全くひどいもんである。
中東の馬鹿共は戦争をするにあたって互いに言い分があるんだろうけど、それらは相手に向けてのものであるはずだ。相手を攻撃する理由はお互いに大儀として持っている。ところが、イスラエルはなにをトチ狂ったのか、国連の施設に爆撃した。
それもいわゆる単発の誤爆ではなく、あえて、わざと狙ったというのだから凄い。まる一日にわたって、何十年も前から国連のビルだと分かっている建物を、しっかりUNとライトアップされている建物を、地上部隊も使って念入りに爆撃して、その関係者四人を殺害したのだという。
しかも国連側はその攻撃の合間に、必死に「ここは国連の施設である」ことをアピールし続けていたのだという。この状況で誤爆だなんて言い訳は通らない。馬鹿とか無法者とかいう以前の問題である。というか、意図がわからない。そんなことをして一体なんの得があるのか。
これは北朝鮮の挑発行為とは全く別の次元のものである。北朝鮮は外交上の譲歩を引き出すつもりでやっていて、別にどこに着弾させるつもりもなかったのは明白だ。しかしイスラエルは、なにも敵対しない、むしろ平和のために存在する国連施設を攻撃したのだから、無法の度合いがまるで違う。ヤクザが金をゆすろうとテーブルをひっくり返すのと、抗争で相手の組の事務所ではなく、警察署を襲うことの違いのようなものだ。何がしたいのかさっぱりわからない。
こんなことをすれば、国連軍を派遣してイスラエルを徹底的に潰す・・・ことになるのが筋というものだが、なんと非難決議にアメリカが反対した。中国は中国人の国連関係者が殺害されたこともあり、制裁決議まであり得るほどの勢いだったのに、それにアメリカが反対・・・こないだの北朝鮮の問題の全く逆のことだ。
単なる外交上の駆け引きという部分もあるのだろうけども、こういう無茶苦茶な悪業に対してそんなものを持ち出してどうするのだろうか。そもそも、なぜアメリカはイスラエルに荷担するのだろう。アラブ=テロ 反アラブ=味方 という単純な二元論でもあるのだろうか。それともユダヤ教とキリスト教は仲間だと思っているのだろうか。アメリカの現政権はかなりの保守的キリスト教信者で構成されていることは有名だが、そういったあたりも関係してきているのだろうか。
単に小競り合いをしていることについて、テロ的な行動をとりつつあるヒズボラや、それを支援するイラン、シリアなどが他のテロ組織を支援しているとするあたりから考えて、そてに対抗するイスラエルにシンパシーを感じるのかもしれないが、さすがに現在のイスラエルを支援するというのは、テロよりもあさましい、中立組織への攻撃という愚行を肯定することになってしまう。
結局の所、この件についてイスラエルと国連で調査するという文言が外され、イスラエルが調査するということになった。奴らに調査させてどうなるものか。外部にしっかり調査させて、イスラエルの軽はずみかつ異常な行為について糾弾すべきである。どう調査しようが、やったことは確かなんだから、何らかの対処があって然るべきなのだが・・・。
というか、こういう重大かつ悪辣な行為をした国に対して、大国の思惑によって対処ができなくなるというのでは、なんのために国連があるのかさっぱりわからない。法というのは権力者の思惑とは別に存在するものであり、それに反するものは国家元首だろうが裁かれるべきだ。民主主義の国ならばそうあって当然だが、国家レベルで行われる犯罪については、明確な証拠があってもそれを裁く機関が存在しないのは問題だ。
国連には国際司法裁判所というのもあるにはあるが、双方が付託に合意しないと審議が始まらないうえに、その判決を遵守するもしないも自由という程度のもので、判決に強制力はない。ただ、判決を遵守しないことを安保理に付託することもできるから、そうなると制裁決議は必至である。とはいえ、その当事国が常任理事国と利害のある国だったら拒否権が発動されてしまうこともありうる。これでは、裁判で有罪になっても権力でもみ消せるのと同じで、普通あってはならないことだが、それが出来てしまうのが現状ということだ。
現状の安保理はせっかく多くの国が合議でもって対処することになってるのに、その中立性がまったく保たれていない。たとえば日本の裁判でも、複数の裁判官による合議制がとられているが、それはもちろん、中立、公平性を保つためである。もし、裁判官のなかにとても権力を持つ人がいたとして、その人と同じ出身の者を裁くときに手心を加えても良いということになったらどうだろう。そんなことはあり得ないはずだ。しかし、現状の安保理ではそれが行われているのだ。こんなことで世界の秩序が保たれるわけがない。
ではどうしたらいいか。理想論になるが、ここは国連とは独立した司法組織を作るべきだ。一般の法における対象が人であるように、国の行動について刑罰を含めた法律を作るべきだ。これは批准するしないは関係ない、強大な力を持たせるべきだと思う。核拡散防止条約のように「脱退するから知りませーん」では困るからだ。
国際法というものは既にある。これは明文、不文とわず、国家間の「お約束」的なものであって、即座に罰則があるわけではないし、そもそも誰が国に罰を与えるのだろうという話だ。安保理決議にしても、確かに武力行使までは存在するけども、そこまでいくのはとても大変なハードルがある。大国の思惑が絡むとなおさらである。
