識をこちらの主観と称して押しつけるなと言ってくる。
いやいや、常識は押しつけさせてもらうよ。常識というのは主観の最大公約数であって、誰が見ても同じな、平均というべきものだ。これを基準に法律は出来ているし、世の中は動いている。自分がその常識が気に入らなければ、他人に関わらないところで生活するべきである。人とふれあっていくなら、他人とふれあう部分においては常識を元にしなければならない。
価値観の多様は認めるけども、それが他人の迷惑になるなら、常識を根拠にそれは矯正されてしまうのだ。それが法律であり、常識であり、道徳というものだ。

7 基本的に論理的ではないし、二つ以上のことを同時に考えられないので、言い訳が突拍子もない。事実を前提にしない。分かりやすく言うと、たとえ話や比喩が理解できない。一つ例え話をすると、その例えにだけ目がいってしまって戻って来れない。そして混乱し始めて、発狂する。
または、多くの人に注意されていても、それらが全員同一人物による陰謀だとか言い出す。そのくせ多数決を望む。しかも匿名でいくらでも多数を装える場所に自分から逃げ込み、そこで「相手は一人、自分らは多数」と嘯く。論理でかなわないと「みんながお前を嫌っている」という。みんなとは誰で、何人かと言うと黙る。
ここまでくると理屈とか理由とかなんでもいい、とにかく俺は正しいお前はおかしいから嫌いと連呼するのみ。次第に目的が中傷そのものになっていき、「一日中ネットにかじりついている」とか「仕事もしないでいる」「低学歴である」などと一方的に、なんの根拠もなく言い出す。ここまでくるともう「お前の母さんでべそ」とでも言いたいのだろうけど、何度か注意しても収まらない場合は、例外なくここまで行く。

さて、こういう人があまりに多くて、すぐに目についてしまうけど、大抵はほっとく。でも普通に話してるだけで意味不明の文句を付けてきて、反論するとそのまま逃げるか、異常な嫌がらせをしてくるということがたまにある。それがあまりに不躾であると、ときどきとことんまで追いつめてやりたくなる。そういう場合、たいていは今まで挙げたようなパターンにほぼ収まる。そうなると、やはり自分の分析、分類は正しいのだと確信する。

こういう人は基本的に論理とか常識とは相容れず、問題ばかり起こしているのだと思う。「またこういう奴が来た」と発言する人が多いのを見ても、ときどき注意されているのだろう。でも自分が間違っているとは夢にも思わないので、正しい注意をする人に対して「また変なのが来た」というのである。
こういうことを書くと、この手の連中には「お前もそうだろう」と言われてしまうのだが、私と相手のどちらが正しいのかは、論理でもって明らかに出来る。ゴミを拾って愛でることが常識だと言い張るような、一目で常軌を逸していると分かるような連中と比べてもらうだけでも私にとっては失礼だ。

彼らが性格に問題があるのは言うまでもない。専門的に言うと人格障害の範疇にあるのは間違いない。だが、これは精神病とは違って単なる性格の問題。社会生活を送れないほどのものじゃないけど、問題はよく起こす状態。
とはいえ、普段からいつも彼らがおかしなことを言ってるとはとうてい思えず、特定の状況でこういう症状を起こすのだろう。とくに夜中一人でネットをやっていると客観性を失ってしまうことはままある。夜にラブレターを書いて朝見直すととっても恥ずかしいことに気づくのに似ている。

と前は思っていたのだが、実際はけっこうやばいことに最近気づきつつある。まず例のウサギ君。あの人はもとから何らかの症状があって、壁に頭を打ち付けたりしたこともあったそうだ。しかも加害者のくせに警察に行ったらしいし、「警察は私の味方」という嘘をついて警察に怒られる始末。あの人は通院まではしていなかったらしいが、単に「たまに困ったことをする人」の範疇は越えているのは確かだ。
次に、最近の件で私を中傷したり、迷惑メールを送りつけてきた連中は、自分で精神病であることを告白している。通院していたり、入院していたことを臆面もなく明らかにしており、そのうえでこちらにお前は精神病だろと言ってくる。
自分がそうだからって相手もそうだと思われても困るのだが、自分が精神病だという自覚があるなら、人ともめるのは自分に原因があるかもしれないと、ちょっとは思って欲しいものだ。それが出来ないのが精神病だって?いやいや、程度の差はあれ、そうとはいいきれない。

