◆犬の散歩◆

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気になる判決

2006年01月25日 15時17分31秒 | 政治・世相・スポーツ等
世間はライブドアの話題でもちきりだけども、気になったニュースが二つ。

一つは、豊川で幼児が殺害された事件。
容疑者として逮捕された男は、当初は犯行を自供したが、後にそれは警察に強要されたものだと証言を覆した。普通はそういう場合は調書の方が優先されるというか、後になって言い逃れしようとしてると見なされる場合が多いのだけども、今回は無罪になった。

先日、判決を前にして某番組で特集をしていたが、最大の争点は自白の信用性だけであって、それ以外の客観的な証拠が一つもない状況だという。その自白も、犯人しか知り得ない秘密の暴露でもなく、捜査員が誘導したものとしても不思議ではないと思えた。

で、一番の疑問点は、自白のみが被告人の唯一の不利益な証拠の場合は、被告人を有罪にすることが出来ないと刑事訴訟法で決まっていることだ。つまり、この裁判、最初から彼を有罪に出来るわけのない裁判だったのだ。なぜ公判が維持出来たのかすら疑問である。

このニュースを聞いて「やっぱりか」とは思ったが、それにしても疑われた被告人は災難なことだ。しかし、自力で潔白を証明できなかった彼にも原因の一端はあるものだ。実際にやっていないなら、どんなに脅されても自白などしてはいけない。また、疑わしい行動も取らないのも大事であろう。と思った。


もう一つ、気になった判決。
仙台育英高校の生徒の列に突っ込んだ酒酔い運転の男の裁判。
酒に酔った上に運転し、3人を死なせたので、危険運転致死傷罪が適用されて、その法定刑の最大である懲役20年が宣告された。この危険運転致死傷罪が出来る前は、業務上過失致死傷罪の五年が最大の刑だったわけで、交通事故で20年の判決というのは初めてのことで、画期的なものだ。
そもそも酒を飲んで運転するということ自体が、とんでもなく危険であり重罪であることを知らずに、軽く酒を飲んで運転する人が多いという。本件の場合は朝まで飲み歩いていたというから、軽くではないのだけど、酒飲み運転がどれだけ重罪かを理解していない人は多い。罰金五十万とか、事故を起こせば実刑とか、かなりの重罪なのだけど、個人的にはそれに加えて「二度と免許を与えない」という行政罰を与えてもいいと思う。免許がなければ生活できない業種もあるだろうけど、だからこそどうしても飲んではいけないという戒めになる。倫理的にやってはならないタイプの違法行為は、厳罰に処する必要があると私は考えている。
で、私がこの事件を強烈に覚えているのは、これが起きたのがちょうど私が山形に免許を取りに行っている最中だったからだ。教官が実技の教習のとき、昨日こういう事件があってね・・・と語り出した。こういうやつは許せないと熱弁を振るうわけだけど、それがとても同意できて、こういうやつは危険運転致死傷罪だな、なんて話していたからだ。
果たしてその通りの判決が出たわけで、遺族はその程度では納得はしないかもしれないが、せっかく作った法律がきちんと適用されて良かったと思うのだった。

ライブドア事件と俺ルール

2006年01月25日 14時50分59秒 | 政治・世相・スポーツ等
突然だけど、「俺ルール」というのがある。
自分国俺法ともいう。自分にしか通じないルールというか、自分の合理的ではない言動への言い訳という意味合いがある。

よくある例でいうと、「食べ物を落としても3秒以内なら拾って食べてよい」というものがある。別に3秒以内だと汚くないとか、そういう科学的根拠はないわけだけど、落ちたくらいでそれを諦められない自分に対して、落ちたものを拾って食べる間抜けさを和らげるために言い訳をしていると考えられる。

一見よくないことだけど、「○○だからいいんだ」、というのが主な用例。
お年寄りが目の前に立っているのに、席を譲りたくないときとか。「俺は実は足を痛めているんだ、だから譲らなくていいんだ」とか自分に言い聞かせたり、足をかばう仕草をしてアピールしたり、はたまた寝たふりをしたり。別に必ず譲らないとならないと決まっているわけでもないのに、なぜか自分に言い聞かせてしまったりする。