およそ国ならば当然に守らねばならないことを明文法に定め、それを守らない国は司法組織が所有する軍隊によって攻撃され、その行動をやめさせ、最悪の場合は政権を奪うことまで許されるようにする。そこに大国の思惑は排除され、行動そのものが違法かどうかだけで判断する。判断するのは外交官ではなく、国際法学者による。当然、当事国と利害のない国の出身者が担当するようにする。大国からの出身者はなるべく控えるべきでもある。
軽はずみな攻撃や、民間人殺害、中立組織への攻撃などをすれば、国としてペナルティも受けるようにする。そうなれば、たとえ相手の国を滅ぼしてやりたいほど憎んでいたとしても、実力行使に出づらくなるというものだ。これは、殴ってやりたい、殺してやりたいほど憎い相手がいても、実際にやると逮捕されてしまうからやらない、というのと同じだ。行為者に思いとどまらせる、予防効果が国家にも期待できるようになる。
さらには、報復行動が禁止されるという利点もある。攻撃に対する自衛以上の報復を禁止し、それは国際司法機関によって速やかに行われるようにすべきだ。そうすれば報復の連鎖を産まなくなる。
現状では、国連は国際連合と訳されてはいるものの、第二次大戦の戦勝国(連合国)そのものだから、彼らの思惑によって、常識外の判定が出てしまうこともある。通常は外交上の不利益を被ることが抑止になるのだが、大国による外交上の保護があれば、北朝鮮やイスラエルのように、無茶な攻撃をしてもしらんぷりできてしまう。そんな無法が、この科学文明の世の中で許されていいわけがない。
アメリカにはテロと戦うという大義名分があるのかもしれない。テロを倒すのには少々の無茶をやってもいいかもしれない。それがアフガンやイラクへの侵攻かもしれない。しかし、それとは別の、あり得ないほどの無法までも許して良いわけではない。
それはそれとして、イスラエルに、それはやり過ぎだと言えなければ、米国は世界の警察とはなれない。米国に世界の秩序を任せるのが危険であるのが、今回のことで分かったはずだ。世界はいまこそ、国際的な法秩序の確立に動くべきである。アメリカが無茶をやれば、きちんとやめさせることが出来るようになるべきである。とはいえ、核保有国が本当に狂ったら止める手段はないんだけどね。
そんな理想論はいいとして、手始めに、全ての国はイスラエルを徹底的に非難すべきである。それが出来ない国は、同じくらいの無法者である。
中東の馬鹿共は戦争をするにあたって互いに言い分があるんだろうけど、それらは相手に向けてのものであるはずだ。相手を攻撃する理由はお互いに大儀として持っている。ところが、イスラエルはなにをトチ狂ったのか、国連の施設に爆撃した。
それもいわゆる単発の誤爆ではなく、あえて、わざと狙ったというのだから凄い。まる一日にわたって、何十年も前から国連のビルだと分かっている建物を、しっかりUNとライトアップされている建物を、地上部隊も使って念入りに爆撃して、その関係者四人を殺害したのだという。
しかも国連側はその攻撃の合間に、必死に「ここは国連の施設である」ことをアピールし続けていたのだという。この状況で誤爆だなんて言い訳は通らない。馬鹿とか無法者とかいう以前の問題である。というか、意図がわからない。そんなことをして一体なんの得があるのか。
これは北朝鮮の挑発行為とは全く別の次元のものである。北朝鮮は外交上の譲歩を引き出すつもりでやっていて、別にどこに着弾させるつもりもなかったのは明白だ。しかしイスラエルは、なにも敵対しない、むしろ平和のために存在する国連施設を攻撃したのだから、無法の度合いがまるで違う。ヤクザが金をゆすろうとテーブルをひっくり返すのと、抗争で相手の組の事務所ではなく、警察署を襲うことの違いのようなものだ。何がしたいのかさっぱりわからない。
こんなことをすれば、国連軍を派遣してイスラエルを徹底的に潰す・・・ことになるのが筋というものだが、なんと非難決議にアメリカが反対した。中国は中国人の国連関係者が殺害されたこともあり、制裁決議まであり得るほどの勢いだったのに、それにアメリカが反対・・・こないだの北朝鮮の問題の全く逆のことだ。
単なる外交上の駆け引きという部分もあるのだろうけども、こういう無茶苦茶な悪業に対してそんなものを持ち出してどうするのだろうか。そもそも、なぜアメリカはイスラエルに荷担するのだろう。アラブ=テロ 反アラブ=味方 という単純な二元論でもあるのだろうか。それともユダヤ教とキリスト教は仲間だと思っているのだろうか。アメリカの現政権はかなりの保守的キリスト教信者で構成されていることは有名だが、そういったあたりも関係してきているのだろうか。
単に小競り合いをしていることについて、テロ的な行動をとりつつあるヒズボラや、それを支援するイラン、シリアなどが他のテロ組織を支援しているとするあたりから考えて、そてに対抗するイスラエルにシンパシーを感じるのかもしれないが、さすがに現在のイスラエルを支援するというのは、テロよりもあさましい、中立組織への攻撃という愚行を肯定することになってしまう。