別に人ともめ事を起こさないし、起こしたとしても相手に精神病だと呼びかけたりはしない病人は多い。彼らは無茶なことも言い出さない。
今回の件でも、一度は私に文句を言ってきたけども、あとからそれを悔いて逆に自虐的なことばかり送ってきた人もいた。病気だからといって全てが無茶なことを言い出したり、いつまでも反省しないわけではない。自分が病気なのがいけないのだと思う人もいるし、病気だからって人に迷惑をかけない人もいる。これは病気の種類によらず、同じ病気でも人に迷惑をかけるかけないの違いがある。ということは、症状の差としてもやはり病気であることそのものが問題ではないといえる。

よく軽々しく、もめ事を起こした相手のことを、頭がおかしいんじゃないのとか、きちがいだとか言う人もいるが、実際に相手が精神病患者だったら、これはしゃれにならない。単に性格の問題だとか、能力の問題だとばかり思っていたが、実際にかなりの数の精神病患者がいるかもしれないのだ。これに気づいたときはかなりのショックだった。
ちょっと調べてみると、たとえば分裂病の場合は全人口の1%程度いるという。となると、ちょっとしたコミュニティを形成したら一人や二人混じっててもおかしくない。分裂病だととくに病識が薄いため、通院・認知されないということもあるので、もっと多いのかもしれない。となると、実社会でのもめ事の多くは、片方もしくは両方が病人である可能性もある。そうなると、単に事実をつきつけるだけという簡単な方法でも解決できないこともやむなしである。

我々は、相手が病人であるかどうかを問わず、事実を前提にせずに誰も言ってないことや、どこにも存在しない理由で人を批判したり、理屈にならない理屈で人を攻撃してきたりする人が無視できないほどの数存在し、彼らに困らされてしまうのは事実だ。我々の出来ることは、常に論理的に考え、正しいことをすることで、彼らと一線を画するように生活することである。相手が病人かどうかを問わず、正しいことをしていれば彼らに生活を乱されることはないのだから。
この世から困った人を排除することはできない。彼らにも存在する権利があるからだ。となれば、困った人に被害を受けていちいち落ち込んでいる暇があったら、困った人につけ込まれてしまう隙を与えないように次から頑張ろう。逆に彼らの存在を楽しめるようになれば、世の中を悲観することもなくなるだろう。困らされるだけではもったいない。この割り切りが出来ずに悩む人もいるのだが、ここを乗り切れば世の中はそれほどつまらないものではなくなるはずだ。

補選と栗東市長選挙と民主党と新幹線

2006年10月23日 06時14分41秒 | 政治・世相・スポーツ等
選挙ネタ二つ。

まずは衆議院補選。自民が両方とも勝って安倍政権が信任された形となった。

これはまあ順当なところか。なにしろ最近の民主は何がやりたいのかわからない状態だから。自民に反対することのみが目的で本質を見てないというか。
基本的に野党ってのは与党のやることを監視して道を外さないようにするべきなんだけど、与党が道を外してない場合は無茶なイチャモンを付けてるようにしか見えないので与党が太るばかりになってしまう。これでは野党の意味が薄い。そうならないようにするには、認めるべきところは認めて、自分らならもっとうまくやるよというところを見せつけるべきではないかと思う。
しかし実際は全くをもって逆で、近頃の野党は政府が国民のために、日本の国力を高めるためにやろうとしてることを全て反対する。
たとえば、北朝鮮の一連の軍事行動について周辺事態と認識しないと言い出す始末。
周辺事態とは、日本国内に限らず日本周辺で日本に対して脅威を与える状態で、周辺事態法によって軍事活動等を行えるようになる。条件の一つに「日本周辺の国で国連決議で制裁を含む採決があったこと」というのがあるので、明確に今回は周辺事態といえる。