もっと顕著な例を言っていこう。
掲示板などで争いが起きたりして、相手に言い返せなくなったりするとき、「お前はどうせ無職だろう」とか「童貞のくせに、キモオタのくせに」と相手を罵り出す人がいる。
「相手が醜いから、たとえ議論で負けても別に自分のほうが下な訳じゃない」という言い訳である。議論をよく見てると、本題と関係ない罵倒が増えてくるから、彼は言い返せなくて苦しいんだなというのが分かる。
「自分は議論に負けたけど、人間として勝っているからOK」
これが、その時の彼の俺ルールといえる。しかし、そんな俺ルールで自分を慰めているという構図は、人間として負けてると思うw

ほかにも、「一言も言い返せないけど、俺の味方をする人はたくさんいるんだ」とかね。もちろん、アンケート取るわけでも、誰がどういう理由で自分の味方をしてくれているのかなどは、一切言えない。場合によっては、匿名で同意者を装うこともある。同意しているくせに、どうして同意したのか言えないからとても見ていて面白い。

で、これからは悪人の俺ルール。
私が過去に遭遇したことがある人の話。別の人と、あることで話し合っていると、そこに割って入ってきて、相手の意見だけをそのまま鵜呑みにして、私に敵意を感じ、突然「殺す」と言ってきた人がいた。
なぜ訳も分かってないくせに私に殺意を覚えるのか分からないが、彼は「俺は精神科に行ったことがあるので、お前を殺してもすぐに出てこれるのだ」と脅してきた。
当然、そんな殺意を明確に持っていて、罪を逃れる意識がある人間が心神喪失や心神耗弱であるわけがないんだけども、「○○だから××をしてもOK」という、俺ルールが彼には存在していた。

このように、勝手に法律を誤解して、○○だからOKといって、違法行為に手を染める人というのは、結構存在する。ライブドアの連中もそうだろう。(やっと本題)

法の抜け目を通って、灰色なことをしているような人や、失敗をごまかそうとしてるような人の場合、疑惑を向けられると、違法とは考えていませんとか、グレーだけど違法じゃないとか言い訳をする。しかし、多くの場合、それは通用しない。

なぜだろうか?
その俺ルールを用いる人も、そこそこ法律は調べているし、バカじゃない。○○だからOK、という言い訳も、論理上は成り立つ。だからゴーサインを出したのだろう。
しかし、彼らは自分にとって都合のいい観点でしかモノを見ようとしていない。それが最大の失敗なのだ。

あることがグレーゾーンの場合、一見、理由を付けて合法に見えても、裏を返せば、理由を付けて違法だというように、検察側の俺ルールも適用が出来てしまう。同じ行為が罪のようにも、そうでないようにも見える場合、普通考えると罪にはならないようにも思えるのだが、罪であるという前提を崩す材料がない場合は、罪だと判断されても仕方がないのだ。
しかも、その行為を、ずるいことだと理解してやっていたような場合、度が過ぎると検察に目を付けられてしまう。法律というのは、それに明確に反しなければいいというのではなく、社会的に危険なものや、悪を裁くために使われる「武器」なのだ。
ライブドアの行為が、社会的によろしくないと判断されれば、法律を悪用してでも潰しにかかる。それが司法の役割といえるし、正義の剣だと私は信じている。悪を潰すためなら、少々ずるいことをしてもいい。グレーだからと手をこまねいていては、悪人が太るだけだからだ。しかし、法にないことで悪を潰すことは、悪と変わらない。そこのバランスが難しいところである。
今回の件は、検察はそんなにずるいことをして潰しているわけではない。ちゃんと内部リークがあり、さらに一部報道によればホリエモン以外の幹部は悪いことだと理解していたと供述しているそうではないか。こうなったらもう、言い訳はできない。確実にホリエモンも有罪になるだろう。ここで認めなかったら、情状がさらに悪くなることだろう。


もし、グレーゾーンを渡りたいのなら、「どう考えても悪いことだけど、罰する法律がない」ようなことをしなきゃダメだ。言い訳次第では悪いことじゃないかもしれないけど、見ようによっては法律に触れるようなグレーゾーンを渡る場合は、当局の心持ち次第でクロと扱われてしまうし、そうなったら裁判所もそれを適用するのは言うまでもない。

つまり、俺ルールというのはとても危険であり、それが俺ルールであること、つまり客観ではなく主観でしかないことを理解しなければ、その場で自分だけに言い訳をしたとしても、最終的に困るのは自分だということを知るべきなのである。

で、ずるいことをしてもばれたら結局困るのは自分ですよ、という、ごく当たり前の道徳を語ってこの項を締めたいと思うw