結局の所、この件についてイスラエルと国連で調査するという文言が外され、イスラエルが調査するということになった。奴らに調査させてどうなるものか。外部にしっかり調査させて、イスラエルの軽はずみかつ異常な行為について糾弾すべきである。どう調査しようが、やったことは確かなんだから、何らかの対処があって然るべきなのだが・・・。
というか、こういう重大かつ悪辣な行為をした国に対して、大国の思惑によって対処ができなくなるというのでは、なんのために国連があるのかさっぱりわからない。法というのは権力者の思惑とは別に存在するものであり、それに反するものは国家元首だろうが裁かれるべきだ。民主主義の国ならばそうあって当然だが、国家レベルで行われる犯罪については、明確な証拠があってもそれを裁く機関が存在しないのは問題だ。
国連には国際司法裁判所というのもあるにはあるが、双方が付託に合意しないと審議が始まらないうえに、その判決を遵守するもしないも自由という程度のもので、判決に強制力はない。ただ、判決を遵守しないことを安保理に付託することもできるから、そうなると制裁決議は必至である。とはいえ、その当事国が常任理事国と利害のある国だったら拒否権が発動されてしまうこともありうる。これでは、裁判で有罪になっても権力でもみ消せるのと同じで、普通あってはならないことだが、それが出来てしまうのが現状ということだ。
現状の安保理はせっかく多くの国が合議でもって対処することになってるのに、その中立性がまったく保たれていない。たとえば日本の裁判でも、複数の裁判官による合議制がとられているが、それはもちろん、中立、公平性を保つためである。もし、裁判官のなかにとても権力を持つ人がいたとして、その人と同じ出身の者を裁くときに手心を加えても良いということになったらどうだろう。そんなことはあり得ないはずだ。しかし、現状の安保理ではそれが行われているのだ。こんなことで世界の秩序が保たれるわけがない。
ではどうしたらいいか。理想論になるが、ここは国連とは独立した司法組織を作るべきだ。一般の法における対象が人であるように、国の行動について刑罰を含めた法律を作るべきだ。これは批准するしないは関係ない、強大な力を持たせるべきだと思う。核拡散防止条約のように「脱退するから知りませーん」では困るからだ。
国際法というものは既にある。これは明文、不文とわず、国家間の「お約束」的なものであって、即座に罰則があるわけではないし、そもそも誰が国に罰を与えるのだろうという話だ。安保理決議にしても、確かに武力行使までは存在するけども、そこまでいくのはとても大変なハードルがある。大国の思惑が絡むとなおさらである。
およそ国ならば当然に守らねばならないことを明文法に定め、それを守らない国は司法組織が所有する軍隊によって攻撃され、その行動をやめさせ、最悪の場合は政権を奪うことまで許されるようにする。そこに大国の思惑は排除され、行動そのものが違法かどうかだけで判断する。判断するのは外交官ではなく、国際法学者による。当然、当事国と利害のない国の出身者が担当するようにする。大国からの出身者はなるべく控えるべきでもある。
軽はずみな攻撃や、民間人殺害、中立組織への攻撃などをすれば、国としてペナルティも受けるようにする。そうなれば、たとえ相手の国を滅ぼしてやりたいほど憎んでいたとしても、実力行使に出づらくなるというものだ。これは、殴ってやりたい、殺してやりたいほど憎い相手がいても、実際にやると逮捕されてしまうからやらない、というのと同じだ。行為者に思いとどまらせる、予防効果が国家にも期待できるようになる。
さらには、報復行動が禁止されるという利点もある。攻撃に対する自衛以上の報復を禁止し、それは国際司法機関によって速やかに行われるようにすべきだ。そうすれば報復の連鎖を産まなくなる。
現状では、国連は国際連合と訳されてはいるものの、第二次大戦の戦勝国(連合国)そのものだから、彼らの思惑によって、常識外の判定が出てしまうこともある。通常は外交上の不利益を被ることが抑止になるのだが、大国による外交上の保護があれば、北朝鮮やイスラエルのように、無茶な攻撃をしてもしらんぷりできてしまう。そんな無法が、この科学文明の世の中で許されていいわけがない。
アメリカにはテロと戦うという大義名分があるのかもしれない。テロを倒すのには少々の無茶をやってもいいかもしれない。それがアフガンやイラクへの侵攻かもしれない。しかし、それとは別の、あり得ないほどの無法までも許して良いわけではない。
それはそれとして、イスラエルに、それはやり過ぎだと言えなければ、米国は世界の警察とはなれない。米国に世界の秩序を任せるのが危険であるのが、今回のことで分かったはずだ。世界はいまこそ、国際的な法秩序の確立に動くべきである。アメリカが無茶をやれば、きちんとやめさせることが出来るようになるべきである。とはいえ、核保有国が本当に狂ったら止める手段はないんだけどね。
そんな理想論はいいとして、手始めに、全ての国はイスラエルを徹底的に非難すべきである。それが出来ない国は、同じくらいの無法者である。