明文で当てはまるうえに今現在ミサイルを撃ったり核実験をしたりしているところなのになぜ周辺事態と認識しないのか理解に苦しむ。ほっとけば北朝鮮は核兵器を完璧なものにしてしまい、それをカードにして無理難題を言ってくるに決まっている。そうなればアメリカも黙っておらず、戦争へ突入するかもしれない。それ自体は北朝鮮の崩壊となるからいいのだが、対応を間違えたら北朝鮮が最後っ屁で核を使うかもしれない。そうならぬように圧力を与え、もしくは核兵器が不十分なうちに軍事的圧力等も交え、最終的には政権を崩壊させることまで視野に入れなければならないというのにだ。
まずは対話と圧力が必要だが、相手が対話にのらない以上は圧力しかなく、また相手が軍事行動をちらつかせている以上は周辺事態の認定もやむなしであろう。それにもかかわらず民主は周辺事態の認定をするつもりはないという。全く何をしているのかと、国民が何を望んでいるかをちゃんと察知した政策をとるつもりはないのかと言いたくなる。
民主党の言い分では、日本は北朝鮮に屈して黙ってろと言ってるようなものだ。こんな党に誰が投票したいと思うだろうか。

小沢一郎は政治家として有能であるとは思うけど、彼自身の信念というかやりたいことって見えてこない。政治家としての自身のキャリアのためにやってるようにしか見えないわけだ。自由党から民主に合流したときには、兵隊を得てこれでついに小沢軍の旗揚げかと思ったが、結局はどーでもいい駄々っ子に飲まれてなにも出来ていない。小沢が小泉の郵政問題、安倍の拉致問題というような政治家生命をかけた悲願といったものを持たずにいれば、これ以上小沢勢力が伸びることはないだろう。国民はそういった大義のある者に惹かれていくのだから。大義を見せずにいれば、このままではお山の大将で終わってしまうだろう。

周辺事態への認識も、党内が一致しないうえに菅や鳩山といった船頭が多いこともまとまりを欠く原因となっている。野党第一党がこんな調子じゃ、どんどん自民党の基盤は強まっていくことだろう。来年の参院選では郵政造反組が復党するらしいから、これがまた自民大勝となったら憲法改正すら自由に出来てしまうだろう。個人的にはそれはそれで望ましいけど、野党の使命を忘れてもらったら困る。やっぱり少々トップとしては抜けていても次の世代の前原が代表であるべきなんじゃないかと思えてしまう。

というふうに考えていくと、北朝鮮の国会議員と繋がっている議員もいることなどを考えると、現状で民主に入れるのはよっぽどの変人じゃないかと思える。反自民の人はどこに投票すればいいのか、さっぱりわからない状態だ。社民?共産?もっとありえないw国民新党?大地?民主党とかわらんwこれでは一番マシな自民に入れるか、棄権するしかない。自民大勝もやむなしといったところだ。


それともう一件。
栗東市の市長選挙があって、これがなんと新駅推進を掲げる候補が当選した。栗東市新幹線新駅問題は、凍結・中止を掲げた候補が知事に当選したことで一時期話題になった。知事が凍結、中止派で市長が推進派というねじれ現象が起きているのが面白いところだ。滋賀県民は中止を望み、栗東市民は建設を望むというのは、やっぱり沿線外の地域では反発が多いのだろうか。

