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セルフメディケーション

2006年01月10日 02時50分42秒 | 政治・世相・スポーツ等


近頃、セルフメディケーションという言葉を良く聞く。
それは、自分で自分の体調を維持するのに必要な薬を理解して、自分で病気を治すこと。サプリなどで健康を整えることも含むが、民間療法のことをいうわけではない。

これがとても重要だと考えたのは、ここ一連の体調を崩した時の、某医院での対応についてからだ。
私は、喘息持ちである。そして、風邪を引くとたいてい喘息を併発する。それにしても、喘息用のスプレー式携帯用吸入薬を吸入することで、ある程度の発作なら軽減する。しかし、年に一度かそこら、吸入薬では軽減しない発作が起きることがある。
今回は、のども痛いし、節々もだるい。これは明らかな風邪の初期症状である。熱はあったかどうかわからない。吐き気も下痢もない。
こういう状態で、近所の医院に行った。喘息で通っていた病院なので、また喘息だろうという。吸入薬できかないときに来るので、今回も点滴を打ってもらおうと思って行ったわけだ。
しかし、来院したのが午前の受付間際だったからか、聴診器を当てたあと、「吸入薬をあげるから、なおらなかったら午後点滴受けに来て」というではないか。それを吸って治らないから来たというのに、なにそのあからさまな点滴は時間がかかるから嫌だみたいな対応は?
しかも、風邪の症状を言っているのに、のどもみない、熱も測らない。こんなおざなりな態度を取る医者とは思ってなかったのだが、ちょっとだけ憤慨したものだ。

でも、点滴やってくださいと言ったらやってくれた。まあ、断るわけにはいくまい。で、1時間くらいかけて早めに点滴を入れてもらったわけだけど、当然、終わった頃は休憩時間になっていた。
それで症状が治ればよかったのだが、どうしても症状は軽快しない。というか、今までの喘息ではありえない奇妙な咳が出る。そして、喘息なみに肺の奥から苦しい。これは一体どういうわけだろうか。別の病院に行ってみるか。でもその日は遅いので苦しみながら寝ることにした。明日はライブを見に行かなければならない。こんなやかましい怖い咳を出すようでは、とてもライブなど見てる場合ではない。まさに妨害行為になる。

翌朝起きてみて、喘息は治まっているものの、肺がとても重いことに気づいた。そして、何度か必死に咳をしてみて、肺の奥からの痰を吐き出せないことが苦しさの原因であることに気づいた。いままで痰が絡んで困ることはあったし、肺の具合が悪いときは痰がガバガバでることも知っていたが、痰が出てこないで苦しいということがあるとは、全く想定していなかった。
そこで、ネットで痰を出す薬を検索し、その成分が含まれる市販薬を近所の薬局で購入。千円もしたが、昨日の点滴よりは安かった。飲んでみたら、これが面白いように痰が出るようになった。奇妙な咳も収まった。飲み続けることで、咳自体が大幅に減ることになった。あれだけ苦しんだのに、たかだか市販薬で解決してしまったのだ。いうなればこれは、セルフメディケーションである。

普通、我々の感覚では、医者のいうことは絶対であり、医者が全ての病気を見いだして適切な対応をしてくれると信じている。しかし、全ての医者が名医というわけではない。
患者も、医者に適切な症状を伝えなければならない。今回も、聴診器を当てても痰が詰まっていることに気づかなかった医者も悪いが、患者である自分がそれを告げて、痰を出す薬を出してもらうようにするのも大事なのだ。それには、自分の病気の症状を理解し、その治療法も、できるだけ患者が理解しておくべきことだ。そうすれば、医者も的確な診断をしやすくなるし、結果的に自分が助かることでもある。

これは弁護士にもいえることだ。
弁護士全てが全ての法律に明るいわけではないし、必ず問題の本質を理解した適切な処理ができるわけではない。依頼者が、自分である程度、根拠法律や問題の本質を理解し、弁護士でないと出来ない手続きをするのに、利用するくらいでちょうどいい。弁護士も医者も、極専門的な部分の知識や処理を託する程度の、いわば道具であり、なんでもやってくれるスーパーマンではないということを、我々は知るべきであると、強く感じた。