この件については栗東市民及び滋賀県民の問題で、部外者がどうこういう問題ではないと思うが、個人的な意見を言うならば、新駅が勿体ないというのならば、作り始めたものをやめてしまうのも勿体ないと言えるのではないか。一度決まったものはあとから易々ととりやめていいものじゃない。
反対派の意見としては、あんなところに駅を作っても意味がないという。まあ、大阪・京都との連絡に南びわ湖駅から新幹線に乗る客がいるとは思えないのは確かだ。なにしろあのあたりは新快速が発達しているので、米原から姫路まで、在来線の便がとてもいい。今度の改正でなんと新快速が敦賀まで行ってるっていうから凄い。
栗東から京都、大阪まで新幹線に乗る需要自体がそもそもない。これは確かにそうだと思う。しかしこれが東京や名古屋、西なら岡山以西との連絡を考えたらどうか。米原や京都まで出なくても乗れるというのは便利といえば便利だろう。
駅ができたところでこだましか止まらないのでは意味がないともいう。でもこれは今更ダイヤ体系を変えてまでのぞみを止める必要はないと思うし、名古屋以西はひかりも各駅停車が多いのだから問題はないだろう。
つまり、岡山方面へ行くのであれば新大阪で乗り換えればいいし、東京には名古屋まで各駅のひかりに乗ればいい。たかだか2駅くらい飛ばさなくてもいいだろう。なにものぞみが止まらないから意味がないというわけではない。そんなこといったら豪快に飛ばされる小田原ー三河安城間の新幹線駅に失礼だw
それに駅予定地周辺は畑だらけでなんの発展も望めないともいう。でもこれは新駅効果で周辺の地価が上がって経済が活性化するかもしれない。確かに畑の真ん中にあって殆ど利用者のいない新幹線駅というのはあるが(たとえば北陸新幹線・安中榛名駅)東海道新幹線については東京ー大阪という大都市間の輸送であって需要そのものはあるといえる。
たとえば、新横浜なんて畑の真ん中に出来た駅で、開業からしばらくはこだましか止まらなくて、接続も悪く横浜市民でも東京から乗る人が多かったというのに、いまではひかりものぞみも止まるようになり、地下鉄も通るようになってあれだけ栄えている。
横浜とはパイの大きさが違うとはいえ、駅さえ出来ればなんとかなる、それが新幹線マジックなのだ。安中榛名だって次第に町並みが整備されつつあるのだから。軽井沢に10数分でいける位置なのだから、そこに別荘でも建てたら意外といい立地じゃないかと思う。南びわ湖駅についても、周囲に人口が全くないわけじゃない。京阪神のベッドタウンとして整備されれば需要は十分にあり得る。なにも今まで作った分を捨ててまで止めるほどのことじゃないと思う。

こういう反対論者というのは、公共事業自体が嫌いだというのがある。確かに談合だらけのゼネコンが儲かるのはよくないと思うが、これらに制限を加えた頃から不況になったとも言える。公共事業でたくさん金を使うと、その金は結局周辺を潤すのだから公共事業自体は毛嫌いすることはない。そしてそういう連中は新幹線に関わるものにも反対したがる。無駄な箱物と違って新幹線ほど優良な公共事業はないというのに。
そういうわけで私は別に利用しないけど新駅はあっていいと思う。あそこまで作ってやめるほうが勿体ない。

というか。
同じく新駅問題のある神奈川県出身者としては、新駅が出来るのはうらやましいものだ。別に出来たからって新幹線に乗るわけじゃないけどw、やっぱ近くに新幹線の駅があるのはうらやましい。
相模新駅はまさに実家の超近くに出来るって言われてるんで(相模線倉見駅付近もしくは小田急江ノ島線高座渋谷駅付近)、もし出来たらかなり燃えるんだけども、どっちもJR東海としては「現状のダイヤの密集度では無理」ってことらしい。まぁ北陸新幹線や中央新幹線が全通したら東海道のダイヤに余裕が出来て新駅構想も上がってくるんだろうなあ。でもそれってあと20年や30年では実現しそうにないw

モバイルSuica解禁!

2006年10月01日 23時25分59秒 | 政治・世相・スポーツ等
いやー、ついに来ましたね。モバイルSuica。

対応機種であるP902iを買ってから既に10ヶ月・・・ってもう機種変出来るじゃん!!しないけど。

モバイルSuica自体は今年の頭から使えるようになっていたんだけど、入会にはJR東日本が発行するビューカードというクレジットカードに入ってないとダメなので、入るのを躊躇していたわけです。

で、ついに今日から他社クレカ解禁というわけで、早速入会してみましたよ。
えきねっとの会員だったので、PCで登録すると会員情報を入力しなくていいので楽。携帯でポチポチ入力しなくてもよくて簡単。いやーこんなに簡単に登録できちゃったーって感じ。

でもまだJR乗る用事なんか・・・って思ってたらその直後に実家から呼び出しキター
なんかいろいろ取りに来いというので横浜までいってきた。

そしてモバイルSuicaデビュー!
いやードキドキしたーwwww
初めてSuicaを使ったときの緊張再びというかんじでしたね。反応しなかったらどうしよう、みたいな。
今日からみんな携帯で乗ってるかと思ったらそうでもないし、なんか恥ずかしかった感じ。
チャージに並ばないでいいし、こいつは便利ですよ。なにより、財布の中のカードはたまに反応しなかったりするので、むき出しの携帯はミスもなくて快適。

edyも財布出さないでいいので便利だったけど、いまいち使い手がないというか、使える店が少ないんだけど、Suicaについては駅の周辺にはとりあえず使える所は多いし、自販機でジュースも買えるし、これは素晴らしいものですよ。

でも物申すことはあるわけです。
まず今までの足かせが気に入らん。初年度100万人の会員を予想してたとかいって、実際は12万人くらいしかいないんだって。なぜって、ビューカード縛りがあるからですな。これは最初から予測済み。
「モバイルSuicaスタート!」といって鳴り物入りで始まったはずなのに、そこで腰砕けになるような足かせ。ほんとにヘナヘナになりましたよ。会員増やして電子マネーとしての地位をedyに追いつくほどにつけていかなきゃならないのに、これじゃSuicaカードでいいや、ってことになっちゃうわけで。

次に物申すこと。それは他社カードの場合、年会費が1000円もかかってしまうということ。じゃあビューカードに入ればいいって?ビューカードも会費500円なんだよね。まあ、初年度無料っていってるからとりあえず入ったけど、edyが無料であることを考えると、ちょっと欲張りすぎだと思うね。
まあ、カードのほうのSuicaは返せば500円返して貰えるから、とりあえず来年度いっぱいはビューカードと同じコストということになるね。それまでに会費無料にすりゃいいのにな。

というか、逆にポイントプレゼントしてでも会員を増やすべきだと思うんだけど、電車に乗れるってのをそこまで付加価値に思ってたんだろうか。
Suicaカードが1500万枚以上も発行されているのだから、Suica自体のユーザは多いはずで、携帯の方も対応機種が何百万台も出てるのだからもっと会員増えてもいいはずなのにちっとも増えてないんだから、そういう足かせはとっとと無くするべきですな。

さて、クレカ持ってない、もしくは持つつもりがないという人はどうすればいいか。それは今月末からモバイルバンキングからのチャージや店頭からのチャージで使えるのも用意されるんだけども、これだとグリーン券が買えないのと、モバイルバンキングからのチャージに手数料がかかるってこと。詳しく書いてないけど、たぶん1回ごとに105円とか52円とかかかるみたい。
これも無料のedyと比べるとがめついことこの上ない。未成年でカード持てない人だっているんだから、彼らを差別するのはどうかと思う。しかも彼らこそが携帯のメインユーザーなんだから、ちゃんと彼らを面倒見ることで、成長したときにJRへの還元があると思うのだが。
お役所だったところが民営になって、突然がめつくなるっていうのはどうかと思うわけです。


でも、それを差し引いてもこいつは便利。来年からは私鉄も一体になったPASMOが始まるので、私鉄にもこれで乗れるようになる。そうなると私鉄の駅ナカや駅前でもSuica決済が出来る店が増えてくるはずなので、どんどん便利になっていくはずだ。

JR東日本は、それまでには無駄な足かせはなくするべきだと思う。そのほうが絶対に会員が増えて電子マネー決済が増えて店も増えてウマーなスパイラルになるはずだ。

恐るべし左翼裁判官

2006年09月22日 05時36分08秒 | 政治・世相・スポーツ等
不当判決!と掲げて走り回りたいくらいのバカ判決が出ました!!

卒業式などの式典において国旗に対して起立、国歌斉唱を拒否したバカ左翼教師を処分するのは違法だという、彼らの主張をそのまま聞き入れた判決で、まさに目を疑うほどのものだった。

単に処分は行き過ぎだというだけに留まらず「国歌・国旗は軍国主義の象徴」であるという、クルクルパーな主張をそのまま聞き入れた上での判決。どこの国だって戦争の一つや二つやったことがある。その時に国歌や国旗が使われて当然。それを軍国主義の象徴だからって拒否するなんて、クルクルパーだろう。他国の国歌なんて戦争そのものを歌ったものばかりだというのに。
この裁判官も左翼だったとすれば仕方ないところだが、そんな思想を持っている人が任官されるわけもなく・・・何か裏がありそうではあるが、まあ、この裁判官の出世の道は完全に絶たれたであろうことは確かだ。
だって、控訴したら絶対、何があっても確実に同じ判決は出ないから。たとえ高裁の裁判官も左翼だったとしても、最高裁で違憲判決なんか出るわけがない。そもそも行政敗訴の判決を出すだけでも風当たり強いのに。

まあ、裁判官もバカだが、これは確信犯かもしれない。こんな馬鹿な判決は地裁ならではだし、絶対に最高裁が認めるわけがないのは分かっている。でも、それまでに彼らは「勝訴した」という事実をプロパガンダとして使えるのだ。彼らはどうせ負ける裁判を起こして、裁判を起こして戦っているということをまた宣伝に使ったり、判決文の一部を引用して裁判所が認めた云々喧伝することがある。今回も、上級審での審理が確定するまで、いや確定したとしても「地裁では違憲判決」というのを触れ回ることだろう。そして、そういう姑息な運動に手を貸す左翼裁判官、こいつは左翼教師共々に首にすべきだと思う。



常識で考えてみよう。
卒業式で起立して国歌を歌う、そう都が指導していて、そのようにプログラムがあるにもかかわらず、先生がわけのわからない理由でもってそれを拒否したら、生徒はそれを見てどう思うか?式典を妨害してもかまわない、先生がやってるなら俺らもやってやるって思わないだろうか。

そもそも、日本人が日の丸と君が代に誇りを持てないというのはどういうことか?

そんなに日本が嫌いなら、なんで公務員をやっているんだ?なんで日本にいるんだ?日の丸に誇りを持てない者、君が代に誇りを持てない者は日本から今すぐに出て行け!

主義主張は誰にでもあろう。それは仕方ない所もある。だが、もしそうならば、その大嫌いな日本にいる必要がどこにあるか。それを強要されることが分かっている教師になる必要がどこにあるのか。このバカ共の言うことは、神道は軍国主義の象徴だといいながら神社に就職するだの、宮司になるだのしているようなものだ。根本的に行動が間違っている。

日本に住んでいるだけで、定期的に君が代を歌えと強制されるというのならまだわからないでもない。でも、そんなにイヤなら教師以外の職に就くということが許されているのだから、これは違法でもなんでもない。こんなものが違法だったら、朝礼に毎朝出るのは行動の自由の侵害だの、休みたいときに休めないのも違法だの、なんでも我が儘が言えてしまうではないか。

それにしてもこういう教師がいることは教育にもよくない。この左翼思想に染まって日の丸や君が代が嫌いになる子供になってしまうかもしれないし、式典を滞りなく進行させることを妨害する人間になる可能性もある。そう、成人式で騒ぐようなバカになる可能性もあるってことだ。なにしろこういうバカ左翼教師は全員首にするべきだろう。
だいたい、左翼が教師になりたがるのはそういう偏った教育をして日本をだめにしようという考えがあるからだろう。これからはもっと厳しく日の丸や君が代を強制して、左翼ホイホイに使うべきだ。そうしてそういった危険思想を持った人間は公職に就けてはならないと切に思う。

増加する飲酒運転

2006年09月16日 07時41分33秒 | 政治・世相・スポーツ等


・・・といっても報道されるようになっただけで、飲酒運転なんて郊外の飲食店なんかでは日常茶飯事だろう。車で飲みにいってそのまま運転して帰宅するなんてごくごく当たり前に行われている。運転代行を頼めばいいのに、それすらせずに運転するなど言語道断である。

言うまでもないが、飲酒運転は犯罪である。酒気帯びでも1年以下の懲役または30万円以下の罰金、酒酔いであれば3年以下、50万円である。また、酒気帯びでも一発免停、酒酔いであれば2年間の欠格期間を含む免許取り消しである。事故でも起こせば最大5年間の欠格期間があり、その間は免許を再取得することは出来ない。

個人的には随分甘いと思うのだが、これでも厳しくなったほうだ。
そもそも、車を運転するのに酒を飲むというのは目をつぶって刃物を振り回すのと同じ行為である。それが直接事故に繋がるとは言えないけども、それなりの危険性を持ったことであって、わざわざ人が死ぬための確率を上げる必要はないことだといえる。これをあえて行うということは、未必の故意があったとみなしてもいいとすら思う。

事故を起こさずとも、酒気帯びで一発免取り、悪質な酒酔いならば一生欠格期間を設けてもいいと思う。飲酒運転をするような倫理観のない人間は繰り返しそれを行う可能性がある。そのような人間に凶器ともいえる車の運転をさせてはならない。
これは料理人が手を洗わずに料理を提供するとか、医者が消毒せずに手術するようなものだ。そんな人間はその職業に就いてはならない。

危険運転致死傷罪というのがある。主に酒酔い運転等で人を死なせたりした人が該当するけども、これも有期刑しか存在しないのも軽すぎる。
酒を飲んでどうこうするというのは、たとえ酩酊して判断力が低下していても故意がないことにはならないのは刑法の基本である。なぜならば、飲酒をする時点では意志があったのだから、その後に起こりえることへの判断能力(つまり責任)があったとみなされるからだ。これを原因において自由な行為という。飲酒運転での致死傷にも故意を認め、重罪にしたということだろうけど、それでも軽いと思う。

なぜならば、業務上過失致死との対比においては重いけども、過失致死はあくまで「過失」なのであって、故意犯よりは確実に軽くしなければならないというのがあるが、こちらは故意犯なので、あえて軽くする必要はないわけだ。
そして、故意があって人を死なせたのだから、それはもう「殺人」ではないか。たとえば、ある人を殺そうと思って車で人を轢いて死なせれば殺人罪が適用されるのは当然だ。
また、人混みで銃を乱射すればおよそ誰かが死ぬであろうことは推測に難くないわけで、特定の誰かを狙ったものではなくてもこれは殺人罪となるわけだから、危険運転致死傷についても、相手を死傷させたのならば15年だの20年だの言わずに「殺人や障害の罪として論じる」とすべきところだと思う。

あまりに悪質な、常習的に業務で飲酒をして運転して車に追突し幼児を死なせたような例や、何軒もはしごして飲み歩き、高校生の列に突っ込んで数名を死なせたような例においては殺人とみなしていいと思う。殺人に準ずるとすれば、死刑まであり得ることになる。そんな重大なことをしたのだから、理屈としても死刑もあり得るだろう。

ただ、飲酒運転が「殺そうとして銃を乱射」したのと同列とはとうてい言えない(運転と銃の対比の飛躍や、殺そうとする故意のつよさにおいて)という反論もあると思う。まさか自分が人を轢くとは思ってないからだ。でも、それに等しい重大な行為であるというのは事実だから、それをあらかじめ明文化しておくことで運転者に警告を与える必要があると思う。自分が飲酒をして、「この状態で運転することは殺人を犯す可能性がある」自覚を与えることができる。そうすれば、怨恨による殺人はこれ以上立法で抑止するのはできないとしても、飲酒運転自体を減らし、それによる死者を減らすことに少しでも役立つだろうし、起こした結果に対しても正しい罰を与えられる。
つまり、まだまだ刑罰が軽すぎる。さらなる厳罰化を求めたい。


それと運転者の認識が軽い理由として、「罰金」と「反則金」の違いを認識していない人が多いことも言える。反則金は行政処分で、これを受け入れることで本来犯罪である交通違反を犯罪として扱わない、許してやるというもの。いくら受けてもいわゆる前科にはならない。そして罰金はその名の通り刑罰であり、犯罪として扱われる。反則金なら振り込みをすればそれでいいが、罰金に当たる違反をした場合は、裁判所にいって裁判を受けて判決をもらって、それで罰金を払うことになる。
反則金で済むのはいわゆる「青切符」で、罰金(犯罪)になるのは「赤切符」と言われる。罰金のほうを食らうととんでもなく面倒なのは経験した人なら分かることだが(私はありません)それで自分が「犯罪者」になっている自覚がある人はどれだけいるのだろうか。
免許を持っていればそれくらい誰でも知ってるだろ!と思う人もいるようだけど、未だに反則金のことを罰金とか言う人もいるのも事実だ。交通違反が本来犯罪であることも知らなかった人もいるだろう。違反そのものが犯罪であり、反則金はそれを簡単な手続きで許してもらうためのもので、重大な違反にはそれすらないということを知っておいてもらいたい。そして、赤切符や飲酒運転がどれだけ重大な「犯罪」なのか、肝に銘じて車を運転してほしい。

祝:親王誕生と天皇制維持

2006年09月08日 17時03分32秒 | 政治・世相・スポーツ等
ついに親王殿下が誕生しましたね。


いやー、ほんとうにおめでたい。ここだけの話、実はくみさんが何らかの操作をして男子を産ませてくれたらしいです。これは国民にかわってお礼を申し上げるしかありません。


紀子さまご懐妊というので男子の誕生が切望されたが、というかこの時期に産もうというのだから男だと分かっていたのだろうと、今までは皇太子殿下に配慮して子供を作らなかっただのという推測も蔓延してたが、公式には本人も医師も知らなかったということ。まあそんなわけないだろうけど。

さて、これで次世代の皇位継承者が生まれたということで、皇室典範改正論も一時棚上げです。中曽根さんなんかは「完全に解決した」とまで言い切る始末。とはいえ、健やかに育つということも限らないので、まだまだ予断を許さない。

親王は事実上未来の天皇陛下となるわけで、秋篠宮家でそういう重大な人を育てるだけの規模があるのかという話もありつつ、事実上の天皇家ということになるのだから予算、人員等考える必要がある。

さて、皇室典範改正論だが、女系容認論がまだ残ってるのがおかしなところ。


天皇制=男系


これは神話の時代からの伝統であり、全くイコールで結べるものである。
もし男系が維持できないなら、天皇制自体をやめてしまえばいい。
なぜ天皇が世界から認められる地位にあるのか、なぜローマ法王に並ぶ外交上の地位を持っているのか、それは万世一系を維持しているからに他ならない。これをやめることは、日本にある最大の財産を失うことになる。だから男系維持、これは最低限のことである。

女性天皇は昔にもいたじゃないか?という人もいる。
でもこれは、その代限りのワンポイントリリーフである。男系女性天皇が即位した場合、その女帝の子供は即位できない。それどころか、そういう争いが起きないように女帝は子供をもうけなかったと言う。皇室典範では男系男子と男に限定しているが、別に男系ならワンポイントで女性でも構わない。だが、その子は天皇になれない。それが「男系」というものなのである。

この男系の意味というのをあまり報道しないから、女系容認論という天皇制の根本を理解していないような理屈が蔓延してしまうのだ。小泉総理の私的諮問機関がそういう提言をしたというが、これも狂った話だ。だいたい誰だよお前らwwww

それにしても、宮家の大幅な削減があってから、男系の維持が難しくなってきている。たかだか二分の一なのになぜ男は生まれづらいのだろう。近親交配が増えると男が生まれづらいだのいう話もあったりして、でも最近は民間からとってるしどうなんだろうとか思うわけだけども、そんなに男が生まれづらいなら産むための努力をしたらどうか。

つまり側室を設けるか、そうでなければ男女生み分けをするべきじゃないか。

前者はいろいろな問題があるのだろうけど、後者はどうか。医学的に男をまず産んで、それから運に任せるというのもアリなんじゃないか。
ただ、それだと胎児レベルで女と分かったならば堕ろすという話になってしまうし、単なる中絶にしても問題だというのに、天皇家の子を堕ろすというのは倫理的にどうなのだという話。それがたとえ受精卵の時点で分かるとしても時期の問題であり、命に代わりはないのだ。

とはいえなんらかの対策が必要であり、公的には秘密だとしても、そういった対策をとってでも男系を維持すべきではないか。それができないなら、とっとと旧宮家を復帰させるか、そうでなければその中から誰かを愛子様と結婚させ、天皇とするしかない。これは愛子様の恋愛の自由を奪うことになるが、妙な小細工の中では一番問題が少ないだろう。

どちらにしろ、座して成り行きを見守るのは大概にしてほしいものだ。